暗躍する影
予選終了から約一か月後。
その日も優たちはカードショップに集まっていた。
いつも通り、特訓に夢中の三人。
と、そこへ……。
「優!」
不意に、遠くから甲高い叫び声が届いた。
客の視線を浴び、全力疾走する四十代の男女。
この二人が優の両親であることは、その場の全員が容易く想像できた。
だが、高校生にもなった我が子を追ってカードショップまで来る親などそうそういない。
皆がその姿を物珍しそうに眺める中、優はただ一人頭を抱えている。
そんな彼の心境も構わず、母親は優のそばへ着くや否や呼吸も整えずに切り出した。
「優……! あんた、まだゲームなんかして! いい加減、勉強に集中しなさい! ほら、あなたからも何とか言ってやって!」
「そうだぞ優! お前は医者になるんだからな。わかってるのか!?」
顔を真っ赤にして怒鳴る両親。
優は言い返す気力も失せて、ただ深く溜息を吐く。
その様子を見て、花織は優を心配し……。
「……あの」
そう一声出した。
だが、その瞬間、優の両親は勢いよく花織の方を向き……。
「これは親子の問題だから、他人は黙ってなさい!」
激しい剣幕で、そう怒鳴りつけた。
思わず怯む花織。
しかし、見過ごすことなどできない。
改めて声を出そうと勇気を振り絞り、再び視線を向ける彼女。
同じく轟も、拳を握り口を開きかける。
だが、その様子に気付いた優が、それを制した。
そして、冷ややかな視線を両親に向けると……。
「いい加減にしろよ?」
静かに、そう窘めた。
両親の表情がさらに険しくなるも、優は動じずに続ける。
「オレはもう、あんたたちを親だと思ってない」
「何だと!? 親に向かって何だその口の利き方は!」
「だから、親だと思ってねえって言っただろ? 話を聞けよな本当に……。お前はオレにこう言ったよな? 嫌なら出てけと。世話になるなと。言われた通り、出てってやったのに……。一体何の不満があるんだ?」
「お前には養育費をいくら使ったと思ってんだ! だったら金を返せ!」
「あのな? 養育費って子が親に返す義務ねえんだよ。お前こそ、虐待の処罰を受けるべきなんじゃないのか?」
「親が子を叱るのは当然だろうが!」
「自分の感情で怒ることを、躾とは呼ばねえんだよ。お前、オレの作品を壊したのを覚えてるか? 不出来で我が子の作品として恥ずかしいから、と。その上、それを責めると殴りつけた。こんなことが、他にもたくさんあった。その度に、訴えられるもんなら訴えてみろと、邪悪に笑ってな……。金返せと怒鳴る前に、まず慰謝料を払え」
「ああ好き勝手言ってろ! お前が誰を敵に回したのか、いつかわかる時が来るから!」
「それ言えば論破したことにはならねえんだよ」
「ああ、もう好きにしな! いい! お前の言い分なんて一切通らないから!」
まともに話も通じない相手に、優は再び溜息を吐いた。
その間も、父親は優へと罵声を投げかけている。
お前なんか一つも正しくない、と。
ゲームなんて下らないものにばっかり熱中しやがって、と。
浴びせられる理不尽の中、やるせない思いで優の心が埋め尽くされそうになったその時!
「それは聞き捨てならないね」
横から翔が口を挟んだ。
優の両親はそちらへ振り向き、眉を顰める。
そして、優は白い目で翔を睨んだ。
「またお前か……。いつからいたんだ?」
「ついさっきだよ。せっかく助けに入ったんだから、そんな顔しないで。ね?」
「……お前にどうにかできるのかよ」
「任せてよ。それにほら……優君は今から忙しそうだし……」
そう言って翔が指さした先から、団体がこちらへ向かって来ている。
彼らは優の姿を確認すると、駆け寄ってデッキを突き付けた。
「お前が噂の優だな? オレたちと勝負しろ! そんでもって、オレたちが勝ったら本戦への出場権を渡せ!」
意味がわからず口をぽかんと開けたまま固まる優。
数秒後、その連中を指さし翔へと視線を向けた。
「お前が呼んだのか?」
その問いに、思わず噴き出す翔。
「違う違う! 何でそんなことする必要があるのさ!?」
「……まあ、お前は嘘が下手だし、今の咄嗟の笑いは本当か。それにしても、今日は厄介な奴が次から次へと……」
「ちょっと! その厄介者に僕も含めないでよ! ご両親は僕が引き受けるから……」
「いや、こいつらの相手もする気はないぞ? オレは試合の申し出を全て断ってるんだが?」
そう言いながら団体へチラリと視線を向けると、不敵な笑みが返された。
「負けるのが怖いのか?」
「ほう……?」
一瞬にして優は表情を豹変させ、デッキを取り出し……。
「オレは今、虫の居所が悪い……。覚悟しろ……」
凍り付くような声色で迫った。
途端に団体は蒼褪める。
その様子を眺め、轟は苦笑し……。
「あーあ、オレ知らね……」
と呟き、そそくさと数歩下がった。
翔はそれを見届けた後、少し離れたテーブルへと優の両親を連れてゆく。
