因縁の相手
特訓の合間、次のテーマ図を作っている途中。
優はふと手を止め、轟へと視線を向けた。
「本当によかったのか? ゴールデンウィーク中ずっと特訓で」
「おうよ! 結構楽しいし、全然問題ねえな!」
「……金持ちなら旅行とか行くイメージだけどな」
「んなもん飽き飽きだぜ」
そう吐き捨て、溜息を吐く轟。
そこに悪気など微塵もない。
が、優はそれを嫌味と受け取り、乾いた笑いを漏らした。
しかし、轟は笑われた理由がわからず、怪訝な表情を返し……。
「何がおかしいんだよ? 別に変なことは言ってねえだろ。バカにしてんのか?」
などと、不平を並べ出す。
優はそれを苦笑で躱し、続いて花織へと視線を向ける。
すると、目に映ったのは生き生きとした表情。
言わずとも伝わってくる彼女のやる気に、優の顔にも笑みが零れる。
「……心配するまでもなかったな」
「はい!」
優の呟きへと力強く応える花織。
轟はそのやり取りを見て、ふと気がかりなことを思い出した。
「そういえば、花織は何で優勝したいんだ? カードゲーム経験者でもねえんだろ?」
「お母さんが病気で、治療費を用意できたら心配事が少し減るかなって……」
「んぐッ!」
想定外の重々しさに思わず呻く轟。
そして、花織への意地悪な言動を改めて悔い、その罪悪感から項垂れる。
「悪ぃ……そんな事情があったなんて、全然知らなかった……」
「いえいえ、いいんです! 事情を知らなかったのはお互い様ですから」
「いいや……良くねえ。お前がそれで良くても、オレが納得できねえ! もしオレが優勝したら、賞金はくれてやらぁ!」
「ええ!? でも、ご両親が……」
「説得してやるさ! 優勝までしたんだから、こっちの話だって聞いてもらうぜ!」
声高々に宣言し、豪快に笑う轟。
そこへ……。
「おい」
短い言葉で横槍が入った。
声がしたのはテーブルの真向かいから。
言うまでもなく、そこにいるのは優。
轟がそちらを向くと、その仏頂面が目に映った。
「何だよ優? 水差すなよ!」
「誰が優勝するって? いや、違うか。優勝までしたんだから、と、まるで完了形のようにお前は言ったな?」
「面倒な奴だな本当に! 仮の話だ! 仮の!」
「仮にでも、このオレに勝てると?」
「ああもう、本当に面倒だな」
下らない言い合いをする二人。
と、その時!!!
「やっと見つけたよ、優君……」
不意に横から掛けられた声。
優は顔をそちらへ向けるより前に……否、その声が聞こえ始めた時にはもう、既に目を見開いていた。
優はその声を知っている。
聞き間違うはずもない、その声を。
口調こそ翔に似ているが、声音が全く違う。
翔の明るく爽やかな、お日様のような声とは真逆。
その声は水面を微かに揺らすかの如き、悍ましさを帯びた静けさ。
にもかかわらず、耳にぞわりとした感触を残す程、はっきりと響く。
それは、静寂の中でその声だけが聞こえたような感覚。
まるで一瞬、時が止まったのかと錯覚する程の……。
その声にハッとし、振り返った先に佇んでいたのは神。
優を見つめるその表情は、とても悲しげ。
一方の優は、柄にもなく狼狽している。
振り向いた際に半歩飛び退いたままの、アンバランスな姿勢。
見開いたままの目と、大きく開けた口。
蒼褪めた顔。
冷や汗。
驚愕のあまり固まる優を見て、神は深く溜息を吐いた。
「久しぶりに会ったというのに……そんなに僕のことが嫌い?」
寂しそうに問いかける神。
数秒後、優は徐々に落ち着きを取り戻し、神を睨んだ。
「……何しに来た?」
「大丈夫、すぐに済むから。僕は君に伝えなきゃならないことがあって来たんだ」
「……言ってみろ」
