Sense128
美羽の後を追うようにしてログアウトしたが、どうも部屋に籠って出てこようとしない。何がショックだったのか。皆目見当がつかないために、無理に聞き出すよりも自然に元気になるのを待とうと思うだが……。
「まさか……夕飯まで要らないとは」
「なんだ? 美羽は、寝込んでいるのか? 折角の鍋だったのにな……」
「最近、寒くなりましたし、文化祭の疲れでも出たんでしょうか? 風邪の引き始めに漢方でも持って行きますか?」
食後のお茶を啜りながら、食卓に並ぶ家族。軽い口調だが、全員が何時も元気な末っ子の不調を心配する。
「まぁ、腹が減ったら降りてくるだろ。私やアキは明日も仕事だから早く休むが、何か心配事あれば寝ている所を叩き起こしても良いぞ」
「桜子さんは、男らしい事を言って。それに峻さんや美羽さんも成長してるんですし、信頼しましょう」
「私に取っちゃ、布団でお漏らしするのと、心配事の相談などそう大差は無い。それに、何時までも子どもは子どもだ」
親から見たら俺たちは何時までも子どもか……。確かに、まだまだ頼っている面もあるな。
「美羽さんの事ですから空腹に耐えきれなくなって起きてくるでしょう。お鍋の具も残っているので、温め直して食べるでしょう」
父さんも母さんも心配こそすれ動揺らしい素振りも見せず、淡々と美羽が起きてきた時の対応を準備する。
しかし、俺の口から顛末を話して良いものか。それ以前に、ゲームでホラーシーンを見たから。とかって説明するのか? 逆に、そう説明されたら両親がどんな顔をするか……。
凄く、微妙な判断だ。ここは俺が静かに全てを収束させるに限るだろ。美羽の名誉? のためにも。
「じゃあ、ここに漢方置きますね。私は先にお風呂頂ますから」
「ああ、いってら~」
「いってらっしゃい」
母さんと向かい合わせでテーブルのお茶を飲む。ほっと息を吐き出し、良い感じに脱力している母を見ると、可愛い人だと思う。まぁ、三児の母として。と言う意味だ。
俺もその雰囲気に当てられて、湯呑を傾ける。
「……学園祭で、女装したって」
「ぶふっ!?」
気管にお茶が入り込み、僅かに噎せ返る。湯呑を置き、首元に手を当てて堪えるが、自然と涙目になってしまう。
「何で……知ってるんだよ」
「美羽から教えて貰った。ついでに写メも貰った」
そう言って見せてくれるのは、携帯の画面。清々しい笑顔を振りまく俺の姿が映し出されている。何時の間に撮った。タイミングや角度的に完璧じゃないか。くそっ……。
「そう口をへの字にするな。からかって悪かった」
「……はぁ、全くもう」
「にしても……いや若いって良いね。肌に艶と張りがあって羨ましいよ。それに、男なのに女以上可愛い不思議」
「可愛い言うな。俺的には、何時までも老けない母の方が不思議だよ」
「私だって結構歳だぞ。体のあちこちが疲れ易くて。出来れば早期定年で専業主婦になりたいものだ」
肩を揉む様な仕草の母。苦労かけます。
「さてと……アキが寛いでいる所に突撃と行くかな」
「おいおい……」
「たまには、夫婦水入らずで風呂に入るのも良いだろう。折角のゆったり仕様の広々な浴槽が勿体ない。それに、アキの体がどれだけ中年特有の丸みを帯びているのか、を確かめないとな」
美羽に似た悪戯を思いついた子供の様な表情に、俺は溜息を吐き出す。大人になった美羽は、母さんに似るのだろうか。そして、中年太りのチェックをされる父へ、合掌しよう。
「なに、夫婦関係を良好かつ円滑にするためのスキンシップさ。何時までも新婚甘々な気分で居たいからな」
「そう、恥ずかしいことを子どもの前で堂々と言うかね? 普通」
言うとしてもせめて何も覚えていないような幼少期が限界ではないだろうか。
そうして、お風呂場に消えていく母。直後に慌てるような声を上げる父。再び湯呑に口を付けて、幸せの溜息が漏れる。
食後の片づけも終わった。洗濯物も回収済み、あとは……。と自分の仕事を思い出そうとするが、何もないようだ。
「食べやすいように作っておくか」
俺は、掛けておいたエプロンを手に取り着る。父さんが言ったように空腹が限界に達すれば、降りてくるだろう。だが、十時以降の夜食は胃に負担が掛かる。その前に食べさせる。
俺が作るのは、鍋に残った具を別皿に取り分け、レンジで温めるだけ。
そして、残った具のエキスをたっぷり含んだ汁と僅かに残ったカニの身を解し、鍋の中に入れる。入れた後は、朝食用のハムも小さく切り、加え、残ったご飯を加えて一煮立ちさせる。
ご飯が鍋の汁を十分吸ったら、火を止めて、溶き卵を加えて鍋に蓋をする。鍋の余熱で卵を半熟にさせることで出来上がる。
「蟹卵雑炊と鍋を持ってけば良いか。後、父さんの用意してくれた漢方と水とお茶。……全く、扱いは完全に病人じゃないか」
言葉では、文句を言っているようだが、自分自身、妹に甘いな。という自嘲気味な意味が込められている。
