Sense115
深く考え事をしていたために、どうも眠りが浅かった。
口から漏れそうな欠伸を飲み込んで、眩しい朝日に目を普段よりも細める。
ギルド【フォッシュ・ハウンド】と【獄炎隊】の事だ。生産職に出入り禁止を言い渡された原因は、他者を貶めるような発言、生産職の逆鱗に触れる発言等が目立ったからだ。
特に酷かったのは、日々向上心を持って一つのアイテムを追及する生産職に対しての見下した発言。自分の仕事に誇りを持ってプレイヤーへとアイテムを供給している生産職は、仲間意識が非常に高い。
素材情報の共有と共に、礼節を持たないプレイヤーの情報が拡散し、アイテムの提供を絶っている。
補給を受けられないアイテムは、回復アイテムを中心とする消耗品の他に、武器や防具などの耐久度の回復や強化、新調など。そして、素材の買い取りまでも拒否される始末だ。
拒否している生産職に幾らゲーム内通貨を提示しても意志は固い。村八分にあっているプレイヤーでも取引をする生産職は居るが、それは、生産職ネットワークから外れたはぐれ者だ。はぐれ者は、食い物にされて潰されて終わる話が多い。
そういった黒い噂が積み重なって、一般プレイヤーやはぐれ者の間でも、関わり合いを避けようとする傾向にある。
今は、NPC店舗のアイテムやクエスト報酬の微レア装備で場を凌いでいるようだが、サポートの質の低さから最近では思うように攻略が進まない。と言う話だ。
強引な態度で周囲からの反発を生めば、それは摩擦となって自身の身を削る。まさに、因果応報。自業自得。巡り巡って自分の首を絞める結果になる。
だが、追い詰められた人間ほど何を仕出かすか……。直接的なPKにあったことを思い出して、背筋が凍るような思いがする。
未然に防げたから良いものを、他人に悪意や敵意を向けられるのは、恐ろしいことだ。
それが、俺ではない知人に向かうことになるのが、もっと恐ろしい。
「お兄ちゃん、暗い顔してるよ」
「ああ、悪い。昨日のことを考えてた」
「今は、ゲームの時じゃないよ。少し考え事から離れて」
「そうだな。忘れてたよ」
美羽に心配させるとは、兄として失格だな。と自嘲気味な笑みを浮かべる。
確かに、懸念はあるが、それに対して多くの善良なプレイヤーが警戒をしているのも事実。
ブラックリストに載るようなプレイヤーは、それこそ十数人いるかいないか、そういう性質の悪い連中はいずれは消えるだろう。
「頼れる奴らも居るもんな」
「そうそう、だから深く気にしちゃダメ」
「さぁ、学園祭二日目も乗り切ろう」
「そして振替休日が私を待っている!」
「って、本命はそっちか!」
全くブレない妹にツッコミを入れて、学園祭のパンフレットを二人で見ながら登校する。
昨日、見れなかった場所や特設ステージでのイベント。互いにお勧めの場所などを話し合った。
「ありがとう。これで楽しく回れそう」
「そうか。学園祭は楽しめよな」
学校の昇降口で別れて、俺も教室へと向かう前に、拉致された。
それはもう鮮やかな手際。相手がクラスメイトだったことを考えると俺に何の用だ。と思いたくなる。
別に手荒な真似、と言った感じではないために、あれよあれよと、空き教室へと連れ込まれてしまう。
「えっと……なぜ、拉致した上で土下座?」
普通は、拉致した相手の方が上なのに、土下座とは。
「すみません! クラスメイト代表ですが!」
顔を勢いよく上げる男子一名女子生徒三名。涙目を浮かべて、こりゃ、完全に追い詰められた人間だ。
「お、俺に何か用?」
「折り入って頼みたいことがあり、このような形になってしまいました!」
「だが、断る!」
こういう場合は、主導権を相手に渡してはいけない。ずるずると引き摺られて引き受けてしまうことは、経験則で知っている。
「そんな、どうか話だけでも!」
「いや、学園祭関係だろ? まずは、実行委員か遠藤さんを通してくれ」
「許可は貰った! 後はお前の合意だけだ!」
遠藤さん、この人たちに何を許可したんですか……。と額に手を当てて、天井を仰ぐ。