「ウィザーズウォーゲームの大会、今回は出ないでもらえるかな? また君に嫌な思いをさせたくないんだ。僕が大会に出るのはこれが最後。だから、今回だけ……」
「……嫌だと言ったら?」
「今日一日、じっくり考え直してほしいかな。明日また来るよ。それじゃ……」
神は一方的にそう告げ、去っていった。
その後ろ姿を見送った後、呆気に取られていた轟と花織が優へと向き直る。
「何だよあの言い種! 大会に出るなだなんて! 何でもっと強く言い返さなかったんだ!?」
轟の問いかけに返答せず、呆然と立ち尽くしたままの優。
その様子に、不安を募らせる轟と花織。
「今の奴、天才ゲーマーの神だろ? あいつとお前の間に何があったんだよ!? なあ!」
「優さん、答えてください! 一体何があったんですか!?」
口々に問う二人。
対し、優は俯いて深い溜息を吐き、首を振った後にゆっくりと顔を上げた。
「……どうしても聞きたいか?」
凄みを効かせ問う優。
だが、負けじと二人も強く頷く。
優は苦虫を嚙み潰したような顔を見せるも、観念して口を開いた。
語りながら、その脳裏を過去の映像や声が駆け巡る。
――五年前のこと。
その頃の優は、とある男と親しくしていた。
否、厳密に言えば、優がそう思い込まされていただけ。
出会いはゲーム大会。
優が優勝した際に、男の方から声をかけてきた。
当時、優は中一で、その男は大学生。
歳が離れていたものの、優は簡単に心を開いた。
なぜなら、男は優の心の闇を見抜き、その弱みを突いたから。
次のような調子で……。
「君、すごいね! こんな素晴らしい試合、見たことないよ! 将来はやっぱりプロゲーマー?」
「え、いや……。親が厳しいし……」
「えー!? もったいないよ! こんなに才能溢れているのに! 親になんて言われたの? 相談に乗るよ!」
単純な言葉。
しかし、優の耳には心地よく響いた。
なぜなら、優は親に酷い仕打ちを受けていたから……。
こうして、彼らは親しくなった。
だが、それは男の目論見通り。
罠へとかかった優に対し、男はキョウと名乗った。
……名乗ったが、それは偽名。
しかし、花織たちに語っている現在も、優は未だ知らないまま。
故に、二人へも語られず、話は次へと進む。
キョウは、優が大会に出場する際は決まって応援に向かい、優勝する度に称賛した。
そんなことを続けていたある日。
キョウは話を持ちかけた。
「ねえ、この大会出てみなよ! 新しくリリースされる格闘ゲームだってさ!」
「う~ん……。他のゲームが気になってるんだけど、どうしよう」
「このゲーム、絶対に話題になるから! ね!」
「……まあ、そう言うなら」
こうしてまんまと引っかかり、優は大会への参加を決める。
そして当日。
同じく大会に参加していた当時まだ無名の神と初戦で相対。
結果は惨敗。
手も足も出ずに一方的な負け。
そして試合後。
キョウのもとへと戻った優は、思いがけない言葉を投げつけられた。
「がっかりだよ。何あれ? あんな無様な負け方しておいて、よく平気でいられるね。見ているこっちが恥ずかしかったよ。君とはもう一緒にいられない」
そう告げて去ってゆくキョウ。
あまりの衝撃に優は声も出ず、膝から崩れ落ちた。
そのまま長らく放心していると……。
「気にする必要ないよ」
神が現れ、声をかけた。
そして、ゆっくりと顔を上げた優へと、さらに続ける。
「……さっきの、友達とは呼べないと思う。これで正解だったんじゃない?」
「……は?」
「いや、だから……」
「圧勝したからって調子に乗ってんじゃねえ! 何様のつもりだ!? 上から目線で言いやがって! そんなに自信あるならお前、オレともう一回勝負しろよ! 今度こそ……」
「いいけど、何度やっても同じだよ。僕に攻撃は通らない」
