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この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。

ちょっきん

ご無沙汰です。よろしくお願いします。
 頭が痛くて目が覚めた。意識がはっきりしない。体がだるい。おもむろに指でつまんでみると擦り切れた白いタンクトップは汗でぐっしょりだった。
 朦朧とする意識を振り払い、なんとか重い頭を動かし、首を傾ける。そして分かった。
「まじか。扇風機、壊れやがった」
 広川楓ひろかわかえでは視線の先に澄まして沈黙している扇風機を見て、絶望した。
「ふざけんなよ……」
 口ではそう呟きながらも、立ち上がる気力はなく、力尽きたように全身を弛緩させて大の字になる。見慣れた天井の染みが、人の顔のように見え、楓を笑っているかのように見えた。その視界が徐々に霞む。
 やばいな、熱中症になるかも。
 さすがに危機感を感じ、力を振り絞りのろのろと薄い布団から体を起こすと、扇風機まで這いずって行き、スイッチを入れてみた。扇風機はうんともすんともいわなかった。見ると、電源プラグはきちんと差し込まれている。
 ちくしょう。
 楓はふらつく足取りでワンドアの小さな冷蔵庫までたどり着くと、飲みかけのポカリをいっきにあおった。ただの置物と化した扇風機を足で蹴飛ばすと、煙草のヤニがこびりついたカーテンを引き、小さな庭へと続く、部屋の大きな窓を一気に開けた。畳の六畳間に外の光が一気に差し込む。外は快晴、昼だった。
 熱気を含んだ風が吹き抜け、楓の顔を撫でるのと、隣の部屋からちりりん、ちりりんと風鈴の音が聞こえるのが同時だった。ああ、うるさい。
「あら、お兄さん、こんにちは」
 ふいに紙をくしゃくしゃにしたような声が聞こえた。見ると、その隣の部屋に住む音羽おとわという老婆が、楓の所と同じく猫の額ほどの庭で何かしているところだった。このようなニ階建の小さなボロアパートでも、一階は「プライベートスペース! 庭付き!」とうたわれて貸し出されているのである。
 老婆は八十過ぎに見えるが、楓は本当の歳がいくつなのか知らなかった。だいぶ前に夫がなくなり、以来一人暮らしだと、本人が以前言っていた。孫がいるとか嫁が気がきかないとか、そんな話をされたような気もするが、楓はそんな情報にこれっぽっちも興味なかったので、正確なところは記憶していない。年金暮らしの、気ままな婆さん。
「寝ていたの? 昨日もお仕事?」
「ええ、まあ」
 つい面倒くさくて不機嫌そうな声になってしまい、あわてて「参りました、扇風機が壊れちゃいましたよ」と楓は笑顔を取り繕った。「どうしたんです、浮かない顔をしていますね」楓は笑顔を心配そうな表情へと移行させた。
「またなのよ」
 音羽はよっこいしょ、と立ち上がると見て頂戴と指さした。こんなに暑いのにカーディガンを羽織っており、その袖口から皺だらけの指が覗く。その指の先には、無残にも頭の部分を切りとられ茎だけになった、いくつかの鉢植えの桔梗があった。切りとられた花は踏みつけられたようにちりぢりになって地面に散乱していた。その紫の花びらを風がさらっていく。今日は風が強い。夜中は風なんかまったくなかったのに、と楓は思った。
「この前はたしか、アジサイ、でしたよね?」楓は考える振りをして言った。
「ええ。そうよ。その前は、カーネーション。せっかく孫がくれたのに」
「ひどいですね、やっぱり警察に相談した方がいいんじゃないですか、不法侵入ですよ」
「そうよね……、でも、通報した仕返しやらを考えるとねえ」
 音羽はため息をついた。「そこまで頻繁にあるわけじゃないし。いつか飽きると思うんだけど」
 この老婆は園芸が趣味なのか、それしかやることがないのか、いつも庭いじりをしている。近所の花屋で小さな鉢を買ってきては、大事に大事に育てているのである。
 その鉢植えの花が、半年ほど前、春になり、暖かくなってきたと同時に花の部分だけすっぱり切りとられるようになったのである。庭にある全ての花というわけではないが、きまって花が咲いて見ごろになると狙ったようにやられるのである。
「まあ、音羽さん、またやられたの?」
 買い物帰りの主婦らしき女が庭の前を通り、惨状を見るなり怒りを含んだ声を上げた。このアパートのニ階に住む、町田まちだである。三十手前ほどのほっそりした女で、ウエーブのかかった肩までの髪をまとめている。一見上品そうにみえるが、かなりのおしゃべりで、驚いた表情をすると目玉が顔から飛び出しそうになる。楓はこの女を密かに、出目金と呼んでいた。その出目金は今も目玉をとりこぼしそうに驚きの表情をし、甲高い声でまくしたてた。
「一体誰なのかしらね、こんなことをするなんて。よっぽど小物なんだよ、こういうことするやつは! そう思いません?」
 町田の問いは音羽だけではなく楓にも向けられた。楓はひきつった笑顔を浮かべ、「ええ、本当に、許せませんよ」と当たり障りのないことを言った。だが、心の中では
「小物とか、てめえが言ってんじゃねよ、世の中の害虫が」と毒づいていた。
(まったく、三食昼寝付きの専業主婦はいいよなあ。妊活中だとかいってやがったけどよ、ようはニートじゃねえか。本当、女は得だよな。職業「家事手伝い(笑)」ですむんだからよお。人生イージーモードだぜ。それに年金暮らしの年寄りどももそうだ。俺たちの税金で生活できてるくせに、それをさも当然のように思ってやがる。俺らは将来年金貰えるかどうか分かんねえっていうのによ。ったく、くそ面白くねえ。どいつもこいつも呑気そうにしやがって)
「広川のお兄さん? どうかしたの?」
 楓ははっとする。そして「いえ、仕事で疲れてるみたいで。もう少し寝ますね」と部屋へ引っ込んだ。最近時と場所を考えず不満を心の中で垂れ流すことが増えている。でもまだ大丈夫。楓はせんべい布団にごろんと寝転んだ。
 昨日、やったからな。
 知れず笑いが込み上げてくる。まだあの音羽の婆さんは出目金と切られた花の話をしているに違いない。犯人が、ここにいるとも知らずに。
 最初はチューリップだった。たしかあれは四月ごろ。近くのコンビニで深夜までのバイトが決まったが、初日だから慣れなくてあたふたしてしまい、店長に嫌味を言われた。自転車でこのアパートへ帰宅途中、音羽の婆さんの庭の前を通り、彼女が育てている白いチューリップがふと目に入った。
 真夜中だった。人通りはない。婆さんはとっくに寝ている。
 目の前に、ほっそりとした茎にぽて、と乗っかっているチューリップ。なんて不安定で、あぶなっかしいんだろう。そんなチューリップが、プランターにお行儀よく一列に並んでいる。
 楓はすぐに自分の部屋から鋏を持ってきて、自分の部屋の庭に出た。隣が音羽の庭だ。低い柵で隣同士仕切ってあるだけなので、すぐ忍びこめる。
 まわりに誰もいないのを確かめ、腰をかがめると、鋏の刃でチューリップの茎を挟み、力を込めた。鋭い音がして、あっけなく、白い花は地面に崩れ落ちる。後に残ったのは頭を失った茎だけ。
 ぞわ、と電流が体の中を走るのを楓は感じた。その後に、ぞくぞくした高揚感が波のように襲う。
 続けて楓は残りのチューリップを次々に切っていった。切るたびに身悶えし、足に力が入らなくなり、腰が抜けるかと思ったほどだった。
 そしてすべてを終えた後、並んだ墓標のようになったチューリップを数秒眺め、楓は満足し、その場を後にした。
 渦をまく黒い感情は、跡形もなく消えていた。店長に言われた嫌味など、どうでもよくなっていた。

