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侯爵令嬢は北国の熊さんに恋をする

作者:季結
少し長めです。

4/1に日間恋愛ランキング1位になりました!
この場でお礼を申し上げます。
たくさんのブクマ、評価、感想ありがとうございます!

 キラキラと輝くシャンデリアの下、綺麗に着飾った人々の輪の中心でそれは起こった。

「ジリアン、お前との婚約はこの場で破棄させてもらう」
「なっ……なぜですか?私が何をしたというのです?」

 トレイン侯爵家の長女であるジリアンは夜会で突然、婚約者であるデイビットに婚約破棄を告げられた。
 この国の王太子であるデイビット・トリスタン・ウッドと婚約して9年。来年には結婚式を控え、王太子妃となるべく厳しい教育を受けさせられてきた。
 デイビットとの関係は悪くなかった。父親に王城へ連れられ、初めて会った王子にジリアンは一目惚れし、彼もまた優しく接してくれた。勉学も剣も努力を怠らず、誇り高い王子にジリアンも彼の隣に立つのに相応しい人間になろうと頑張ってきた。二人には長年築き上げてきた絆が確かにあった。
 それが崩れ始めたのは昨年のある出来事からだった。
 ある日突然、教会に光と共に一人の少女が現れたのだ。少女の名前はヒトエ・イノガシラ。ヒトエはこの国では珍しい黒髪、黒目で愛らしい容姿をしていた。彼女は別世界から訪れたらしく、司教曰く聖女として神に召喚されたらしい。
 ウッド国は大国だが現在争っている国はない。また疫病が流行っているわけでも、魔獣の被害があるわけでもなかった。それなのに神が聖女を呼んだということは何かあるのかと国民は不安がった。
 聖女をないがしろにするわけにはいかず、ヒトエを王城で客人として招き入れることが決まった。貴い存在であることは確かなのだ、誰もが彼女を大事にもてなした。
 デイビットは彼女がウッド国で寂しい想いをしないようによく気遣っていた。また異世界の話は彼にとって新鮮だったらしく、知識に役立ちそうだと彼女との時間を多く持つようになっていた。それはデイビットだけでなく、宰相の息子であるマーリー家の長男や騎士長の息子、大臣の嫡男と未来ある若者数人が同じ気持ちだったらしく彼女の周りに集まるようになった。
 ジリアンはデイビットとの時間が減ったことを悲しんだが、違う世界に来て心細い彼女を元気づけてあげているのだと思い、口出しはしなかった。
 だがいつしかデイビットの心はヒトエに完全に傾いていたようだ。数日に一度は送ってくれていた手紙や花束はなくなり、夜会のエスコートすらしてくれなくなった。
 しかし妃教育も大詰めだったため、ジリアンは不審に思う余裕はなく、更に度々体調を崩して伏せることが多くなっていた。
 そんな中、久しぶりに出席することになった夜会でジリアンはデイビットに身に覚えがないことで責められることとなった。

「身に覚えがないはずないだろう。胸に手をあて、思い出すがいい。そして罪を認めろ」
「罪、ですか?」
「そうだ。ヒトエに対する嫌がらせの数々……よもやそのような女だとは思いもよらなかった」
「ヒトエさんにですか?私はそのようなことをした覚えはありません…」
「嘘をつくな!会う約束をしていないのに何度も王城へ来ていたのはそういう理由だろう!」

 ジリアンが王城へ足を運んでいたのは妃教育を受けるためだ。ヒトエと二人きりで会ったことは一度もない。彼女の周りには常に男性達が居る。デイビット含め、彼らがそのようなことはなかったと証言できるはずだ。
 だが彼らは冷たい目でジリアンを睨みつけるだけで擁護してくれることはなかった。
 訳も解らずに戸惑っていれば、瞳を潤ませながらヒトエがデイビットの腕へ縋るように腕を伸ばしてきた。

「デイビット様、私は気にしていませんから。きっと私が知らぬうちにジリアン様の機嫌を損ねるようなことをしてしまったのです…」
「ヒトエ……すまない。もっと君に気をかけていれば、このように傷つくことはなかった」

