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FILE32:この国の大尉。
「あぁ、オルガやっと来たか…。実は−…、」
厚い書類と仁義無き睨み合いをしていたリオルはふと陰った書類に嬉しげに顔を上げた。
そこには見知った人がある筈だった。
―…しかし。
「オ、オルガ…、いったいその顔は…」
彼の顔を見た途端、リオルは顔を引きつらせた。
右手に握られていた羽ペンがカタリ、と落ち、真っ白な紙に大きな黒いシミをつける。
「−…へ、陛下…。ご機嫌麗しゅう…。」
「俺のことはどうでもいい。それよりもオルガ!お前いったい何が…」
「い、いえ。俺のことはお気に…、なさらないでください。」
「しかし…、」
「少し、したら直ぐ治りますので…。ど、どうぞ、お構いなく…。」
「−…、」
今にも死にそうな男がリオルの直ぐ目前に立っていた。
青い肌、赤い目、白い唇、やつれ縮れた髪。
とても正常な状態だとは思えない。
つい先程行われた朝の定期定例会議時には確かに彼の第二の称号“白百合の聖騎士”と人々に呼称される如く、美しく整った容姿をキラキラむさ苦しい男ばかりの会議室内で光らせていたにも関わらず−…。半日たった今、何故彼はこのように半死な状態であるのか。
リオルは首を傾げた。
時間にして僅か四時間。いったい彼の身に何があったのだろうか…?
しかしとりあえず、今一番彼に必要なのは医者だ。
男の青白い唇から漏れる今にも息絶えそうな…、枯れた声が、リオルの心を震わせた。
これは…、もはや異常だった。

「へ、陛下…、は、早くご命令を…」
ふらふら、ふらふら、右に左にふらつきながら、健気に己の言を待つこの国の大尉。
「オルガ−…、」
そんな臣の姿にリオルの涙腺が緩む。
今にも吹き零れそうな瞳の涙を彼はせき止めるかのように己の薄い瞼に指を置き蓋をすると、脇に垂れ下がっている紐を引いた。
チリン−…。愛らしい音が響き、少しして軽いノック音がこの静寂満ちた部屋に響いた。
「入れ。」
リオルの威厳に満ちた低い声音が静かに大気を震わす。

「−…失礼いたします。」
すると堅く閉ざされた扉が静かに開き、外から一人の老人が気配無く現れた。
この部屋に漂うしんみりとした空気に何を思うわけも無く、彼は優雅に一歩その部屋に足を踏み込ませるとまるで流れるように美しい礼をした。彼の、長い歳を経て真っ白く染まった長髪が昼の穏やかな光を浴びてキラキラ輝く。
「ジン、頼みがある。」
「なんなりとお申し付けくださいませ陛下。」
ただそこにあるだけにも関わらず、普通の老人には決して出すことが出来ない不思議な…、オーラを醸し出す老人の姿にオルガははっと息を飲んだ。
一瞬あった老人の煉獄のように赤黒く燃える柘榴の瞳。
未だ床へと低く伏せられたままのその瞳は、まるで−…、全ての物事を見通しているかのように深かった。

毛が長い豪勢な赤い絨毯に膝をつき、最高の礼をしこの国の王、リオル・ラー・エクセルトの言葉を待つ名も無き不思議な老人。老いてもなお、天へと真っ直ぐ伸びた背筋は凛としており、見るもの全てに賞賛の言葉を与えた。

「実はこの者の代わりに聖女をメリッサ家に匿う準備をしてくれないか?」
「御意。」
「あぁ−…。それからこの顔色が悪い者のために医者の用意を…」
「御意。」

老人の異様な雰囲気に押され、唖然と黙り込むオルガの直ぐ横で進められていく会話。

「では頼…」
あまりにも事早に進み何も言葉を挟めず聞き役にまわっていたオルガだが、

「ちょっ、ちょ、−…し、暫しお待ちください陛下っ!!」

しかし、そのまま聞き捨てにするにはあまりにも出来無すぎるある単語に彼は待ったをかける。

「どうした?」
瞬間オルガを襲う四つの鋭い眼差し。
思わず息を呑む。
本人たちは無自覚だろうが彼らの生まれ持った地位というか気品というか…、言葉に出来ない威圧が弱ったオルガを容赦なく襲う。
あまりの気迫に気を失いそうになったオルガだが、そこはなんとか己の気力で踏ん張った。こわごわと口を開く。

「へ、陛下は今なんと…、そ、そのお方におっしゃったのですか?」
「−…? お前の顔色が悪いから医者を呼ぶようにと…、」
「いえ、その、前です。」
「−…メリッサ家に聖女を匿う準備を−…」
「そ、それです!!」

オルガの美しいエメラルドの瞳が輝いた。
先程の体調の悪さはどこへやら…。心なしか顔色が先程より良く、否、普段の倍、いい顔色になっている。

「せ、聖女に!!」
「聖女に…?」
「また会えるのですね!!」
「−…。」
まるで。恋に恋する乙女のように胸で手を組み、その陶磁器のように白く艶やかな頬を薔薇色に染めるオルガ。そんな彼の、この国の若き大尉、オルガ・ニヒトの姿に王は言葉を失った。彼の、言葉も解らぬときから己に献身に仕えてくれた老人の目線が痛い。

「その大役。是非、私が引き受けさせていただきます。」
「−…。」
デレ〜と顔の表情筋を緩ませ、エヘエヘと笑うこの国の大尉。
そういえば彼、この国の大尉、オルガ・ニヒトは、聖女に会ったその一瞬であっけなく恋に落ち、なんの体裁も恥じもなく、会ってその場でプロポーズしたのであったと、リオルは不覚なことに今思い出した。

聖女は今、神に祝福されし者(神官)以外、決して立ち入り出来ないこの国一番の聖域であり、鉄壁の要塞でもある神殿にいる。オルガ含め、何の力を持たぬ人間は決して会うことも声を聞くことも叶わないあの神殿に。


「おい、オルガこの話は−…!」
無かったことに…。
そうリオルが口にする前、そのすばらしき運動神経を極限に屈指して一瞬にして己の目の前から消えてしまったこの国の大尉、オルガ・ニヒト。そんな大尉のあまりにも色ボケしてしまった態度にリオルは深く溜息をつく。
頭が痛い。

なんの説明も聞かずして消えたこの国の大尉、オルガの行く先などわかりきっている。



「−…ジン…」
「御意。」

この部屋にまるで溶け込むかのように、今までなんの口も開かず、静かにたたずんでいた老人にリオルは静かに口を開いた。途端、今まであった老人の気配があっという間に消える。

「−…はぁ…。」
後に残された未だ手付かずの書類の山を前にリオルは頭を抱えながら深い溜息をついた。
若くして王となった彼、リオル・ラー・エクセルトに心休まる暇はまだ無い。
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