Sense238
「ううっ、なんか緊張してきた」
「緊張することないよ。気楽に気楽に!」
自分の胸に手を当てて深呼吸をしている俺にミュウが後ろから肩を叩いて気を紛らわそうとする。だが、人の集まる場所でやられて少し目立つことに恥ずかしく、緊張どころじゃない。
ルカートたちにも苦笑いを浮かべられているが、イマイチ理解していないミュウに、小さな溜め息を吐くだけだった。
「それじゃあ、私たちの番ですね。入りましょう」
「……入って、少しは猶予があるけど、あんまり悠長にしてはいけませんよ」
「わ、分かった」
ルカートとトウトビの言葉に頷きつつ、同じ入口から中に入り込む。
入り口である開け放たれた門の奥は、白く霞んでおり、気にせずにそのまま奥へと歩いていくと、急に足元が無くなる浮遊感に肝が冷える。
それも一瞬。階段を一段踏み外したような小さな衝撃と次の瞬間に晴れた視界が目の前に広がっていた。
「ここは……」
「おーい! お姉ちゃん!」
「うちらもこっちにおるよー!」
少し離れた所にミュウ、ヒノ、トウトビの三人とルカート、コハク、リレイの三人とで分かれて疾走している。
俺は、足場を確認すると広めのソリに乗っており、それぞれどのプレイヤーも自動で雪原を走り抜けるソリに乗っていた。
「綺麗。って――」
雪原のロードを走るソリとプレイヤーが巻き起こす雪煙が光を反射して後ろへと去っていく。
その光景に目を奪われながらも、ソリの上でバランスを取ろうとするが……
「そんな、感心してる場合かぁ!? はやいはやいはやい!」
ソリの両端を握り、重心がぶれないようにしゃがみ込んでじっと耐える。
広めとは言え、かなりの速度で自走するソリ。体を右に傾ければ、右に。左に傾ければ、左。前傾姿勢なら加速。体を後ろに倒せば、減速。そんな体による基本動作を覚えるが、完全には制御出来ていない。辛うじて思うとおりに動くだけだ。
その反面――
「いやっほぉーい! ぶっちぎりだよ!」
ミュウは、スノーボードの要領で足を前後に開き、右に左に剣を振り、周りとの間隔を確かめている。また、加速状態からソリの前部を掴み、大ジャンプをして見せる。って!? あいつ、リアルじゃ一度もスノーボードやったことないのに!? 無茶する!
「……ミュウ。そんなに列を乱さないでください」
「いや、こんな所でも【行動制限解除】のセンスが役立つんだ。凄い動きだね」
ミュウの立体的な回転を伴うジャンプの成否をハラハラと見つめている中で、トウトビの諌める声とヒノの関心する声が聞こえるが、二人とも同じような姿勢でトウトビは、右に左にと柳の様に揺れ、ヒノは、今回の武器を鎚ではなく、斧槍やハルバードといった長物を短く、長くと手の中に滑らせてリーチを調節してそれぞれの長さを確かめていた。
「ごめんごめん。でも、時間が無いし……ルカちゃんとお姉ちゃんの方はどう?」
「私の方も問題ありませんよ。こっちは、それ程動かないので」
「俺は、まだ無理。慣れないと……」
「お姉ちゃんは、無理しちゃだめだよ!」
そう言って、雪の道に剣を突き刺し、ブレーキの要領で減速し、先行していたミュウがトウトビとヒノたちと合流する。
「ルカート、危ない!」
それとは別。ルカート側は、前を走るプレイヤーが操作を誤り、ソリから落ちた。その勢いで後ろへと流れてくるソリがルカートを先頭に縦に並ぶコハクとリレイを襲うが、ルカートは冷静に対処する。
「――【ショック・インパクト】!」
黄色い光を発するバスタードソードを斜め下から振り上げる様に叩き付け、ソリと剣が一瞬拮抗する。それもソリが上へと跳ね上げられるという結果で決着し、俺の頭上を越えて後ろの雪に突き刺さり、遠くへと流れていく。
ぽかーん、とした表情でそれを見詰めていると照れくさそうに曖昧な笑いを浮かべるルカート。それと冷静な対処を褒めるミュウたち。
開始早々、何人かが無茶な動きをして脱落していく中で、空を駆ける赤い鼻を持ち、太く平べったい角と八本足の悪魔トナカイに乗る一人の少年風の夢魔とそれの取り巻きである色とりどりの鼻を持つ四対の脚の悪魔トナカイたちが俺たちの前を走る。
「なに? 君たち、僕らが奪った聖人の核を取り返しに来たの? いいよ! だけど、この空間で僕を倒せたらね!」
その言葉と共に、俺の背後の雪原が轟音を上げる。って、ちょい待て!
