Sense92
「う、うんっ……」
ログインの引き込まれる感覚が止み、体が安定する。目蓋は重たく、視界を閉ざしているが、耳には確かに人の音が聞こえる。
何かを焦がし、時折小さな割れる音が聞こえる。焚き火の音だろうか。そして、金属質な物同士がぶつかる音は食事の風景を連想させる。
二時間俺の側で待機していたのだ。空腹度の導入された今なら、料理を食べているのもおかしくない。
俺は、ゆっくりと目を開けて、焚き火を見つける。
赤に揺らめく炎が暖かくて優しい光を広げる。小気味の良い破裂音が耳に響かせる。焚き火の左右には、金属製の皿とスプーンで何かを食べている大男二人。更に、視線を上へと向け――言葉を失う。
「タ、タクが、吊るされてる!?」
ハーネスのロープ一本で体を支えているタクが、焚き火の近くを仰向けにくるくる回っている。
腹筋に力を入れて、上体を起すと思いきや、今度は、全身の力を抜いて逆海老反り。頭の位置を上下に、とバランス取っている。時折、全身の力を抜いて、白目になり、意味の無い呻き声を口から発する。
本人は、至って楽しそうにロープ一本に体全部を預けて、上手くバランスを取っているが、俺から見たら、大男二人に丸焼きにされる人間の構図にしか見えない。
「おう、嬢ちゃん。戻ってきたのか」
「いやいや、タクが燃えるって! 火の近くだと燃えるから丸焼きになるから」
いきなりの出来事で取り乱すが、本人は、上体を起してこちらを見るなり、皆が片方の手を振っている。
「丸焼きじゃなくて、バランスの訓練。これも訓練の一つで、楽しんでやってる」
「はぁ? 吊るされてることが?」
「やってみるか? 地味だけど結構楽しいぞ」
「いや、ちょっと恥ずかしいから遠慮する」
そもそも、何の訓練か分からないし、白目で吊るされる印象が強すぎて、軽い拒否感を持ってしまった。
タクは、自身に付けられたロープを外し、俺に渡そうとするが、受け取らなかったために、それをその場に置く。
「必要なのに……まぁ、次は俺たち三人が休憩取るわ。はぁ~、飯は、カップ麺かな?」
「俺も、やっぱりカップ麺ですかね。大学の一人暮らしですし」
「ま~た、そんな不健康な物食べて、ヒヤマ。親が心配するだろ」
「耳が痛いですね」
「ま、ユン。俺たちの体守ってくれよな。じゃあ――」
三人は、そう言葉を残して、後は意識だけを現実世界に戻した。残った体の方も、目を閉じ、待機状態。
さっきまで人が居たはずなのに、精巧な人形のように沈黙する三人。
俺は、それぞれの顔をじっくり観察するがすぐに飽きてしまい、周囲を見渡す。
崖の途中にあるそこそこ広い場所に暖を取り、それを光源として休憩している。
暗い中でも視界が確保できる【鷹の目】は、辺りの木々の高さや空を飛ぶ小さな敵の存在を補足する。しかし、襲ってくるものも居らず、暇を持て余してしまう。
「……二人交代の方が良かったかな? 一人だと暇」
そして、ふとタクが渡そうとしたロープの端が目に入る。
「……誰もいないし、帰ってくる前に止めれば気付かれないよな」
タクに遠慮したし、白目の丸焼き印象が強かったが、よくよく考えれば火もそれほど近くないし、登山のレベル上げ。と自分自身に言い聞かせて、手に取る。
腰のハーネスに装備し、ロープを徐々に短くし、体を吊るす。
地面から完全に離れたところで掴まっていたロープを放す。体に妙に力が入り、ぷるぷると全身が震え出すが、何とか上体を起し続けることが出来た。
「な、んとか。できっ! うわっ!」
力の入れ具合を間違え、腰を基点に上下が一瞬逆になる。しばらく、制御が利かずに振り回され、気分が悪くなる。
「うっ、気持ち悪い。力抜いて仰向けになるのが一番安定する」
だらっ、と首を上に向けると、ゆっくりと頭が下に動き、顎を引き、腹筋に力を入れると上体が上がる。少し操作が分かってきた。
意外と慣れが必要で、体を起す時は、ロープを掴んで制御したほうが楽だ。
しかし――
「――気にしてなかったけど、星綺麗だな」
一際輝く星の配置は、俺の記憶では現実の星座と全く違う。星が瞬き、時折流れ星が通る。月は、空を青白く照らし、流れる雲の陰が下から良く見える。
吐き出す息は白いのに、体には寒さは感じない。そんな視覚的な違和感。
「星を見るだけならゲームでも楽しめるよな」
「そうだな。今度夜狩りと称して、夜の宴会でも開くか?」
「どーせ、宴会料理作れ、とか言うんだろ?」
「ちぇー」
「全く、お前らしいな。タク?」
あれ? 俺はいつから普通に会話していた。以前に、いつからコイツがいた?
