FILE12:師匠の優しさ
コトリと甘く香る紅茶の脇に置かれた淡いピンクの湯のみ。
その中にはいかにも「劇薬です」と視覚的に訴えてくる何やら凄くやばそうな…、濁って赤黒い紫色の液体が、タプタプ湯飲みの淵ギリギで揺れていた。
「−…うっ!」
思わずそのありえない色を持った液体と、ソレが現れた途端ツ〜ンとヤンの鼻を強くつっ突いた強烈な刺激臭に息を呑む。
「な、何なんだ?!」
ガバッ、と反射的に片手の拭く袖で鼻と口元を押さえ後ろへズルズル後退するヤン。
しかし、そんな彼女の逃走を阻むかのようにこんなときに限って黒猫の貴婦人マリアンヌがヤンの足にじゃれ付いてくる。-…否、こんなときだからだ。
「やれやれ、全く。我がせっかく疲れて泣いているであろう、可愛い、可愛い、お前のために、冬の厳しい寒さで痛めた重い腰を持ち上げて、無理して秘薬中の秘薬、『コレ一杯で元気ハツレツビタミンシー』を煎じて入れてやったというのに…。そのような…、この世で最も汚い汚物にでも接するかのように失礼極まりない態度を我がせっかく入れてやった秘薬の前でするとわ。−…あぁ、我はこんな不肖者の弟子を持って悲しい。」
およよよ、と深い老人の嘆きが狭い部屋全体に響き渡る。そしてマリアンヌの「さぁ、素直にありがたく飲むのよ」という低い鳴き声も。
「いやだぁぁぁぁぁぁぁぁあ嗚呼ああ!!!」
上には上がいる。
どうやら最近の自分は、そんな簡単なことを忘れていたらしい。
どんなにすぐ近くにいる者達が彼女よりもイロイロな面で劣っていたとしてもそれは井の中の蛙に過ぎず、一歩親の庇護下の外に出てしまえばこうして己の未熟さを知ることなり、大海の広さを嫌というほど知ることとなる。
四肢を押さえられ、無理矢理口をこじ開けられ、流し込まれた劇薬、師匠いわく秘薬中の秘薬、『コレ一杯で元気ハツレツビタミンシー』。
-…まっ、不味過ぎる‥
口に流れ込んだ瞬間、舌で爆発した何とも言えない味にドロドロと細い喉にこびり付くかのように纏わりつく嫌な喉越し。
今まで経験したことの無い何とも表現しがたい、究極のまずさと鼻をツーンと突く激臭に、一瞬にして意識を攫われたヤンは、四分の一も飲まない内にばたりと床へと倒れた。
どんどん遠くなる意識の中、最後にヤンが闇に染まる意識の中垣間見たのは-…
そんな情けない弟子の姿を見て笑っている今も昔も全く変わっていないなんとも破天荒な師匠の姿と、動物にしてはやけに小生意気な黒猫の姿だった。
だから彼女は知らない。
「-……久方ぶりだね、我が馬鹿弟子。
そして-…お帰り。我が愚かで賢く他の誰よりも優しい自慢の我が弟子、我が愛しい娘。」
孤高の夜空に輝く金の瞳が酷く優しい、三日月を描き微笑んでいたことを。
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