 彼女の細い腕には包帯が巻かれている。色の白さから余計に痛々しく見える。
 デイビットの話ではあの包帯の下は火傷があり、火を操る魔術に長けているジリアンがやったとヒトエが涙ながらに訴えたらしい。
 ジリアンに覚えはない。魔術は勉学の一教科に過ぎないし、人に危害を加えるなんて考えたこともないのだから。

「そんな悲痛な表情をなさらないで…いずれ傷は癒えます」
「痛いだろうに私を気遣うとは……さすが聖女だ。身も心も美しいヒトエ」
「貴方が傍に居てくれたら痛みなんて感じません。だから私の手を放さないで」
「あぁ…約束する。ずっと君の傍に居るから」

 婚約者はジリアンなのに、二人は恋仲のようにお互いを甘く見つめ合う。

(あれは……誰?私が知っているデイビット様じゃない…)

 かつては自分があの位置に居た。いや、ジリアンはあんな風に見つめられたことはない。

「私も貴方を支えますよ、ヒトエ」
「私もです。今後はこのような事態を招かないと誓います」
「王子だけでなく、私達も居ますから…安心してくださいね」

 魅了され、ヒトエに群がる彼らが異常者に見える。
 ジリアンも彼らとは長い付き合いだ。皆、目標を持って生きており、互いを高める良き友人でライバルでもあった。

「デイビット様、クロード様、チャールズ様、ニルス様。一体どうされたのですか。目を覚ましてください」

 このまま聖女しか見えなくなるようなら国の未来が危うい。
 しかしジリアンの心配は彼らには届かなかった。それどころかデイビットの両親である陛下と王妃も聖女の異世界の知識と人心術の方がジリアンよりも価値があると判断した。
 国のために尽くしていたジリアンは罪を科せられ、国外追放されることとなった。それだけでなく野蛮と噂される北国の蛮族へ宝物として贈られることが決まった。
 トレイン侯爵は憤慨したが、ジリアンは人の裏切りによって心がボロボロになっていたので国から離れられることに安堵すら覚えた。


**********


 雪が降り始めるともう次の季節が訪れるまで引き返せない。
 ジリアンが向かったオーレスク国はかなりの豪雪地帯で1年の半分は雪に埋まっている。崖を削って作られた小国であまりに辺鄙な場所のため、他国に忘れられた国とも言われている。
 ただこの国の兵士達はどこの国よりも強く、凶暴で戦の時には傭兵として雇われることも少なくないという。むしろ何もない土地ゆえにそうやってお金を稼いでいるようだ。
馬車を半月程走らせた先に見えてきたのは城というより砦に近い建物だった。

(この国に住むのはどのような人達だろう。獣に近い姿で言葉もあまり通じないと聞くけど…)

 ウッド国とは今まで交流を持ったことのない国だが、借りを作っておいて損はない。
 ジリアンならばどこの国でも重宝されるだろうからきっと喜ばれると、国から出る際に陛下からお言葉を頂いた。国の歴史や政治についても学んでいたので情報が他国に流出するとなるとウッド国に支障が出る可能性がある。しかし国内に閉じ込めるにしても実家であるトレイン侯爵はそれなりの力を持っているので厄介だ。だからほとんど雪に埋まった国の、頭の良くない王の元へ贈ることにしたらしい。

「ジリアン様、これより先は細い橋なので馬車では進めません」

 窓から外の景色を眺めれば城の門の前に細長い橋がかかっている。下は暗闇で底が見えない、本当によくこんな場所に城を建てたと感心してしまう。

「わかりました。歩いて向かいます。貴方達はもう帰って結構ですよ」
「いえ、そんなわけには…」
「大丈夫、私はもうほかに行くところはないのですから逃げたりはしません」

