Sense116
「……んっ」
既に変装が終わったのだろうか、すこし眠っていたようだ。教室に掛かる時計の時間では、学園祭が既に始まっていた。それにしては、教室が静かに感じる。
周囲を見回せば、俺の変装をしてくれた女子三人が、目を見開き固まっていた。
「おい、大丈夫か?」
「な、なんてこと……神が与えた才能が恐ろしい……」
震える手には、メイク道具を握ったまま、呟いている。それ程までにお化け屋敷のメイクが恐ろしい物に仕上がっているのか。
「なぁ、もういいのか?」
「まだよ! こっちの衣装を着て、ウィッグをつけるの」
差し出されたのは、少し暗めの色の和服と少し前髪が掛かる程度のウィッグは、ゲームのキャラクターであるユンより少し長い程度だろう。
前髪が掛かるから、村人の幽霊役なのだろう。それなら納得と衣装を受け取るが――
「何を期待した目で見てるんだ」
「私たちには構わないで」
「そうよ、何もないわよ。見てないわよ」
「男の娘の肌……ごくりっ」
いや、視線が物凄く怪しいんだが。俺は手で追い払うようにしたら、不満顔で教室から出て行った。一人残された空き教室で俺は制服を脱ぎ、和服に袖を通す。本物よりも簡略化されたものを手早く着替える。学園祭開始まで時間が無い。
最後にウィッグを被り、前髪に掛かるように調整して、教室の外に待たせていたクラスメイトに姿を見せる。
「このまま教室に向かっていいのか」
「もちろん。皆を驚かせてあげて」
自信たっぷりの様子に、よっぽどメイクに自身があるのだろう。
和服のお化けと言えば、村人の幽霊だろうか。この姿は、歩き辛い恰好だが、歩く歩幅を縮めれば転ぶことも無さそうだ。そして、和服の帯をきつく締められ、苦しい思いをしたが、同時に気が引き締まり、背筋が伸びるような気がする。
「どうだ? お化けらしいか? これなら完璧に変装できてるか?」
何気なくその場で、回ってみたが、服もズレてないし、問題は無さそうだ。
「うん。もう、怖いくらい良く出来ているよ」
「ああ、黙っていれば誰も気が付かないと思うぞ」
褒められたのだろう。そう言われると、なんとなく嬉しくなる。
「じゃあ、俺は一度教室に行くけど……」
「うん。気を付けて、ホント。私たちは後で行くから」
そう言って、見送られる。出口の所を見張っていた男子クラスメイトに、にっ、と釣り上げた笑顔を向けたら、固まってしまった。よっぽど怖い出来だとは。
「でも、自分が脅かす側ってのも新鮮だな。幽霊とかって無表情の方が怖いのか? それとも微笑とかの方が」
少し歩き辛く、捲れそうになる裾に右手を当てて押さえ、左手で胸元を押さえながら歩く。歩き辛く、どこか浮足立った感じで少しふわふわとした感覚だ。
今の表情は、無表情だからだろう。すれ違う人間が皆、目を見開き、足を止める。そこまでまじまじと見なくても明るい場所だからそこまで怖くないだろう。
それとも、無表情なのがいけないのだろうか。お化けらしい曖昧な微笑みを浮かべて、固まっている人に会釈をすると、皆一目散に俺から離れてしまう。
「なるほど、逃げるほど怖いのか。なるべく鏡は見ない方が良いな」
自分の顔を見て、自分が絶叫など目も当てられない。
俺は、しばらくして自身の教室へと辿り着く。遠藤さんには話が通っているはずだが、一度は姿を見せなきゃいけないはずだ。
「遠藤さん、いる?」
開け放たれた教室にそのまま入ると教室に居たクラスメイトは、全員が振り向いて固まる。やや驚かせすぎたか、だが怖いくらい良く出来ていると俺は確信した。
「峻くん、来るのが遅いよ。ちょうど探しに……?」
振り返る遠藤さんの言葉が尻すぼみで小さくなって消えた。
「えっと……変装させられたんで見せに来た」
「ちょっ、峻くん! なんで」
我に返った遠藤さんに強く肩を掴まれて、痛みで顔を顰める。
