Sense144
「お兄ちゃん、やりすぎた~、ごめんなさい~」
何が何やら。まぁ、ログアウトして昼飯のために台所へと向かった際に、美羽から掛けられた一言だ。
何が? と首を傾げながら、ラーメンの準備に取り掛かる。
美羽曰く、コンテスト、やったね大成功。と湧き立って、ふと終わってみると俺の姿が見えない。それで静姉ぇと話し合った結果、怒ってどこかへと行ったのではないか。という結論を出した。
探すために、方々足を運んだが見つからずに、ログアウトした時を狙って待機していたが、一向に降りてくる気配無し。
一人でいると無用な考えが巡っては、消える。
最悪の展開まで想像して、顔を見たら即座に謝る事にしたようだ。って、最悪の展開って何だよ。
「だから、ごめん! 機嫌直して」
「あー、はいはい」
狼狽える美羽の百面相を背に、テキパキと焼き豚を切り、ネギを細かく刻み、キャベツや人参を茹でていく。
俺としては、忘れたい事であるために、一切話には触れないで忘却の彼方へと追いやってほしいのだが、こうして狼狽する美羽というのも珍しく思い、当面は放置だ。
「そこ退け。危ないぞ」
「うわぁぁぁん。お兄ちゃんが完全に怒ってる!」
失礼な、火の回りをうろつかれると危ないだろ。今は、解した麺の湯切りのために鍋を持って居るのだ。火傷でもしたら大変だろ。
世に居る子持ちのお母さん方は、こういった子どもの動きにハラハラさせられるのかもしれない。
「ほら、ラーメン」
「ぐすん……頂きます。焼き豚二枚ある。減らされなくて良かった」
俺の怒りの報復は、ラーメンの焼き豚を減らす程のショボイ報復かよ。とツッコミを内心入れるが、表情はあくまで無表情のまま、自分のラーメンを啜り始める。
夕方の五時ごろまではフリータイムだ。やることは、食材の買い足しだな。夕飯は決まっているが、明日の夕飯や月曜からの弁当のための食材を買っておかないと。
「ううっ……ラーメンがしょっぱく感じる。これは、心の涙か」
別に泣いてるわけではないが、美羽の妙に演技掛かった言動をジト目で見ると、直ぐに硬直して目を逸らして止まる。謝罪の次は、泣き脅しか……。反省しているのか? 別に良いけど。
「俺は、買い物に行くから留守番」
「はっ! イエス、マム!」
それは、女性に対する敬礼だ。全く、訂正するのも面倒だ。
昼飯を食べ終わったら、財布と買い出しメモ、携帯を持って家を出る。
十一月の乾いた空気を吸い込んでスーパーまで足を運ぶ。
スーパーでの買い物はいつも通り、必要な物を籠へと入れていく。お弁当のレパートリーは、大体がローテーションを組んで買っているので、食材に悩むことは無い。
買う物は、主に生鮮野菜と朝食用のパンやベーコンやソーセージなどの加工食品。肉は、安い時に買い込み、豚や牛肉などはパック分けして冷凍してあるので、必要な時、必要な分だけ解凍する。
冷凍関係でのエピソードとしては、我が家が使っていた先代の冷蔵庫は、父母の結婚当初から使われた安めの平凡な性能の冷蔵庫だった。平凡と言っても十年も近く時が経てば、劣化し、家族環境も変わり、食事量が増える。
冷蔵庫への負担が増す一方で、俺が台所に立ち始めた頃に感じたのは、冷凍の能力の不足だ。
冷凍焼け、という物を知っているだろうか。冷凍する時、時間や冷やす温度が影響して鮮度や味が落ちてしまうのだ。
両親共働きの我が家庭は、食材は、暇を見たら買い込む習慣があったのだが、時間が経ち過ぎて、冷凍庫に入れていた食材の味が落ちることが度々あった。
それを俺が中学に上がる頃に、冷蔵庫を買い替えたのだ。その結果、瞬間冷凍というCMでやるような冷凍機能により、味が落ちず、長期の冷凍保存してもお肉は美味しいままなのだ。これは我が家の食糧事情に革命を齎した。
夕飯に僅かに残った冷凍ご飯は、解凍してもべちゃっとならずにお米が立って美味しい!
安く買い溜めして冷凍したお肉は、色が悪くならずに、何時でも新鮮!
お弁当に使えるハンバーグや肉団子をパック詰めしておけば、いつまでも使える!
野菜は、時間跳躍でもしたかの如く、味がそのままで何時でも旬が味わえる!
