#0 私は死神
かなり特殊な世界観の設定となっています。
現実世界に死神がいたらというのはよくある設定ですが、自分で直接手を下してはいけないや、特殊な能力を持ち合わせずただ人間と同じ力しか持ち合わせていない死神など、一般の人間に近づけて書いてあります。それに親近感を感じてもらえれば幸いに思います。
「ミッションコンプリート。さようなら、岸田君」
そう言い、その場を離れる私。
夏の夜の温かく柔らかい夏の風が私の長い黒髪を揺らす。これが私のトレードマークだ。
私が立ち去ろうと髪を振り乱しながら、身を九〇度ひるがえし歩み始めると、車から飛び出してきた人たちが私の横を通り過ぎ、踏切へと駆けて行く。
ここは開かずの踏切。今ここで、私の知り合いの岸田君が電車にはねられたのだ。
なに、ほんのちょっとだけ岸田君に幻を見せただけ。それも彼の妹が開かずの踏切の中で足を挫いているだけのくだらない幻をね。予想通りそこにいつはずもない妹をめがけて、踏切に飛び込んでいった岸田君。電車の先頭に描かれた“死に際の赤い華”はとても美しかった。まったく人間とは馬鹿馬鹿しい生き物だ。自分とは別の者のために命を捨てるなんて……。まるで昔の自分を見ているようで胸糞が悪い。
*
「お願い、お父さんとお母さんを助けてあげて」
泣きながら目の前のサングラスにスーツ姿のズボンにしがみ付きながら、すすり泣いて男に頼み込む私。この時、私は一〇歳くらいだったと思うのだが正確には覚えていない。男は左手をポケットに突っこんだまま、右手で自分の銀髪の頭をぼりぼりと掻き、しょうがないと言った感じに溜め息をつくと、渋っていたその口を開いた。
「しょうがないなぁ、でも一個だけ僕の言うことを聞いてもらうけど、それでもええか?」
たった一〇歳の私にこの言葉の意味が分からなかった。いや、普通の人間にも分からないだろう。ましてや、泣きじゃくっていたのだ。冷静に判断できるわけはない。
考える間もなく即座に大きく頷いた。
すると男は、私の額に触れる。
「君は危篤状態の両親を救うために、これまでの記憶をすべて失う……。そして君は死神へと生まれ変わる」
サングラスの奥の狐目が鋭く尖り、得体のしれない圧力が鳥肌を立たせる。幼いながらに体が拒絶反応を起こしたかのようにビクンと波打つ感覚がした。そしてその眼の奥に吸い込まれるような錯覚を覚え、最後には意識を失った。覚えているのはここまでだ。
目が覚めた時には、死神になっていた。と言っても容姿はそのままで死神の知識が泉のように湧いてきただけで、特殊な力を得たりなどしていないのだが。実際知識が湧いてきただけで、死神と名乗るのはおこがましいと思うかもしれない。だが、死神を異形や何かではなく、職業のようなものだと思えば納得できると思う。
それにしてもなぜ事故か何かで危篤状態にあった両親を救うために医者でもない男に頼み込んでいたのだろうか。それさえも覚えてはいない。そしてその後、私の両親がどうなったのかも知らない。聞けば教えてくれたのかもしれないが、まったくといっていいほど興味が湧かなかった。
これが私の中のもっとも古い記憶。あの時男に抜き取られたのは、記憶とプラスの感情。マイナスの感情の比重が大きくなった今の私は罪悪感など感じずに、死神として死を運んでいる。
*
踏切の周りには待たされていた人たちで人だかりができていた。しかもその大半は、携帯電話で誰かを呼んでいたり、写メールを撮っていたりと、まるでテレビやゲームの世界に迷い込んだのような有り様だ。同じ人間が目の前で死んでいったのに……。まったく人間なんて所詮こんな薄情なものだ。あの時、私は死神になってよかったと思っている。もしならなければ私もこの中に混じるような人間になっていたのだろうか……考えただけで悪寒がする。
さて、これでこの街にはもう用がなくなった。この夜の闇の中私は消えていく。明日には私がこの街にいた形跡はそっくり消えているだろう。さようなら、この街、そして……岸田君。闇に私は消えた。
プロローグなのでかなり短めに仕上げてあります。今回の話で最も感じてほしかったのは、現状での紅彩という人物のいのちや人間についての価値感です。
自分でも何に影響を受けたかはわかりませんが、この簡略的なプロローグは気に入っています。
同じ価値観をお持ちの方は、ぜひひとこと言ってくだされば、楽しく雑談できると思います。