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作中連載『箱庭の少年少女』第二話前編。
字数は3000字を越えております。ご了承ください。
序章 『短編集』
第二話 前 『ふたりきりの試験勉強』(ライトノベル)
「なあ、頼む。うちの妹に勉強を教えてやってくれないか」
 期末考査を控えた梅雨明けの日の正午過ぎ。友人とともに昼食のひとときを楽しむ俺の元へ、サッカー部の工藤先輩が息をせき切ってやってきた。
 マイペースな先輩らしからぬ態度にただならぬものを感じ教室を離れる。先ほど購買で買ったばかりのミネラルウォーターを手渡すと、先輩はほとんど一気に喉の奥へと流し込んだ。
「ふぅ。――すまん。梶本」
「いえ。
 それで何事ですか。そんなに焦って」
「さっき……進路指導の先生に言われたんだが……」
 さすがは運動部のエースといったところか。ボトルを放して顔を上げた先輩の顔からは汗が引き始めていた。しかし表情は相変わらず曇ったまま、事情が話される。
「このままじゃ、うちの妹が留年になる」
「なぎささんが?」
 ――先輩の話を要約するとこうだ。
 先輩の妹であり俺の同級生でもある工藤なぎさは、ただいま諸々の事情により絶賛引きこもり中である。
 中学三年の受験までは普通に登校していたため進学に支障はなかったのだが、この学校の高等部に進学して三ヶ月の間、彼女は一度も学校の門をくぐっていない。
 そのため進級の可否を断ずる中間考査も未受験であり、成績は赤点以下のからっきし。もしも次の期末考査まで未受験となると、その時点で彼女の留年が決まってしまうのだそうだ。
「――残念だけど俺の頭じゃとてもなぎさに勉強を教えてやれない。
 だから梶本。期末考査の間まででいいから、お前になぎさの家庭教師を頼みたいんだ」
 梶本も忙しいだろうけど……そう付け加えて先輩は頭を下げた。
 もちろん俺は先輩の頼みとあらば断るつもりなどない。なぎさとも一応は見知った仲だ。嫌なわけでもない。
 だが果たして役に立てるだろうか。その懸念が大きかった。
 ただクラスメイトに勉強を教えるだけの話ではない。人ひとりの進級がかかっているのだ。いうまでもなく学習指導のキャリアなどない俺がこの重責に見合った働きをできるだろうか。
「家庭教師とか雇ったら駄目なんですか」
 不安と重圧からそんな提案をしてみる。しかし先輩は「金がない」とすっぱり断じた。
「それになにより、教わるのがあのなぎさだ。病的人見知りのあいつが初対面の人間とマンツーマンで勉強なんかできるわけないだろ」
「確かにそうでしょうね」
 学力を伸ばすことに気をとられて単純なことを見落としていた。
 クラスメイトである俺でさえまともに会話ができるまでに二ヶ月くらいかかったっけな。どれだけコミュニケーションに長けた家庭教師だろうと、十日後の期末考査までになぎさと打ち解け、勉強に集中をさせるのは難しいだろう。
「わかりました。お役に立てるかどうかはわかりませんけれど、やれるだけのことはやってみます」
「おお助かるよ!
