怠惰『少年』と幻影『少女』
「ねぇねぇご主人様? もう時間過ぎてるわよ?」
突然、耳元から囁き声が聞こえてきた。
「あと五分……いや、十分」
そう答えながら寝返りをうつと、猫のように大きなツリ目が特徴的な銀髪の少女が小さな体を大きく見せようとしてか、手を腰にあて胸を精一杯に張りながら頬を膨らませて立っているのがみえた。
彼女はアイリ。一応、俺の妹という設定だ。
「……それもう五回目なのだけどっ! そもそももう時間が過ぎているって言ってるわよね!?」
アイリは俺の返答を聞くと、急かすような早口で俺の身体を揺らしてくる。
「じゃあ、あと三十光年……」
「増えてるっ!? ていうか、光年は時間じゃないから! 距離だから!」
ああ……もう……うるさいなぁ。
「……おやすみぃ」
「ああもうっ! 寝ないでって言ってるでしょッ!」
瞬間、重力がなくなったかのような感覚が身を包んだ。
しかし、その全てから解放されたような気持ちいい感覚はそう長くは続かなかった。
ドスンという鈍い音とともに背中全体に鋭い痛みが広がる。
俺はその痛みに耐えきれず“ぐぇっ”とカエルが潰れたときのような声をだしてしまった。
「ほら、早く行くわよ!」
……は、はぁい……しょうがないなぁ。
俺は掛け布団のぬくもりの恋しさを振り切って、渋々ベットから起き上がり、ゆっくりと伸びをした。
「……さぶッ!」
「ほらほら、早く着替えるっ!」
「きゃーえっちー」
「そんな棒読みで言われても……まあ、安心しなさい。私は何も思ってないわ!」
それはそれで何かくるものがあるなと思いながら、俺はダンベルのように重い身体をどうにか動かして着替えていく。
「はぁ……疲れた」
「…………着替えだけで疲れないでよ」
またベットに倒れこみなおした俺にアイリは軽蔑した冷たい声を吐き捨てた。
心臓が凍りそうだ。
「……ほら、そろそろ観念して出発するわよ!」
「……はぁい」
そうして今日も登校時間を三十分以上経過した時間に家を出たのだった。
「──ねぇ、もうちょっと速く歩けないの?」
「どうせ、速く歩いたほうが先生に見つかるしー」
主に全身ムキムキのマッチョで、色黒な肌と厳つい顔が特徴の体育教師に。英語の訛りが入った日本語がまた恐怖を増幅させられるのだ。
実はバリバリ日本生まれの日本育ちという純粋な日本人らしいけど。職員室で他の先生と話しているときは流暢な日本語を話しているという情報もあがっているし、日焼けサロンに毎日通っているという目撃談も有名だ。
「ご主人様はもうちょっと真面目になった方がいいとおもうわ?」
「お前はもうちょっと不真面目になった方がいいとおもうよ?」
俺はきちんと学校に行っているのだ。これ以上どうやって真面目になれと言うのだこいつは。
「はぁ……ご主人様はなんで私を作ったのかしら?」
実は気づくと今はなき幼馴染とそっくりな少女が目の前に立っていたなんて言えるはずもなく俺はその呟きを聞こえないふりをしてやり過ごした。
〓〓〓〓〓
結局、すこぶる怒られた。
来年は受験が控えてるとか、このままだと進級できないとか心にもないことを心配そうに言う先生に「大変っすね」と思わず口をすべらすと、突然「誰のせいでこんなことになっているんだッ!」とぶちギレられたのだ。
「誰のせいですか?」と一瞬聞こうかと思ったのだが、今までの経験上これ以上なにか言葉を発すると相手の精神を逆撫でするだけだということを学んでいたからやめておいたが、正解だっただろうか?
