今回はちょっと視点が入り組んでます。透→松之介→由久の順です。
12.弁解
「………。」
隣の部屋では、松之介とオヤジが何やら会話をしている。その会話の中で、透も早く出て来なさい、と声をかけられた。
シャワー室にいた透は「はい」と慌てて答える。籠ったような声からして、脱衣室の扉は閉まっているようだ。
――大変なことになったな………。ま、今はそれを置いといて。どうしよう、これ。どうやって外すんだ?
出て行きたいのも山々だが、透は一つの難問に直面していた。胸に付けている下着が外せないのだ。
皮肉にも、シャワーを浴びていた間に外れなかったお陰で、透は卒倒せずにすんだのだが……。 もしもそれを見てしまった途端、その瞬間に出血多量の惨事を引き起こし、この世から立ち去ることができるんじゃないかと思えた。
――この下着、なんて言うんだっけ?え〜っと………。いや、それよりも、早く着替えて出て行かないと…。
透は上を見上げて視線を逸らしつつ、下着のホックを外そうと奮闘する。だが、やったこともないことを、すぐさま出来るはずもなかった。
いっそのこと、引き千切って捨ててしまおうかとも思ったが、水を吸った生地は思いのほか丈夫で、無理やり引っ張ると肌に食い込んで中々痛い。
透は力任せに引き千切るのをあきらめて、今度は魔法で下着を切ってしまおうと考えた。
だが、刃物で連想しようとした瞬間、脳裏に天井の高く薄暗い部屋と血錆の付いた禍々しいギロチンの刃が鮮明に写り、全身に悪寒が走る。 それと同時に首に嫌な気配を感じたので、すぐさま諦めて正攻法で外そうと考え直した。
にしてもあの生々しさ…一度体験したことがあったかと思うくらいだ。
透は、そんな訳はないと、頭を振って全否定し、再び下着のホックを外すことに集中した。
「………。…チッ!クソヤロッ!!」
しばらく奮闘していただが、後ろに回していた腕が痺れてきた透は、シビレを切らして肩紐を腕から外すと、上に引っ張って無理やり外した。
「お、無事に抜けられた。」
どこで聞いて知ったか覚えていないが、ブラジャーには色々とタイプがあって、中にはワイヤーが入っているものもあるらしい、ということを透は覚えていた。 それゆえに、ワイヤーがあったらどうしようかと、途中で思ったが、ワイヤーがなくて助かった。
胸の圧迫感から解放された透は、一切自分の体を見ないように天井を仰ぎつつ、
「………。第二ラウンド、ファイトぉ…」
暗く沈んだ声で意味もなく、やる気もなしに右腕を突き上げた。
さて、透の次の難問は服を着ることであった。顔をできる限り天井に向けながら、下目で見下ろすような形で服を探す。
由久の話では確か………そうそう。棚の一番上の段に置かれているんだった。
天井に、しばらく目を泳がせた後、思い出すと彼の言葉に該当する場所をさがす。
由久の言っていた棚は、下半分と上半分に分かれていて、上半分は戸が付いた小物入れ。 下半分は――透は自分の体(と、言っても透自身は、自分だとは思っていない体)が視界に入らないよう、膝に手を付いて前屈みになって覗き込むような形で見てみる――小さいカーテンが四列付いていた。
下から三つはカーテンが開けられ、そのカーテンの幅に沿うように空きになった棚があった。閉まっているのは一番上のカーテンだけ。
透はまたもや不覚にも、自分の姿のことなどすっかり忘れてどんな服が入っているのだろうと考えつつ、カーテンを開けた。 途端に透は目を見開き、小さく悲鳴を上げる。
――そうだよね。青のチェックのパジャマが入ってればいいな〜と思った俺がバカだったよ。
透は、自分の頬に一筋の雫が伝っていくのを感じた。それが冷や汗なのか、それとも涙なのか。
透自身、両方当てはまるような気がして分からなかった。
「………。」
「………。」
騒ぎの発端である透待ちの三人の間には、松之介にとって微妙に居辛い空気が流れていた。由久は明日は朝から手伝いと言うこともあって、彼は先にベッドが置かれている隣の寝室で寝ている。
彼は先に、どうして騒いでいたのかということを聞かれたが、透が暴れていたので、後先考えず松之介が助けに行ったところ、不幸にも燃やされ、その様子に不覚にも笑ってしまった、とだけ答えてそのまま寝かされてしまった。
隣の部屋に行って扉を閉めかけた時、由久が悔しそうに顔をゆがめているのを、松之介は見逃さなかった。透がどんなことになっているのか、見たかったのだろう。
確かに面白そうではある。だが、この危機的な状況の中で、果たしてそんな余裕があるだろうか?