錆付いた螺子のように、ぎりぎりと首を起して、焚き火の方を向くと、胡坐に顎を腕で支えて、笑って見ている。
「ちょ、お前! いつから居た!」
「気付くの遅いぞ。ほんの数分前だ。お前一人だと面白い物が見れそうだからなるべく早く食べて戻ってきた」
「これはその! そう、この位置からちょうど星が良く見えるんだっ! うわっ!」
ジェスチャーも含めて弁明しようとするが手を動かしたために、起した体の重心が大きく乱れ、上下に動き、右回転を始めた。
「あーあ。何やってるんだ。ほら、ストップ」
「すまん、助かった」
回っている俺の頭を両手で押さえて、回転を止めるタク。逆さに見えるタクに対して、感謝する。回りすぎて、少し気分が悪い。
「降りるか?」
「ああ、降りる。これに何の意味があるか分からないが、大まかに制御は出来るようになった。だから、頭離せ。がっちり挟むな」
タクが静かに頭を離し、俺は体を起し、装備を操作し地面に下りる。
「じゃあ、俺に変わって」
「了解。でも、こんなことに何の意味があるんだ?」
そもそもそこが問題だ。ロープ一本に吊るされるのは、バランス感覚の訓練になるだろうが、それ以上の意味が見つからない。
「うん? イワン曰く、空中で敵に襲われた時、両手が開いてたほうが良いからこうしたロープに頼ることも大切だと」
「へぇ~。でも、イワンは、道具なしで登ってたぞ」
「あの人。素手で戦う格闘家の部類だ。ちなみにヒヤマは、打撃武器らしい。何でもロープを切る可能性を減らすために」
「なんか、納得」
あの太い腕でラリアットや棍棒でも喰らおうものなら、骨が砕けそうだ。
「話戻すけど、地面に足が着かない不安定な状態でも、出来るだけ威力を乗せられるように、また、攻撃手段を失わないように。だそうだ」
そう言って、今度は、タクの武器である長剣を取り出し、ゆっくりと動きを確かめていく。右に払い、左に払いと。自分の吊り下げているロープを切らないよう一つ一つの動きを確認し、徐々に速度を上げている。足場が安定しないために、開いた手でロープを掴み、足にロープを絡めて、切り払いの練習を繰り返す。
「俺には無理そうだな。武器は両手を使う弓だし。使えるとしたら短剣代わりの包丁か」
しっかりと安定しない足場で弓を引いたことは無いが、狙いも反動も上手く制御できそうにない。
「まぁ、守ってくれ」
「ユン、それは他力本願じゃないの?」
「適材適所。って言うんだよ。俺は回復要員って事で。ああ、忘れるところだった」
休憩や訓練で、忘れそうになっていたことをタクに尋ねる。
「なぁ、桃藤花ってタクは知ってるか?」
「何だ? その話もう聞いたのか?」
「ああ、ミュウからな。まさか持ってるのか?」
「ああ、見るか?」
「頼む」
剣を振る手を止めて、仰向けのままのタクから一枚の花びらを受け取る。
受け取ったのは、桃色の藤の花びらっぽいアイテム。
アイテムのステータスは、消費アイテム兼、素材アイテム。つまり、生産の材料になる。例として挙げるなら、モンスターの肉なんかは、素材と食材の二種類の性質を持つが、実用面と生産面の二つのアイテムは初めてみた。
「消費アイテムと素材アイテムの兼用?」
「ああ、そのまま使っても良し。生成して上位アイテムにしても良いが……」
「良いが?」
「ぶっちゃけ、誰もレシピ持ってない」
ああ、なるほど。
「それに、そのアイテム。そのまま使うのは使い辛いんだ」
「どういうことだ?」
「HPが0の戦闘不能に使えば、その状態から一だけ回復する下級蘇生アイテムだが……死んだらアイテム使えないよな」
「ああ、つまりは、仲間の誰かが蘇生してくれないと駄目なのか」
例えば、タクが死亡して町に戻る前に、仲間の誰かがこのアイテムを使えば蘇生できるが、タクがソロの場合は、蘇生アイテムを使用できない。
