平凡な日々
西暦2017年3月19日 14時00分
峰雪 美咲はこのとき、福岡市の中心である博多にいた。
ごくまれに、福岡市とは別に博多市が存在すると思っている日本人がいることで知られる博多だが、それは間違いだ。博多は、福岡市内部の一地名に過ぎない。
さて、そんな福岡市は人口約150万人。福岡県のみならず、九州全体でも最大の人口を誇る政令市だ。位置的には東京や大阪よりも大陸に近く、アジアへの玄関口と言っても過言ではなった。実際、福岡国際空港、博多港共に外国人入国者数が日本有数。とくに博多港は、外国航路の旅客数日本一である。
そんな福岡に、遠路はるばる群馬県の自宅から美咲がやって来た理由。それは簡単。友達に誘われたからだ。
誘ったのは、大佐古 実花。高校の同級生で、18歳。形式的には、この3月31日で高校を卒業することになるのだが、卒業に必要なカリキュラムはすでに終えているため、友人たちと一緒に観光に出ることにしたのだった。
そして、実花が誘ったのは、美咲一人ではなかった。もう一人、仲の良かった同級生、藤岡 結衣もこの場にはいた。
三人が旅行先に福岡市を選んだ理由は単純。福岡の沖合に突如として出現した、光の柱を見に来たのだ。
だが、
「なんだかなぁ」
美咲は一人、やる気のない呟きを漏らす。彼女の服装は、学校指定の紺色のセーラー服……などということは勿論ない。
ボトムスに、デニムのホットパンツ。トップスは白のTシャツ。いくら南国九州とは言っても、三月にこれだけでは寒いので、カーディガンを上から羽織っている。色は、春をイメージして桜色をチョイスしていた。
口の悪い姉には「まるで売春婦みたい」と評されたりもしていたが、本人はこの格好に満足していた。もともと彼女の姉は、大学を卒業した後にも定職につかず、家事手伝いをしているニート予備軍みたいな存在。仲が悪かったこともあって、無視したのだった。
大体、ホットパンツの何が売春婦だというのか? みんな穿いてるのに!
さて、そんな美咲が今いるのは、博多港に一際高くそびえ立つ博多ポートタワーだった。
ごくごく平均的な女子高生である美咲は知らないことだが、このタワーの全高は約百メートル。塔博士の異名を持つ建築家、内藤 多仲によって設計されたものだ。同じく内藤博士によって設計された東京タワーや通天閣とともに、タワー六兄弟として知られる。竣工は1964年。タワー六兄弟の中では最も新しく、末っ子と評されることもある。
タワーの外観は、赤色の鉄骨を組み合わせたもの。東京タワーを半分に切って、その上部に展望台をくっつけたかのような、一目見ただけでは「奇妙」とでも評すべき、奇怪な外形をしている。
そんな博多ポートタワーの展望台からは、博多湾や福岡市内が一望できる。その眺望は中々の絶景といえた。
その展望台において、彼女は一人だった。実花と結衣の二人はここにはいない。トイレに入ったからだ。美咲は一人、荷物の留守番をしているのだった。
福岡に来たのは、単にニュースで光の柱が話題に上っていたから。まあ、それ自体はべつに構わない。中の良い友人との旅行であるわけで、正直言って行き先云々は後付けに過ぎなかった。
従って、肝心の光の柱がショボくても別段何の問題もない……
……わけでは、無論ない。
そう、この光の柱。単に赤色に発光しているだけなのだ。しかも、霞んでいる。PMだの黄砂だのという空気の汚れが悪さをして、視界を妨げているのだ。従って、タワーからの眺望は余り良いとはいいがたい。むしろ、はっきり言ってショボい。
それでも、なお、柱本体は光っているだけあって、霞越しにもある程度は見れる。むしろ、霞んでいるせいで却って幻想的な美しさを醸し出しているとも表現できた。したがって、最初見たときは心を奪われたものの……だからと言って五分以上見つめていて楽しいかと言われるとそうでもない。
何せ、ただの光ってる柱だからだ。
彼女は飽きっぽい性格だった。
そんな訳で、柱の写真を撮ってインスタグラムに投稿してしまった後は、やることがなくて暇になってしまっていた。
「早く戻ってこないかなあ、二人とも」