温厚な面を見せ続けていたオヤジも、怒りのオーラが滲んでいる。
見た目だけで十分怖いオヤジが少しでも怒っているようなそぶりを見せると、迫力は十二分では済みそうにない。一方でスティルは、不機嫌にすわらせた反目で、こちらもまた冷たい静かな威圧感がある。
二人は毎日、一日を通して働いているのだ。寝ている時間が最も体を休めることができ、大切な時間のはずだ。
「…父さん。父さんも朝早いんだから、もう寝た方がいい」
沈黙の中、待たされてイライラしている様子のスティルが言った。
「毎回、こんな下らないことで、寝不足なんてするもんじゃない。」
スティルはオヤジと違ってそれほど重要視してないようだ。その口ぶりからも、こういう事が過去に何度かあったことも読み取れる。
「んまぁ…下らないかどうかはさておき―」
オヤジがさびしそうな表情をした。
「―確かにそうかもしれないが…何かあったら、事情を聴くように言われてんだ。」
松之介には、オヤジは何と言えば良いか分からないから、はぐらかしたようにしか見えなかった。
…それにしても眠い。松之介は欠伸を噛み殺しつつ思った。
松之介の事情聴取は由久が行ったあと、すぐに行われた。松之介は、由久の怪しい笑みと馬鹿笑い、シャワールームを開けた瞬間に見た、タイルの床一面の血の跡以外はすべて由久と同じことを言った。
オヤジは聞き終わった後、怒っているようで驚いたような、何とも奇妙な顔をしていた。あれは確かに面白いことだ、と松之介は思った。
「す、すいません………」
不意に弱々しい声が聞こえた。
あの、なんとも言えない表情を思い出して笑いをこらえていると、扉が軋んだ音を発ててゆっくりと開き、へとへとになった透が鼻を押さえて出てきた。
これは………悲惨だ。松之介は眉間に皺をよせ、憐れんだ表情をした。オヤジは目を見開いて驚き、スティルも少し身を引かせる。
寝巻であろう薄い黄色のロングワンピース・パジャマには、赤い血の跡がいくつも付いている。 よたよたとこちらへ歩いてきて、松之介の隣にすわった透は息が荒い。テーブルに置いてあった白いナプキンを手に取り、鼻を二〜三度拭いた。
すでに止まってきているようで、暫く押し当てた後、血の付いた箇所が見えなくなるよう、折りたたんで握りしめると膝の上に手をやる。
「い、一体どうしたんだ?」
落ち着いてきたと判断したのか、顔をトマトみたいに真っ赤に染めている透に、オヤジが聞いた。
…くる。くるぞ!!松之介は、はやる気持ちを抑えて透の言葉を待った。さぁ、一体どんな言い訳を、苦し紛れに言うのか?
「えぇ………と………」
俯き加減にモジモジと、虫の声のような小さい声でしゃべる透。言葉を詰まらせて、再び気まずそうに黙った。
その様子に松之介でも、口元がニヤけ始めていた。必死に平然を装うが、抑えつけようともがけ足掻けば足掻くほど、笑いは抑えがたくなっていく。
は、はやく、なんでもいいから早く言ってくれ!