相互で補完し合うことで始めて役立つ蘇生アイテムなのか。
せめて、蘇生効果の発動がインベントリ内でオート発動だったなら、良かっただろうが現状では使い辛い。
「ソロの俺にとっては、悲しいかな。意味の無いものか」
「有って損は無いが、効果の低さと使い勝手の悪さから保険程度の扱いだな。現状では」
そう言って、ちらっ、と見てくるのは期待の篭った視線。
「……俺がこれを利用して上位の蘇生薬を作れれば価値は増えると思うが……問題が多すぎて無理だ」
一つは、レシピが無い現状。貴重な素材アイテム単体を精製して蘇生アイテムが作れれば楽だろうが、どうせ誰かが既に実行しているだろう。
いくつもの素材アイテムを組み合わせを試すよりゲーム内でレシピの情報を探したほうが早いだろう。
もう一つが、材料の入手難易度にもよる。最大で一度の収集が一つのパーティーで六個。量産には向かない。もちろん、手に持ったとき【錬金】センスで種子に出来ないか試したが、これは駄目だった。
「作るのに、労力が多大に掛かる。作るよりも代替素材を探したほうが早そうだ」
「そうか。じゃあ、上位の蘇生アイテムは更に遠くか」
「まぁ、現状で何回も死ぬの前提の敵なんて居ないだろ?」
「まぁ、居たらそれこそ運レベルの問題だしな」
そう言って、俺は花びらをタクに返す。
それからいくつが互いの情報を交換する。どのセンスがレベル上がったとか。何処が良い狩場だとか。
そうしてしばらくすると、イワンとヒヤマが帰ってくる。
「おっ、お帰り」
「おう、戻ったぞ。それで暇ならパーティーを組んで朝までこの山で過ごさんか?」
「はぁ? 朝まで?」
「山に登って朝といえば御来光を拝むのが楽しみの一つだ。可能な限り登って、そこから拝んでみないか?」
今登ったのは、山のごく低い部分だ。見上げれば、山頂が見えないほど。
「それって登山初心者の俺たちを誘うことなのか? 特にユンなんかは、まだ殆どレベルが上がってないだろ」
確かに、少し齧った程度。途中で長い休憩を挟んだために、タクよりレベル差は低いだろう。
「いや、この上更に上がると、別の種類の敵が出てきたりするんだ」
「……それは初耳だな」
何時に無く真剣な表情のタク。目を細め、イワンの話に耳を傾ける。
「まず、ある程度上がるとバンカー・ビーが、襲ってくるようになるんだ」
「ああ、ノンアクティブからアクティブに変わる境界があるのか」
「それと、エアロ・スネークって空飛ぶ蛇が襲ってくる。厄介なことに、毒とか使っての一発離脱が特徴で、イワンさんは、いつもそいつらの襲撃を受けてやられるんです」
「いや、一度でもいいから山頂まで登りたいものだ」
「でも、モンスターは夜に多くなるんじゃないのか?」
「ここは逆だ。昼間のほうが多い。だから夜の敵の少ない内に移動をして、進めるだけ進む!」
俺の素朴な疑問は、簡単に答えられた。それなら登るのが目的なら戦闘は少ないほうが良い。
それからは、タクが詳しく話を聞いていく。昼と夜の戦闘の頻度の差、登るのにおおよその目安。朝までならば間に挟む休憩。出現する敵の特徴、弱点。そう言った細かい話を詰めていく。
最終的には、そんな細かいこと、と思う点や一本のロープを使って四人で登るのだ。四人の登る順番や役割も具体的に決めていく。
「うん。まぁ、途中でやられることがあったらそれで解散。って事で俺は良いと思う。ユンはどうする?」
「朝まで徹夜かっ。幸い明日は、休日だし。良いんじゃないのか?」
夜通し。という珍しい体験もあって、俺は少し興奮している。
「よし、登る順番は、ヒヤマ、ユン、タク、俺の順番だな。最初は、レベルの低いだろうから休憩を多目にして登り始めよう」
こうして、初めての夜間登山が始まった。