 厚手のコートに帽子、手袋と防寒具をしっかりとつけて鞄を持つ。何もかもを置いてきたのでそんなに荷物は多くなかった。
 馬車はジリアンを道に残し、来た道を戻っていく。口ではあんなことを言っていたがジリアンの言葉に従者の顔はホッとしたようだった、やはり噂を知っているので怖かったのだろう。
 橋を渡りきったジリアンは閉ざされた門を前に立ち尽くす。
 ウッド国から正式な書状は届いているはずだが門は開いておらず、衛兵も立ってはいない。
 一方的に贈られてきたジリアンを歓迎していないのかもしれないが、ジリアンだってもう後には戻れないのだ。

「門から建物まで距離があるから声は届かなそう。そもそも私はそんなに声量もないし…今まで訪ねてきた人はどうしていたのかな」

(インターホンでもあればいいのに)

 溜息をつき、ジリアンは荷物を地面に置いて空を見上げる。
 インターホン、それはこの世界にはない機械だ。
 ヒトエに聞いたわけではない。実はジリアンはヒトエと同じ世界に住んでいた記憶がある転生者だった。
 ただジリアンは前世の記憶を生かそうとはせず、この世界の理を歪めてしまうのではないかと危惧し、口にすることはなかった。ヒトエのような少女が世界を渡ってきたことに驚いたが、本当は前世の話ができるかもと密かに喜んでいたのだ。タイミングが合わずにそれは叶うことなく、こうして機会も失くしてしまった訳だが。

(デイビットを好きになったから私が邪魔だったにしても、ひどいやり方をしてくれたものね)

 狭い馬車で半月も揺られていれば考える時間はたくさんあった。おかげで心の整理がつき、現在はだいぶ落ち着きを取り戻せた。
 前世では無縁だった少女漫画のような恋をこの世界で経験することができた。物語のようにハッピーエンドといかなかったのは悲しいが、そこがまた現実だと教えてくれている。
 ぼんやりと見上げていた視界に立ち上る煙が映る。煙は城の方から上がっていた。焦げ臭い匂いが鼻に届き、まさか火事ではと門に手をかける。
 その時、後方から唸り声が聞こえた。

「な、何?……っ、狼?」

 振り返れば数匹の狼が橋の真ん中からこちらに近づいてきている。
 前方は煙の上がる城、後方は狼とジリアンは予想を超えた物騒な場所に来てしまったらしい。

(今更大声で助けを呼んでも間に合わない。野生の獣は火に弱いはず)

 ジリアンは防寒具を投げ捨て、橋の前に立って手を構えた。
 もう彼女を護ってくれる人達はいない。自分の力だけで切り開かないといけないのだ。

(魔術を生き物に使うのは初めて。でもやるしかない)

 深呼吸をし、意識を集中して火の玉を作り出したところで何かが頭上を飛んでいった。

「ギャウン!」

 なんと無数の岩の塊が狼達へ降り注いだ。
 橋は崩壊し、狼達は谷底へ落ちて行ってしまった。
 何が起きたのかわからないジリアンは呆気に取られ、手の中の火の玉もいつしか消えていた。

「あぁっ!橋が!」
「どうするんですか、しばらく村へ下りることができなくなりますよ!」

 後ろからバタバタと足音が聞え、状況を嘆く声が聞こえてくる。
 振り返れば兵士らしい男達と威厳のある空気を持った男が門を開けてこちらに近づいてきた。

「…仕方ないだろう。嫁が危なかったんだ」
「嫁?何を言って……っ、ウッド国から貢ぎ!ぐえっ!」
「失礼な物言いをするな。貴方はジリアン・ギリアス・トレインで合っていますかな?」
「は、はい!ウッド国より参りました、トレイン侯爵家が長女ジリアンと申します」

 名を問われ、ジリアンはドレスの裾を持って礼の姿勢を取る。
 声をかけてくれたのは熊のような大男で、もみあげと髭が繋がっている厳つい顔の男性だった。毛深く、相撲取りのような体格をしているが、脂肪ではなく筋肉のようであまりの逞しさに凝視してしまう。
 彼もまたじっとジリアンを見つめてくる。淑女をそんな風に見つめるのは失礼にあたるがジリアンは彼の視線に嫌な感じはしなかった。
彼は外見とは逆に優しい澄んだ目をしていて、温かな眼差しを向けてくれている。

