Sense169
忙しい日々は過ぎ、穏やかな日々が過ぎる。
一人、【アトリエール】のウッドデッキで本を開きながら、並べられた材料を確認している。
大きさの不揃いな梅と杏のような二種類の果実。
最近、新たに開拓されたエリアで採取され、【アトリエール】に持ち込まれた素材だ。
梅のような果実は、第二の町周辺の街道。ホリア洞窟とは別の方向に延びる道を進んだエリアで自生している。
杏のような果実は、同じく第二の町の森のボスを倒した先、森の深部で採取出来る。
どちらのエリアも配置されたボスは早期に発見されていたが、そのエリアの他のMOBとは段違いの強さを持ったボスMOBだったために今まで討伐が出来ていなかった。
それも最近では、蘇生薬が少量ながらの流通、【蘇生】スキルを持ったレア装備、そして、【蘇生】センスまで成長したプレイヤーの出現。
今まで手付かずのエリアが開拓されることで、未知の素材供給によって生産職としても工夫と実験の日々が続く。
「えっと、このシユの実は、塩漬け。トゥーの実は、砂糖漬けか」
そして、俺が今行っているのは、薬のような料理だ。
とは言っても作る工程は、とても簡略化された梅干し作りのような物。それが砂糖か塩かの違いだ。
そもそも、なぜ薬のような料理なのか。だが簡単に言えば、レシピだから。そうとしか言いようがない。
本――【経験則的民間薬事典】。そもそもの原因は、この一冊にある。
最近、レイドクエストのボスの報酬で手に入れた本だが、内容は、レシピが纏められた本だ。
俺が手探りで見つけた蘇生薬の作り方もこの本にあり、比較すると俺の方がアレンジが加わっている物だった。
素材の選定やタイミングなどは多少違いはあるが、それで効果に変化が現れるのは、【調合】センスの面白い所。
だが、今回作っている物は、【料理人】のセンスを使っている。
出来上がるシユの塩漬けは、主に耐毒。そしてトゥーの砂糖漬けの効果は、耐気絶の効果を含む食品だ。
空腹度を回復すると同時に、特定の状態異常に対して一定時間耐性を得る食べ物だ。
何故、民間薬って名前なのに薬じゃなくて料理なんだよ。とも思うが、薬膳料理とかあるし……まぁ、食事療法ってあるくらいだから。そこは深く突っ込まない。リアルなんだか、ファンタジーなんだか分からなくなるから。
兎に角、それを作るためにエプロンを装着して清潔に保った状態で始める。
水洗いした二つの実をそれぞれ塩と砂糖を大量に振りかけて、手で揉んでいく。シユの方は、粗塩を擦り込む様に、揉んで行き、ある程度馴染んだら、用意した瓶に塩と果実を交互に乗せて、敷き詰めていく。最終的には、全て瓶に敷き詰めたら、蓋と重石代わりの錬成した岩を乗せる。
塩漬けが一段落ついたらトゥーの実の砂糖漬けでは、お湯に通して、実から種と皮の余計な物を剥き取っている。
剥き取って甘く瑞々しい果実。これは、途中段階だが、それを狙う者たちいる。
「……作っている途中だからな。まだ、駄目だぞ」
俺のパートナーである二匹の幼獣。二尾の黒狐・ザクロと一角獣の白馬・リゥイがじっと包丁で剥き終わった果実に視線を釘づけにしている。
「だ、駄目だからな」
ここは厳しく……と思っているが、俺はやっぱり甘いようだ。剥いたばかりの果実の中から二匹に三つずつ渡していく。
「ちゃんと待ってれば砂糖漬けが出来るから」
言っている言葉を理解しているのか、していないのか。夢中で果実を食べる二匹に溜息と苦笑を浮かべながら、瓶にトゥーの果実と砂糖をぎっしりと詰めていく。
「さて、次は……まぁ、ちゃんと出来上がるまで放置。なんてしないよな【発――「こんにちは。ユンくん居ますか?」――今行きます!」
瓶の蓋を閉じて、そのまま店の店舗部へと向かう。
ウッドデッキは、改築時に店舗のカウンター横に出入り口を接したので、中に入れば、客を見ることが出来た。
「こんにちは、ユンくん」
「エミリさん。それに、マギさん。珍しい組み合わせですね。どうしたんですか?」
「これから狩り&採取の準備で消耗品を買いに来たの。ユンくんも狩りに一緒に行く?」
楽しそうに誘うマギさんだが、生憎今は手が離せない。
「すみません。丁度、始めたばかりで手が離せないんです」
「そう。じゃあ、一通りのアイテムお願いね」
「一応、マギさんの所に納品してありますよね。ポーションや強化薬、それに蘇生薬と」
「だって、それはお客のためだよ。自分が販売制限破っちゃ示しが付かないでしょ」
