「ねえ、観月さん」
「なんでしょう、暁美さん」
「あなたなら、わかるんじゃないですか」
「何をです?」
「この物語の、終わり方」
綺麗な顔、綺麗な声。
白い素肌に黒の巻き毛。
強さと背中合わせの脆さ、そして儚さ。
ガラス細工のような自尊心。
ああ。なんて綺麗な、
「私にもシナリオを書いてください、観月さん。この下らない恋心を、あなたなら、終わらせられるはずだから」
私だけの王子様。
観月はじめ。
その名前を初めて耳にしたのは、一年前。
確か、テニス特待生として地方から集められたと聞いた。
「ほら。暁美、見て。綺麗な男の子」
友達がはしゃいでいたから、つられて私もそちらを見た。
聖ルドルフ学院の敷地内には美しい煉瓦道がこしらえあって、その両脇に植えてある街路樹が、道の上にちらちらと木漏れ日を揺らしている。
そこに、人が立っていた。
「…あ」
視線が、絡まり合う。
――――…瞬間、息が止まるかと思った。
「すごい。本当に、綺麗な人だね。絵本に出てくる王子様みたい」
友達の声がやけに遠かった。
私の視界は、たったいま、その人のことでいっぱいだった。
みづき、はじめ。
端整な横顔を、ゆるやかに癖のついた黒髪が優雅にふちどる。
すらりと伸びた手足は、日の光など浴びたことなどないかのように真っ白で。
王子様、という単語。
ひどく現実離れしたその言葉に、こんなにもしっくりくる男の子を見たことがない。
ああ。やっと見つけた。
やっと見つけられた。
…この人は…。
「きゃっ、こっちに来たよ」
友達の声で私は我に返った。
顔を上げると、先ほどまで夢の住人のように思えていたその人物が、私のすぐ近くに佇んでいる。
まるで、まぼろし。
それでないなら白昼夢。
どちらにしろ、手を伸ばしたら消えてしまいそうなほど儚かった。
「沢野暁美さん、…ですね」
きれいな、こえ。
低くて甘くて柔らかい、きれいな、こえ。
王子様が、私の名前を知っていた。
「観月…はじめ、さん」
「ええ」
「どうして私を」
「ご挨拶に」
「あい、さつ?」
「そうですよ。ご挨拶に、来たんです」
友達は、いつのまにか消えていた。
美しすぎる王子様を前にして、堪えられなくなったのだろう。彼女は夢見がちだけれど、それがいざ現実のものとなると、受け止めきれずに逃げ出してしまうことが多かった。もともとが、恥ずかしがり屋な人だから。
けれど、私は違う。
王子様をまっすぐに見上げて、その存在が、うつつのものであることを確かめた。
揺れる髪のさらさらという音も、呼吸も、話す声も。
ああ、こんなにも近い。
彼は本物だ。
私はゆっくりと首を傾げて、涌き起こる甘美な狂気を、その胸の内にそっと押しとどめる。
「あなたほどの方が、わざわざご挨拶?…それは、私が、寮長だからですか」
「ええ。これからお世話になりますから」
もう一度、視線が絡み合う。
逃れられない。
逃れたいとも思わない。
彼は私の手を取った。
私は、死ぬなら今が良いと思った。
「聖ルドルフ学院女子寮寮長、沢野暁美さん。僕をどれだけ知っていますか?」
「聖ルドルフ学院男子庭球部、マネージャー兼選手。…これだけじゃ足りませんか」
「充分ですよ。今はまだ、ね」
にっこりと微笑んだ彼の顔がやけに眩しくて。
握られた手の熱さから逃れることも出来ず、私はそっと目を閉じた。
「ねえ、暁美さん。あなたは運命を信じますか」
「そんな陳腐なもの、語って欲しくはありません」
再び、私は瞼を開いた。
今度はまっすぐに、彼の瞳を見つめ返す。
「あえて言うならば、これは必然なのですから」
それが、邂逅。
「ねえ、観月さん。くだらないものだと思いませんか」
「何がです?」
「愛だとか、恋だとか。どうして皆、あんなものに夢中になるのかしら」
「…さあ。なぜでしょうね。甘い夢を、見たいからじゃありませんか」
