Sense75
「始まりやがった」
何時か来ると思っていたが、こうも大々的にクエストを発表するとは思っていなかった。しかも、予想のしなかった新たな単語『幻獣大喰らい』と言うのも現れた。
周囲でも、俺同様に内心動揺しているのか、アナウンス後は妙に静かで、視線を周囲に巡らせた瞬間――
「「「――突発クエスト、キタァァァッ!!」」」
「うぇっ!?」
今までの沈黙を今度は破るかのような歓声に、俺は更に動揺を得る。
「おい! すぐに狩り行こうぜ。幻獣喰らいって奴見つけて狩ろうぜ」
「ちょっと待てよ! こっちに誘き寄せて、全員で観戦しないか?」
「いいな!? じゃあ、パーティー戦、個人戦でタイムアタックで競おうぜ」
「それは俺も参加する!」
「ちょっと、何あれ、気持ち悪いのが近付いて来ていない!?」
「うをっっ!? 早速来やがった! いくぞ、野郎ども!」
「「「おうっ!!」」」
「……」
何だろう、セーフティーエリアの境界さえ超えてきた特殊モンスターが速攻で人の肉壁によって阻まれて進行を止めている。
幻獣喰らいの外見は、捩れた樹木のシルエットに裂けた口と不揃いの鋭利な歯が並んでいる。ただ、それを構成する要素が、不気味の一言に尽きる。
黒を基調に茶色の混じったぶよぶよとした質感の肉の胴体、無数に伸びる触手は、壁画では分からなかったが、所々に人の食指と思われる部位が見られ、また黒っぽい肉の中に筋繊維や肉の薄桃色や白、赤が垣間見え、逆にその色を際立たせる。
頭部と思しき場所は、落ち窪んでおり、目のある場所は虚ろな伽藍堂で、周囲の闇よりなお暗い。
しかも高音の金切り声の叫びが、俺の精神を削り、不快感に顔を顰めてしまう。
女性なら、余りの気持ち悪さに近づくのさえ嫌になるだろう外見。
突発的な遭遇ならだれでも悲鳴を上げるような外見は、事前の心構えと夜の暗闇からじわじわと這い出してくるような現れ方に、誰もが悲鳴を呑み込むのだと思われる。
俺はその姿をはっきりと見てしまった。いや、見れてしまう【鷹の目】をこの時だけ恨む。
だが、それ以上に不可解なのは、あの外見の敵に嬉々として突撃する味方だ。
あっ、ほら、うちの妹も楽しそうに、触手を斬り飛ばし、肉を切り裂く。
「うわっ!? 全然倒れる気配ないよ! やっぱり背後の瞳が弱点だね! ルカちゃん、どうする?」
「私たちが抑えておきます! トビさんは、背後から!」
「分かりました。――【バック・スタブ】!」
闇から這い寄るようにどんどんと現れる幻獣喰らい達を皆が嬉しい悲鳴を上げて狩り始める。
普通、逃げ惑うんじゃないのか?
「……これは」
「まあ、ユンくんの言いたい事は分かるよ」
いつの間にか隣に並ぶマギさん。俺と同じ非戦闘要員の人は、なるべく中心に固まり、円陣を組むように皆が戦っている。
「クロっち、なに~。僕もシアっちも眠いんだけど……」
「すまんが今は起きてくれ。緊急クエストが始まってな」
寝ていたリーリーを背中に背負い、クロードも集まり、状況を眺める。
森から現れる幻獣喰らいだが、こちらの殲滅ペースが早く、状況的には脅威に感じない。
「なぁ……普通に、バケモノ登場ってパニックにならないか?」
「これはゲームだ。理論的に考えて、プレイヤーが皆死ぬレベルの敵が出るわけがないだろ。だがこの敵は、外見的な威圧や生理的嫌悪感を考慮したデザインなのかもしれないな。ふむ……興味深い」
クロードにそう言われると納得できる。むしろ、人間の方が怖いわ。ほら、うちのセイ姉ぇとミカズチが、背後の瞳にどれだけのダメージを加えれば、倒れるのか。って検証しているし、他の人は、弱点を突かずに倒せるか、とかやっているし。
ただ、ドロップアイテムは無い様で、その点ではガッカリという人がちらほら……
「これだから、これだからゲーマーは……」
俺の唸るような呟きに、近くの人は、苦笑するばかり。その間に、状況は確実に変化していく。
三十分ほど経ち、森の中から現れた敵の数は、減少し、ついには、その出現が止まる。この現象について、ポップし尽くしたのか? とかリポップまでの時間や場所を今のうちに探っておこう。と数組のグループが森の中に入り、今、このセーフティーエリアには、生産職、非戦闘要員含めて、二十人ほどが交代で見張っている。
「楽しくなってきたな。そこかしこで、襲撃に遭っている。どうやら、何らかの法則で動いているようだ」
「クロっち、マギっち。眠いから寝ていい?」
「うーん。何かあったら、起こすけど、ここで寝てね。」
クロードは、掲示板を確認しながらまったりと寛ぎ、彼の体に凭れかかる様に倒れるリーリー。リクールを撫でながら楽しそうに眺めるマギさん。