律儀だな。と苦笑しながら思い、二人に商品を揃えていく。
「邪魔しちゃった様だけど、大丈夫なの?」
「ああ、問題ない。それ程急ぐ作業じゃないし。ついでに見ていく?」
精算を終えた後、カウンター脇の出入り口からウッドデッキへと導く。正面の桃藤花の樹が目に映る中、ザクロの首筋を咥えるリゥイとじたばたと逃げようとするザクロが居た。ザクロの視線と手足は、砂糖漬けの瓶に注がれている事から何をしようとしたのか想像が出来た。
こっちを見るザクロは、抵抗を諦め、リゥイは抑える役目も終わりと溜息を吐き出しつつ、ザクロを地面に下ろす。
「全く。さっき、食べた筈なのに……ちょっと待ってろ。今、すぐに終えるから――【発酵促進】」
料理系のスキルで料理の下準備や時間の掛かる工程を大幅に短縮できるスキル。リアルで必要な時間を待たなくてもすぐに次の作業に進むことが出来るのは、ゲームならではの事象のシュミレーションだと言える。
効果の施した二つの瓶の中身は、それぞれ、塩と砂糖の脱水作用で水分が抜けてふにゃふにゃになっている。
「途中ですけど、マギさんとエミリさんも要ります?」
「へぇ? 何かしら」
「私は、リクール呼んで良い? リクールにも食べさせたいな」
俺は、快く頷き、マギさんのパートナーである小狼のリクールを呼んだ。リクールが、同じ幼獣のザクロとリゥイにじゃれるように首筋を擦り付け合うのを微笑ましく見ながら、瓶からそれぞれ二種類の果実を小皿に取り出す。
「こっちの白っぽいのが塩漬けで、鮮やかな橙色の方は、砂糖漬けです」
「じゃあ、いただきます」
こっそりコップに水を注ぎながら、様子を確かめている。二人は、塩漬けの酸っぱさに目をきつく閉じ、うーん、と唸る様に味わう。幼獣たちは、ザクロとリクールは塩辛い物を本能的に避けているのか、砂糖漬けの方を食べるが、リゥイは両方とも特に表情を変えずに食べている。
「すっぱい。これって梅干し?」
「に、近い物ですね。こっちは、杏の砂糖漬け。これから天日干しする予定です」
そう言いながら、俺も一つずつ味見する。トゥーの深い酸味と甘み。シユの目の覚めるような酸っぱさは、これだけでも十分美味しい。
「ただの料理作り。じゃないよね」
「まぁ、シユの実とトゥーの実の保存食ですね。梅干しと杏のドライフルーツになるんですけど」
「ああ、あの果実ね。私は、食材は門外漢だから扱っていないけど、こんな風になるのね」
マギさんは、真意を探る様ににやりと笑い、エミリさんは、果実をしげしげと眺めていた。
「普通の販促用の食材アイテムは、特殊効果は無いけど、固有のアイテムとしての食材って用途があるからね」
「完成した時は、耐毒と耐気絶のアイテムになるはずです。どれくらいの効果かはまだ。何とも」
そう言いながら、ザルと菜箸を使い、果実を並べて天日干しにする。
水分がある程度抜けたら、再び液の入ったこの瓶に戻して、完成。サンプルとして知り合いに渡して感想を貰いたい。
「梅干しの方は、欲しいな。鍛冶やった後のミネラル補給に」
「ゲームじゃ、栄養取れませんよ」
「気分よ、気分」
俺が、素で返したら、そう返されてしまった。まぁ、分からなくはない。
「じゃあ、今度のお茶会に持って行きますね。 ビン詰にしてお茶請け用として」
「私にも分けてくれるかしら。私は、ドライフルーツの方が欲しいわ」
「じゃあ、エミリさんは、別の機会に持っていくよ」
まだ未完成だが、試作品を渡す相手が早々に見つかった。
「それじゃあ、私たちは、採取ね。何か見つけたら、ユンくんに知らせるから」
「ええ、お願いします。行ってらっしゃい」
「行ってくるわ」
二人の女性を見送り、ふぅと息を吐き出す。
狩りに誘われることはあるけど、それ程多くは無い。だから、誘われたことを断った後で、勿体ない。と感じてしまう。
うーん。まぁ、良いか。他にもやることはある。と思いながら、用意をした道具や本を片付ける。
「ほら、ザクロ。そんな物欲しそうに見ない。今日は料理のレベル上げの日だから、別の奴作るよ」
その一言で二尾の尻尾をふわりと揺らし、期待の籠った目で俺を見詰めてくる。
さて、梅っぽい実は無いけど、杏の方はまだ持っている。店の商品のサンドイッチの新たな中身に杏ジャムを採用するために再び試作品に取り掛かる。
アトリエールのとある一面。複数の生産センスを持つ俺は、気分によって育てるセンスを変える。
今日は、料理の日。そんな日だった。
ここから第四部。まぁ、何時もとテンションは変わりません。