お盆に卵雑炊と鍋の具を持って美羽の部屋の前に行く。
「美羽? 具合はどうだ? 入って良いか?」
部屋をノックする。音が聞こえ、しばらくして、入って良いよ。と声を聴く。
「入るぞ。一応、軽めの夕飯は持ってきたけど、食べれるか?」
「お兄ちゃん。ごめんね、心配掛けて。でも、あんまり食欲は……」
美羽の腹の虫は、素直なようだ。俺でも聞こえるほどに自己主張が激しく、宿主本人の声を遮ってしまうのだから。
本人は、何でもないような表情を作るが、すぐに、やっぱり頂戴。と言ってくる。素直でよろしい。
「ううっ、違うんだよ。食いしん坊じゃないんだよ」
「いや、お前は、食いしん坊だろ。慣れないことは、精神衛生上良くないぞ」
「お腹の虫は、私の空腹に反応したんじゃないよ。お兄ちゃんの美味しそうな蟹卵雑炊に反応したんだから」
「じゃあ、食べなくて良いよ。ほら、漢方飲んで寝とけ」
「ああっ、嘘嘘! 空腹でした! 雑炊美味しいから絶対に返さないよ」
俺の冗談にも普段の反応を示す美羽。やっぱり、ゲームでの出来事は杞憂だったようだ。ただ、部屋に入った時、白かった顔も胃に食べ物を入れたためか血色が良くなっている。
「食べられるなら健康な証拠だな。いきなり気分悪い。って言った時は何があったのか心配したぞ」
「えへへっ、心配お掛けしました。ちょっと、ね」
そういうと、手に持ったスプーンと雑炊の器をお盆に置き、水を口に含んでから何となくの間を開けて、喋り始める。
「なんかね。直感的な物かな? 気持ち悪いって感じがした。後は、クエストの進行もどこか救いが無くて、解放された幽霊たちが居たでしょ。あれが連れ戻される時、結構ショックだったかも。助けたはずが、結局は助からなかった。ってNPCやクエスト用のキャラの筈なのにね。決まった事しか喋らない相手に感情移入してたのかも。それに消える直前、一人が私を見てたんだ。凄い恨めしいような目で、それが怖かった」
「意外だな。美羽がそんな事を考えているなんて」
「意外とは、心外だよ。でもさ。これって多分狙ったクエストなんじゃないかな?」
狙ったクエスト、と言う意味が分かりかねる。何を狙ったのか。それは、美羽の中で決着がついているようだ。
「ゲームって楽しいよね。ワクワクして、ドキドキして。ドンドンやりたい。ガンガン進みたい、ワイワイ騒ぎたい。そんなお祭りのような時間が何時までも続くって錯覚するんだよね」
「まぁ、楽しい時間が何時までも続けば良いと思うけど」
「でも、ゲームは何時かは止めないと。夢の世界には、何時までも居られない。時々、リアルなんて放り出してゲームに入り込む人が居るけど、今のゲームって色々装置が付いているんだよ。体に異常があったら強制的にログアウトさせたりとか」
「そうなのか?」
「それは、よっぽどの事だよ」
そう言って、苦笑いを浮かべる美羽。でも――とその後に言葉を続ける。
「でも、ね。心だけはゲームに置き去りにしてるんだよ。いくら、無理やりゲームから追い出しても、心はリアルには無い。それってとても危ない状態なんだよね。憑りつかれた様に、ただ一つに拘ることは」
「そうだな。そうかもしれない」
ミュウやタクは、いつも俺に楽しそうにゲームについて語る。その姿を見て、呆れているが、少なからず元気を貰っている。けど……二人が生気の無い表情でゲームに縋り付く姿など想像できない。虚ろなまま生活して心ここに在らず、の状態は多分嫌だろう。
「あのイベントは、洞窟と同じ、十人でも二十人に一人でも良い。夢のような時間に水を差して、一度見つめる機会なんじゃないかな?」
「……見つめる機会。そうかもな」
俺もホリア洞窟を通るときは、心底嫌だった。ゲームは、楽しさを提供するとともに、時に不快も提供して現実に引き戻させるのも仕事。人がどんな不快やトラウマを持つか分からないし、どのようなポイントを刺激するかは分からない。人によって千差万別だ。だが、今後も多様な人に対応するような不快感が自分や誰かを現実に引き戻されることがあるかもしれない。
その不快な気分を変えるために、ゲームの別の側面を目にして貰ったり、リアルも思い出させる。そういう意図が込められているのだろう。
「じゃあ、美羽の中では、整理がついたのか?」
「うん。けど、すぐにはあのクエストを受ける自信は無いな。少し風景見たり、歩いたりして気分転換してみるよ。今までは、イケイケ押せ押せだったからね」
「分かった。まぁ、今週末は、プレイヤー主催の祭りだ。そっちでも気分転換すれば良い」
「うん。あっ、巧さんに伝えてくれる。『鉱山ダンジョンは、行く気分じゃないので、すみません』って。それと、お休みなさい」
「分かった。巧には、伝える。お盆は置いておくから明日の朝に起きた時にでも持ってきてくれ、それじゃ、お休み」
静かに美羽の部屋を出る。
心配するほどではないが、やはり時間は必要そうだった。