そして、着くなり映像を記録した端末を取り出した。
映し出されたのは、轟との試合のハイライトシーン。
ライフ2からの鮮やかな逆転劇を見せた後、翔は口を開いた。
「ゲームは下らないと、そう言いましたね?」
「ああ言った。ゲームなんて、頭も使わずにただ手を動かしてるだけだ」
「ゲームと一口で言っても、いろいろあるんですよ? 手を動かすだけというのは、たぶんアクションかシューティングをイメージしてるんじゃないですかね? もっとも、それらも距離やタイミングの計算、動きの予測や分析とか、頭も使いますけどね」
「物は言いようだな」
「本当にそうでしょうか? 優君が今やってるのはカードゲーム。自分でデッキを作り、毎回違う局面で柔軟に考えなければならない。特に優君はデッキ作りが上手くてね、誰も思いつかないような組み合わせを次々と閃くんです。あの発想の豊かさは、間違いなく天才ですよ」
「だから何だ!? それが何になる? 優は医者になれば、誰かの役に立てるんだ!」
「優君は、今まさに命を救っています」
そう言って翔は手のひらで花織を指し示し、視線を促す。
「優君は、あの子の母親の治療費のために、大会での優勝を目指しているんです。トラウマを植え付けられた強敵にも、立ち向かう決心をして……」
「それがどうした? 医者になれば、もっと多くの人を救える!」
「そんなに医者にさせたいんですね……。自分がなれなかったからですか?」
「はあ!?」
明らかに、父親は声を荒げた。
「君と話していても意味がない! 日を改めてもう一度来る。失礼させてもらおう!」
そう告げて去ってゆく両親。
直後、それを追うように優に負けた団体も外へ向かう。
その去り際……。
「覚えとけよ! 今は勝てなくても、本戦でリベンジしてやるからな! 出場権は神って奴から奪ってやる!」
と、捨てゼリフを残した。
それを聞いた優は苦笑し……。
「終わったなあ、あいつら……」
そう一言、呟いた。
轟も呆れて笑っている。
こうして、優に降りかかった災難と騒動は鎮まった。
――そして、これは優たちが知る由もない話。
優の母親は、家に着くなり指示を仰ごうと電話をかけた。
「……あ、もしもし。キョウさん?」
「はい、お母様。如何でしたか?」
「それが、全然聞く耳を持ってくれなくて……。それに、邪魔者も入って主人がいいように言い包められて……」
「そうですか。では、また新たな作戦を考えますので、少々お時間いただきますね」
「はい。お願いします……」
切れる通話。
笑うキョウ。
「傑作だ! 世の中バカばっかりだ! これだから面白いんだ、悪事ってのは。なあ、アヤメ?」
向けられた視線の先で、アヤメと呼ばれた女子が口を一文字に結んでいる。
「私は許せないわ。バカな奴がのうのうと生きているのが……」
「そうか……。じゃあ、あいつら好きにしてもいいよ」
「……見るのも嫌だから、いい」
そう言って、アヤメは部屋を出た。
――それから約一週間後。
再びショップに母親が現れた。
ドアを開けるなり駆け寄ってくる様はまさに狂気。
その姿が目に入り、優は倦んざりとした表情で項垂れた。
わかりきっているからだ。
何度言っても無駄と。
聞く耳を持たぬ相手だと。
今更変わるわけがない。
変わりようがない……。
そう、優は思っていた。
だが、次の瞬間!
「ごめんなさい!」
母親は目の前で土下座した。
予想外の出来事に優は唖然。
数秒後、母親はゆっくりと顔を上げ……。
「私たちが間違っていたわ。本当に、何て言ったらいいのか……」
俯いたまま、か細い声で後悔を口にした。
だが、簡単に許せるわけもなく、優は冷たい目で見下ろす。
「何も言わなくていい。もう、来ないでくれ」
「……あのね、お父さんも謝りたいって。でも、会いたくないって言われそうだからって来なかったの」
「ああ正解だ。顔も見たくない」
「……大会、見に行きたいらしいんだけど」
「来るなっ!!!」
間髪入れずに、これまでに出したことのない大きさの声で優は怒鳴った!
その声量は、轟の怒鳴り声さえも凌駕する程。
あまりの勢いに、母親は怯む。
それに向かい、憎悪と軽蔑の視線を送る優。
母親は弱って、助けを求めるべく花織へと視線を向けた。
だが、返されたのは厳しい視線。
そして……。
「優さんの気持ちを考えてあげてください。心の傷は一生残るって言いますよね? 優さんは、あなた方のことが嫌いになったんだと思います。これ以上、苦しめないであげてください」
そう静かに、しかし強く言い放った。
トボトボと帰ってゆく母親。
その姿が見えなくなると、優はふと思い立ってバッグから進路調査票を取り出した。
「ずっと、これが書けなかったんだ……」
そう言って、そこへ記入した文字は……第一志望にプロゲーマー。
ただその一つだけ。
その用紙を見つめる優の表情は、これまでになく晴れやかだった。