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タオルケット

作者:亀井二郎
 あまりにも寝苦しかったので、タオルケットを出した。厚手の布団とはもうおさらばだ。

 私はタオルケットに頬擦りする。その生地の感触を味わい、防虫剤の仄かな香りを嗅ぐだけで、全てを許された気がする。全てを委ねられる相手を見つけたような、全てを受け止めた上で「君は世界に存在していいよ」と耳元で囁いてくれる相手を見つけたような、そんな心地がする。

 物書きを志望しているくせに、このタオルケットへの想いをなかなか言葉で表すことができない。どうにかして捕まえようとしても、指先からスルリと零れ落ちてしまうかのようだ。
「文体」というものは、本来この「なかなか言葉にならないもの」を言葉にするためにあるはずだ。文体によって形のないものに形を与え、表現できないものを表現する。つまり、文体によって不可能を可能にする。それが作家という生き物ではなかったか。

 だが、そんな書生臭い私の議論などはどうでもいい。現在の私には、このタオルケット以外に話し相手がいないのだ。小難しく自己満足的な文体論や作家論など、タオルケットに聞かせても仕方なかろう。無粋なお喋りはやめて、今はこのタオルケットの魅力に惑溺しようではないか。

 その夜以来、私は調子に乗った。
 いつもタオルケットと一緒にいたい、この子を手放したくない、きっとこの子も私から離れたくないはずだ。……そんな風に考えるようになってしまったのだ。

 私は自室にいる間、常にタオルケットとスリスリし合うようになった。もちろん、「小説家になろう」に投稿するための原稿を書く時も傍らにいる。肩に羽織ったり、膝にかけたりと、時によって形は違ったが、ともかくピッタリとくっついていたのだ。
 私とこの子は一心同体なんだ。私たちは一緒に原稿を書いているんだ。そんな根拠もない仲間意識が私の胸に宿り始めていた。相手は物言わぬタオルケットゆえ、単なる私の独り善がりか否かを確認する術はないのだが。

 だが、そんな蜜月関係も長くは続かなかった。
 ある日、私は「同志」の上にコーヒーをこぼしてしまったのだ。

 私は絶望的な気持ちになった。自分がこの世で一番無能な人間に思えた。こんなミスをする人間は世界中で私だけだと思った。
 私の体から、液体が蒸発したように「自責の念」が立ち上り、霧のようなその念が実体化して壁となる。壁はだんだん厚さを増し、私自身をも呑み込んでいく。私は文字通り、自責の念に圧し潰されてしまうのだ。

 ――そんな錯覚を見ている私を、さらに遠くから、他人事のように眺めている私がいる。
 この絶望感もやっぱり言葉にできない、私は物書きとして何と無力なのか! これを表現するためにこそ文体があるはずなのに! ……などと考えながら。

 コーヒーカップを倒してしまった時点で全ては面倒くさくなり、どうでもいいことになり、タオルケットはただの一枚の布に戻った。「相手」は存在しなくなり、ただ私だけがいる状態に戻った。
 私が興味を持っているのは要するに「私の文体」だけであり、それは突き詰めれば「私」にしか興味がないということなのだろう。私はきっと自意識の殻から出られないまま生きていくのだ。
「純文学」に分類しましたが、そのうち変えるかもしれません。

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