「「………」」

 数秒間見つめ合っただけでお互いの人となりが伝わり合った気がした。

(何だろう。胸がドキドキする)

 二人の雰囲気に飲まれ、固まっていた兵士達の間を割って入ってきた人物によってこの空気は壊された。

「陛下。いつまでもジリアン様を放置していないで中へ招いてください。ジリアン様、お出迎えが遅れたばかりか、恐ろしい目に合わせてしまったことをお詫び致します。私はこの国の宰相でマルコと申します。お見知りおきを」
「マルコ様、よろしくお願い致しま……え、えぇっ!陛下!?」

 ジリアンは目の前の男がオーレスク国王陛下であることをこの時点で知り、驚きに声を上げた。



 ジリアンがあんな風に外で放置されたのはどうやらウッド国側の落ち度のようだ。
 到着は明日と聞いていたのでオーレスクの人々は迎える準備をしてくれていたらしい、人が足りずに衛兵も一時的に持ち場を離れたとか。
 中へ入って驚いた。どこもピカピカに磨かれ、あちこちに花が飾られている。火事だと思った煙は明日の晩餐用に獣肉の燻製を作っていたとのことだ。
 てっきり招かれざる客として冷遇されると思っていたのに、ここの人達は温かく迎えてくれた。
見た目はごついが性格は明るく、親しみやすい人達ばかりだ。
 最初に自分を嫁と言った陛下は、始めからジリアンを妃として迎えるつもりだったと宰相に聞かされた。

「私が妃の座についてよろしいのですか?ウッド国で何があったのか知らされているはずです」
「俺は多くの戦地に赴き、人間のあらゆる面を見てきた。だから人を見る目には自信がある。ジリアン、君は信用に値する人間だ」
「っ!」

 嬉しかった。ジリアンは母国で多くの人に手の平を返されたから。
 陛下と初めて視線を交わした時、ジリアンも彼が信じられると直感が告げていた。

「…陛下、私は母国では誰にも言ってなかった秘密があります。聞いてくれますか?」
「?あぁ」

 ジリアンは今度は隠すことなく、前世の記憶があることを陛下に伝えた。

「そうか。それでジリアンはその記憶をどうしたいと考えている?」

 信じてくれただけでなく、陛下は異世界の知識を搾り取ることをせずにジリアンの判断に任せる意向を示した。

「この国の役に立つことができれば、それ以上のことはありません」
「気持ちは嬉しいが気負う必要はない。オーレスクは国というよりもでかい家族だと思っている。気兼ねなく日々を送ってほしい」
「ありがとうございます…」

 頭を撫でられ、ジリアンは涙を流した。
 ウッド国は生まれ故郷で大事な国だった。幼い頃に婚約が決まり、いつしか自分を追い詰めていたのかもしれない。デイビットのことは本気で愛していたが理想通りの彼ばかりを見て、強い彼に安心して弱い部分を見ようとしなかった。
 誰かを愛するのにまだ心が幼かったのかもしれないと今は思う。



 橋が修復され、村へ下りたジリアンはまず国民の生活をこの目で見させてもらった。ちらほらと雪が舞ってきた中で、元々緑が少ない土地で薪となる枯れた木を探すのが大変だという住人の声を聞いた。前世の記憶から炭団(たどん)や豆炭の作り方を覚えていたので作って提供すれば彼らは喜んでくれた。
 次にジリアンは自分の魔術と前世の知識を活用して、住民の暮らしが楽になる器具の開発に勤しんだ。兵士が傭兵として仕事をしているので使わなくなった武器や鉄屑はたくさんあったため、開発はリサイクルにも繋がった。
 武器の作成をしている人達に制作場所を提供してもらい、時にアドバイスをもらって一緒に開発するまでに時間はかからなかった。
 国民との距離は縮まっても、陛下との距離感は変わらなかった。
 嫁と言うわりにはそれっぽい空気になることはなく、名前だけの妃状態が続いていた。
 宰相は陛下に何度も仲を進展させるよう進言したらしいが、陛下はジリアンの心の傷が癒えるまで静かに見守ってくれていたのだ。
 そして国土の半分を雪に覆われたある夜、陛下はジリアンの前に膝待づいて想いを告げてきた。

