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少女最後の夕べ

作者:志水了
 岬が住む場所は、夕暮れ時になると橙色の提灯がずらりと並ぶ。
 岬は店の窓際まで辿り着くと、そこに下がっている提灯の明かりを次々に点けていった。ぼんわりと、店の名前が入った提灯が光に照らされていく。窓から顔を出してみると、周りの店もそこかしこで提灯を照らし始めているところだった。
 彼女が住むこの街は、すり鉢状に地面から沈んだ所にある。だからこうして見上げると、幾つもの提灯の灯りと、そして丸く切り取られた茜色の空が見えるのだ。
 こうして岬が提灯を点けた時に空を見上げるのは、習慣のようなものでもあった。この提灯が灯りを付け始める夕方の光景が好きなのと、何だかこうして丸い空を見上げていると、記憶のどこかで揺れる何かがあるからである。
「岬」
 そんな彼女を呼ぶ声がして、岬は視線を窓の向こうへと向けた。窓の向こうの通路には、隣の店の幼馴染、達彦が立っている。彼はどこかむっとした表情を浮かべていたが、岬が彼に気が付くと、黙ったまま手まねきを二、三度してくる。どうやら出てこいということらしい。
「ちょっと出かけてくる」
「こんな時間に? 早く帰ってきなさいよ」
「はあい」
 一応店の奥に声を掛けると、呆れたような母の声が返ってきた。とりあえず適当に言葉を濁して、岬は外へと出た。達彦は同じ場所に立っていて、岬を待っているようだった。彼の半身が提灯の明かりに照らされている。
「何?」
「ちょっと。見せたいものがある」
 達彦はそれだけ言うと、岬に背を向けた。ついてこいという事だろうか。そのまま彼は通路を歩きだすので、岬も訳が分からないままに彼の背中を追い掛けた。達彦はぐるぐると通路を降りて行く。岬もそれについて歩いていく。ぐんぐんと達彦が歩いていくので、自然と早足になる岬の周りでは、ぐるぐると照らされた提灯が一緒に回っていた。
「ちょっと!」
 昔は岬の方が背が高かったのに、ほんの少し前から、あっという間の勢いで達彦に背を抜かされてしまっていた。達彦が驚いたかのように肩を震わせてこちらを振り返る。
「ごめん」
 岬が何を言いたいか分かったのだろう、彼は少しだけ眉根を寄せて、岬が追いつくのを待ってくれた。岬は小走りで彼に、ようやく追いつく。
「見せたいものって何?」
「ん? こっち。本当は朝に見せたいんだけどな」
「朝って……、今夕方だけど」
「だから。今言っておかないと、朝起きてこないだろ」
 当たり前の問いにさらりと返され、岬は答えに詰まった。確かに、岬は朝に弱い。こうして予め教えて貰わないと、起きる気にさえならないだろう。
 やがて達彦は、ぐるりと回っていた道から一歩それて、ひとつ階段を降りていった。その階段は岬も知っている場所だ。確か、行き止まりになる場所では無かっただろうか。そんな岬の予想通り、階段をしばらく降りたところで、その通路は突然に灰色の壁に塞がれていた。この都市では、そういった途中で道が途切れている場所などはたくさんある。どうしてかは岬も知らない。ただ、そこにあるだけなのだ。
 どうするのか、達彦は岬の押し隠した問いかけに答えるかのように、隅に寄っていきなりしゃがみ込んだ。何をしているのだろうか、彼の広い背中がこちらを向いているので、達彦がしゃがみ込んで何をしているのかは分からない。
 だが、彼がしゃがみ込んでしばらくして、岬が立つ場所の横で、突然の変化が起こった。石が動く大きな音がして、壁が動き出したのだ。
「え、えっ?」
 訳が分からずただうろたえるだけの岬の横で、達彦は冷静な表情を崩さずに立ち上がった。思わずその横顔を見つめるが、それについて何かを説明してくれる気は無いらしい。
 動いた石は、隠し扉になっているようだった。ぽっかりと開いた扉の向こうで、また小さな小道が続いているのだ。
「こっち」
 達彦は落ち着いたまま、混乱している岬の手を引いた。唐突に手を握られて、驚きばかりではあるが、それでも昔と変わらないままの達彦の手の温度に、どこか安堵している自分もいる。
 二人は両側に高いコンクリートの壁がそびえ立つ小道を進んでいった。どこへ向かっているのかはさっぱり分からないのだが、それでも坂を降りてどこかに向かっているのだろうということは理解できた。
 そして二人が降りていく坂道は突然に途切れ、目の前に不思議な空間がぽっかりと広がる。
「ここは……」
「ん? 家に伝わる秘密の場所」
 達彦は岬の手を離すと、ひとりでぐんぐんと歩いていきながらそう呟いていた。
 その場所は、ぽっかりと開けた、洞窟のような場所だった。ただ、天井が開いていて空が見えるので、どことなく開けたという印象を抱くのだ。そして、その空間の中央は池のように、水が一杯に満ちていた。
 その池を覆うかのように、丸く、縁が僅かにぎざぎざとなっている葉が幾つも浮かんでいる。
「蓮?」
「お? よく知ってるな」
 そこに浮かんでいるものに即答した岬に、達彦は驚いたかのような声を上げた。だが、その時、達彦よりも驚いていたのは岬だったに違いない。
 この蓮を私は知っている。唐突にそう感じたのだ。正確に言えばこの場所、だろうか。そう思った途端、不意に懐かしさのようなものが胸いっぱいに溢れ出る。この近くに海はないはずなのに、鼻に潮の香りを感じていた。