黙りこんで、更に顔を赤らめる透を横目に見ながら、松之介は、歯を食いしばって表情が崩れないように必死になりつつ、祈った。
いよいよ、口の綻びをきつく締めていることが限界に近付いてきたところで、やっと透が口を開いた。
「…えっと、あの、……発作です!」
「ほ、発作?」「ん、グフブッ!!」
透の頓狂な答えにオヤジは声を裏返し、同時に松之介が堪え切れずにテーブルの外側に身を捩じらせながら吹いてしまった。
スティルは一層、眉間の皺を深くさせ、険しい顔つきで透を見る。
由久が寝ている筈の部屋からも忍び笑いが聞こえてくるのを透は聞き逃さなかった。
「クックック…発作か〜そうか、そうだな!」
今度はこちらをスティルが睨んでいることにも気付かず、松之介が意地の悪い笑みを顔中に広げて透を見る。 透は顔を真っ赤にして歯を食いしばり、俯いている状態から首を捻らせて、松之介を見上げて睨んでいる。
その眼は潤んでいて、今にも泣きだしそうだった。
あ、そうか…透からすればそれは……。松之介はここで、やっと冷静になり、笑うのを止めた。
謝罪の代わりに、気まずそうに愛想笑いをすると、透の目つきは更にきつくなった後、驚いたように目線を上げた。その目線を追って松之介も顔を上げる。
部屋の中には、松之介のほかに笑っている人物がいた。オヤジだ。
「発作…そうか。発作ねぇ…」
そう呟きつつ額に手を当てながら肘をテーブルについて、肩を揺らして笑っている。これにはスティルも、横目で見つつ、驚いているのが見て取れた。
暫くして、笑いが収まらないまま立ち上がると、
「そうか、発作を起こさないよう気を付けてくれ。もう夜中だからな。」
と、笑いながら言って部屋を出て行った。
面喰った様子のスティルも、いつの間にかいつもの無表情に戻って遅れて立ち上がると、
「これ以上、面倒事を増やさないでくれよ。…明日の分の服は、朝にエルフィンに持ってこさせるから」
スティルが一睨み利かせて言うと、透がコクコクと頷いた。
その様子をみて、スティルは一瞬目を細めると、部屋から出て行く。
……こいつ、臆病だな。閉められた扉を無表情に見ている透に松之介は軽く軽蔑したような目線で見た。
「……オ前、死ニタイカ?」
ギョッとした松之介に、怒りに筋肉を強張らせてゆっくりとこちらを睨む。その様子は、さながら錆びかかったブリキの玩具の首のようだ。
無表情に近い顔だったが、見開かれた目の瞳孔は狭く、眉間の間から鼻筋にかけて、不自然な影ができている。
「ナンデェ、ワラッタ?」
「………………。」
片言言葉で話す透の背後から嫌な空気が流れてきた。松之介は、不自然な影と不穏な気配が魔法によるものだとわかりつつも、背筋に寒気が走った。
「ン?答エラレ無イノカ?」
「………あ〜…質問が多いな。俺も寝る!透も早く寝た方がいいぜ!?」
松之介は適当に話をはぐらかすと席を立って、飛びこむようにベッドにうつ伏せに倒れこんだ。
……あ。
「ほうほう…貴様はまた、俺に?ソファーで寝ろと?」
……どうしよう。背後からキシャーッと、化け猫のような声が聞こえる。もうここで終わりなのか?
松之介は飛びかかってくる透を寸前のところでよけ、ソファーに転がり込み、身を震わせる。 一方で、ベッドを確保した透は松之介の予想を反し、すぐさま布団をかぶって眠りについた。
その後、松之介は、透が完全に寝てしまった後も、透が寝がえりを打つたびに、襲われるのではないかと思うと生きた心地がせず、恐怖に震えてまともに寝ることができなかった。
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