Sense46
渓流に釣り糸を垂らして、片手でサンドイッチを頬張るヒュステル爺さん。俺は、その隣の岩の上で胡坐を掻いて話をしていた。
「ほう、お前さんは、冒険者か」
「ああ、ほら。弓使ってる」
俺は、肩に掛けている黒乙女の長弓を軽く撫でる。その姿を見た爺さんは、まばらな髭の生える顎を撫でる。
「お前さんも、物好きじゃのう。粗野な冒険者は、剣や魔法だけ振り回しておれば英雄気分で満足じゃろう。そんな狩人みたいな装備では、英雄はおろか冒険者と名乗るのもお笑い草よ」
「爺さんも結構、辛口だな。俺は、あんまり英雄願望ないしな」
最初はヒュステルさん、と呼んだが、もう面倒だから爺さんと呼ぶようにした。本人は全く気にしてないようだ。
「英雄願望はないか。ではお前さんは、何をしておるんじゃ?」
「俺か? 店やりながら、冒険してる。と言うよりも、店で売る商品の材料調達が目的だな」
「ほーっ、若いのにしっかりと地盤を築いたか」
「って言ってもあばら家だけどな」
そう言って自虐するが、爺さんは、十分にしっかりしておる。と言ってくる。
「わしも昔は冒険者じゃったよ」
「爺さんが?」
「ほれ、この足を見ろ。深い傷じゃろ」
爺さんが、俺に見えるように右足のズボンの裾を上げる。そこには、古傷の後が残っていた。
「英雄を望んで、無茶した結果がこれじゃ。御蔭で二十代後半で、足が不自由じゃ」
「苦労したんだな」
「そうじゃのう。じゃが、同時に多くの発見をした。わしは、冒険者でその日暮らしじゃったが、足を怪我してからは日銭が稼げない。わしは、なけなしの金で得た時間で幾つかの技能を習得して地盤を築いた。それがこれじゃよ」
そう言って、爺さんは、樹液を固めたような棒を取りだし、俺に放り投げる。
「仕事にあぶれないってことは、絶対に無くならない事と同義じゃ。人が常に欲しがる消耗品を生産しつづけることで儂は糧を得た。それはその一つの除虫剤じゃ」
「これは……薬? 爺さん【調合】出来るのか?」
「いまは、調薬じゃがな」
にやりと笑って見せる爺さん。
「爺さんが獲得した幾つかの技能が調合なんだな」
「そうじゃよ。最初は、文字も読めんかった。頼れる人もおらん。そんな中、とにかく文字さえ読めれば動かずに出来る仕事を得られたから【言語学】を習得した。それからコツコツと仕事をして、日銭を蓄えて、図書館へと赴き、独学で【調合】を学んだ」
リアルに自分の半生を語る。設定が作り込まれていると感じる半面、このヒュステル爺さんという人間に感情移入してしまう。
「お前さんは、わしとは違い聡明なようじゃ。お前さんは店を持っている。だから今余裕のある内に、学べることは学ぶと良い。図書館は、学を集約した場所じゃ」
爺さんが、それを言い終わった時、竿がしなりを上げる。爺さんが、慣れた手つきで魚を釣り上げ、脇の籠に放り込む。
「この【釣り】は、老後の楽しみじゃよ」
「多芸なんだな。爺さんって」
「まだまだ。さて、昼も過ぎたし、帰るとするかのう」
爺さんが重い腰を上げて、右足を引きずりながら川から離れる。俺も同様に立ち上がり、爺さんと一緒に帰ろうと思っていたが、爺さんは、少し歩いた場所でしゃがみ込み、また移動してしゃがむ。
「どうした? 具合でも悪いのか?」
NPCにそんな心配しても……と自分でも思わなくないが、咄嗟にそう心配してしまう程にこのゲームのNPCは表情豊かだ。
「心配せんでええ。ちょっと薬の材料を取っているだけじゃ」
「どれどれ?」