「初めて会った日から君に夢中だった。年は離れているし、外見も良くないが…大事にすると誓う。君が欲しい…」

 顔を真っ赤に染め、汗を浮かばせる姿は嘘偽りがないことを表している。
 ジリアンも初めて会った日から今日まで陛下を目で追ってきた。彼は最初から誠実だった。彼のおかげで自分を見直せたし、取り戻せた。
 感謝してもしきれない。ジリアンがこの国で充実した毎日を過ごせているのは陛下が居てくれるおかげだ。

「私に捧げられるものは少ないけど…貴方を愛しています。本当はそう言ってくれるの、ずっと待っていたの……ビリー様」

 二人は心身共に結ばれ、ジリアンはこの上ない幸せを手に入れることができた。
 心の安らげる相手と自分を包み込んでくれる大きな愛は紛れもない本物だった。


**********


 雪が溶け、村の宿屋に旅人が現れるようになった。
 扉が開き、客が入ってきたことをベルが告げる。

「いらっしゃい!」

 女将は整った顔立ちの若者の集団に目を見開いた。

「旅人かい?ここらでは見かけない服装だね」
「あぁ。遠くの国から来たんだ」
「そうかい。ここ数年は色んな国からお客が来てありがたいことさ。部屋は1人1部屋か、2人2部屋か、どうします?」
「1人1部屋で頼む」
「はいはい。なら4部屋だね。今清掃中なんで申し訳ないけど、そこでお茶を飲んで待っていてくれるかい?」
「あぁ、わかった」

 彼らはローブを脱ぐとそれぞれ椅子に座る。
 女将は温かいお茶を彼らに淹れ、湯気の立つ焼き菓子を机に出した。

「至れり尽くせりだな。この菓子は美味い」
「お茶も我が国にはないものだ。オーレスクでしか採れない茶葉か何かか?」

 黄緑色のお茶はほのかに甘く、香りが高い。飲み込めば身体が内側からぽかぽかと温まった。

「王妃様が配合したハーブティーさ。ここらは枯れた土地でね、王妃様が研究し、改良してくれたおかげで自生するまでになったんだよ。そのハーブは家畜の身体も丈夫にしてくれてね、それだけじゃなく旨さも跳ね上がって肉としての価値も上がったんだ。それに冬でも新鮮な野菜が食べられるように温室ってのを開発してくれて、おかげで女達も仕事をもらえてありがたいことだよ」

 女将はペラペラと王妃自慢を述べ、旅人4人はその話を真剣に聞き入った。
 ふと、1人が壁にかかる絵画に気づく。
 そこには毛深い大柄な男性と美しい女性が並んでいる姿が描かれていた。

「女将、もしやあの絵画は…」
「この方達こそが我がオーレスクの国王陛下と王妃様さ」

 自慢げに胸を張る女将の横で、旅人の1人が口元を手で覆う。

「野蛮な蛮族と言われた国の王がこの容姿とは……聞いていたよりもひどいな。こんな男の元へジリアンは送られたのか」
「デイビット様……当時の我らはまともな状態ではなかったのです。事情を話せばジリアン様はきっと許してくださいます」
「そうだろうか……私を恨み、報復を考えていてもおかしくはないはずだ」
「ジリアン様がこの国に来てからというもの、オーレスクが目まぐるしく発展していると聞いています。我が国の情報を売り、他国から巨額の御礼金をもらっている可能性も高いでしょうね」
「クロード!」

 ひそひそと女将に聞かれないよう話していたが感情が高ぶり、騎士団副団長のチャールズが宰相見習いであるクロードの胸を掴む。室内の空気は一気に悪いものへと変わった。

「ちょっとあんた達、揉め事なら部屋は貸せないよ?」
「すみません。少し意見が食い違っただけなので…どうか一晩、お願いします」

 茶色い髪の小柄な男性が懐から財布を取り出し、追加として銀貨を積む。女将はそれをきっぱりと断った。

「悪いね、そういうのは受け取らないよ。宿のサービスを気に入ったのなら旅先で広めておくれ。この国はいい方向へどんどん変わっていっている、私らも国民として国の評価が上がるよう頑張っているのさ」
「………」

