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序章 『短編集』
『怪人ヒーロー』 其の五(ファンタジー)
 待たせたな。……そんな斉藤の言葉にも、青年は頷きを返すことさえしなかった。
 ときおり差し込む閃光がソファに腰掛ける青年のシルエットを際立たせる。来客を前に立つこともなく、ただ肩を丸めて、目の前の男を見ていた。
 感情の篭らない瞳で。人と人の対面ではないかのように。
「話をしにきたのだ。たける。お前も少しは口を開いたらどうだ」
「――話、なぁ」
 短い言葉には嘲笑うかのような色が混じっていた。ただ表情がない。それは異質さだけの伝わる振る舞いだった。
「答えはなんとなくわかっているよ」
「そうか。ならば話は早い。
 お前は、お前のやろうとしていることから手を引け。今ならば間に合う」
「間に合う? 今更、何が」
 猛は静かに手を胸に当てた。
「俺の道はもう終わっているんだ。誰かさんが自分の身可愛さに、ハデスの右腕から逃げた日にさ」
 無機質に嘲り笑う青年の脳裏には、彼と、彼の父親の転機となった日の映像が克明に浮かんだ。色あせることなどなかった。言い表せない負の感情が、忘れることを許さなかった。
 父親の背中に憧れてヒーローを志した日々。
 そして父親の“失態”で、ヒーロー学校を追われた日。
 百や千では数えられないほど夢に見た在りし日の自分が、いまも彼の目には映っていた。
「俺はあんたみたいになりたかった」
 青年は斉藤に正対していた。しかし目は、どこか遠くを見ているかのようだった。
「大切なもののために戦うあんたに憧れた。命を賭けて、正義の旗を背負って戦うあんたを目指していた。
 努力は血が滲むくらいした。難しい試験を掻い潜るために失うものだって多かった。それでもヒーローになりたかった。ジャスティスブルーである父親を、それに俺がその息子であることを誇りに思っていたから。
 それが夢の終わりにつながるとも知らずに。
 馬鹿みたいに。あんたと同じヒーローになって、いつか並んで戦うんだって」
 ――それは斉藤にとっても耳に覚えのある言葉だった。
『父さんみたいになるんだ』
 少年は真っ直ぐに父親と向かい合って決意した。輝きに満ちた笑顔だった。
 目の前に掲げられた少年の拳に、斉藤は黙って、自分の拳をつき合わせた。
 弱い手だと思った。けれどいつか強くなる手だと思った。
 しかし目の前の青年にかつての輝きはない。そして、ずっと彼を支えてきた前向きな心も、どこかへ置き去りにしてきたとしか斉藤には見えなかった。
「全部が終わって、俺には力だけが残った」
 猛の腕に青く太い筋が入る。暗闇に浮かぶ姿が、心なしかはっきりとした輪郭を帯びてゆく。
「敵を倒すための力。破壊のための力だけが残った。
 もうそれを誰かのために使おうなんて思わない。けどせめて俺たちを追い込んだ世界に傷をつけて終わってやる。
 ヒーロー学校にいた頃より腕を上げた。怪人も揃えた。あとは元ジャスティスブルーのあんたが戦力に加わればと思ってたが」
 そこで言葉は止まった。最後の沈黙だと斉藤は悟った。
 しかし覚悟があるのは彼とて同じ。
「それでも、私はお前を止める」
 斉藤の言葉には、わずかな揺らぎもなかった。
「そうか。戦う気概に満ちた昔のあんたはもういないか」
 猛が腰に手を当て、ソファを立つ。
「さよならだ」

 雷よりも明るく、速く閃光が走った。
 ビームサーベルの青い刃が床へと突き刺さる。真っ二つに切断されたテーブルは重心を失い、鈍い音を立てて崩れ落ちた。
 同じく両断されたソファから、三歩を離れた位置で斉藤が身を構える。不意の一撃を文字通りの超人的な反応によって彼は回避していた。
 そしてサイレンが室内に響く。甲高い音。斉藤も聞いたことのあるこの音は、怪人の発する泣き声に良く似ていた。
 “呼び寄せるつもり”だというのは考えるまでもなかった。
「避けたか。流石に。
 しかしいつまでもかわしきれるだろうか。現役を退いたあんたが、怪人を十体も相手にしながら」
 サーベルを構えた猛は手押しボタンを放り投げて、テーブルの残骸を蹴った。
 怪人を呼び寄せ、なおかつ猛が斉藤を襲う。それは斉藤にとって最も避けたい事態だった。しかし同時に最も警戒されていた事態でもある。
 外に配置させたのはそのための二人だ。
 任せたぞ。
 決意の半分を預けた二人へ、斉藤は無言の激を飛ばした。


 異形の者たちが洞窟から這い出た直後、視界の覚束ない夜の森に火花が散った。
 本当に突然のことだった。彼らの周りを三つ、四つほどの影が囲んだかと思うと、先頭を歩く者がビクン、と上体をのけぞらせ、一呼吸の間を置いて、膝からぬかるみへ崩れ落ちたのだ。
 何が起きたかは彼らにもわからなかった。
 ただ発作的な何かではなく、攻撃を受けたことだけは、本能が理解した。

