Sense112
喫茶店の集客率もそれほど忙しくなく、皆がゆとりを持ってことに当たっている。
他の喫茶店はどうだか知らないが、うちのクラスの喫茶店は、大分学生の手作り感があって、来たお客さんと短いながらも楽しい会話を重ねている。
お会計の時などは、ありがとう。と一言言って貰えるだけでも少し嬉しいものだった。
「そうなの。このクッキーは手作りなのね」
「ええ、ご家族が居るならお土産にするのも良いですし、校内には何か所も休憩所があります。他の屋台で買った飲み物と合わせて頂くという方法もあります」
「そうなの? 私は歳で歯が弱いのよ」
「でしたら、こちらのメレンゲクッキーはどうですか? クッキーよりも小さくて、長く口の中に入れていれば柔らかくなるので、キャンディー感覚で食べれますよ」
「あらあら、ご丁寧にどうも。じゃあ、そっちを頂こうかしら」
大分ご年配の女性客のお会計。どういうものを見たのか。何を見に来たのか、などを丁寧に聞いて、対応していく。
こう言った上品な感じのご年配は、とても好感が持てる。その雰囲気や滲み出る優しさが俺は好きだったりする。
「ありがとうね。学生さん」
「いえ、では。お楽しみください」
ふふふっ、と上品に笑う女性を見送り、余韻の溜息を漏らす。少し頬が釣りあがり笑っているのが分かる。学園祭で外部の人間と会話をするのを楽しんでいる自分に笑みが強くなる。
クラスの動きも問題ないし、あと少しで交代の時間だ。
「いらっしゃいませ、何名様ですか?」
「二名です」
「ご家族ですか?」
「ええ、息子たちの様子を見に」
喫茶店に入ってきた一組の男女。どこか聞き覚えのある声に目を向ければ、見知った人物。
彼らは、店員を務める女子生徒と楽しそうに会話をしている。
「ご注文は何でしょうか?」
「じゃあ、ショートケーキとチーズケーキ一つずつ、コーヒー二つで」
「畏まりました」
この場は、比較的他の店員が手が空いているために、素早くケーキを出すことが出来た。
「どうぞ、ケーキと飲み物です。ご家族で仲が良いですね」
「ええ、久々にこういう風に来たので楽しみです」
男性の方は、はにかむ様な笑みを浮かべると対応していた女子生徒は、相槌を打ちながら微笑み返す。
出されたチーズケーキを早速食べ始める女性は、悪く見積もっても二十代後半に見える、それほどまでに豊齢線を消し去る化粧テクニックと美容テクニックで二十歳は、若作りしてバレていないのだ。
対して、男性の方は、白髪交じりの髪で中年を地で良く感じの穏やかそうな人だ。
見方によれば、大学生の娘と父のように見えなくもないのだが――。
「すまん、お会計少し代わってくれ」
「どうしたの?」
「親が来たからな。少し挨拶する」
「分かった」
出口付近から二人の居るテーブルへと近づけば、最初から俺の存在を確認していたようで、父さんがにこやかに迎えてくれる。
「峻さん、そのエプロン素敵ですね。よく合ってますよ」
「なんだ、着慣れた感じがあるな。あっ、家でも家事の時着てるな」
「まぁ、褒められたって思っておくよ。父さん、母さん」
その瞬間、教室の中から音と言う音が一瞬消えた。
首を僅かに動かし、周囲を巡らせれば、皆目を見開いたような顔で俺たちを見ている。今までも何回かこういう事があったが、毎度その反応を見て、母の桜子は笑いを堪えるように口の端を釣り上げているのがよく分かる。
音が戻った時は、小声で、嘘だろ、若すぎる。とか、どう見たって親子じゃないだろ、みたいな言葉が聞こえる。
「ふふん。アキ、今回も私の勝ちだな」
「どうして私たちが夫婦じゃなくて親子って見えるんですかね? 桜子さん、少しは年相応になってくださいよ。桜子さんと会う人は、必ず私を年下好きだと思うんですから」
「馬鹿を言うな。女は、四十過ぎてもいつまでも若く居たいものなんだよ」
「時々、魔法を使ってるんじゃないか、と思うくらい家と外で違いがあり過ぎて、息子の俺は驚きだよ」
ジト目で母を見るが、挑発的な笑みを浮かべている。
「やれやれ、うちの男衆は頭が固いな。今は性別問わず、スキンケアや化粧をするような時代だ。私が本気を出せば――」
「出せば?」
「アキを後十歳若く見せることができる! と言うより、今の格好はどうも爺臭い」
「っ!? 私って爺臭いですか?!」