 サンキュ! 梶本!」
 そう言うと先輩は満面の笑みを浮かべて俺の両手を取った。
「なぎさには俺から話をしておくから」
 それから俺たちは少しだけ打ち合わせをして別れた。
 廊下に響く予鈴の音に混じって、外からかすかに蝉の鳴き声が聞こえた。
 
 
第二話 『ふたりきりの試験勉強』


 先輩から依頼を受けた次の日の七月二日。工藤家のリビングに三人の人間が顔を合わせた。
「それでは第一回“工藤なぎさを進級させる大会”を開催いたします!」
 わー! という声とともに拍手が沸き起こる。もちろんテンション高いのは先輩だけだ。俺となぎさは手を叩くだけにとどめていた。
「それでは本大会の目標を確認するぞ。
 目標はなぎさの期末考査突破。それまでに十一科目すべてのテスト対策を行ってゆこう。
 なぎさの中間考査はすべて零点の扱いだから、留年を防止するためにはすべての教科で五十点以上を取る必要がある」
 いつのまに作ったのか、先輩がフリップを掲げてルールの確認をする。
 うちの学校では中間と期末の合計点(最高二百点)のうち、五十点をすべての教科で獲得することが進級の基準とされている。
 なぎさは中間考査が未受験のため、今回の期末考査だけで全教科五十点越えを達成しなくてはならない。
 これがなかなか簡単な話ではなかった。定期テストは授業で扱った内容から出題される。授業に出るどころか一度も登校すらしていないなぎさが五割以上の得点を、しかも全教科で取るには時間が足らなすぎる。
「今回は学校カウンセラーの零ちゃん先生に頼み込んで別室受験を認めてもらったから、とりあえずは集中して受験できるはずだ。
 あとはうまいこと勉強するのみ。
 俺は明後日まで静岡に行かなくちゃならないから、梶本の指示で効率よく勉強をさせてやってほしい」
 なぎさと俺がうなずき肯定の意思を示す。
 ちなみに先輩はサッカーの選抜合宿に出るのだそうだ。テスト週間間際とは言え、特待生として在学している先輩が合宿に出ないわけにはいかない。
「そこでもうひとつ大事な話だが……」
 先輩が改まって表情を引き締める。
「お土産は何がいい?」
 思わず呑んだ固唾が戻りそうになった。
「だってせっかくの静岡だぞ? なぎさが欲しいものならお兄さん何でも買ってきちゃうぞ!
 さあなぎさ! 何が欲しい?」
「え……別に」
「遠慮するなよ! なぎさは甘いもの好きだよな。
 うなぎパイか? うなぎパイが欲しいのか?」
 先輩の妹バカが炸裂する。
 うっとおしそうではないが苦笑いのなぎさと先輩を尻目に、俺は参考書を開いた。なるべく時間は有効に使いたいからな。雑音をシャットアウトして文字に集中する。
「――それじゃあ色々買ってくるよ。梶本にもなんか買ってくからな。うなぎパイとか」
「はい(生返事)」
「実技科目とかもしっかり頼むぞ」
「はい(生返事)」
「ただし二人っきりになるからって保健体育の実技とか始めようとしたら許さんからな」
「はい(生返事)」
「ちょ、ちょっとお兄ちゃん!?」
 いままで言葉の少なかったなぎさが急に声を張り上げる。頬はほんのりと赤らんでいた。よく聞いていなかったからわからないが、先輩のことだ。きっと何かしら冗談でも言ったのだろう。
「冗談冗談。
 ――おっと、そろそろ時間だ。それじゃ二人とも、勉強しっかりな」
 そう言い残して先輩がボストンバッグを担ぎ、玄関へと出て行く。俺は参考書をたたみ、玄関まで先輩を見送った。
 そしてリビングへと戻り早速、なぎさと向かい合う。
「それじゃがんばろうな。五教科だけじゃないのがちょっと大変だけど。芸術とか保健もあるし」
「うん……。あ、梶本くん……」
「なに?」
 目線をそらし、もじもじしながらなぎさが口を開く。
「さっきの……冗談だからね」
「何が?」
 “さっきの”が何を指すのか、話を聞き流していた俺にはよくわからなかった。
 沈黙が挟まれると、なぎさが更に声を篭らせながら目線を落とす。