そう呟きながら美咲は、柱を見つめる。そのときだった。柱が変色し始めたのは。光の柱がゆっくりと赤紫へと変わっていく。そして変色は、一旦始まると瞬く間に進行。あっという間に紫になり、青紫へ。そして、青色になった。
「へー」
つい先程まで、光の柱には飽き飽きしていた筈なのに、唐突に起こったサプライズ現象に思わず感心した声を出してしまう。
そして気付く。
「あ、カメラ回してないや」
でも、ま、いっか。
年頃の少女が見せる気紛れを、美咲もまたいかんなく発揮。あっさりと気持ちを切り替えて、スマホを鞄から取り出す。カメラを起動。パシャリという電子音とともに、青く変色を果たしたばかりの柱を撮影。
早速、ネットに投稿しようと、アプリを起動。
「あれ?」
しかし、そこで気づく。スマホが圏外になっていることに。三年前の高校進学時に、両親を何とか説得してやっと買ってもらえたスマートフォン。機種は、IPhone 5c。購入時点では最新機の一つであり、両親はより安価な前世代機を勧めていたのだが、それを何とかゴリ押しして買ってもらった一台だ。
しかし、その後、スマホに熱中しすぎて成績が低迷。激怒した両親に、危うく没収されかけたことも何度か。
そんな思いで深い(?)スマホ画面の左上隅。そこには、『圏外』という無情な二文字が表示されていた。
「なんでだろ? 最近調子悪いな~」
今日の昼までは普通に使えたはず。それなのに、ここ数時間、妙に調子が悪い。圏外になったり、ならなかったり。断続的に不通になっている。
「うーん? アンテナが少ないのかな、福岡って」
そんなことを考えてみる。しかし、ここは腐っても都市部。周囲にはビルもたくさん立ち並んでいる。電波は来ているはず。
しかしながら、現にスマホには、圏外と表示されている。実際、ネットも通話もできない。奇妙な話だった。
故障かな?
と、一度ならず美咲は疑問に思う。しかし、どうやら福岡に来てからというもの、友人たちのスマホも調子が悪いみたいなのだ。
となると、スマホ本体よりも、電波の方が疑わしい。
取りえず電波をキャッチしようと、スマホを上下左右に振り、色々と角度を変えてみる。しかし、上手く行かない。圏外のまま。
「ま、仕方ないか」
十秒ほど、試行錯誤を繰り返したのち、美咲は早々に原因究明を諦めた。何と言っても彼女は、二十一世紀日本の平均的な一般人に過ぎない。カメラだのテレビだの自動車だのについて、その原理を一々考えたことは無いのだ。動くモノは動く。動かないモノは動かない。それが文明の利器に対する、彼女の認識だった。
諦めてスマホをバッグに戻す。そのとき、
「ごめーん。まったー?」
と声がかかる。その声は友人のもの。全く悪いとは思ってなさそうな、軽い口調だ。その口調にかすかな不満を抱きながら、美咲は友人を振り返る。
当然ながら、そこにいるのは友人たち。実花と結衣だ。しかしながら、先ほどまでとは異なる点がある。服装だ。散々待たされたわけが、これで分かった。二人とも着替えていたのだ。
実花が着ているのは、赤のワンピース。スカートの縁には白のフリル。150センチという低身長。まるい童顔にくりくりした瞳。毛先に軽いウェーブが掛かった栗色の髪。中々に可愛らしい外見ではあるのだが、頻繁に小学生に間違えられるのがコンプレックスになっているらしい。
一方の結衣。こちらはかなり大胆な格好に着替えたようだ。トップスのチューブトップはかなり幅が小さく、胸の谷間とヘソを露出している。ボトムスには、股下ギリギリの際どいマイクロ・ミニ。下手をすると、ほとんど痴女みたいにも見える格好。しかしながら、結衣には似合っていた。170センチ強の高身長と、Gカップと噂されるバスト。モデルのようなスタイルの良さのためだろう。
「おそいよー、二人とも!」
頬を膨らませて、二人に不快感を伝える。
「だからごめんってー」
実花の謝罪。その子供っぽい顔には、全く謝罪の色が見られない。
そのことに美咲の不満はさらに高まり、僅かに眉が上がる。
どうやら、その変化に気付いたらしい。