「……なんでご主人はいつも火に油を注ぐようなことを……」
「俺は言葉のキャッチボールを求めてるだけなのだけど……」
「バカね」
「そうかな~?」
ようやく解放されて教室に戻っている最中、休み時間なのか廊下ですれ違う生徒達から、白い目で見られながらも俺達は徒然なるままに駄弁っていく。
「というか、私とご主人様、交換した方が物事とかちゃんと進むんじゃないかしら?」
なるほど、そうかもしれない。しかも俺はぐーたら過ごし放題だ。
「でも、お前絶対に可愛い系の服着るだろ……俺の体でも」
「ん? もちろん」
……真顔で言われた。
「……でもなんで私が服にこだわりをもってるって知っているのかしら?」
俺はその問いには答えずため息を一つ吐きながら、目の前に現れた自分の教室に入いって一目散に自分の席で眠りにはいった。
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夢をみた。
懐かしい夢だった。
まだあいつが生きてたときの。
俺はあいつの為になにかやることができただろうか?
俺は宙に浮きながら首を振る。
俺はあいつになにもできなかった。
だから、きっと俺は『アイリ』を作った。
自分の為に。自分自身の為に。
じゃあ、俺はあいつの為にこれからなにができる──?
そう考えた瞬間、夢の中でアイリにそっくりな少女が──死んだ。
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「ッッ!!」
目を開けると、家畜のようにそれぞれ決められた部屋に詰め込まれ、犬のように規則正しく並んでいるはずの少年少女達がいなくなっていた。
少し考えて、さっきの授業の次は移動教室だったことを思い出した。
時計の針があと二十分もしないうちに授業が終わることを教えてくれたため、思いきってサボることにする。
俺は遅刻はしてもサボりはしない主義なのだ。休みはするけど(起きれないのだからしょうがないだろう)。
「さっきから凄くうなされてるみたいだったけど、どんな夢をみてたの?」
「お前が巨大化して食べられる夢」
「……ど、どんな夢よ?」
考えてみるとたしかにシュールな夢だった。
俺は特に意味もなく窓の方を向く。
そこから覗く校庭では、どこかのクラスが野球をやっているようで甲高い金属音が響くごとに守備の形を歪ませていた。
「なぁ、」
俺がアイリに向かってそう声を向けると「んー?」と声を返してきた。多分、アイリは頭を横に傾け、話を真剣に聞く体勢になっていることだろう(見る人が見たらふざけているようにしかみえないようだが)。
「…………自分の身体が欲しかったりするか?」
「もし貰えるのであれば是非とも欲しいわね」
間髪を入れずに答える姿に最後の最後まで燻っていた迷いは消え去った。
──大丈夫だ。何も怖くない。
「俺の身体を使わないか?」
多分、その声は震えていたことだろう。アイリが「なんで」と聞こうとしている姿が簡単に想像できる。
「その代わり、一つ約束だ」
それでも最後まで話を聞く気でいるのか、少し間を開けても言葉が返ってくる気配はなかった。
「──お前らしく幸せになれ」
視界の先で控えめにコクりと頷くのがみえた。
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俺は夢を見ているときのように宙に浮きながら自分を見ていた。
しかし、それが夢じゃないことを俺は知っていた。
俺は自分の姿をしている奴に近づき「家に戻って寝てくる」と耳元で囁く。
コクりと首を縦に振ったのを見て、俺は窓から外に飛び出した。
”家に戻って寝る“というのは嘘だ。今の俺には欲という欲がない。もちろん、睡眠欲もだ。
どうしてもいかなければならない場所がある。
──これですべて終わりだ。
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車が行き交う大通り。
そのど真ん中に俺は立っていた。
あいつが死んだ場所だ。
「……そ、そこでなにしてるのよ……!」
振り向くとあいつがいた。
「よお、久しぶりだな」
「久しぶりだなじゃないわよ!」
あいつは泣いていた。俺も泣いていた。
「約束を果たしに来た」
俺がそう言うと「約束も何も……早すぎるわよ……」としゃっくりをあげながら言った。
その姿を見てられず、俺は思いっきり抱き締めた。
──さあ、そろそろ行こ?
俺達はそのまま風に任せて車道の真ん中に飛び込んだ。
俺は向かってくる唸るようなエンジン音を聞きながら最後に呟いた。
──大好きだよ。愛梨。