 それからというもの、楓は一カ月に一度ほど、同じ行為を繰り返している。ひと月ごとに溜まる、いや、正確には毎日毎日少しづつ、少しづつ体内に溜まっていく何かを、この行為によって発散するのだ。
 そして昨日の深夜も(正確には今日だが)仕事帰りに同じように、桔梗を切ってやった。不思議なことに、花を切り落とすと、自分の中に蓄積した世の中への不安や不満がきれいさっぱりどうでもよくなる。就職のことも、金のことも、親のことも、未来のことも。コンビニのくだらない店長のことも、自由気ままな老人やオバサンも、全部。
 最初こそ、少し冷静になって考えてみたりして、犯行がばれないか不安になったものだが、最近は見つかったら引っ越しちまって逃げればいいと開き直っている。相手は間抜けな婆さんだ。なんの力もない。
 今日の夕方からのシフトに備えてもうひと眠りしよう、そう思い楓は目を閉じたが、隣の風鈴の音が耳について中々眠れない。扇風機が壊れてしまったので、窓を半開きにしているのだ。音羽の婆さんめ、と楓は舌打ちする。なんの生産能力もないくせに、働いている俺の睡眠を邪魔するのかよ。
 死んじまえ。
 体内に溜まっていく何か、の早さが日に日に早くなっている気がするが、それなら、婆さんの花だけじゃなくて、他をやればすむことだ。
 ただ花を切るだけだ。大したことじゃない。むしろ俺は悪くない。そうさせる周りが悪いんだ。そんなことを考えながら、楓は暗い闇の中落ちていった。
 底なし沼のように、落ちていく。真っ暗で、落ちていく感覚以外、感じられない。

 気がつくと楓は暗闇の中に立っていた。立ってはいるが、金縛りのように体が動かない。
 ここはどこだ。
 あたりを見回そうにも、首が動かない。視線を他に向けることもできない。
 なんだこれは? 夢か? 夢にしちゃ、真っ暗すぎる。楓は焦り、必死に体を動かそうとした。しかし何一つ、指一本自分の意志で動かなかった。
 ふと、首の両側に冷たいものがあたる。何かで首を挟まれている。首に、ぴりりとした痛みが走った。
(え、ちょ、これ、まさか……)
 首を、大きな刃が挟んでいるのだ。そう、まるで、鋏のような。
(や、やめてくれ!)