「ここ、知ってる」
「え?」
 岬の口から唐突に出た言葉に、達彦は訝しげな視線を向けてきた。自分でも何を言っているのだ、とは思うのだが、次々に口をついて出る言葉は止まらない。
 私はこの場所を知っている。
「深い深い海の底で、いつも光を見上げて暮らしていたこととか、薄暗いけどすごく心地のいい場所のこととか。ある日、どうしても光に憧れて地上に顔を出してみると、少し遠くで、桃色の花が朝日にきらきらと輝いているのが見えて、泳いでいく記憶とか」
 そして、塩辛くないその普通の場所で、その花を育てている人に、これは蓮の花ということを教えてもらうのだ。
 ぶわりと浮かんできた何かはそこで途切れていた。岬は浮かんできたそれを話すのに夢中になっていたが、ようやく話すことが途切れて口を噤むと、今度はまた別の感情が襲ってくる。何よりも、達彦が呆気に取られたような顔でこちらを見てくるのが、唐突に怖くなったのだ。
 こんな事を突然言い出したりして、軽蔑したりしないだろうか。色々な感情に襲われて何も話すことができず、しばらく不自然な沈黙が続く。
 そんな岬の考えを読み取ったのか、沈黙を破ったのは達彦だった。彼はふと目元を和らげると、いつも通りに笑みを浮かべる。その表情は、いつもぶっきらぼうな彼が時折みせる笑顔そのもので、岬は少しだけ安堵する。
「もしかしたら、岬は昔、人魚だったのかもな」
 達彦はそう言うと、蓮の近くまで歩き、座りこんだ。その座りこむ姿が、また記憶の中にある何かと重なった気がして、岬は思わず目を細める。
 人魚の伝説。それはこの都市に住まうものならば、小さい頃のおとぎ話に必ず聞くであろうものだった。かつてこの辺りは、この都市も含めて海の底で、この穴の中で人魚達が暮らしていたという伝説。
 十六になる今となってはそんなことを思う訳もないのだが、小さい頃はその伝説を聞いて、自分は人魚の末裔なのではないかと密かに思ったものだ。
「人魚の伝説には、続きがあってさ」
 達彦は口を開き、その続きを話し始めた。この海の近くで暮らしていた若者は、蓮を海水で育てる方法を探りながら、色々な植物を育てて暮らしていて、出会った人魚にその蓮の種を渡した。人魚はすみかにそれを持ち帰り、若者に毎日育て方を聞きながら育てていた。二人の仲が深まると同時に蓮も育っていき、無事に蕾を付けた。喜んだ人魚は若者に報告しにいくが、若者は姿を見せなかったという。そして代わりにその辺りに漂っていたのは、無残に散った蓮の花と、人魚を捕まえるための罠の匂い。そして、人の血の匂い。
「……その人は、人魚を守ったのかしら」
「さあな。何があったのかは分からない。だがこうして、隠されるかのように蓮の花が育てられているのも事実だしな」
 達彦は穏やかな顔で、蓮の調子を確かめているようだった。岬はそんな彼の隣にしゃがみ込む。
「どうして、私に見せようと思ったの? 内緒なんでしょ」
「どうしてだろうな」
 達彦はうそぶく様子もなく、淡々と答える。どうやらその言葉の裏に何かあるようには見られなく、本当にその理由は達彦にも分からないのだということが読み取る事ができた。
「ただ」
「ただ?」
「……俺達がまだ今までのままでいるうちに、お前に見せたかったのかもな」
 彼はかなり躊躇ったような間を置いて、ぽつりと呟いた。その言葉に岬が何も答えなかったので、静寂の中に達彦の言葉だけがゆっくりと浮かんでいるようにも感じられる。
「もし、私が人魚だったら、自分の力で好きなように泳げたのかしら」
「さあな」
 もし自分が人魚だったのならば、自分の明日、自分の未来をその尾ひれで決めることができたのだろうか。ぼんやりと海の光が目の前に浮かんで、何故だかつんと鼻の奥が痛くなった。
 このままでいることができたら、良いのに。その言葉が浮かんできたが、結局それは岬の喉元で止まり、口から出ることは無かった。それを口に出すと、なんだか何かに負けてしまうような気がしたからだ。
「朝、どれくらいに来れば見られるの?」
「ん? そうだな、うんと早い。陽が昇る頃」
「早いね……」
 気を取り直すように達彦に尋ねると、彼は視線を空中に彷徨わせてそう答えた。予想よりも随分と早い。これは起きられるだろうか。
「よし、分かった。じゃあ明日朝ちゃんと起きるから、達彦もまた連れて行ってね」
「……ああ」
 岬がその時間の早さに、結局来ないかと思っていたのだろう、達彦は最初ぽかんと口を開いていたが、やがてゆっくりと口元を緩めて、小さく頷いた。
 空が茜色から藍色に変わろうとしている。茜色に染まっていた蓮も、ゆっくりと夜の眠りに付くのだろう。また明日ここに来るころには、違う蓮の表情が見られるだろうか。
 岬はゆっくりと立ちあがった。そろそろ戻らないとならない時間だ。達彦もゆっくり立ち上がる。
「行くか」
「うん」
 二人はゆっくりと歩き出した。明日の朝、最後に岬は自分の意志で、蓮の花を見に行くのだ、という想いを胸に。
 明日――、岬は十歳の時に決められた許婚の家に、嫁いでいく。
 その許婚が暮らすのは、二人が今住む場所よりもずっと高い店だ。だからきっと、こうして二人並んで歩くのも、最後になるのだろう。
 二人並んで歩く先には、長い影が伸びていた。  
 (了)

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