番外編:少女は、停止する。
その日は朝から雨が降っていた。
「姫巫女様!」
まだ幼い顔つきの少年が、慌てた顔で別堂に入ってきた。
神官見習いの少年である。走ってきたのか、肩を大きく上下させていた。
神棚の前で祈りを捧げていた少女は、眼を開けて後ろに振り向く。
外が曇っているせいもあるが、はずれに別堂がある為、内部は薄暗かった。
「なにかあったの?」
「何者かが敷地内に侵入したようです。それにより、神官長様が姫巫女様を避難させよと仰せです」
少年は居住まいを正して、頭を下げながら言った。
少女は静かに立ち上がると、神棚から束になった札をとり、一本の短刀を腰に差した。
「いきましょう」
頭を下げたまま少年の横を通り過ぎて、少女は廊下にでる。
少年もすぐさま立ち上がり、後ろに控えるように歩き出す。
「それで場所は……本堂に?」
少女は板張りの廊下を歩きながら、敷地内の大きな建物を見た。
「はい、神官の方々が、結界を張って待っているはずです」
「結界まで?」
「本堂に避難しているのは、女性と子供ばかりなので、用心に越したことはないだろうと……」
「そう……なら、急いで本堂に向かいましょう」
別堂から本堂に繋がる渡り廊下を歩いていた時、それは起きた。
ドンッ――使用人達が住んでいる住居から火の手があがったのだ。
少女は眉間に皺を寄せ、後ろにいた少年は呆然とその光景を見る。
悲鳴があがり、怒声が風にのって運ばれてくる。
「ひ、姫巫女様……一体なにが起きているのでしょう」
「侵入者の気配が一切感じられない。でも、戦闘が起きてるようだし……」
少女は思案顔になると、その場で立ち止まった。
「は、はやく本堂にいきましょう!」
急かすように少年は言った。動揺で声が裏返っていた。
「ええ、そうね」
少年を安心させようと微笑もうとしたが、うまくいったかどうかわからない。
また小さな爆発が起きて、少女は歩きつつ横目で眺める。
あれは神官長の術だ。あれほど強力な術を使うとなると、侵入者は相当手強いということ……。
解せないのは神々の加護を受けているこの土地で、あれほどの強力な術を使っても相手を滅することができないということだ。
「本堂に急いだほうがいいわね」
少女の顔には焦りが浮かんでいた。
本堂には戦えない女性と子供ばかり、相手もわからない状況では神官だけでは頼りない。
角を曲がると本堂の入り口が見えてきた。
だが、急いでいる状況にもかかわらず、少女は足を止めて、不審そうな眼を入り口に向けた。
「姫巫女様どうかしたのですか?」
少年が前へでて、少女の顔を覗き込もうとする。
ドタッ――何か重いモノが倒れる音が聞こえて、少年は本堂の入り口に顔を向けた。
そこには神官が真っ青な顔をして倒れていた。
「あれ、君弘君? どうかしたの?」
知り合いなのか、心配そうな顔をして少年は近づいていく。
「待ちなさい」
激しくなってきた雨音に、その声は掻き消されたのか、少年は聞こえていなかったようだ。
「止まりなさい!」
少女は手を伸ばしたが、離れている少年には届かない。
苛立たしげに舌打ちをしてから、少女は腰に指していた札を急いで手にとった。
「えっ?」
ゴウンッ――入り口から溢れ出した、荒れ狂う炎が振り返った少年を呑み込んだ。
「ひあああああ、あああああぁぁああああ」
火に包まれて少年が暴れる。廊下から飛び出して、泥にまみれながら地面を転がる。
激しい雨にうたれ、泥が身体についても、炎は衰えるどころか更に激しさを増す。
少女は二枚の札を手にしていた。小振りな口から清らかな声が紡ぎ出される。
「オン バザラヤキシャ ウン――五行の理を以て、姫巫女が祈りを捧げる。彼の者の穢れを祓いなさい!」
