FILE30:謎の青年
「ここは−…、あの世か…?」
ヤンの顔を見るなりそう呟いた青年。
彼の美しい艶やかな紫紺の髪が、さらりと酷くやわな鎖骨に流れ落ちた。
「残念、ここは現実だ。」
その面をバシッ、と勢いよく殴り飛ばすとヤンはこう言った。
ヤンがその青年を拾ったのはつい二日ほど前の事だった。
とある計画を彼女の師、グランパと共に思いついてからというもの、ヤンは毎日、寝る暇も惜しんで新薬の開発に勤しんでいた。
そんなある日のことだ。
今ある薬草が全て底ついたのを機に、彼女は、彼女の子供のときからの一番の相棒である漆黒の毛並みを持つ馬、ルッカと共に少しの気晴らしを目的に外へと散歩に出かけた。
久々の外。そして、久々に相棒と駆ける美しいイーシス国の風景は、自然とヤンの心を弾ませる。そしてどんどん高まっていく己の高揚に、心が押さえきれなくなったヤンは、また新たな薬草を探しに、たとえどんな貪欲な薬師であろうと決して寄り付かないイーシス国最東の森、ヤミの森へと足を進めだした。
男を見つけたのはそんな時だ。
意気揚々とヤミの森へと向かう途中、ヤンはルッカの軽い休憩がてらに寄った水場で一人の男を見つけたのだ。
いったいここまでどのような過酷の旅路をしてきたのか−…。
ヤンが川で見つけたその青年は酷くやつれ、目下には深い隈が出来ていた。
身体にいたっては服がボロボロに破れ、そこから覗く肌には全て深い殺傷を負っていた。
遠目、一瞬死体か?と疑ったヤンだったが、近づくにつれ聞こえる男の荒い呼吸音に思わず足を止めその青年を見つめる。
熱で潤んだ紫闇の瞳が、極上の宝石の如く天上高く上った太陽に照らされキラッと輝いた。
「−…貴様…、何者だ?」
青年の霧のように白く理細やかな肌を侵すは、りんごのように赤い、火てた頬。
まるで、どこかの国の病弱王子を髣髴させるかのように儚く、美しい容姿を持つその青年は、妖艶な色香をその身に纏わりつかしていた。
「−…お、俺…は…」
青年は、ここイーシス国では決して見ることが無い、遠い異国の国の服を着ていた。
一枚の大きな布をうまく身体に纏い、琥珀の飾りがついた帯で留めてあるだけの簡素な服装−…、そう、これは確かイーシス国と北国、ノースとの境目に暮らす小さな民族、“ババイ”のものではなかっただろうか…?
―…なぜ、ここに…ババイの者が…?
不振に思いながらも、彼女はゆっくりと青年に近づいた。
本来ならすぐさま縄で縛り、そのまま地元の自警団やら城の騎士団につきだし、その身柄を確保、調べ上げるのがこの国を思う一番ベストな行動だが…。
ヤンは唇の端を強く噛んだ。
「おい、貴様、大丈夫か?」と呼びかけるものの、ただ一言発し直ぐ意識を失ってしまった青年は微動だにしない。
暫くの間ヤンはじっと、青年を見つめた。
そして、ふぅ、と重い溜息を吐く。
「さて、どうするか」と何度首を捻り、いったい何度頭の中で考えても、答えは唯一つ、同じものだった。
彼女は薬師であり、青年は例え他国の者であっても病人である。
このままこの場に放っておくことなど、彼女の薬師としてのプライドが許せない。
『命の重さは皆同じさ…、たとえそれが−…己の憎き敵であったとしても…ね』
昔ふと、父が漏らした一言がヤンの脳裏に蘇る。
「−…、しょうがないな。」
本当に、本当に仕方がなく、ヤンはその青年を家に連れて帰ることにした。
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