「じゃあ、俺はそろそろ教室に行くんで」
「頼む。待ってくれ、これはお前にも重要な事なんだ。峻!」
「知るか! 俺に重要な事か、どうかは俺が判断することだ!」
制服のズボンを土下座の低姿勢のまま捕まえてその場に押し留められている。最悪、頭でも蹴り飛ばせば、掴む手を放しそうだが、そこまで鬼じゃない。
ずるずると引き摺るように教室の外へと向かうが、男子クラスメイトの声で俺の足が止まる。
「お前の身の安全のためでもあるんだ」
「……それはどういう事だ?」
「まずはこれを見てくれ」
そういって、差し出されたのは、一枚のコピー用紙。紙面の内容は、報告書のような形態をしており、その内容は俺の理解の範疇を超えていた。
内容は、昨日の文化祭中に起こったトラブル等の簡易報告だろう。全部は目を通していないが、赤線の部分だけで十分だろう。
「……『開幕直後、予てより警戒していた文芸部に緊急査察が入る。事前に回収したはずの不許可な禁制品を販売準備していたために押収。首謀者逃亡。正午、コンピュータ研究部と共謀し、増産準備をしていた。原本と保存のメディア媒体を確保。なおも首謀者も逃亡。二時、首謀者一同は、被害者を尾行しながらの禁制品を創作していたために確保。しかし、人手が足りずに、学園祭二日でも同様かそれ以上の事が起こる可能性あり……」
この内容はわからないが、文芸部という不穏な単語を最近聞いた記憶がある。
「これって……」
「ああ、被害者がお前と巧だ。一部の文芸部がゾンビのように襲ってくる可能性があるからお前を隠すんだ」
「はぁ……いや、危険を知らせてくれたのはありがたいけど、話が見えない」
「つまり、変装して一日過ごして貰うんだ」
「それに意味は……」
「ぶっちゃけ、お前を奪われると喫茶店での戦力が大幅に減って俺たちが苦労する。場合によっては、隣のクラスに貸出しって形で避難して貰う可能性もある、って遠藤さんが」
「知るか、俺はもう行くぞ」
無理やりに振り切り、廊下の戸を開けると――
「ふふ、腐腐腐腐っ、腐り爛れた青い果実が無いならば、自らの手で作り出せばあああっ――」
目の前には、幽鬼と見紛うばかりに髪を振り回し、男子生徒を追い回す女子集団が目の前を高速で通過する。
その血走った眼の映すものは、全て狂気で彩られている錯覚を覚え、戸をそっと閉め、再び空き教室に戻る。
「なんだよ! なんなんだよ! あれは!」
「アンデッドも目じゃない腐り具合の文芸部の一派だ。奴らの手に掛かったものは……くっ、俺の口からは言えない」
何をやっているのですか。その左右では、啜り泣くような真似までして俺の不安を煽る。
「奴らの目は、節穴だ。それを掻い潜るために、峻くんには変装が必要なんだ」
「それで騙されるのかよ」
「古来より男子は妖怪に連れ去られないように、変装してやり過ごす風習があるくらいだ。だから問題ない」
「そ、そういうものなのか?」
「それとも追い回されるか?」
そう言われると、あんな集団に追い回されたくはないのが本音だ。それに、変装とは言っても別にそこまでおかしい物じゃないだろう。隣のクラスは、お化け屋敷だ。それ関連のメイクや衣装だったりするだろう。
「分かった。で、どうするんだ?」
「一応、こっちで用意したわ。そこに座って目を瞑ってリラックスしていれば、私たちが変装させるわ」
「はいはい」
まぁ、お化け屋敷の変装なら、暗いお化け屋敷の中に隠れても不自然じゃないだろうし……。ただ、お化け屋敷は少し苦手意識がある。
俺は目を瞑り、椅子に深く腰掛ける。
「一度、顔を蒸らしてからするよ」
顔に当てられたのは、蒸しタオルだろうか。凄く暖かくて気持ちが良く、眠気が一気に襲ってくる。
目を閉じると、僅かに薫る匂いは、アロマの香りだろうか、それも相まって、更に波のように少しずつ眠気の深みを増す。
「じゃあ、次に目が覚めた時は、びっくりするよ」
「……んっ」
その声は、耳に届いたが、微かな反応しか返せなかった。