結衣の方は両手を合わせて「メンゴ、メンゴ」と謝罪する。メンゴなどという半ば以上死語になっている言葉を使うあたり、まだふざけているようにも見えるが、驚くべきことにこの友人は本気だ。そのことは表情を見れば明らかだ。
直情的で、隠し事の苦手な結衣に、腹芸など無理なのだ。従って、悪いと思っていることは間違いないし、謝罪する気もちゃんとあるのだ。
現代日本の女子高生(今のところは)としては、死後使いが自分の友人にいるというのは恥ずかしいから止めて欲しかったりもするのだが……。困ったことにこの友人、何十年も前のドラマをDVDで見るという、中々に奇特な趣味の持ち主なのだ。従って、死語と知らずに死後を発することがわりとある。今回も、そのケースだろう。
そんなわけで美咲は、友人の謝罪を受け入れることにした。
「うん。謝ればそれでよろしい」
そう言って、反省の色が皆無なもう一方の友人、実花を軽くにらむ。だが、
「ごめんねー、ミサキチ。悪いのはユイユイだから」
実花の方は知らぬ顔。空とぼけてあらぬ方向を向く。そんな実花の頭を、「こらっ」と結衣が小突く。
「いったーい! あたまが割れたらどうするのよー。バカになっちゃうじゃなーい」
大袈裟に頭を押さえた美香が、結衣へと抗議する。
「大丈夫だ。それ以上バカになることは多分ないから」
結衣はそう言って、実花のおふざけをばっさり切り捨てる。
「いーだ。ユイユイのばーか。そんな格好して、修羅の人に襲われるんだからー」
「?」
実花の発言が理解できないらしく、結衣の顔にはクエスチョンマークが浮かぶ。そんな結衣に実花は「ちっちっち」と人差し指を振りながら、親切に解説する。
「この福岡はねー、修羅の国なんだからー。ロケットランチャーぶっ放されたりとかー、コンクリ漬けにされたりするってー、ネットに書いてあったんだからー」
妙に間延びする台詞で、阿保なことを言いだす実花。
「実花」
そう言って、結衣は実花の方に両手をおく。
「何かなー?」
可愛らしく小首を傾げる実花。
「ネットのやり過ぎ。日本でそんなこと。あるわけないでしょ」
結衣はそう断言する。
だが、この台詞に反応するものが一人。通りすがりのハゲ頭のおっさんだ。「ん?」と奇妙な表情を浮かべている。
もっとも、オッサンが反応したのはそれだけ。そのまま手に持った書類とともに階段へと姿を消した。
「え? 今のオッサン? なに?」
そんな美咲の台詞に、実花が反応。
「変態さんだよー。あそこの陰からユイユイのこと、ジロジロ見てたもーん」
そう言って実花は、巨大な立看板を指さす。
「こらっ。気づいてたんなら教えなさいよ、あんた」
結衣がそう言って、実花に詰め寄る。だが、当の実花はどこ吹く風。
「えー。いーじゃーん。減るもんでもないしー」
「そう言う問題じゃないでしょ」
「そう言う問題ってー、どういう問題なのー?」
「どういうって……それはその、つまりだな……」
「ほらー。自分でもわかってないしー。ぶーぶー」
漫才じみたやり取りを始める二人。
何だかなー。そう思いながら美咲は、ごういんに会話をうち切ることにした。
「要するに男は変態ばかり。寄るな危険ってことでしょ。そんなことよりほら、はやく次に行こう」
そう言って、美咲はそそくさとエレベーターに向かう。
「うむ。美咲がそう言うんなら」
結衣はそう言って、美咲の後をついて行く。
取り残された実花があわてて二人の後を追う。もちろん、減らず口を叩くのはいつものとおり。
「そうなんだよー。二人ともー。そんなに肌を出しちゃってー。福岡だよー。野蛮なんだよー。いつ襲われても知らないんだからー」
「こらっ。変なフラグを立てるな」
結衣のゲンコツが再度炸裂。実花を成敗する。
「えーん。フラグなんて言うのがフラグなんだからねー」
実花が負け惜しみを言う。
そのとき、視界の端で何かが光った。それが何なのか気になった美咲は、窓の外を見る。そこにあったのは鈍い光。場所は光の柱付近。黄砂でぼやけている中、オレンジ色のにぶい明かりが見える。
なんだろう?
美咲がそう思ったのは一瞬だけ。すぐに関心を失うと、エレベーターへと向かう。