優しさ
轟と優の一悶着に出会してしまった花織。
彼女は気まずさのあまり俯き、優も露骨に目を逸らす。
経験上、彼にはこういう時いい思い出があった例しがない。
大抵は非難を浴びる羽目になるため、今回もどうせそうだと決めつけている。
そして、その居心地の悪さを誤魔化そうと、口を結んだままデッキを片付け、ケースから新たにカードを取り出す。
その間、ずっと流れる沈黙。
数秒後、優はカードを並べながら……。
「……いたのか」
ぼそりとそう呟いた。
そのたったの一言でも花織は萎縮してしまう。
無理もない。
いつ破門にされるかわからない彼女にとって、優は恐怖でもあるのだから。
それでも重たい口を何とか開き……。
「……はい」
と、ようやく声を絞り出した。
しかし、問答は続く。
「いつから?」
「……バトルの途中からです」
「そうか。待たせて悪かったな」
「いえ……」
「それじゃ、始めるか……」
優はテーブルに作った局面図を手の平で指し示した。
花織は対面に移動し、浮かない顔でそれを見つめる。
優も暗い表情のまま口を開く。
「カードゲームにおける最も基本的な考え方に、盤面の有利不利というものがある。今、オレの場にはベビードラゴンが1体。お前の場にはカゼスズメとチャームマーメイドが1体ずついる。ベビードラゴンを倒したい場合、どうする?」
「え、ええと?」
困惑する花織。
数秒後、流れる沈黙を断ち切るように優がカードを指さした。
「オレの場にいるベビードラゴンはパワー3、ライフ1。お前の場のカゼスズメはパワー1、ライフ1。チャームマーメイドはパワー1、ライフ3。どちらで攻撃した場合でも、反撃ダメージを受けるから相打ちになる。ここまではルールとして教わったか?」
「はい、翔さんが教えてくれました」
「そうか。なら、これが次のステップだ。どちらで攻撃しても相打ちだが、カゼスズメで攻撃した方が、より強い味方を生き残らせることができる。言い方を変えると、カゼスズメのライフ1に対してベビードラゴンのパワー3が過剰で、その分だけ無駄になったとも説明できる」
優はそれぞれのライフを指さし、丁寧に説明する。
対し、花織はゆっくりと頷いた。
「確かに。それならパワー1でも足りている、ということですね」
「ああ。逆に、オレの場にいるのがパワー1ライフ1のレプリカだった場合、今度はチャームマーメイドで攻撃すれば犠牲を出さずに済む。が、チャームマーメイドはダメージを受けたことにより倒されやすくなる。どっちがいいかはその時によって変わるから、一概にこれが正解とは言えないな」
「難しそうです……」
「まあ、すぐに身につけろとは言わない。今後、少しでも意識すればその内慣れるだろう。ところで……」
優が花織へと視線を向ける。
そして……。
「どうかしたか?」
解説中も続く重たい空気に、とうとう優も耐えかねて問い質した。
思わず花織が目を逸らす。
「え、ええと……」
言い淀む彼女を前に、優の視線もキツくなる。
「轟をコテンパンにしたのが気に入らなかったか?」
「い、いえ! そういうわけじゃないです!」
慌てて否定する花織。
だが、優の疑念は消えない。
「本当にそうか? あまり気分がよくないように見えるけどな……」
「ええと……」
花織は焦りながらも、言うべきことを頭の中で整理する。
数秒後、意を決し……。
「すみません!」
まず最初に勢いよく頭を下げた。
そして、ゆっくりと顔を上げ、弁明を続ける。
「不快な思いをさせたのなら謝ります。けど……。けど! 本当にそうじゃないんです! 優さんは本気で対戦しただけですし、私が助けを求めたのがきっかけです。それに、轟さんはマナーを破り、周囲に嫌な思いをさせていました。その轟さんを懲らしめた優さんの気持ちもよくわかります。優さんがゲーム大好きなのはすごく伝わってきますから、その大好きなゲームを汚されたら怒るのも当然です。なので、優さんに対して嫌な思いとかは一切ないです。けど……」
「……けど?」
「けど、轟さんにも何か悩みがあって、そういう形でしか助けを求めることができなかったのかなって、そう思ったんです。できることなら、助けてあげたいです……。でも、それって私を助けてくれた優さんに対する裏切りになるんじゃないかと思って……。もし私が優さんの立場だったら、何だか悪者にされてるようで疎外感を覚えると思うんです。それで、言い出せなくて……」
花織が一気に話し終えると、優は拍子抜けし、深く溜息を吐いた。
「……お前、こういう時はオレみたいな偏屈を悪者にするのが定石だぞ? 今までの奴はそうしてきた。何でわざわざオレを気にかける?」
「そんなの当たり前じゃないですか! 優さんは悪い人じゃないからですよ。優さんが悲しい思いをしたら、私だって悲しいです……!」
「……変わった奴だ」
そう呟いた優の口元には、穏やかな笑みが浮かんでいる。
そして、真剣な表情で見つめてくる花織へとまっすぐに視線を交わし……。
「好きにしろ」
たったの一言、そう返した。
とても短い言葉。
だが、それはいつものぶっきらぼうな言い方ではなく、柔らかで温かみのある声だった。
その思いが花織にも伝わり、満面の笑みが咲く。
「はい! 明日、もしまた来たら声をかけてみます!」
「まあ、がんばれ」
そう言って優も微笑んだ。
その後は和やかな空気となり、以降の指導も穏やかに進行し、無事に終了。
そして迎えた次の日。
優が花織へ基本を教えていると、再び轟が現れた。
それに気付いた優が轟と視線を交わす。
だが、轟は何も言ってこない。
なので、優は気にせず花織への指導を続けた。
しばらくして、一段落を迎えた時のこと。
隣のテーブルで待つ轟へと花織が視線を向けた。
しかし、彼は優をじっと見ているため気付かない。
優も次のテーマ図を作ろうとカードに目を配っており、気付いていない。
気まずい空気の中、花織は声をかけようと勇気を振り絞る。
そして……。
「あの……」
やっとの思いで声を出した。
不意のあまり、驚いて花織の方へと向く轟。
直後、その表情が曇った。
「……悪かったな。ここにいられたら、そりゃあ嫌な気分にもなるよな。用が終わるまで待って、もう一度リベンジしようと思ったんだが……。先客がいたことだし、出直すとするぜ」
そう言って苦笑すると、轟は踵を返しかける。
その背に向かい、花織は思わず手を伸ばした。
「待ってください!」
呼び止める声に、轟が振り向く。
花織が自分に一体何の用があるのか。
皆目見当もつかず、困惑する轟。
一方、花織は花織でどう声をかけたものかと迷っている。
十数秒後、悩んだ末にようやく口に出した言葉は……。
「あの……もしよかったら、私ともう一度バトルしませんか?」
まさかの再戦の誘い。
予想外の出来事に、轟は再度驚いた。