「保健体育の……その……はじめる、とか」
「ああ、保健ね。別に問題はないけど」
「え……問題ないって……」
 言うとなぎさはなぜか目を大きく見開いた。
 怪我をするまではプロのサッカー選手を目指して生活し、今でもサッカー部のマネージャーをしている俺は栄養学やスポーツ科学に関してそれなりの知識を持っている。
「別に教えられるぞ? むしろ得意科目だ」
「得意なの!?」
「昔はそれ関係で食べていくのが夢だったし」
 真っ赤になった表情を引きつらせながらなぎさがちらちらと俺の目を覗く。なぎさが言葉の真偽を判断するときにする癖だ。
「ほ、本気で言ってる……」
 さすがはなぎさの嘘アレルギー体質。俺の言葉が本気であることはことは見抜いて貰えたらしい。
 そしてその直後、
「わたしまだそういうのはその、高校生だし……そういう関係じゃないし……。
 その……ごめんね」
 なぜか謝られた。脳裏に無数のはてなマークが浮かぶ。
「まあ……よくわからないけど保健は後回し。
 時間のかかりそうな理数科目から手をつけようか」
「うん……」
 話を切り替えて参考書を開く。
 俺が該当のページを示す間もなぎさは落ち着きのない様子で、正座する足をよじらせていた。

「私はバターです」
「ええっ!?」
 暑さで頭がやられたかのような俺の発言に、なぎさの手からペンが落ちた。
「だ、大丈夫? 梶本君。お水飲む?」
「いや大丈夫。
 なぎささんが書いた英文なんだけど」
 赤ペンでチェックを入れた文章を提示する。
 “The butter is me.”
「バッター(打者)の綴りは“batter”ね。aとuが間違ってる」
 惜しいな。続く文章“However , my younger brother is a pitcher for a long time from the junior high school student.(けれど私の弟は中学生のころからずっと投手です)”はあってるのに。
「あ、そういうこと……」
 単純なミスになぎさは軽く頬を掻くと、すぐにノートへ正しい綴りを書き始めた。忘れないうちに記憶へ刻み込むつもりらしい。勉強の仕方はわかっているみたいだった。
 それに……俺は採点の終わった答案集を改めて見直してみる。
 英語リーディング 44点
 英語ライティング 47点
 日本史A 49点
 世界史A 52点 以下略
 昨年のものだから参考程度にしかならないとはいえ、先輩から借りた過去問をなぎさがここまで解けるというのは驚きだ。
 さすがに理数科目はほとんど点が取れていないものの、現代文や古文に関しては60点台をキープしている。
「なかなかの出来だ」
 まるで勉強に手をつけてこなかった者の得点ではない。そう思ってなぎさを褒める。するとなぎさはペンを走らせながら
「家でそれなりに勉強するようにはしてたから」
と、点数の種明かしをした。
「なるほどね」
 少しだけ希望が見えた気がした。
 まったくゼロからの状態で全教科五十点はかなり絶望的なハードルだったが、文系科目は今の時点でもそこそこの点が見込める。
 理数科目に絞って教えてゆけば間に合うかもしれない。黙々とテキストを読み込むなぎさを見て、俺も頑張らなくてはと思った。
「それじゃそろそろ休憩にしよっか。過去問六つもよく頑張ったね。
 お茶入れてくるよ」
「あ、私がやるよ?」
「大丈夫。座ってて」 
「あ……じゃあ冷蔵庫にケーキあるから」
 なぎさに言われて冷蔵庫の中を覗き込む。いや、覗くまでもなかったか。
 冷蔵庫の中央段には色とりどりのケーキが、ひぃふぅみぃ……たぶん十個くらいは並んでいたのだ。
「か、買いすぎだろう」
 どれだけケーキが好きなんだなぎさは。
 いや、違うか。なぎさは外に出ない。これを買ってきたのは先輩だろう。
 自由に使える金だってそんなにないはずなのに。妹バカここに極まれり、だな。
 とりあえずお茶とケーキどもをお盆に乗っけてなぎさの元へ運ぶ。