俺の心境的に、最初のキャンプイベントが討伐イベントに変わって、内心混乱しているのだが、皆が自然体で俺一人が間違っているのか。と思ってしまう。
「はぁ~、セイ姉ぇやミュウ、タクたちまで出て行って……不安なんだよ」
「ユンくんが弱音って珍しいね。それにさっきから挙動不審だよ」
俺は、左右にリゥイとザクロを抱えて、きょろきょろと見まわしている。
「いや……森の中を見てるんです。【鷹の目】で遠くまではっきり、くっきりと……いえ、見えてしまうので、自分で見ないと安心できないので」
「ユンくん……お化けとか苦手?」
「い、いや……別に苦手とかじゃ」
俺自身、別にホラーとか苦手じゃないはずだ。ほら、姉妹で遊園地のお化け屋敷とか映画館に行った……
ことはないな。
でも、ゲーマーの二人ならホラーゲームの一つや二つやっているはず……あれ? そう言えば、二人は音が迷惑になる、って言って俺の前で絶対にやらなかった。
俺が記憶を掘り返している時、掲示板から視線を外さずに、どこか暗い目をしたクロードが淡々と語り出す。
「昔、こんな話を聞いたんだ。森の中のキャンプ場に来ていた大学生たちの話なんだ。彼らは、キャンプ場で夕飯を食べ、花火などをしていざ寝る。と言う時――」
掲示板での語りで証明された通り、中々雰囲気のある語り出しに、俺は左右の幼獣を抱えるように抱き寄せる。リゥイは、迷惑そうに首を背けているが、そんな事を気にしていられない。
「――彼らは、テントの中で不穏な音を聞くんだ。ザクザク、ザクザク。と最初は小さい音だが、だんだん大きくなっていく。ふと、外を見ると、大きな人の影が見えるんだ。何だろう、こんな時間に人かな? と思ったんだけど、そこにはおかしい点がある。それは、足音が複数あるんだ。一人なのに複数の足音。
更に極め付けは、その体が遠くにあるのに人の物よりも明らかに大きい。暗闇の中を光で照らすと、そこに見えるのは、確かに人の体だった。だが、その体は、幾人もの人の体を粘土の様に混ぜ合わせた、異様な形をしている。
仲間の一人が、一つの事を思い出すんだ。この近くには、軍の研究施設があると言う噂が一時期あった。その施設には、腕を失った人に別の腕を、足を失った人に別の足を付ける実験をしていたと言う話。それは、兵隊がまた戦えるように、一人の人間を理想の肉体にするためのパーツの交換とも言える実験、人を超えるために、手を、足を増やす非人道的行為。
そして、森の奥から足音とは別の音が聞こえてくる。最初は風が吹くようなか細い音だが、その意味を知り、テントの中の人が凍りつく。
『――カエセ、オレタチの、カラダ。カエセ』
粘土の様な人間は、その声から逃げるように、ゆっくりと彼らのテントを通り過ぎた。
皆が複数の人の合わさった人間が去って、これで安心だと思った時、はっきりとその声が聞こえた。
『――オマエラノ、カラダデ、イイヤ』」
ザッザッ、ザザザッ、背後の森から聞こえる複数の足音に俺は撥ねるように振り返る。
クロードの怪談話がすぐさま、異形の化け物の姿と直結して、嫌な想像をしてしまう。目を背け、耳を塞ぎたいのに、体が硬直してそれが出来ない。闇の中を見通す目が、はっきりと黒い影がこちらに向かうのが見える。
「……ひっ!?」
「落ち着いて、ユンくん。大丈夫! リゥイとザクロが苦しそう!」
「……ここまで見事に怪談話でパニックになるなんて」
何やら、俺を落ちつけようとするマギさんと、呆れたようなクロード。
そんなの構っていられない俺は、ただ体を硬直させ、声を押し殺している。
黒い影は、その体自体が黒く、人の体の一部が見える。そのまま何かを追うように迫り、森の切れ目から飛び出してきた。
――複数の幼獣と共に。
「……幻、獣喰らいと追われる、幼獣?」
ふと、草むらから飛び出る幼獣にデジャブを覚える。そもそも、俺は、何を怯えていたのか。科学技術で出来たゲームにお化けなどという非科学が存在するなど。
そう考えると、どっと疲れが襲ってくる。
呆然とする目の前で、待機していた見張りに即効で倒される幻獣喰らいを眺め、はぁ~っ、と長い溜息を吐きだす。
「……もう、何だよ」
自分自身の不甲斐無さに自己嫌悪し、倒れるようにリゥイの胴体に顔を埋める。なんか、反応が面倒だけど今は許す。とリゥイに言われているような気がする。
うーん、自己嫌悪を抱えるザクロのもふもふで癒される。他にも、リクールやクツシタ、ネシアスが心配そうに見上げてくる。
ささくれた心が徐々に平常心を取り戻し、それを見計らったかのようにクロードが話しかけてきた。
