2.His words that she remembers
「大丈夫。絶対、生きて戻ってくるから」
それは、蘭に告げられた彼からの最後の言葉であった。
それ以来、彼の携帯には一切繋がらなくなってしまった。
『電波が届かないところにいるか、電源が入っていないため、かかりません』の冷たい電子音しか返ってこない。
当然、何通ものメールの返事は全くない。
その言葉が蘭に告げられたのは、丁度ここから二年前のことであった。
”夏”と言う季節の中で何度も繰り返される、この日と同じようなありふれた日常。
「もし、仮に、の話だ」
「えっ?」
五月蝿い蝉の鳴き声が響く中、その声は空間をすり抜けて蘭の耳に届いた。
その話し方が、如何にも突発的でその先を知りたくなってくるものだったからかもしれないが。
また彼贔屓の探偵についての自慢話かと、蘭は思った。
そんな蘭の目の前にいた彼は、新聞をすっと降ろして、顔をのぞかせた。
驚いた。予想していた彼の表情と、全く違っていたから。
その顔は、蘭にとって彼が真剣だと考えている顔よりも更に真剣だった。
これから嘘を吐く、などという台詞は似合わなかった。
それどころか、正反対と表した方が”似合った”。
「オレが明日死ぬとしたら、オメーはどうする?」
蝉の声。窓から零れる日差し。そして彼の真剣な表情。
蘭は、自分が思っていたより動揺した。
心臓の鼓動が、自分のすぐ隣にあるように思えた。
それを抑えるように、胸に手を静かに当てた。
「な、何言ってるのよ?」
やっと搾り出した声は、かすかに震えていた。
穏やかさを取り戻した日常。考えたくもないことを聞いてしまったのだ。
生きているものは、何れは死を迎えるという分かりきった現実が、
今自分の目の前に広がるとしたら。
いつもよりも不必要に多い瞬きの数、どこか挙動不審な姿。
その蘭の様子に、彼はちょっとだけその表情を緩めた。
両手に持ったままの新聞を、ソファの上に乗せた。
「じゃあ、少し質問を変えるか。オレが明日いなくなるとしたら、オメーはどうする?」
少しだけ易しくなった質問に、まだ微妙な思いを抱えつつも答えた。
「寂しいよ。何も言われずに、いきなりいなくなっちゃうなんて。せめて自分には言って欲しかったなって、後悔すると思う」
言い終えると、彼は手元にあったコーヒーを一口すすった。
カチャン、と音を立ててそのカップは元の場所に戻った。
思わず訪れた沈黙、蘭は居心地の悪さを感じた。
立ち上がってこの空気を何とかしたい。せめて、この状況を――。
そう思い、適当な理由をこじつけて立とうと思ったとき。
「ごめん。躊躇わず、先に言っておくべきだった」
彼の言葉に、目の前が真っ白どころか真っ暗になった。
嫌だった日々と、頭の中にまだ残る罅割れかけていた記憶が甦ってきた。
それだけではない。彼に忍び寄る、何かの気配を感じた。
しかしそれを表情に出すことなく、蘭は冷静を演じることにした。
「事件の調査?」
「ああ。ホラ、オレが前に”やっかいな事件”に関わってただろ? それの続きみたいなもの。それのために、ちょっと家を空けなくちゃでな」
「解決したわけじゃなかったの?」
「オレが蘭のトコに帰ってこれたのは、その事件の序章が終わったのに過ぎなかったんだ」
「そんな……」
冷静は、あっという間に脆くなり崩れかけた。
どうしてよ? あれで全部終わったわけじゃなかったの?
またわたしは、待たなきゃいけないんだ。
わたしの気持ち、考えてるの?
考え込めば考え込むほど、彼に対する罵りの言葉しか浮かばなかった。
その無理やりなこじつけを、成り立たせているように見せかけていただけだった。
「大丈夫。絶対、生きて戻ってくるから。何年かかるか分からないけど、その時には」
崩れそうな蘭に、彼は何かを言いかけた。
しかしそれを敢えて飲み込み、蘭の頭にポンッと手を乗せた。
いつもの彼らしい、生意気で少年っぽい笑顔を向けた。
「分かった。絶対だよ、新一」
”彼”こと工藤新一は、そう言った蘭をそっと抱きしめた。
言いかけた言葉を、いつか絶対に蘭に伝えようと決心しながら。
|