「お待たせ」
 声に反応したなぎさが顔を上げる。そして本日二度目となるが、またもペンを落とした。
「なにこれ」
「見ての通り。ケーキの群れです。
 なんと総計3200キロカロリー。丸二日はこれで食いつなげるぞ」
「身体に悪すぎるでしょう」
 この事態はなぎさも知らなかったみたいだ。ケーキを買っておいた、としか聞かされていなかったのだろう。
 唖然とするなぎさを一瞥してティーポットを傾ける。ぬるめの濃い茶がグラスの氷をゆるやかに溶かした。
「まあせっかくだし食べよう。日持ちするものでもないしね」
 そうして二人向き合い、紅茶を傍らにケーキをつつく。
 なぎさは珍しく屈託のない笑みを浮かべてケーキを口にほおばっていた。甘いものが好きというのは事実のようだ。あっというまに一つをたいらげた。
「もうひとつ、いっとく?」
 勧めると、なぎさは首を横に振った。
「いい。あんまり食べると太るから」
「――なぎささんの体格ならなんら問題ないと思うけど」
 押してはみたが、それでもおかわりを固辞するなぎさ。甘いものが好きなのは間違いなさそうなのに、意思の緩みはまるで感じられない。
 ダイエットか? いや、笑顔が少ないことを除けば芸能人ばりの外見を維持しているなぎさには必要のない試みだ。
 では何故。俺が怪訝な顔をしていたのか、なぎさは自分からその意図を話した。
「ほら。私、あんまり外に出られないから。
 筋トレの量を増やさなきゃいけないのも大変だもの。それにいつまでも引きこもってばっかりなわけにはいかないと思うし」
 思わずフォークを持つ手が止まる。
『いつまでも引きこもってばかりではいられない』
 その言葉が謎を解いてくれた。
 普通、引きこもりは自分の体裁など気にしない。昔の自分がそうだったように。世間に姿をさらす気のない以上、外見などに気を使う必要はないからだ。
 だがなぎさは違うようだった。いつかはこんな生活をやめなきゃいけないとわかっている。だからいつでも自分を変えられるよう、自分に出来る範囲の努力を続けてきたのだ。
 思えばなぎさが家での勉強を続けていたのもそのためだろう。今の自分が少しでも周りの人の、あるいは未来の自分の負担とならないように、と。そんなことを考えたんじゃないだろうか。 
 高等部の勉強は急に難しくなる。誰の助けも借りずに勉強するのはかなり大変だったはずなのに。
 食べかけのケーキに落としていた視線をなぎさへ戻す。彼女はいつのまにかフォークを置き、再びペンへと握り替えていた。
「頑張ってるんだな」
 声をかけると、なぎさはノートの文字を目で追ったまま言葉だけを返した。
「これ以上迷惑をかけたくないもの。お父さんにも、お兄ちゃんにも。
 それに梶本くんにも」
「――迷惑だなんて思ってないよ。
 だってこんなに必死じゃないか」
 一心不乱に勉強するなぎさを見据えた。本心からそう言うことができた。
 たぶん先輩も同じ事を言うだろう。
「だから何も気にすることはないよ。
 それより今は勉強に集中、だね」
「――うん」
 クーラーの音とペンの走る音だけが沈黙の空間に流れる。
 窓の外から差し込む日もいつの間にか温かみを帯び、空にはうっすらと星が浮かんでいた。
 ――今日が終われば残りはあと九日か。
 涼やかな風鈴の描かれたカレンダーを一瞥して、俺はぼんやりと参考書の束に視線を落とした。
 正直なところ、上手くいくかは良くて五分五分といったところだろう。現実的に時間が足りないのだ。三ヶ月の遅れを残りの期間で埋めることは決して容易いことじゃない。
 けれど。それでもなぎさはがんばってる。
 だから俺も、なぎさの努力に見合うだけの手助けをしよう。
 そんなことを思いながらページに付箋を貼ってゆく。

 ふたりきりの試験勉強は日が完全に沈むまで続いた。


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