 怪人たちの雨音をかき消すような咆哮が、雨に打たれる木々を震わせた。
 火蓋は切って落とされたのである。

「――来るわよ」
 チューブの繋がったマスクを口に当て、藤見はガス筒を放り投げた。そして周りの“部下たち”に指示を出し、満ちてゆく煙へ紛れてゆく。
 サバイバルスーツに身を包み、藤見と同じくマスクで顔を覆った集団は身を低くして、怪人の突撃を待ち構えた。一部は足元の濃霧に。一部は木の陰に。その数は八十を越える。
 戦闘は随所で同時に始まった。
 特殊部隊の様相を呈した集団が怪人一体につき五~七名のスタンスで応戦。武器は様々だが、触れた敵に電撃が流れるよう改造が施されていた。
 怪人の耐久は個体によって違うが人間の打撃では基本的に大きなダメージを与えられない。戦闘開始と同時に撒かれたガスと同じく、種族の力の差を埋めるための戦い方だった。
「――藤見」
「なあに」
 手のひらで耳を覆い、イヤホンから入る声へ耳を傾ける。
「AとDチームが応戦する敵がやや手強い。BとFの人員をそっちへ。
 Cのヤツはガスに弱いみたいだ。雨で効果がだいぶ薄れてるけど、もうすぐ落ちる」
「了解。指示、ご苦労さま」
「そっちはどうだ」
「んー……」
 唸りながら、再び藤見が正面へ意識を戻す。全身緑の毛で覆われた獣の怪人が、その爪を藤見へ向けていた。
 鉄をも裂く爪が藤見のヘルメットに触れる。しかし止まった。本当にピタリと。スタンガンを仕込んだ藤見の靴が怪人の腹へとめりこみ、敵が動くのを許さなかったのだ。
「まるで問題なし」
「そうか……。でも油断は無しだ。
 近くにいるよな。一度そっちへ行く」
 ため息を吐くようにして滝塚は通信を切った。
 所長やハデスの右腕クラスの怪人がいないとはいえ問題なしとか、どうかしてる。
 滝塚は相棒の強烈さに半ば呆れながら打ち合わせ地点へと走った。辿りついたとき、藤見は両腕に銃のついた怪人と応戦していた。足元にはすでにヒグマのような怪人が一体、意識を失っていた。
「待ってて。もうすぐ終わるからさっ」
 敵の発砲を回避しつつ藤見が笑う。藤見と敵との距離は徐々に詰められていた。見るに敵は遠距離攻撃を得意とする怪人だった。藤見の攻撃範囲に入れば勝負は決まりだろう。
 それが分かっているのか、藤見の表情にも余裕が見て取れた。
 しばらく続いていた敵の発砲が止む。藤見はチャンスと見たのか、敵へ距離を詰める構えを見せた。
 そのときだ。敵は銃口を振りかぶると、物凄い勢いで藤見の方へと走った。
「――そっちから来るの。蹴りに行く手間が省けたわ」
 バチ、と爆ぜるような音を立てて藤見のつま先が地面を叩いた。敵の銃身が藤見の頭を割るのが先か。藤見の蹴りが敵に入るのが先か。これまでの攻防から見て結果は火を見るよりも明らかだった。
 しかしそれでも滝塚は躊躇いなく叫んだ。
「触るなっ!」
 電撃の靴が敵に触れる寸前のところで、藤見は足を引き、回避へと体制を変えた。ほとんど反射だった。滝塚が叫んだ意味も何も理解できてはいなかったが、身体が自然と相方の指示に従って動いていた。
 敵の攻撃が藤見の身体を外れ、すぐ背後に立っていた樹木を打つ。
 その瞬間。
 敵の全身から吹く爆炎が木の幹を抉り、葉を焦がした。
「……自爆?」
 唖然とした表情で火柱を見つめる藤見。滝塚は「油断するなって言ったろ」やはり呆れ顔でため息を吐いた。
「斉藤の方も心配だ。そろそろ俺はそっちのカバーも入りたいんだけど、本当に任せて大丈夫か」
「え、ええ。もちろん」
「分かった。じゃあ行ってくる」
「ちょっと待って」
 もう踵を返しかけた滝塚を藤見が慌てて制する。
「どうしてあいつが自爆するってわかったの?」
「ああ……少し考えただけだよ」
 滝塚が肩にかかる火の粉を手袋で掃う。
「敵と藤見の力の差は明らかだった。それに敵は遠距離攻撃を得意としていた。
 にもかかわらず逃げずに距離を詰めてきたのは、その行動に何か勝算があるからってことだろ。
 そんな奴を迂闊に攻撃するもんじゃないさ」
 じゃあ、行くな。そう残して滝塚は戦場を離れた。新たな戦場へ向かうために。
 その背中に見送りの言葉をかけながらも、藤見は動悸を抑えるのに必死だった。
 もしも滝塚が敵への攻撃を止めなければ……。抉れた大木の幹が、あのまま攻撃を続けていた場合の未来を物語っている。
 死んでいた。私は。
 紙一重のところで命を助けられたのだ。
「借りができちゃった」
 少し小さくなった青年の背中に向けて、小さな呟きが漏れる。
「――ありがと。いつか必ず返すから」
 言葉が終わったとき、藤見はもう前を向いていた。


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