「夢。夢なんて。夢ほど不確かなものはないのに。人の心ほど、揺らぎやすいものなどないのに」
「その言葉は、矛盾していますね、暁美さん」
早朝の聖堂は人影がない。
世界は私と彼の2人だけだ。
ステンドグラスから差し込む色とりどりの光を、私は、ああ醜いな、と見つめた。
欲しいのは、どんな鮮やかな色彩よりも、ただひとつ。
黒い髪、白い肌。
どこまでも純粋なモノクロの世界。
私だけの、王子様。
「矛盾していますよ。愛や恋が夢だというのなら、今、ここで僕らが共に在るのは、いったい何のためですか」
「共に在りたいと、願うから」
「そう。それが愛でしょう。それ以外に、どう説明をつけるのですか」
「観月さん」
「はい」
「私は、認めたくないんです」
「何を?」
「あなたと共に在るという現実が、私の心から生み出されているという事実を」
「よく、わかりませんね」
「わからなくて、いいんです。だって、世界はすべて矛盾だらけだもの」
重ねた唇も、指の間をすべり落ちる髪も。
ひどく美しい静寂の世界。
白と黒だけでいい。他には何も望まない。
「あなたと共に在るということが、必然であればいい。遠く遠く、遥か昔から定められた、必然のものであればいい」
王子様。王子様。私はとても醜いです。
あなたを手に入れたいと願うあまり、世界の理をまげてしまった。
奇跡のような偶然を、必然であればいいと望んでしまった。
あなたを求めるあまり、世界の終焉を望んでしまった。
「ねえ、観月さん。手を繋いだまま消えることが出来たなら、幸せだろうと思いませんか」
揺らぐ恋心も、薄れゆく愛も必要ない。
ただ、ただ、世界が終わるその瞬間まで。
あなたと共に在ればいい。
「暁美さん」
「はい」
「…狂ってますよ」
「ええ。私もそう思います」
「一緒に狂えたら、どんなに楽か」
ああ、王子様、王子様。
そんな苦しそうな顔をしないで。
「いいんです。私は、わかっていました」
「暁美さん」
「人の心は揺らぐものだと。…だから、認めたくなかったんです」
「暁美さん」
「愚かですね、私は。この感情が恋愛でなければ、永遠に薄れることがないだろうなと、思ったんです」
「…暁美さん」
「永遠を望んだ時点で、終わりの訪れを認めたも、同然」
「…」
「愛しています、観月さん。この想いが消えるその日まで、ずっとあなたを愛します」
「…僕も、愛していましたよ」
「ありがとうございます」
手を繋いだ。
それしか、震える心を抑えられなかった。
静寂が重く甘くのしかかる。
私は、彼の心に何かを残したいと思った。
「観月さん」
「はい」
「…あなたは行かなければならない場所がある。そこへ言って、成し遂げねばならないことがある。そうでしょう」
「…ええ」
「なら、いいんです。私はここにいます。あなたの背を見送ります。それでいいでしょう」
「…ええ」
「未来などいらない。今、ここにあなたがいる。…それが、すべて」
「…」
引き寄せられた。
彼の唇はやわらかかった。
絡み合った指は、彼の方が長くて、私の手がすっぽり収まるほどだった。
引き寄せる腕は強かった。
彼の心は美しかった。
そう、ガラス細工のような自尊心。
彼は勝利を手にするため、世界の全てを求めている。
私を切り捨ててまで。
「観月さん。最後に、ひとつだけ、いいですか」
「僕に出来ることなら」
「…シナリオを、書いてください」
あなたのせいで動き始めた私の世界。
だから、あなたの手で終わらせて、
「一人の、愚かな女のシナリオを。叶わないものに恋いこがれて、終焉を迎えた女の話を」
最後の最後に、もう一度、キス。
泣かないで。
心の中で祈り続ける。
願わくば、
「どうか、私の最後はあなたの手で」
王子様。
王子様。
ずっと共に在りたいと。
願った私を、嘲笑ってください。
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