「……痛っ、強い」
「あっ、ごめんなさい。でも、峻くん。でも、なんで峻くんがメイクを!」
「えっ? 何でって変装の許可出たって聞いたし、変装した方が身を守れるって、あとお化け屋敷が……」
俺は、騙されたのだろうか。そう不安になる。しかし、断片的な俺の言葉に遠藤さんは、得心したような表情で肩から手を放す。
「……ごめんなさい。私の所為かも」
「はぁ、なんですと……」
良くは分からないが、変装の許可は、流石に一日目で制服姿のままでは味気ないと、変装もとい仮装などは自前なら許可されたこと。
そして、文芸部一派BL派が暴走し、現在様々な派閥と水面下でバトっているとのこと。これに巻き込まれないように、注意して対抗策を打ち出すこと。
最後に、隣のクラスのお化け屋敷の手伝いとは、お化け屋敷と喫茶店が互いに客引きの協力をすることである。だから隣のクラスの手伝いだし、隣のクラスは、荷物や小道具を置くためにお化け屋敷と楽屋の二つの教室があるために、そこに飲み物等を届けたり、という話があった。
以上三つの話を強引に捻じ曲げ、合体させて、一本のストーリーに仕立て上げたのが、今回の話だ。嘘は無い、だが真実も見えなかったと言うだけだ。世間一般では、それを詐欺という。
事実、文芸部BL派からの脅威は存在する。
「……というのが私の予想なんだけど……どうしようか?」
「いや、着替えるしかないだろ。こんな恰好で歩いていたら、それこそ喫茶店として成り立たないだろ」
しかし、俺の意志に関係無く、クラス中からは反発の声が響く。
「勿体ない!」「折角良い出来なのに」「最終兵器をみすみす手放してなるものか」など、意見多数。ここで疑問なのだが……。
「俺の姿を客観的に見てどうだ?」
「そうね。怖いくらい、女の子よ。女の私が自信を粉砕されるほどに」
そっと差し出される手鏡で初めて自分の顔を見れば、最低限の化粧を施された自分の姿。俺の外見的な特徴を生かしながら、された薄化粧は、俺の嫌がる女顔を際立たせる。
怖いや恐ろしいは、そういう意味だったとは。
「お化けの仮装ですらない!」
「見事にお化けじゃ無いわよ。いや、色白の美少女は、見方によれば幽霊的ではあるが……」
「もう、嫌だ。すぐに着替える。メイクも落とす」
俺が、踵を返して教室から出ようとした時には、既に手遅れだった。
「駄目よ。峻くんの担当時間。私は大を守るために小を切り捨てなければいけないみたい」
「大が、文化祭成功で、小は俺か」
「大丈夫。私は、場酔いした勢いだと思うから」
「もう良いよ。いつもの事と思えば……」
自分の名前さえ表に出さなければ問題ないし、ゲームの時と同じだ。自分が役割を演じれば、問題ない。
自分が理想とする喫茶店の店員。それを演技し、一日バレなければ問題ない。それにクラスメイトの中に混じるようにして、仮装をしている人もいる。場面から見て変なことは無い。
「じゃあ、休憩まで乗り切るよ」
「お願い。私は、峻くんに迷惑かけた馬鹿どもを捕まえてくる。私に喧嘩売ろうとは、ね。また面倒増やして、私が戻ってくるまで喫茶店はお願い。チーフ」
その言葉と共に、俺たちは動き出す。
かなりご立腹な様子の遠藤さんは、そのまま教室を出て行き、俺は、クラスメイトの細かな調整を話し合う。
「さて、如何しよう」
「まずは、エプロンを着けたら? それにウィッグ? 髪の毛が邪魔になるから、ヘアピンで留めない?」
「そうしますか」
しかし、せっかくの和服がエプロンで隠れてしまうのも勿体ない。もはや、諦めたのなら、徹底するのが一番だ。中途半端でバレたら、納得などできない。
髪の毛は、左右に分けて、貰った花柄のヘアピンで留める。エプロンは、折りたたんで、前掛けのように腰にだけ巻きつける。するとどうだろう。甘味処の店員のようになるではないか。周りからは感嘆の声が上がる。
