FILE15:聖女の気持ち
ところ変わってここは難攻不落の神殿ホルス。
イーシス国とノース国をまるで、遮断するかのように隆起した数多なる鋭い山脈が今、一番危険視とされるノース国の侵攻侵略を防ぎ、イーシス国、更にはこの神殿ホルスをも守る鉄壁の自然要塞と化している。
そんな、未だ戦乱が耐えないこの不安定な世で、一番安全な所にその住居を構えている人々の間では最近良くちょっとした事件が起きていた。
ソレはたった一つのくしゃみから始まる。
「ヘクチッ!」
とても愛らしい。
小っちゃなくしゃみが、清閑に満ちたホルス神殿の広い中庭に響いた。
外下の厳しい四季の移り変わりになんの影響も受けることが無く、一年中、絶え間なく、色とりどりの美しい花々が咲き続けるという不思議な…、春の精霊に祝福されし中庭。
その中央には、この国に住まう全ての者が信仰している双神、オリシス神とイシス神のこの世界ではとても珍しい淡いピンクの大理石で出来た石像が立てられ、その横には噴水が青い空へと向かって湧き上っていた。
神に選ばれし者だけが、その神殿に入ることを許されると言うこのホルス神殿。
つい一月前ではその、あまりにも変わりばいしないありきたり過ぎる平凡な生活に、神に仕えるものとはいえ内心不満がたまっていたものも多々いた事だろう。
それ故か−…。
「大丈夫ですか?!聖女様っ!」
「お風邪を引かれては大変ですわ!」
「誰かっ!暖かい上掛けをお持ちして!」
「それと、暖かいお飲み物も!」
新しい刺激が唐突として王に知らされ入って来た今、彼らの興味関心は全てその、つい一月ほど前、突然としてこの神殿に、世界に現れた美しい聖女の下へと自然と集まっていった。
それはもう、過剰なほどに。
ヤン達がそんな楽しい企み話をしている頃、ある時、突然、この異世界へと強制召喚されてしまった黒髪の聖女、もとい17歳男、蓬田 徹は、何の前触れもなしに突如として背中に走った悪寒に背筋をブルッと振るわせた。それと拍子にくしゃみがでる。
するとすぐさま、それを耳ざとく聞きつけた巫女たちがワラワラと四方八方から集まり、少年をあっという間に包囲してしまった。
「−…、あっ、えっと…。」
「大変ですわ!」「大変ですわ!」「どうしましょう!」と、叫ぶだけ叫んで、あっという間に去ってしまう。そんな彼女達の無情な姿にトオルは思わず溜息を吐いた。
最初こそ彼女達のあまりにも行き過ぎた心配振りに内心辟易し、どう対処したらいいのか全く解らなかったが、一月もここに住んでいると慣れてくる。
朝、まだ日が昇らぬ時間帯に起こされることも、自分の世話役を王から承ったという自分と同い年くらいの女の子に朝の着替えをやってもらうことも、女のようにひらひらとした長い白服を着て歩くことも(最初のうちは良く裾を踏んでこけた)、昼、長時間正座させられ神官長のありがたいお涙頂戴ものの説教を聴くことも。
全て慣れた。
そして、そうこうして暮らしているうちに少年は気づいたことがあった。
「俺、本当にこの世界にいる意味あんのかな…。」
あっという間に自分を取り囲んで去っていってしまった小さな巫女達の後姿をトオルは静かにその、この世界ではたった一人にしか発現しないといわれているオリシスとイシスの愛し子、聖女の証、黒い瞳をゆっくりと閉じた。
気づけばこの世界にいた。
コンビにも学校も無い、友達も家族もいない、この、どこかのライトのベルのように剣と魔法に溢れた不思議な世界に。
この世界に来た当初を思い出しながら、しかし徹は自分の考えに不思議そうに首をかしげた。
-…そういや‥、何で俺全くしらねぇ世界にいるっつーのに不安とか、心配とかねぇんだろ‥。
普通、学校の帰り道、近所の家の角を曲がった瞬間、いきなり、全く知らない場所に出たら普通混乱してもおかしくは無いだろう。
しかもそこは自分がいた世界とは全く異なった別の世界だ。
取り乱して、泣き叫ばないほうがおかしい。
しかし、徹はこの世界に来た当初からあまり不安と言うものを感じていなかった。
自分でも不思議なほどだ。
そして、目を閉じるたび、たびたび頭に浮かぶは‥
遠く離れ離れになってしまった家族のこととか、友達のこととかではなく、
どこまでも冷たく、深い、サファイアの瞳を持つ、ただ一人の小柄な少女の姿だ。
長い赤みがかった艶やかな茶髪を優雅にその背に流し、淡い緑の質素なドレスでその身を包み凛と、前を向き歩く彼女の姿は何故か酷くトオルの目を惹きつけた。
聖女披露式典の出来事を最後にプッツリと城に姿を見せなくなった彼女。
会いたい、と思う。
あの時、彼女が言った言葉は今思えばとても理不尽なもので、とても屁理屈だった。
しかし、彼女の自分を真っ直ぐと、なんの肩書きも無しに見てくれたあの青い瞳が…忘れられない。
地球に帰るという帰依の気持ちより、彼女に会いたいと願う自分の気持ちのほうが強いとは‥。
自分でも少し笑える。
でも、
「−…会いたい…。」
ぽつりと心の湖から湧き出るように零れ漏れた小さな思いは、美しい空に舞い散る花びらの如く、あっという間に空へと溶けて消えた。
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