「ッ!? いい加減にしろよテメェ! その自信へし折ってやる!」
こうして、二人の再戦が始まった。
が、宣言通り、何度やっても神にダメージを与えることはできない。
ただただ、一方的に負け続ける。
何度やっても……。
そして、トドメに神が種明かしをした。
心を読める、と。
さらに、対戦中の優の思考内容を全て事細かに言い当ててゆく。
優は気味悪がり、ついにその場から逃げ出した。
そのことがきっかけで優は心を病んでしまう。
前よりも暗い性格に捻じ曲がり、表情も口調もどんどん暗く染まっていった。
それだけでない。
彼にとって唯一の居場所だった、ゲームという世界。
それさえも悲劇を思い返すきっかけとなるため、しばらくは触れることすらできなかった。
二年後、対人でなければゲーム可能なまでには回復したが、傷が全て癒えたわけなどない。
彼にはもう、プロゲーマーとして表舞台に出る気はすっかりなくなっていた……。
――以上が今も尾を引く優のトラウマ。
丁度今、優も花織たちへと彼視点で語り終えたところだ。
轟は絶句し、花織は口元を両の手で覆い涙を浮かべている。
そんな中、優の乾いた笑いが響く。
「おかしいだろ? キョウはともかく、神は正論を言ったに過ぎない。なのに、あいつもキョウと同様にトラウマなんだ」
「……ないですよ」
微かな声に優が視線を向けると、その目に花織の顔が映った。
口を一文字に結び、涙が頬を伝っている。
数秒の沈黙の後、その口が再び開いた。
「……おかしくなんて、ないですよ。確かに、そのキョウって人は最低だと思います。でも、神さんだって、もっと他に言い方があったと思います。言ってることがいくら正しくても……そんなのっ! 絶対間違ってます!」
叫んだ声の間は嗚咽ではなく、昂る感情そのもの。
その迫力に、優も呼吸を忘れて見入る。
自分のことのように号泣し、顔を真っ赤にする花織のその姿に……。
そしてさらに続ける。
「間違ってますよ……。そんな冷たい言い方じゃなくて、もっと他にあったと思います。さっきだって、優さんの気持ちを一切無視してたじゃないですか! 悲しいですよ、そんな言い方されたら……」
言い終えた後、花織は両手で顔を覆った。
その一部始終を見守っていた轟が、険しい表情を優へと向ける。
しかし、優は黙ったまま。
一秒毎に、より鋭く睨む轟。
それでも優は自分から話そうとせず、轟は痺れを切らした。
「なあ! どうすんだ優!?」
問い詰める轟。
優はその目をまっすぐ見つめ返す。
「……もちろん、受けて立つ。けど、お前たちは見に来るな」
「何でだよ!?」
「……嫌だからだ」
「ああっ!?」
「また幻滅されるのが嫌だからだ!」
優の悲痛な叫びが響く。
対し、轟は舌打ちした。
「お前、まだそんなこと言ってんのかよ? この轟様がそれくらいでお前の評価を変えるとでも? ましてや花織なんて、こんなに思いやりに溢れてるのによぉ! 負けたくらいで何だってんだ! いい加減、キョウなんてバカな奴のことなんざ忘れちまえ! ほら、花織! お前も何とか言ってやれ!」
「……どうしても見られたくないなら、見に行きません。けど……もし負けた時は、一人で背負い込んでほしくないんです」
花織たちの温かい言葉が優の不安を溶かしてゆく。
数秒後……。
「好きにしろ」
とうとう優が折れた。
外方を向き、いつも通りのたったの一言。
だが、声のトーンは温かく、表情は穏やか。
その心内が伝わった轟たちが、頼もしい笑みを向ける。
「おう! 見守っててやるからな!」
「大丈夫です! 優さんは一人じゃないですから!」
二人の応援に対し、優は特に何も応えなかった。
しかし、彼の横顔を見れば一目瞭然。
その微笑みが全てを物語っていた。