 その時、宿の扉が開き客を知らせるベルが鳴った。
 入ってきたのはローブをすっぽりと被り、両手に何かを抱えた人だった。女将はその姿を見ただけで誰かわかったらしく、足早に駆けていく。

「まあまあいらっしゃい!今日はどうしました?」

 女将が抱えていたものを受け取れば、その人はローブから顔を出した。

「いきなり来てごめんね。実は新しい調理器具の開発に成功してさ、城の料理長が宿屋にもあれば便利だろうって」
「だからって王妃様に持たせるなんて、あの馬鹿息子!申し訳ありませんね、今度帰ってきたら叱りますから」
「やだ、私が村の様子を見に行きたいからって願い出たんだから怒らないであげてよ」

 クスクスと笑い、ローブから長い髪を出した女性は女将と楽しそうに話している。
 王妃と呼ばれた彼女は自分の記憶にある、あの頃よりも美しく成長していた。

「……っ、ジリアン…」

 デイビットは数年ぶりに見る元婚約者の姿に涙ぐんだ。
 彼女を断罪した時のことはよく覚えている。ジリアンと結婚することに不満などなく、隣に居るのは当たり前だとすら思っていたあの頃。
 突然現れたヒトエ・イノガシラという少女に心を乱され、ここに居る友人と共に自分達は我を見失った。体調を崩しながらも妃教育を頑張ってくれていた彼女をあろうことか、自分達は責めたてて追放してしまった。
 デイビットの両親である陛下と王妃もヒトエを選んでくれたことに有頂天になり、その後ジリアンがどうなったのかなんて考えもしなかった。領地に引き籠り、ヒトエにしたことを反省しているだろうと、それくらいで………。
 両親がヒトエに誘導され、こんな場所へジリアンを宝物として贈ったと知ったのは彼女の化けの皮が剥がれてからだった。
 あれから魔獣がウッド国に大量に押し寄せ、大勢の兵士や一般市民が重軽傷の怪我を負った。この時のために神は聖女を寄こしたのだろうと皆が思った。だが彼女は怖がって城から出ず、それどころか魔獣退治のためにデイビット達が戦っている間に陛下を誘惑してベッドを共にしてしまったのだ。
 息子の婚約者に手を出したなんて体裁が悪い、しかし陛下もヒトエに夢中になってしまい自分の側室として後宮へ入れてしまった。外で息子が戦っているのに仕事をおろそかにし、ヒトエとベッドで戯れる陛下に王妃と国民は激怒し、国は荒れた。
 魔獣の件が落ち着き、城へ戻ってきたデイビット達はその様に驚く。そして一気に頭が冷えて、目が覚めたのだ。

(これは一体、誰なのだ…)

 尊敬する父は肉欲に溺れる愚か者に成り下がっていた。
 ヒトエは父の側室になったにも関わらず、帰ってきたデイビット達に以前と同じくベタベタと接してきた。無邪気な笑顔で「淋しかった」「もう離れたくない」「本当に愛しているのは貴方だけ」と口にするが信じられるはずがない。
 彼女の存在は国にとって厄災でしかないと、ヒトエは教会にて隔離されることとなった。
 そして父を隠居させ、デイビットが王の座に就くことが決まったのだが、そこで初めてジリアンのことを聞かされ、頭が真っ白になった。
 あれからすでに数年が経っている。
聞けば贈られた国で王妃になったらしい…当然だ、ジリアンは素晴らしい女性なのだから相手が夢中にならないわけがない。

「例え戦争になったとしても…今度こそ間違えない。愛する人を救い出してみせる」

 決意を胸にデイビットは友人達とオーレスクへジリアンを迎えに行ったのだが、彼女は目の前で幸せそうに笑っている。無理やり張りつけた笑顔ではない。それは長年の付き合いでわかる。
 チャールズに背中を押されたが、デイビットは彼女の元へ行くことができなかった。
 再び宿の扉が開く。しかも今度は勢いよく開いたので、その場に居た全員が驚いた。