振り返る先には、遠くで崩れていく雪道。不要となった道がこちらに迫る様に消えていく。まだ、ミュウたちの様に自在に動かせないのに、そんな猶予無くすなよ。
「行け! 悪魔トナカイたち!」
その言葉と共に散開し、前を走るプレイヤーと交戦が始まる。
「それじゃあ、私たちは行きますから、ユンも無理の無い範囲で」
「適度にエンチャントとかのサポートお願いね! さぁ、行くよ!」
ルカートの気遣いとミュウのやる気に応えたいが、最後尾から慎重にソリを操作して着いて行くしかない。
「【付加】――アタック、ディフェ……うわっ!?」
ミュウたちにそれぞれエンチャントを施すが、物理攻撃のエンチャントを完了し、続いて物理防御のエンチャントに掛かろうとする時、前から来るものを慌てて避ける。
避けた物は、雪の塊だった。また、前方の雪道は、ところどころに穴を開けて、そこに入り込むと、一発リタイアとはならないだろうが、大きくバランスを崩す可能性がある。
それらを生み出すのは、前でプレイヤーたちと交戦する悪魔トナカイだ。
「って、こう見ると酷いデザインだよな」
八本足で疾走する目付きの悪いトナカイ。その攻撃方法は、鼻の色に合わせた下級の属性魔法。そして、八本足の内、速度を維持するための四本と後ろ蹴りで雪を飛ばして来る後ろ足。平べったい角を雪に突き入れて、力強く頭を上げれば、雪の塊が後方へと飛んでくる。
また、プレイヤーに体当たりなどの格闘戦を挑んでくるなど、多彩な攻撃手段を持つ悪魔トナカイだが、最後尾を追う俺は、眼中になく、ただ無作為に放っている雪も俺にとっては、必殺の一撃になりえる。
「なんだよ。この雪の弾幕……」
「無茶しない範囲で頑張って! っと、危ない危ない」
「ミュウも無茶するな! 俺は、俺で大丈夫だから!」
とは言っても、エンチャントを満足に掛けられる余裕はないし、弓で狙うには、少し不安定な状況だ。
俺に気を使っているミュウも目の前の穴に嵌りそうになったりと互いに余裕はあまりない。
「……ミュウ。気を付けるべき。――【パラライズ・ダガー】!」
「そうそう。あまりフラフラしてると他のプレイヤーとも接触するよ。――【チャージ・ランス】!」
そう言って左右に避けて滑るトウトビとヒノだが、近づき接触する悪魔トナカイにアーツの一筋の光を残し、動きを鈍らせ、後ろから走り抜けるヒノが足元を掬うように、斧槍を振り回し、跳ね上げる。
悪魔トナカイは、バウンドするように吹き飛ばし、後方へと流れていく。迫り来る雪道の崩壊の向こうへと消えて行った悪魔トナカイに、密かに南無、と唱えるが、次の光景にぎょっとする。
ちょっとこれは、シャレにならないって……
「マジで止めてくれよ。前からでも大変なのに、背後からって」
崩壊の向こうへと消えた悪魔トナカイが登場した時と同じように空を駆け、再び雪道へと復帰した。ただ、トウトビとヒノの攻撃でのダメージとは別のダメージも入っているようだ。
そして、水色の鼻を持つ悪魔トナカイの鼻が光り輝き――
「うわぁぁ、無理だって! 攻撃手段が無いのに!」
慣れないソリの上で後ろを振り返り、着弾点を避ける様にソリを右へと曲げる。直後に俺の走っていた横に氷弾が着弾し、雪煙をあげる。続く二つの氷弾は、頭上を越えて前の方で着弾する。
どうする、弓を使うか、それとも駄目元で包丁で近接戦闘をするか……。
悪道のミニダンジョンを挑む時、ミュウに言われたことが一つあった。
『ユンお姉ちゃんは、最初からリゥイの使用は控えてね』
『どうしてだ?』
『リゥイの召喚って、ソリって足場を失った後にある復帰手段の一つになるの。だから、最初から召喚して戦力になって、大事な保険を失うのは、お姉ちゃんのタイプ的に合わないと思うんだよね。それと万が一に召喚するタイミングでMP切れとかあると困るからMPを消費する方法は控えてね』
『まぁ、そうだな』
『それと同じで、私たちの誰かが落ちたら、助けてね』
と、ダンジョンのボス突入前に頼りにされているが、復帰のための保険でリゥイを使うのは、俺も同意するが、リゥイを呼び出す前に俺がやられそうだ。
「だからって、ここまで難しいのか! くぅ……こうなりゃ、消耗品でゴリ押しだ!」
インベントリから取り出した一掴みのマジックジェム。
俺は、時間と距離を計り、発動のキーワードを唱えて、後ろに放り投げる。
「――【ボム】【クレイシールド】!」
マジックジェムで使える魔法の内の二つを追随する悪魔トナカイへと放り投げる。
そして、目の前で生まれる土壁と多重の爆発。
大きな角で壁をぶち抜き、爆心地に濛々と立ち込める雪煙を引き裂いて、悪魔トナカイが現れた。トウトビとヒノの連携攻撃に比べれば、少ないが充分なダメージを与えた事に小さなガッツポーズを取る。
「よし! このままって……ええっ!?」
他のプレイヤーが跳ね飛ばした二匹の悪魔トナカイが後ろへと流れていく。そこはかとなく、嫌な予感が……。
「やっぱり、そうかぁぁぁ!」
最初の一匹に加わる様に計三匹の悪魔トナカイが最後尾の俺を追い掛けてくる。
「くるなぁぁ! ――【ボム】!」
今度は、更に量を三倍に増やして放つボム。先程よりも大きな規模の爆発と重なる音を生み出して、悪魔トナカイに殺到する。
三匹の内、二匹を崩壊する向こう側へと吹き飛ばし、残る一匹に多大なダメージを与える。
「おっ! ユンさん楽しんどるな」
「ふふふっ、では、美味しい所は私たちが貰うとしましょう」
ルカートに前を任せていたコハクとリレイは、振り向き杖を構える。二人の放つ魔法が、俺の頭上を越えて、瀕死の悪魔トナカイに命中し、消滅へと追い込む。
「おーおー! お姉ちゃんも楽しんでるね」
あんなパニックのどこが楽しんでるように見えるのか。少し問い詰めたい気がするが、今は状況の把握だ。
他のプレイヤーに続々と討伐される悪魔トナカイ。まだ確認していない先頭を走る悪道の夢魔。
中盤戦へと移行し、戦いも激化していく。