爺さんが取るのは、苔と黄色い花。どちらもこの場所で取れる簡単なもののようで視界を巡らせば、そこかしこにある。
「それは、どう使うんだ?」
「お前さんは、知らんか。一つ先人から知恵を授けるかのう。この苔は、ヌメリアオコケと言って、軟膏の原料になるんじゃ。薬草と一緒に混ぜて、傷に塗りつけて寝れば、多少は痛みが引く。それと、この黄色い花は、除虫菊じゃよ。除虫剤の原料の。と言ってもこれらは、図書館の受け売りじゃがな」
そう言って、定量を採取した爺さんは、また歩き出す。俺も足元に落ちている、苔の付いた石と除虫菊を一つずつ採取して爺さんの後を追う。
道中は、爺さんが樹液を固めた棒に火をつける。棒からは、白い煙と共に、どこか懐かしい蚊取り線香の香りがする。
これが燃えている間は、見える範囲の虫たちの動きが明らかに鈍くなり、俺たちへの敵意が無くなった。この除虫剤は、蟲系モンスター限定で一時的にノンアクティブ状態にする効果があるようだ。色々と便利そうだから是非とも覚えておこう。
「爺さん、あの川って苔や花以外に何かあるか?」
「なんもないのう。石と岩。あとは魚しかいない場所じゃ」
「……石って! おおっ! そうか。それがあった!」
「なんじゃ! いきなり大声出して!」
「ありがと、爺さん。ちょっと川に戻ってみるわ」
俺は、慌てて来た道を引き返し、川に向かう。除虫剤の残り香が漂う中、敵がこちらに寄りつかないために、真っ直ぐに川に向かうことが出来た。
俺は、武器を仕舞い川の中に飛び込む。意外と浅い川は、流れが急で足元を掬われそうになるが、中腰のまま、水の中に手を突っ込む。
「うへっ!? 冷たいっ!」
水の触れている箇所が骨身に響くほど冷たいなかで、水底の石を拾い上げる。大きさの程良い石。エンチャントストーンの材料としては、申し分ない。それをインベントリに収めて、また一個一個と拾う。
何時の間にか、川の真ん中近くまで来て、水が腰まで来ているが、気付かずに石を拾い続ける。そして、うっかりだった。
「うわっ!?」
水の中、足を滑らした。川の真ん中の一番深い所に踏み入ったのも相まって川の中を流される。服に水が染み込み、重い。突然の出来事でパニックになり、もがくが、水が指の間を抜けるだけ、何とか、掴んだものは、石だった。そして、段々と意識が遠のき、水底を転がって行くのがわかる。
水に流され、岩場に身体を打ち付ける。喉に冷たい水が流れ込む。
急流の水の勢いは所々違い、切り揉みしながら、流され、洗われる。
打ち付ける度に、肺の中の空気が漏れて、視界の端が闇に浸食されていく。
ただ最後の瞬間まで石を放す事なく、意識を離した。
はっ、と目が覚めた場所は、第一の町の中央広場だ。
俺と同じように死に戻りが居る中で、俺だけが、髪を水で濡らし、ぽつんと立っていた。
俺だけが、その場で好奇の視線を浴びていた。
自分の身体を確かめると、全身ずぶ濡れで、服が肌に張り付いて重い。
服自体の色が暗色系なために完全には透けていないが、女性モデルとしての身体が浮き出て、周囲の人間がそれに注目していた。
「あっ……うっ……」
おいぃぃぃぃっ!? これは恥ずかしい! 死に戻りは良いが、流石にこれは無い!
内心、悲鳴を上げる俺は、全力で走りだした。水浸しで重い身体と溺れかけた事による精神的疲弊も無視して、アトリエールへと向かった。
走り去る俺が、黄色の光を振りまきながら猛スピードで去る姿は、逆に強い印象を与えたのかもしれない。
俺は、アトリエールに逃げ帰って、すぐにログアウトした。