 ちょっきん。

「うわああああああ」
 楓は自分の悲鳴で飛び起きた。慌てて首を確認する。傷一つない。だけど、あの刃の感触が生々しく残っている。心臓がばくばくと踊り狂い、全身から冷や汗が吹き出した。

 ちくしょう、なんだってんだ。

 楓は心の中で悪態をつくと、はっとして時計を見た。バイトの時間を過ぎていた。

 ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう。
「広川くん、聞いてる? 困るんだよねえ、遅れるなら遅れるって連絡してくれないと」
 ちくしょう。
「社会人の自覚がないのかな? まだ若者のつもりかな? もう26デショ? 基本だよ、連絡は」
「すみません……以後、気をつけますんで」
 三十半ばくらいのコンビニの男性店長は芝居がかったため息をつくと、「そう言えば済むと思ってる? ん、まあもう今日は帰っていいよ。また明日から頑張ってね」にっこりと笑った。オカマくさくて気持ち悪いやつだと、楓は初めて会ったときから思っていた。言い方が、癇に障る。普通にしゃべれよ。コンビニ店長風情が。

 あの意味が分からない夢を見た後、楓は寝癖のついたまま、仕事場であるコンビニまで自転車で全力疾走した。結局三十分の遅刻。その場では店長に特に何も言われず持ち場についたが、彼が「使えない」とでも言いたげに首を左右に振るのを楓は見逃さなかった。
 そして仕事が終わった深夜、スタッフルームでその店長よるお説教が 始まったのである。
「失礼します」
 それが終わり、時刻は深夜一時を回っていた。
 楓はそそくさと帰り支度をすませ、駐輪場の自転車にまたがり、自分のアパートへと向かった。脳にオブラートがかかったかのように、意識は明瞭ではなかった。店長の説教も、頭になかった。あるのは、左右に振られる彼の首。
 店長は、首を左右に振るのが癖なのか、その男性にしては細く長い首を、なにかにつけて左右に振る。首を振るために言葉を発しているんじゃないかと疑うほどに、大袈裟に、ぶらんぶらんと振るのだ。まるで、壊れかけた扇風機のように。

 ちょっきん。

 楓の頭の中で、銀色の刃が光った。鋭利な刃。きっとそうすれば、ぶらんぶらんは止まるのだろう。なんて、不安定な首。店長の大きな頭を支えるには、細すぎるその首。
 楓の目は、血走っていた。いつの間にか、全速力で自転車を漕いでいた。前に誰か人が歩いていたとしても、構わず轢いているだろう。この感情はヤバい、と頭の片隅によぎる思いも、すぐ打ち消される。
 切りたい。
 あの首を、今すぐ切りたい。どうすればいい? あの首を綺麗に切り落とせる鋏なんてあるのか? のこぎりを使うか? いや、だめだ。綺麗にすぱんと切り落としたい。頭を切りオとしタイ。


 ちりりん。ちりりん。
 風鈴が鳴る。一つではない。いくつもの並んだ風鈴が、時折吹く風に合わせて、思い思いに鳴く。
 音羽は、窓の淵にゆっくりと腰かけて、綺麗に咲いた桔梗の花が並ぶ、自分の小さな庭を眺めていた。月がくっきりと夜空に浮かんでおり、時折風が吹く、静かな時間。
「音羽さん、こんばんは。夕涼みですか」ふと横を見ると、町田がロングスカートをなびかせてすぐ近くに立っていた。
「夕涼みって、今は真夜中だよ。草木も眠ってる」
 音羽はしゃがれた声で、なんだあんたか、とでも言うように、抑揚なく答えた。
「隣、いいですか」町田はそう言い終わらないうちに音羽の隣にふわりと腰かけた。そして「わあ、風鈴のいい音」と皮肉っぽく言う。町田が見上げた先には、いくつもの風鈴が並んでいた。窓の上部から大きさも長さも様々な風鈴がぶら下がっている。すべて風鈴の形をした、人の首であり、ひとつは楓の首だった。首からは短冊のようなものがぶら下がっており、「広川楓」と書いてある。楓は目をきつく閉じていた。
「広川のお兄さん、どんな夢を見ているのかな。何とも言えない表情かおしてるけど」
 町田がさも愉快そうに言う。「少しオイタが過ぎたよね。花にあたるなんて。ほんと、小物」
「あの根性は、治りそうもないよ。しばらく吊るしておいた方がいいね。なんだかもっとまずいことをしでかしそうだったしねえ。世の中、風鈴にでもしといた方がいい奴らがたくさんいる」
 音羽は風鈴の方には目もくれず、そう言った。
「秋が来たら、この子たち、どうするの」
「今度はてるてる坊主にでもして、つるしておこうか」
 女二人は笑いあった。

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