「ジリアン!」
「あら、ビリー様」
「陛下」

 ジリアンのように変装することなく、ビリーは正装服のまま飛び込んできた。
 汗を掻き、息が上がっていることから急いできたことが窺える。

「どうしたの、慌てて。城の人達には村へ行くってちゃんと伝えてきたわよ?」
「王妃様はこちらをわざわざ持ってきてくださったんですよ」

 女将がジリアンの持ってきた荷物を見せる。それを見るとビリーの顔はますます厳ついものへと変わった。

「もうお前だけの身体ではないのだぞ。頼むから身体を労わってくれ」

 その言葉を聞き、女将は慌ててジリアンの方を向く。

「王妃様、まさか……」
「えへへ、実は懐妊がわかったの。3人目よ」

 ローブを肌蹴け、ジリアンは女将に微かに膨らんだ腹部を披露した。
 ジリアンの真横に並んだビリーは持ってきていたローブを上から羽織らせて背中にそっと手を添える。

「もう心配し過ぎよ。私達の子はそんな柔じゃないって」
「そうだとしても安定期に入るまではもう少し大人しくしていてほしいんだ」
「陛下の言う通りですよ、王妃様。重たい荷物と遠出は控えてくださいよ」

 2人に諭され、ジリアンは唇を尖らせる。しかし本気で気分を損ねたわけではなく、すぐに顔を綻ばせる。

「わかったわ、ごめんなさい。もちろん子供のことは考えているつもりよ、大事な宝だもの…けれど私、やりたいことがたくさんあってじっとしていられないの。本当に毎日が楽しくて仕方ないくらい」
「あぁ、生き生きしているジリアンを見るのは俺の喜びでもある。君がやりたいことは全力で支援する。子供達も君の味方だ、理解を示して今でも手伝いたがっているくらいだ。先が楽しみだよ」
「ふふ、順応力と心が広いのは貴方似よね」
「好奇心と知識力は君似だ」

 ジリアンはビリーの厚く、逞しい胸に抱かれて目を瞑る。
 先に生まれた子はまだ4歳と2歳だが早くも教育係を驚かせていた。

「さあ、城へ帰るぞ」
「ん。騒がせてごめんね、女将さん」
「いいえ。この度はおめでとうございます」

 身を寄せ合い、出て行くのを目で追う。
 デイビットは結局話しかけることができなかった。
 女将は彼らが立ち上がって扉を見つめていることに気づき、宿から出て行った2人のことを説明する。

「悪いね、びっくりしたろ。あれがうちの国王陛下と王妃様さ。気さくな人達でね、見た通り仲もすごくいいんだよ」
「この絵画、脚色して書かれていると思っていましたが…どうやらジリアン様、いいえ王妃様の表情は本物だったようですね」

 ニルスが柔らかく微笑む王妃の肖像画に目を向ける。
 彼女は昔からどこか一歩引いていたように感じていた。だが今見た彼女は飾ることのない、ありのままの素顔だったように思える。

「国王陛下はあの顔と体格だから最初はけっこう怖がる人が多いんだけどね、王妃様はそんなことなかったんだって。それどころかお互いが初めて見た瞬間から一目惚れって話だよ。2人を見ていると納得しちまうだろう?」

 女将は照れくさそうに手を振り、荷物を手に奥へ引っ込んだ。
 残された4人に沈黙が落ちる。最初に口を開いたのはデイビットだった。

「……ジリアンは、幸せなのだな」
「デイビット様…」

 自分が夫だったなら、彼女は同じように笑っていただろうか。その答えは誰もわからない。
 部屋の掃除が終わったと女将が呼びに来たので彼らは部屋へ向かう。次の日に城へ赴き、ジリアンに謝罪をして連れ戻そうと考えていたのだが、彼らが城へ行くことはなかった。


 道中、やたら褒めて評判が良かったからと何人もの旅人がこの宿を訪れたらしい。

読んでくださりありがとうございます。

※石炭→炭団へ修正しました。
4/4、改行と文章を修正しました。

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