「ここまでパニックになるとは思わなかった。正直、すまん」
「なんか、私も途中から止めるべきだったけど、ユンくんの顔見ていたら面白くて、ごめんね」
「いや……もう大丈夫。うん」
「ちなみに続きは――」
「ああーっ、聞こえない! 知らない!」
クロードの声を遮ぎり、頭を振って忘れようとする。そうした俺に対して、クロードがぼそりと、即興の作り話だ。フィクションだから安心しろ。と言ってた。即興にしては、レベル高いな、おい。
「あの……この子たちどうしましょう?」
一人が代表として話しかけてきた。その内容は、逃げてきた幼獣に関してだ。
逃げてきた幼獣は、猪の子供の瓜坊や子象、子猿、リス、ウサギ、牛といった様々なタイプの幼獣。こいつらがこちらに逃げてきたために複数の足跡に聞こえたようだ。
「どうする。ってどうして俺達?」
「いや……幼獣の保母さんだから」
「そのあだ名は、止めろ。不本意だ」
男なのに保母さんってのは、不本意過ぎる。これはタクにからかわれるネタになるだろう。と今から憂鬱になりそうだ。
しかし、目下の状況は、逃げてきた幼獣の対応だ。と言っても、そのまま放置する訳にもいかないし、今まで森の中を探しても中々出会えないらしい。これは良い機会だから、みんなに対応して貰おう。
「うーん。各パーティーで気に入った幼獣の面倒見たら? もしかしたら、誰かが契約できるかもしれないし」
「良いんですか?」
「良いも何も、俺には二匹いるし、マギさんたちは、不満ありますか?」
「ユンくんの意見に賛成。欲を掻き過ぎると失敗するし……」
「俺は、不満はない」
マギさんとクロードの賛同も得られ、改めて代表の人に顔を向ける。
「と、言う事だ。フォローはするから頑張れ」
「あ、ありがとうございます!」
「そう畏まるなよ。俺が申し訳なく感じるだろ」
どうも腰の低い対応の人に俺は、少しむず痒さを感じる。
その後は恙無く、幼獣への対応が行われた。男性が多めのパーティーは、将来の有望性からか強くなりそうな、かっこ良さそうな幼獣を、女性が多めのパーティーは、外見重視の可愛い小型の幼獣の面倒を見る事になった。
食べ物とかは、皆がどれが良いか、とかワイワイ騒ぎながら話し合っており、おっかなびっくりで触れ合いの距離感を探っている。
こうして客観的に状況を見ると、どこぞの動物触れ合い広場を彷彿とさせ、和む。
「ユンくん、これでよかったの?」
「何がですか?」
「幼獣の対応。上手くいけば、もう一匹くらい……とか、考えなかった?」
こちらを試すようにニシシッとチェシャ猫のように笑うマギさんに、俺は、特に気負った風もなく、普通に答える。
「良いんですよ。俺には、もうリゥイとザクロの二人がいるし、欲を掻き過ぎると失敗する。ってマギさんが言ったんでしょ? 独占したって下手な恨みを買うだけです」
「やっぱりユンくんのそういう所、好きだな~」
「それは褒め言葉として受け取ります」
互いに夜の楽しい談笑を続ける。
長い夜は、この後、複数の幻獣喰らいによる襲撃を二度受ける。
その間に、クロードは一人で、各方面、掲示板、調査しに出たパーティーと密に連絡を取り、情報を収集していた。
「ふむ……どうやら、其処彼処で幼獣がプレイヤーの居る場所に逃げ込む事例が発生しているな」
「へぇ~」
「後は、リポップの期間は、二時間に一度。五か所で同時に確認されている。だから、次の襲撃は、三十分後。出現と同時に殲滅を掛ける」
「ようやく夜明けなんだな。そう言えば、徹夜になっちまったけど、大丈夫か?」
クロードは徹夜に慣れているようだが、マギさんは、リーリーと互いに支えるように寝ている。俺は、男としての意地で何とか【鷹の目】と【発見】のセンスを駆使して、敵の早期発見に貢献している。お陰でレベルも上がった。
「次のリポップ五か所をつぶした後、出た人たちも戻ってくる。そこで交代で仮眠してから幻獣大喰らいを探して、討伐の予定だ」
「肝心のボスはまだ見つかっていないけどな」
そうなのだ。幾ら穴の無い様に探しても、討伐対象の親玉はまだ姿を見せていない。
今までに、リポップのポイントは全部で五か所発見されている。北側に二つ、東に一つ、西に一つ、南に一つ。計五つだ。それでも打ち漏らしが多いことからまだある様に思われる。
一つのポイントでの出現数は、百。だから一度に五百の幻獣喰らいがこのフィールドを闊歩し、幼獣を追い回す。
「後、三十分か。俺は少し眠らせて貰おうかな」
「そうだな。少し眠っておけ。その間に情報を――」
その瞬間、世界に揺れが走る。