カラスを餌付け
妙なものに行き逢ってしまった。
その日、公園にいた私は、まるで無気力が心の奥底から這い出てきたような、なんとも捉えどころのない気分に囚われていた。
漠然と、将来のことを考えていたような気もする。私は一人暮らしだ。誰とも結婚するつもりがない。赤の他人と一緒に暮らすなど、想像しただけで窮屈になるからだ。いや、結婚するとなるとそれは最早、赤の他人ではないのだろうが、それならそれで、赤の他人が赤の他人ではなくなるのに必要な、人間関係を深くするその作業を思うととてもうんざりする。早い話が、面倒なのだろう、私は。結婚というか、誰かと一緒に暮らすのが。
誰かと夫婦になるとは、その先には、子供を産み、育て、次の世代へ繋ぐという、生命の営みがあるのだろう。
それを拒絶している私は、或いは生命である事を疎んじているのかもしれない。いや、考え過ぎか。やはり、面倒なだけなのだ。
ただ、では、どうしてこんな事を考えているのかといえば、それは、やはり、私が何処かで寂しがっているからなのかもしれない。ならば、その“寂しさ”と“面倒さ”を秤にかけて、あれこれ悩んでいるのが、今の私の状態という事になるのだろうか。
という事は、何かペットでも飼って寂しさを誤魔化せば、この気分もなくなるのか。試してみる価値はあるかもしれない。
ただ、どんなペットを飼えば良いのかが分からない。犬は駄目だ。運動量を確保してやるほどの時間は作れない。ならば、猫か? 猫ならば、ずっと家の中でも大丈夫らしい。ある程度は放っておいても良いのだ。
しかし私はやはり気乗りがしなかった。
猫は好きだ。しかし、飼うとなると、やはり気が重い。面倒だ。
ああ、
と、私は思う。
やはり、面倒だ。何もかもが面倒だ。結局のところ、私はそれだけなのかもしれない。ただ単に面倒なのだ。もういっそ、このまま消えて行けたなら……
「ならば、カラスなどはどうですか?」
妙なものに行き逢ってしまった。
その少年はいつの間にかそこにいた。私にそう話しかけて来る。私が不思議そうな顔をしていると、「やだなぁ、あなたが飼うペットについて、僕に悩みを打ち明けてきたのじゃありませんか」と、そんな事を言って来る。
ギャア
と、カラスが鳴いた。
そうだったかな? そうだったような気もする。
私はそう言われて、そんな気分になった。どうにも記憶が曖昧だ。私はそれからこう言った。
「しかし、カラスとなると、飼うのがそれこそ大変じゃないかな? とても大きな鳥だし、声も大きそうだ」
すると、少年はこう応えるのだった。
「何も飼うなんて言っていませんよ。寂しさを紛らわせるなら、餌付け程度だって良いじゃありませんか」
「餌付け?」
「ええ。カラスは賢いですからね、色々と芸も覚えて楽しいですよ」
私はそれを聞いて少年の事をじっと見つめてみた。少年の後には、真っ黒な森があり、ざわざわという風の音に混ざってギャアギャアというカラスの鳴き声が聞こえてきた。妙なものに行き逢ってしまった。私はそう思う。少年は続けた。
「実は僕はカラスの餌付けをしていましてね。その森の奥にいるカラス達は、僕に大変懐いているのですよ。
どうです? 今から一緒に行ってみませんか?」
私はそう言われて、なんとなく、少年の言葉に従ってみたい気になった。
少年は真っ黒な服を着ていた。けれど、何故か少年から白という印象を私は受けた。白い。とても、白い。
森を先導して進む少年の後ろ姿に向けて、私は「ねぇ、君」と話しかけた。森を進めば進むほど、カラスの数は多くなっていた。ギャアギャアと鳴いている。本当に、これだけの数のカラスを餌付けしているのだろうか?私は不思議に思ったのだ。
「ギャア」
すると、少年はそうカラスの鳴き声で返してきた。私は驚く。しかし、それから直ぐに少年は振り向くと、「どうしたのです?」と、そう私に訊いて来た。
どうやらタイミング良くカラスが鳴いただけだったようだ。
「いや、何処まで進むのかと思ってさ」
私がそう尋ねると、少年は「なに、あとちょっとですよ」とそう言った。
たくさんのカラスが私達を囲んでいた。縄張りに入って来た異物を警戒しているのだろうか? それにしては妙な気がする。縄のようなものが枝に下がっているのが見える。地面には何かの骨が散乱していた。カラスが拾って来た何かの死体の成れの果てだろうか。
そのうちに私は恐くなった。立ち止まる。妙なものに行き逢ってしまった。そう思う。私はこう少年に話しかけてみた。
「ねぇ、君。カラスの餌付けをするというのに、君は餌を持っていないように見えるのだけど」
すると少年は立ち止まり、顔を前に向けたままでこう答えた。
「今日は、別に餌をやろうと思って来た訳ではないですからね」
私はそれにこう返す。
「そうだろうか? それにしては、カラス達は何かを期待しているように思えるよ」
「気の所為ですよ」
二人とも、少し黙る。
カラスがギャアと鳴いた。
「ねぇ、君。もしかしたら、そのカラスの餌というのは、私の事じゃないのかい? 君は私を餌にする為に、ここに連れて来たんだ」
少年はそれに何も返さなかった。私は続ける。
「そういえば、僕は思い出したんだ。ここ最近、この辺りでよく人が行方不明になっているって。確か、一番初めにいなくなったのは、君のような少年だったはずだ」
ねぇ、君。
「もしかして、君が一番初めに餌付けに使った餌は、君自身の肉体じゃないのかい? カラスは賢いから、教えれば死体を隠す事くらいするだろう。だから、行方不明になっている。君は自分の肉体をカラスにやってからは、こうして他の誰かを誘って、この森のカラスを餌付けをしていたのじゃないのかい?」
ねぇ、君。
少年は僕の問いかけに何も答えなかった。私に背中を見せたまま、白く濁って見え難くなっている。
ああ。
わたしは思う
妙なものに行き逢ってしまった。