FILE23:薔薇の香り
この歳になっておねしょ…、おねしょって…。
その単語を改めて耳にすると何とも言葉にしがたい複雑な感情に苛まれる。
目の前がふっ、と真っ暗になり、フラフラと今にも気が抜けて冷たい地へと倒れこんでしまいそうになる己の身体を厳しく叱咤しながらヤンは、しかしガクリと両膝を床に突いた。
たしかにコレは一大事だ。
この国、イーシス国の、長きに渡る歴史の中で、歴代随一の才能を持つことで有名なあのリオルが…。子供のときでさえ誰もが一度は経験するであろうおねしょを余裕綽綽で素通りし、汚れた経歴も、忌まわしい過去も無く、ここまで来たというのに…。
まさか、二十歳を過ぎた今となってそんな失敗をしてしまうとは…。
(駄目だ、駄目だ、駄目ダッ! もし他国を訪れた際、こんな過ちを他国の布団の上でしてしまったらどうする?!…国の恥じダッ!!)
何故か本来青くなるはずの宰相よりも更に顔を青くし、「あ〜でもない、こ〜でもない」と頭を抱え、“どうしたら大人になって突然訪れたおもらしを無くす事が出来るのか?”己が持つありとあらゆる薬草学の知識−…、はたまたは古代の魔法知識まで引っ張り出しては脳内で記憶と名の知識の書物を大きく広げ、ヤンはどの薬を彼に処方すべきか頭を絞る。
(アンゼリカを飲ませ…身体の発汗を促進…、いやそれよりも…光の波動を…)
う〜ん、う〜んと額に手を当て考えるヤン。
本来なら一番慌てなければならないこの国の宰相、ホモリスは、そんなヤンを横目に己ただ一人だけ未だベッドの中でスヤスヤ安らかに眠る王の美しい横顔を眺めては、頬を幸せそうに緩め、熟れすぎたりんごの如く赤く染めている。今にも破裂しそうな−…、そんな危ない勢いを感じさせる欲情の色だ。
「ホモリスっ!お前も第一発見者ならば少しはこの事について…って!何してる?!」
今、ヤンが真剣に考え事をしている最中だというのに、この部屋に入って以来やけに落ち着き無くソワソワしているホモリスに内心苛立ちを隠せず、キツクホモリスに問いかけたヤンだったが、彼のほうをふっと見た瞬間、目に飛び込んできた光景に思わず唖然と固まってしまった。
今までせっかくこの国の王、リオルの為にヤンが頭をフル回転させ考えに考え出した“千の処方”が一瞬にして彼女の頭から掻き消える。
「あぁ、なんてかぐわしき香りなのでしょう…。このシーツ今すぐお持ち帰りにして宜しいでしょうか?」
「アホか。そんなモンお持ち帰りしてどうする。捨てろ。今すぐ。−…つかいい加減シーツに鼻を寄せてクンクンするのを止めないかっ!」
あまりの怒りでヤンの、こめかみにクッきりと浮かぶ青白い血管がぶち切れそうだ。
彼の行動を見た瞬間、ゾゾゾと背筋に走った鳥肌が止まらない。
「むっ、そんなモノなどと、なんて失礼な!」
「というかお前…。そんなモン嗅いで嬉しいのか…。」
「えぇ。やはりこの国の王というものから出るモノのは愚かで愚鈍な俗世共が排出する言葉にするにも汚らわしい臭いとは異なり砂漠に咲く一輪の薔薇のように…、香しい花の香りがいたしますね。さすが、リオル様です。」
「どこのアイドル馬鹿妄言ですかこの野郎。お前のような馬鹿がいるから巷ではおかしな噂が広まり城下を警護する自警団の皆様方は苦労するんだ。まったく、鼻が腐ってるんじゃないか?―…なんなら私が手術…」
この際脳の方も少しいじってやろうとヤンが密かに模索していると…
ホモリスが慌てたように手を振った。
心なしか先程まで真っ赤だった彼の顔が青白い。
「本当ですっ!!私の鼻はいたって正常ですから!なんならあなたも嗅いで見てください。今なら特別に許します。」
「何を馬鹿なっ−…!くっ、やめろ汚いっ!!そんなモノこちらに寄こ…。むっ!」
やけに震える手で嫌々ヤンの眼前に突き出される白いシーツ。
彼女の言葉にならない悲鳴と共に、彼女の頭上から一点だけおかしなシミがついたシーツがふわりと落ちた。
「ほら、いい香りがするでしょう?」
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