「十歳も若く見せられるのか事が凄いのか、父さんに酷い事を言っているのか、分からん」
父の服装は、確かにラフな格好で機能性重視といった感じだ。白髪の混じった髪も染める手間を惜しんだために、中年らしい渋さはあるのだが……。
「まぁ、峻くんのお父さんは、年齢が滲み出るような渋さがありますね」
「すまんな。俺がフォローできないあまりに……」
一番傍に居た女子のクラスメイトが表情を引き攣らせながら、聞こえの良いフォローを口にするが、少し無理があるように感じた。
「更に、そこの女子クラスメイトよ」
「わ、私ですか!? ま、まだあるんですか!?」
「メイク一つで印象が変わるぞ」
「……はぁ」
どうも気の抜けた返事をする女子クラスメイト。内心では、母に絡まれたことに、すまん。と謝罪する。
「どうも反応が薄いな。では、私の息子を外見上は、女にすることもできる」
「あー、それは素晴らしいですね」
「どこがっ!?」
母の本気を聞いて、女子生徒は、納得と言った感じで頷く。いや、頷くなよ。
「はははっ、峻は、そう恥ずかしがるな」
「馬鹿! 恥ずかしい云々じゃないだろ!」
「じゃあ、逆に美羽を美少年にするか? それもまた一興」
「そういう意味じゃない!」
教室中の視線が痛い。視線を集めているのだが、父は苦笑いを浮かべ、母はコーヒーをマイペースに飲んで気にしていない。俺は、顔から火が噴きだしそうなほど恥ずかしい。
「まぁ、冗談はさておき」
「冗談かよ」
「学校生活はどうだ?」
「まぁまぁ、かな。巧も居るし、そこそこ楽しんでる」
「そうか。じゃあ、私たちは、まだまだここで女子高校生のエプロン姿でも堪能させて貰おう」
小さく舌なめずりをする母の目は、獲物を狙う捕食者に近いものがある。少し周囲を見回すその視線を受けた者たちは、皆身を抱き、小さく震える。
俺も視線に晒される女子たちに心の中で詫びる中、こちらへと近づく巧が見て取れた。
「峻、そろそろ交代の時間だから迎えにしたぞ。っと、小父さんたち来てたんだ。こんにちは」
「やぁ、巧くん。久しぶりだね。いつも峻たち兄妹がお世話になってます」
「あっ、いえいえ、こちらこそ」
父さんの丁寧な口調と挨拶に影響され、妙に腰が引く巧。普段は、俺に対してこんな風にしないのに、やはり年上としての威厳に対しての物だろうか。
「一段と良い面してきたな。うちの仕事に欲しいくらいだ」
「すみません、俺は、趣味に忙しいんで」
「はははっ、冗談だ。だが、峻や美羽と気心知れた相手だ。これからも仲良くしてくれよ」
なんか、平然と家族の輪に入り込む巧に凄いと感じながら、俺は恥ずかしさで縮こまってしまった。
「ほらっ! 回る時間が少なくなるぞ! 父さんたちも、俺たちは行くから。案内欲しかったら、休憩中の美羽でも引っ張り出してくれよ」
「はいはい、いってらー」
「気を付けて行くんですよ」
俺は子供か、と思いながらも、クラスメイトには交代の旨を伝えたが、妙に俺が去るクラスでは怪しい目をした人が多かった。やばいな、父さんたち。というより主に母さんが何かやらかさないと良いんだが。
「相変わらずの落ち着いた小父さんと豪快な小母さんだよな」
「はぁ~、家では何もやる気がないのに、外に出て人前だと盛大に俺を弄るんだから。それに、周りの目もあるのに、俺が恥ずかしいよ」
「まぁまぁ、いいじゃねぇの?」
お前は、見ているのが楽しいと思っているだろうが、被害を受けるのは俺なんだ。と思い、恨めしそうな眼を睨むが、如何せん迫力に欠けるようで笑われた。
「それより、一度校門前を先に回らないか。最初は、外の屋台を食べ物でも買って、摘みながら見て回ろうぜ」
「昼飯にはまだ時間あるだろ。摘まむんだったら、これをやるよ」
俺は、エプロンのポケットからメレンゲクッキーを一袋取り出す。ポケットにはもう一袋クッキーが入っている。
「先に買っておいたんだ。休憩の時にでも食べやすい物だから」
「用意良いな。じゃあ、遠慮なく頂く」
袋を開けて手に取るメレンゲクッキーを巧と二人で分けながら食べる。
さっくりと砕けて溶けるメレンゲクッキーは、単調な甘さだが、小さく摘まむ程度にはちょうど良かった。
それから運動部のコーナーを二人で巡った。
野球部のストラックアウトでは、野球部と俺たち二人がストライク数を競うゲームに挑戦した。