既に開始されていた喫茶店では、お客さんが徐々に増えていき、皆が慌ただしく動く中で、喫茶店に来たお客さんの視線を独占してしまっている。
まぁ、可愛らしいとか、高校生にもなると垢抜けるな。とか男としては要らない評価などマシな方だ。不快感を刺激するような、いわゆる舐めるような視線は、かなり精神的に堪える。それをクラスメイト達は、さりげなくブロックする辺り、連携と熟練度の高さがうかがえる。
それでも、視線は決して離れない。それこそ老若男女から集めていると言って良いほどだ。
中には、ドリンク一つで長く居座ろうとする人もいて非常に店の回転率が悪い。今は支障が無いが、不安要素ではある。
「どうしようか」
「これは、あれじゃない? 私飲食店でバイトしているけど……」
俺に耳打ちしたクラスメイト。なるほど、その方法なら店の効率が上げられそうだ。
俺とポジションを交代して、接客に移る。喉を鳴らして、声を調整する。
「こちらの空きカップは、下げさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「あ、はい。それと、コーヒーの、お替り」
少し挙動が不審になりながらも答える男性客に、ここぞとばかりに畳みかける。
「では、ご一緒にケーキなどはいかがですか? 今日は、昨日とは違う種類のケーキを揃えています」
「えっと……」
「種類は、チョコレートケーキとタルトです。セットでどうですか?」
「じゃあ、チョコ」
「畏まりました」
極めて、落ち着いた態度でスムーズに物事が運んだ。ドリンクのおかわりの時に、新たに商品を勧める。バーガーショップで付け合わせのポテトを勧めるのと同じ用法だ。
その後は、マニュアル通りにやると、釣れる釣れる。馬鹿な男どもが、貴様らは疑似餌に釣られた魚も同然に鼻の下を伸ばして、注文していく。
それにしても……。
「男って奴は、どうしてこう単純なんだよ」
昨日以上のペースでケーキが売れていくのを見て、嬉しい気持ちはあるが、どうも安直にこんな手法に乗せられる男という生き物に対して、言葉が漏れる。
「いやいや、あなたも同類ですよ。チーフ」
「……それは、言わないでくれ」
乗せられて、女装させられたのだ。確かに同類ともいえる。
「まぁ、早く自由時間にならないかな」
「まだ始まったばかりよ」
俺は、自分の呟きと現実に心が打ちのめされる。
それでも丁寧な接客やお客さんとの会話は楽しめた。
家族連れの人は、子どもがケーキを頬張り、手を少しベタベタにするので、ウェットティッシュや紙ナプキンで汚れを取ったりと少し世話やお話をしたら懐かれてしまった。「やー、おねえちゃんといる!」などと何組もの子供に言われてしまった。髪の毛を優しく撫でながら、両親を困らせない。良い子にすることを約束させて笑顔で別れた。最後に心の中で、ごめんね、俺は、お兄ちゃんなんだよ。と呟く。
他にも、ご年配で地域文化のコーナーで写真を出展した写真家のお爺さんなんかは、儂の孫娘も大きくなればこれくらい綺麗になるかのう? とか言われた。ごめんねお爺さん。俺は男だよ。綺麗になった孫娘を写真に収めるまで長生きするんじゃい。とか元気そうだ。他のお客さんとも相槌をうちながら互いに話をしたり。
学校内の生徒は、クラスメイトが対応するとして、俺が対応する客は主に外部の人だ。適材適所と言ったところか。
物腰が柔らかく、丁寧に対応するからと言われた。こっそりと、子ども受けとか老人受けしやすい性格。って言ってたり、どことなく保育園の先生的な雰囲気がある。と言われた。
「おーい、そろそろ交代の時間だよ」
「やっと、か」
俺は、長い溜息を吐き出す。これで着替えやメイク落としができる。だけど、最後に一つ『隣への差し入れ』の仕事が残っている。
賛否両論なリアルサイドの感想に一喜一憂する。