7.It has already begun.
“あの”男に貰った資料のお陰で、解毒剤が完成した。それを飲んだお陰で、無事に工藤新一の姿を取り戻した。
自身最大の目標を達成したはずなのに、だ。しかしそれは、あくまでもあの男から話を聞いた時まででの目標だ。そんな新一は、喜びを殆んど感じていなかった。一番彼の中で大きかったのは、自らの運命を嘆き悲しむ気持ち。
これまで、新一は“蘭のために”元に戻ろうと思っていた。しかしいざ戻ってみると、いかに自分がただの人間であるかが分かった。どんなに善良でお人好しな人間でも、心のどこかでは必ず自己中心的なのだ。
「ちょっと、聞いてる? 工藤君」
自分の運命を嘆き悲しむ気持ちも自己中心的だからなのだろうか、と少しの疑問と大きな確信を持って自問する。答えが返ってこないのは承知の上でだ。
「工藤君!」
「え?」
我に返ると、目の前には哀の呆れ返ったような表情があったのに気づいた。ちゃんと話を聞いてるの? と言われている気がして、
「わ、悪ぃな。で、何の話だっけ?」
哀が、何も聞いてなかったのねと一言口元から漏らすと、だから、と続けた。
「あなたが飲んだのは完璧な解毒剤だったと思うわ。でも念のために、向こうに行く前に試験期間を設けた方が良いと思うんだけど」
解毒剤を飲んでからの新一の体温や脈拍数などのデータを記した紙を見ながら、すっかり身長差が広がった新一を見上げた。
新一はそれをなくすためにしゃがみこみ、言った。
「んじゃ、期間を設けるとしたら大体何日くらいがいいんだ?」
「そうね……一週間が妥当じゃないかしら」
(一週間か)
新一は哀の言葉を、テープで再生してまた巻き戻すように何度も反芻した。
そんな新一の様子に、哀は釘を差した。
「あなたには、まずやらなきゃいけないことがあるじゃない」
「!」
哀の、確実に心を仕留めた釘に、新一は今この時にも既にカウントダウンが始まっていることを悟った。
自分が今からしようとしていることが後悔に繋がるとしても、今やらなくては二重に後悔することになる。それを全身全霊に刻み込んだ。
「いつも色々とありがとな? オレ、本当にお前に助けられてるからさ」
「……」
それだけ言うと、玄関にある靴に足を引っ掛けて家を飛び出した。扉が閉まりきるまで、新一の足音が段々と遠退いていくのが分かった。
誰もいない冷めきった空間に、哀の温いため息は目立った。
「バカ」
外を駆ける新一が向かったのは、毛利探偵事務所。
新一の家からそこまでは、そんなに距離はない。この時も、ものの十分で到着した。
乱れた呼吸を整えながら、焦る気持ちを抑えつつコンクリート剥き出しの階段を上がっていった。
まず、事務所の扉をノックした。数秒たっても返事は何もなかった。思い切ってドアノブを回して開こうとすると、鍵がかかっていることに気づいた。
(今日は土曜だよな。おっちゃん、事件の依頼でも受けてんのか?)
とりあえずドアノブから手を離して、もう一階分階段を上がった。探偵事務所の上は住居スペースだから、こっちの方ならいる確率が高いだろう。そんなことを思いながら、そちらの扉の前に立った。
チャイムを一回鳴らした。やっぱり誰も出る様子がなかった。それどころか、人のいる気配もない。
(園子とどっかに行くとか言うメールも来てないし、部活でも行ってんだろうな)
そう思い、とりあえず事務所の前で蘭の帰宅を待つことにした。
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