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BlueroseGarden 2 赤と黒編 作者:香坂冬希
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[17]

「使い方はホテルで教えてあげるから。じゃ、
行きましょうか」

レスタヴィアータは立ち上がって自分の"人除け"を
ポケットにさっさとしまうと、歩き出した。
つられて、俺も立ち上がる。と、にこやかな笑みを
満面に貼りつけた大柄な給仕が、足早にこちらの
テーブルに近づいてきた。
俺は足を停め、レスタヴィアータに声をかけた。

「おい、勘定がきたぜ」
「ああ、ついでに払っておいて」
「‥‥何?」
「料理四品とワインで、だいたい5800キルニ
くらいね。この街の相場からすると、安全なホテルを
取るとするならどれぐらいになるかしら‥」

ぶつぶつと独り言を言いながらも、軽やかな足取りは
止まる様子がない。俺が唖然として二の句が告げ
られずにいるうちに、白いコート姿は影のように卓と
人々の間をすり抜け、いつの間にか店外に出て
しまっていた。
慌てて後を追おうとする俺の前に、件の給仕が
にこやかに立ちはだかった。睨みつけてやろうと顔を
あげると、予想外にもまるで主人からの褒美を期待して
律儀に足を揃えて待っている、犬のような表情である。
人のよい笑顔にすっかり毒気を抜かれた俺は、
勘定をごまかす気にもなれず、しぶしぶとなけなしの
金を払った。
軽くなった財布を懐にしまいながら窓の外を見やると、
あの厚かましい女が馬車を停め、無邪気に微笑みながら
こちらを手招きしているのが見えた。

あれも払わせる気なのだろうか。俺は嘆息した。
次からは、あの女の前に席を立つようにしよう。


「装飾のセンスはいまいちだけど、ベッドはいいじゃない。
気に入ったわ」

部屋について荷物を置くなり、レスタヴィアータがしたことは
部屋をひととおり見回して短い感想を述べたあと、この
クラスのホテルにしてはしっかりした造りの、真新しい白い
シーツのはられた樫のベッドにごろりと横たわることだった。
バスルームの他には窓際にしつらえられたテーブル一式と
小さな暖炉、チェストぐらいしかない簡素な部屋だったが、
思いのほか小ぎれいで床の軋みもなく、壁のガスランプも
丁寧に磨かれて、銀色の鈍い光沢を放っていた。
いいホテルに当たったのかもしれない。
俺は金を使わない一人旅に慣れきっていたし、宿屋などは
雨露をしのげればそれでいい程度の認識しかなかったので、
泊まりといえば大体場末の薄暗くてカビ臭い安宿を見つけて
取るのが常であった。このホテルは、俺が常用する宿屋の
実に四倍の宿泊費である。選んだのはもちろん、あの女
だった。
俺も気が向いた土地では短期間──あるいは数年ほど
腰を落ち着け、何かの仕事を見つけて日銭を稼ぐことも
あったが、基本はその日暮らしであり、懐が寂しくなれば
他人の財布からくすねた分がそのまま収入になる。
吸血鬼の力を使って「危険な仕事」を請け負うとか、
魔術を行使して無限に金を生み出す‥などということは
しない。吸血鬼であってもそうそう危険な目に会うのは
願い下げであるし、魔術師の世界は思いのほか贋金や
詐欺の取り締まりが厳しいのである。
力をたのんで闇にたつきの道を選ぶにも、それ相応の
覚悟が必要なのだ。

「壁に絵が欲しかったな。それに、ソファーとじゅうたんのある
もうちょっといい部屋を探してもよかったわね」
「バカ言うな。観光に来たんじゃないんだぞ。だいたい、
何日泊まるかもわからないんだ。それにお前のせいで、
俺の財布は今や金欠寸前なんだ。考えろ」
「あら。高いホテルなら、必然的にお金を持っている人たちが
泊まっているものよ。つまり、あとは判るでしょ?」

指先で何かを摘むような動作をしながら、レスタヴィアータは
悪びれもせずに鈴の音のような声で笑った。
こちらの気苦労をよそに、脱いだコートを椅子にかけ、ベッドに
長い足を投げ出してすっかりくつろいでしまっている。
俺は言い合う気力もなくなって、窓際のテーブルに腰をかけた。

窓から射し入る午後の陽光が部屋を斜めに横切って
ベッドにおち、レスタヴィアータの流れるような豊かな銀髪と
ミルク色の肌を淡く輝かせている。
その光景をぼんやりと見ながら、素直に美しい女だと思った。
見た目だけの話ではない。
波長というのか、何故か妙に気の合う部分が確かにあるのだ。
過度に気を使うでもなく、かと言って変に馴れ馴れしくもなく、
ただ自然に受け止められるような距離感というか、長年の
付き合いがもたらす安心感と親密さのそれを不思議と覚えて
しまうのである。
今まで気のおけない友人は何人もいたが、多くは死別し、
あるいは遠くに離れてしまった。俺が原因で失った友人も
ないとは言わない。そして、唯一俺が心を許した人は
俺のせいで死んだ。未だに乗り越えられない、苦い事実だった。
それからだろうか、俺が人を頼むことなく何ごとも自分一人で
やるようになったのは。
そして、気がつけば抱えきれない過去の負債と因業を背負って
無為に日々を暮らし、不安と孤独に苛まれはじめたのは。

レスタヴィアータと言葉を交わしていると、彼女の裡にふと
なぜか今は失った人々がよみがえってくるのを垣間見る感じが
する。もちろん、ただの感傷と一笑に付することも可能だが、
それは今の俺の致命的に欠けた部分を補うための、重要な
パズルの一ピースのように思えるのである。
得られぬものを求めて、後悔したくはなかった。
だが、それが何であれ、とにかく手を伸ばしてみないことには
この泥沼の淵から這い出すことすら叶わないではないか?
俺の思考が漫然と陽の光に溶けてゆき、やがて白い眠りに
落ちていった。
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