夏の安くて美味しい夏野菜を茹でて冷蔵庫に保存し、半年後の冬に、解凍して天ぷらにしても味落ちしない感動は、俺の中の感動した出来事の一つである。
「うーん。俺が好きなのは、こっちなんだよな。でも、美羽は……」
今手に持って居るのは、スティック状の焼き菓子にチョコレートがコーティングされた物とチョコレートの中にナッツが入った物だ。
どっちのお菓子を買うか迷っている。
おやつを何時も何時も作れるわけじゃない。それに俺だってお菓子の好みはある。
今手に持っている物は、前者が俺の好みで、後者が美羽の好みだったりする。
軽く摘まめて、一箱に数袋に分けられているので少しずつ食べられる利点が俺は好きで。チョコレートの方は、口の中で甘さが残るのであまり好きではない。苦めのコーヒーやカフェオレと組み合わせれば良いが、やはり小気味の良い食感と手軽さの方を持つスティック菓子の方が好きだ。
家事の役得として自分の好みを優先するか、それとも妹の好みを優先するか。
お菓子をどれにするか選んでいる時、携帯が鳴る。着信からメールだと分かるために、片手で開き軽く目を通し、溜息を零す。
「全く、何が来てくれ、だ。まぁ良いけど」
メールの送信者は、巧からだ。ゲームについて話したいことがあるから来てくれ、と。別にログイン時でも良い気がするが……。そう言えば、コンテストの観客席側には、巧のパーティーは見たが巧を見た記憶が無い。もし見ていたら、笑いのネタにされるだろう事に眉間に皺が寄る。
「はぁ、お菓子で悩むのも馬鹿らしい。両方買おう」
両方のお菓子を籠に入れて、レジで精算を行い、その足で巧の家に向かう。
何時もの如く、巧の家のチャイムを鳴らせば、インターホン越しに巧が俺の来訪を確認したら、玄関の鍵を開けて招き入れてくる。
「よっ、悪いな。ちょっと時間貰って」
「……」
「うん? どうした? 玄関に突っ立って」
「いや、午前中にゲームにログインしてたのかな? と思って。ガンツやミニッツたちを見かけたから」
と言うより見られた、と言った方が良い。嘘ではないが本当でもない話を聞いて不思議そうな顔する巧は、俺の様子に納得できない様子だが質問に答えてくれた。
「残念だけどログインはしてない。午前中は情報の整理をしていたし……第一、俺が楽しめそうなイベントは明日に集中してるんだから」
「そ、そうか。うん、分かった。ありがとう。すまんが、スーパーの帰りだからどこかに袋を置かせてくれ」
「……? ああ、袋はその辺で」
巧があの場に居ない事が分かっただけでも少し気分が前向きになる。心なしか、自分の声のトーンが高く、明るくなるのに巧が首を傾げているが、すぐに頭の隅に追いやったのか、巧の部屋に案内される。
「で、何で俺を呼んだんだ?」
「あー、そのだな。適当に座ってくれ」
出された座布団に胡坐を組み、巧も部屋の真ん中にあるテーブルを挟んで同じように座る。
「……最近どうだ?」
「何を唐突に……そんな社会人になった息子の近況を聞く親父のセリフを聞かなければならん」
「いや、言葉が足りなかった。美羽ちゃんは、どう?」
「普段通り、暴走している。てか……今日も被害にあった」
俯き、短い溜息が漏れる。何も聞くなよ。と言外に伝える。
「まぁ、それは良いとして、美羽がどうした? まさか、まだボスにやられた事を引きずっているとか?」
「いや、むしろ逆。光魔法のレベルを重点的に上げて囲まれた時の対策として、ある魔法を練習してる。もう、何だ……一人戦術兵器と化している」
「はぁ?」
「今までだったら、倒せる敵から優先的に叩いて数を減らすのが、範囲系魔法を得てから殲滅重視に。魔法剣士型だからMPが不足しがちだけど、あれの特性は、別にあるし……」
一人話し出した巧の話についていけない。
「まぁ、なんだ? 新しいおもちゃを手に入れて変化があるか。とか聞きたいのか」
「いや、間違ってはいないけど、納得できない表現だな。お前、美羽ちゃんの凄さ分からないのか? 白兵戦でも強くて、範囲攻撃を得たって……欠点が無いわけじゃないけど、また一枚壁を乗り越えたんだぞ」
「いや、元々負けてる人間に言われても困るし……今でも負ける自信があるのに、余計に勝てる確率が減っただけの話かよ」
ゲームの話とは言え、どんどん人外的な存在になっているような気がする。
「話はそれだけ?」
「もう一つ。てか、それが本命。幾つかの知り合いグループがレイドボスに挑んだ時の映像貰ったから、それでも見て研究。幾つか分かった事だけど、行動の変化の予備動作とか」
「ふぅーん。まぁ見てみるか」
動画は、編集されているのか三十分程度、しかし一つ一つの動作を巧が解説するために倍以上の時間が掛かった。呼ぶ必要はあったのか、と問われると全くないように思うが、こういう風に解説を貰わなければ全く分からなかった。
どうして、ボスの分かり辛い狼の表情筋の動きから遠吠えのモーションを予測できると言うんだ。まぁ、前衛が気を付けるべき点と後衛である俺が気に掛けるべき予兆には大きな違いがあり、覚えることは少ない。やっぱり対処は、スケルトンライダーを重点に行わなければいけない。