巧と野球部は、速球とパネルを打ち抜く音の迫力で周囲を湧かせ、俺は、遅いながらも一枚ずつパネルを捉えた。結果は、僅差で俺の独り勝ち。ある意味で周囲を驚かせた。
「やぁ、野球部に入らないか? マネージャーでもいいから」
と声を掛けられたが、二人揃って断った。その後も、武道研究部の演武を眺めたり、様々な運動部の出し物を見て回った。
バスケ部の食べ物屋台では、二人して焼きそばを買って食べ、バトミントン部の綿あめを懐かしさから俺一人が買い、その後リンゴ飴も買ったところで巧に子供っぽいと笑われる。
少し祭りの楽しい雰囲気に当てられて、財布の紐が緩んだのか、と少し反省した。
そして、運動部の場所は、弓技場へと差し掛かり、アーチェリー部と弓道部の合同体験場へと辿り着いた。
「峻、やっていけば?」
「えっ、何でだ」
「良いから、ゲームでも弓がメインだし。実力試しに」
「まぁ、気にはなるけど……」
合同体験場では、和弓と洋弓が選択でき、十本三百円でレンタルされていた。
俺は、アーチェリーの洋弓と手の保護のためのグローブを借り受ける。
「大丈夫? 結構腕の力を使うけど」
「はい、大丈夫です」
アーチェリー部の部員に手伝ってもらいながら準備を整える。
軽く弦の硬さや引き具合を確かめるが、思い通りには引けないようだ。重く硬い弦は、素人がギリギリ引ける程度だろう。
俺は、胸を張るように弓を構え、両足でしっかりと立ち、遠くの的を狙う。
仮想現実では、十秒もしないうちに照準を定めるのだが、手先がぶれて中々狙いが着けられない。
「フォームは良いよ。肩の力を抜いて」
「は、はい」
部員のアドバイス通りの肩の力を抜くと狙いのぶれが収まる。あとは、弦を力強く引いて、手を放す。
緩やかな弧を描き、真っ直ぐに飛ぶ矢は、的に当たる。
続けて二本目の矢を番えて射る。
先ほどの感覚を忘れないようにすぐにやろうとして、狙いがずれた。的の右の方へと逸れていく。
これではだめだ、と今度は十分に時間を取って狙いをつける。
三、四と最初よりも勢いのある矢が的に当たるも、五射目では、狙いに長く時間を取り過ぎて、肩や腕に疲労や無駄な力が入り、的の前で失速し、砂地に落ちてしまう。
六、七本目は、一度リラックスするために、長く息を吐き出し精神集中に努める。だが、的に完全には集中出来ずに、気が逸れる。
八本目で再び、満足の良く狙いだったが、慢心せずに無心で次の矢を番える。
九本目の時には、周囲の音は完全に消え去り、矢が的に当たる理想的な軌道が想像できた。
リアルの感覚を、ゲームの理想に近づいた。
目が的を拡大して見え、手先のブレは収まる。どこか機械的な精密射撃とは程遠いが、九本目と十本目の矢は、吸い込まれるように的へと刺さる。
次の矢を番えなくては、と思い手が空を切ることでやっと矢が尽きたことを悟る。
集中が途切れたために、遠ざかっていた祭りの音が戻ってきた。
「ふぅ……」
自分だけ、別世界に跳んでいたようなそんな違和感とやり切った後の疲労感が溜息として零れる。
やっている最中は、気にも留めなかったが、少し髪が顔に掛かっていたようだ。それを鬱陶しげに直して、部員の人に道具を返す。
「いや、凄いね。アーチェリー部か弓道部に入らない? こっそり的は大きめに作ってあるけど、それでも十本中七本刺さるなんて、センスがあると思うんだ」
「いや、それをぶっちゃけて良いんですか?」
「あー、良い良いの。外部や他の生徒に体験入門して貰うコーナーだから、敷居は低くしてあるの。第一、構える手順からして指摘が多いけどね」
「は、はぁ……」
曖昧な返事を返すが、納得もできない。ついでに、部活動の勧誘は断りを入れて巧の所へと戻る。
「お疲れさん。中々の命中精度だと思うぞ。それに、格好良かったしな」
「お前に格好良い、とか言われると逆に馬鹿にされた気分になるんだが」
制服姿に、子供っぽいエプロンを着けた俺が矢を射る姿は、さぞ滑稽だっただろう。
だが、自然と微笑み返すような顔の巧に見ても、普段のような笑いを堪える雰囲気は感じられない。逆に、真正面から見られて少し気まずい感じが生まれる。
「な、何でも良いから次行かないか?」
「おう、そうだな。じゃあ――」
その後も、二人並んで学内の出店を見て回った。
そして辿り着く、学校の校門から玄関まで続く屋台通りへと。