ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
桜花飛行機ー義勇軍航空機調達秘話 下
 桜花飛行機は順調に義勇軍向けの飛行機の生産を続けた。北海道からも新月を利用した輸送が可能とわかって以降は、工場からロールアウトした機体を簡単な地上試験を済ましただけでそのままハルケギニアに送り込む荒業が行われた。これは国交省の検査を受けるのが面倒くさくなったからだ。

 さらに才蔵らが一体どんな手段を講じたのか、本来なら警戒するはずの自衛隊や付近の飛行場の管制塔も何も言ってこなかった。さらに飛行機を製造して、それをどこかへ運んでいることに気づくはずの市役所や税務署も何も言ってこなかった。それどころか監査さえ入らなくなった。

 一応嬉しいことは嬉しかったが、やはり余りにも怪しい話なので、一度社長の大田は工場を訪れた才蔵にその疑問を聞いたことがあった。しかし、彼はただ笑うだけで何も答えなかった。そのため、彼も従業員たちもただただ頭を捻るしかなかった。

 ちなみに、まさかほぼ同じ疑問を才蔵の孫が抱いているということを、大田が想像できるわけがなかった。

 とにかく、桜花飛行機はお役所を気にすることなく航空機の生産を行い、『東方義勇軍』に引き渡していった。工場を出る段階で、既にどの機体にも美しい百合のトリステイン国章、もしくはアルビオン王国の国章が描きこまれ、機体は旧日本海軍式に、濃緑に塗装されていた。

 しかしながら、最初の2ヶ月は若干の改造しか加えていない飛行機を送り出していたが、それでは面白くないので、桜花飛行機の技術陣は新たな機体の開発を開始した。

 その1つが輸送機であった。これは大田が才蔵から現在ハルケギニアに物資を輸送している飛行機がいずれもセスナ機に毛が生えたような軽飛行機で行っていると聞いたからだ。

 さすがに自衛隊が使っているような大型機は無理でも、現在使っている機体よりも一回り大きな機体にするだけでも大きく改善される。

 そこで桜花飛行機は独自に輸送機の設計を開始した。もっとも、新規に開発しては時間も予算もバカにならないので、ゼロ戦と同じく第二次世界大戦時の機体を基に開発することとなった。

 なんでわざわざ旧式機を模倣するかというと、これは『東方義勇軍』で使用している飛行機がいずれも第二次世界大戦型のレシプロエンジン機であったからだ。下手にジェット機やターボ・プロップ機なんか投入したら整備面で大きな混乱を来たしてしまう。さらに飛行場の設備だって対応していないのだ。

 これは技師の一部をハルケギニアに派遣して、現地調査させて得た大田社長や幹部社員たちの結論であった。

 そんなわけで、『東方義勇軍』向けに桜花飛行機は輸送機を設計し始めた。そのモデルとなったのは、アメリカ製のC47「スカイトレイン」である。この機体はDC3型輸送機の軍用機タイプで、4,5tの荷物を輸送可能であった。後に大統領となったアイゼンハワー元帥は、同機を第二次世界大戦の勝因の1つとまで言わしめた。またソ連や敵方である日本でもライセンス生産されたまさに軍用輸送機の傑作であった。

 この機体ならばそれまでの機体の4〜5倍の荷物を輸送することが可能となる。特に小型のショベルカーや車ならこれまでのように解体せずに済む。

 開発に当たってはゼロ戦や赤とんぼと同様一部の機体素材をカーボンに変えて軽量化するなどの工夫を凝らした。さらにハルケギニアでの使用も考えて、銃座を設けて火力を強化した。場合によっては翼下にロケット弾を搭載することも考慮された。

 この機体はOY1型と命名され、設計開始2ヵ月後に生産が始められその1ヶ月後には1番機がロールアウトしている。

 この輸送機は最終的に改良機のOY2型の登場までの間に80機近く生産された(内20機はロマノフ公国に輸出された)が、この内半分は部品やエンジンをハルケギニアに持ち込んでのノックダウン生産とされた。これは現地における航空機生産技術を確立したかった義勇軍総司令官、平賀才吉大将の要請によるものだった。

 また義勇軍で使用された機体は地道に物資の輸送に活躍したが、ハイライトと言えたのがハルケギニア戦役中に行われた聖地捜索作戦における物資輸送で、天沢大尉操縦の機体が現地に派遣された調査部隊への物資、機材のピストン輸送を行い、その帰路にはエルフ、人間問わず負傷者をトリステインへと運んだ。

 この時エルフの負傷者が話した情報から、ガリアの火石の開発計画を察知したことは、その後の戦争の運命を変えたと言ってよかった。

 戦争終了後は設立された民間会社に一部が譲渡され、エルフとの国交正常化を成し遂げた後、初めての航空便として乗り入れたのも同機種であった。

 他にも桜花飛行機が生産した機体は何機種がある。SBDドーントレスを模倣したOB1型、水上機「瑞雲」の模倣機OW1型等である。ただしこれらは実験機の域を出ることなく、少数生産に終わった。

 大量に量産された機体で有名になったのは、やはり「超零戦」であった。この機体はゼロ戦の名こそ引き継いでいたが、ほとんど別物であった。エンジンは環状冷却器を備えた液冷2750馬力、新開発の20mm機銃4基を搭載し、最高速度は720kmを誇った。

 丁度ハルケギニアの整備兵たちの練度が向上したころに投入されたこの機体は、初めての液冷機ということもあって、固定化の魔法を応用してもなお稼働率は決して高くはなかったが、全力発揮さえ出来ればすばらしい性能を発揮するので、パイロットたちの羨望を一身に集めた。

 特に開戦2ヵ月後に試験飛行と国境偵察を兼ねた平賀才人男爵大佐操縦の「超零戦」が、味方部隊上空でガリア軍のドボアチン520戦闘機、ならびにマッキ202戦闘機12機と空戦を行い、わずか5分で8機を撃墜し残存機を遁走せしめたのは同機の性能に拠るところが大きい。もちろん、竜騎士など敵にもならない高性能であった。

 この「超零戦」は最終的に地球での生産、ノックダウンあわせて2年間の内に300機近くが生産されたベストセラー戦闘機となった。義勇軍が初期に使用した機体が、性能陳腐化のために王立の空軍博物館に入れられるか、民間に払い下げられていくなどして退役していくのと入れ替わる形で、同機はハルケギニアの空の防人となった。

 なお同機は途中で発動機を交換した2型に生産を移行している。

 「超零戦」に比べて地味であったが、F2A「バッファロー」を参考にした大量生産型戦闘機も生産され、こちらも対地攻撃や対艦攻撃に力を発揮している。

 また大した活躍はしなかったが、取り回しのよさから重宝されたのが旧日本軍の98式直協機を模倣したOT2型である。同機は練習機としても攻撃機としても使用された。また「赤とんぼ」と違い、風防がある点が好まれた。

 1年間に及んだハルケギニア戦役で、ハルケギニアの技術力と科学力は大幅に向上した。その結果、桜花飛行機は同戦役中にハルケギニアのアルビオンに航空機生産工場を設置している。

 同社と社長の大田には、後のハルケギニア王国連合からダイヤモンド工業勲章を授与されている。
 御意見・御感想お待ちしています。


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。