呪符を少年に投げつけ、すぐさまもう一枚の札を口にあてる。
「ノウマクサンマンダ バザラダン カン――五行の理を以て、姫巫女が祈りを捧げる。破邪の炎を以て、我に仇なす敵を滅せよ!」
札に五芒星が浮かび上がる。それは白く輝き、少女は本堂の入り口に向かって投げた。
投げられた札は途中で、炎に包まれ巨大化する。辺りを紅く照らし、雨粒が蒸発する。
「所詮は人が作りし力」
男の声が聞こえ、炎は入り口に達する前に消滅した。
「なっ……」
少女は驚きで眼を丸くする。次なる札を撃つべきであったが、驚きでそれさえも忘れてしまったようだ。
「よほど自信があったようだ。だが、仕方のないこと」
男は黒いコートを羽織り、フードが鼻面までも隠している。
紫色の口だけがかろうじて見えた。
「何者?」
「私に名はない。しかし、人につけられし忌々しい名ならある」
男は倒れている弘幸と呼ばれた青年に、手をかざした。
「人がつけし名は死神」
青年の身体が死神の手の平に吸い込まれるように、塵となって消えていった。
少女は眼を剥き、喉を上下させる。
「な、なぜ……」
「なぜ? それは私がここいることが? それとも青年が消えたことが?」
男は愉快そうに声を弾ませながら移動する。
「はっはっ――……はっ……はっ……」
体中に火傷を負い、痛みで気を失った神官見習いの少年は、今にも息絶えそうなほど弱っていた。
死神は少年を見下ろし、手をかざした。
「待ちなさい! その者はまだ生きています!」
少女が叫んだ。しかし、死神は少女を一瞥しただけ。
「気にすることはない。そこに命があるか、ないかは問題ではないのだ。ただ、私がその魂がほしいか、ほしくないかの違いだけなのだよ」
少年の身体が、テレビのノイズのように歪む。
「待ちなさいと言っているでしょう!」
少女は頭上に三枚の白い札を投げた。怒りを露わにした瞳で死神を見据える。
「ノウマクサンマンダ バサラダンセン ダマカラシャダソワタヤ ウンタラタカンマン」
少女の霊力が膨れあがる。右手で宙に陣を描きながら、息継ぎもなしで詠唱が続く。
「オン キリキリ オン キリキリ」
三枚の白い札に五芒星が浮かび上がり、少女の身体から溢れ出す霊力が吸い込まれていく。
「ほう……」
死神が興味深そうに、ようやく少女へと顔を向けた。
「ノウマクサラバタタ ギャテイヤクサラバ ボケイヤクサラバ タタラセンダ マカロシャケン ギャキサラバ ビキナン ウンタラタカンマン――五行の理を以て、姫巫女が祈りを捧げる! 我を阻む敵を縛りつけ調伏せよ!」
少女が命じた時、三枚の札が死神に向かって加速する。
「……残念だ。人でなかったなら、私に傷をつけることができたのかもしれない」
死神は不気味な笑みを広げた。
死神に三枚の札が突き刺さる
カッ――眩しい光が弾け死神を包みこむ。
ドンッ――爆音を轟かせ砂塵を巻き上げる。地面を揺るがし、それでも勢いは止まらず爆風が少女のいる場所にまで襲いかかる。
泥が顔につこうとも、巫女服が汚れても、少女は気にせず死神がいた場所を見つめていた。
「そ、そんな……」
少女の声が震える。身体が恐怖で凍りつく。
死神が無傷で立っていた。汚れ一つ見当たらない。
そして、守ろうとした神官見習いの少年は、死神の手に吸い込まれるように消えていった。
人懐っこい少年だった。離れた場所で暮らす弟に似た少年だった。
それが目の前で――死んだ。
「……うそ」
呆然と呟き、崩れるように廊下に両膝をついた。
「少女よ……気にすることはない。少年は私の糧となり、永遠に私の力となるのだから。もちろん、先程の青年も、神官長と呼ばれた者も、ここにいた大勢の人間もだ」
死神がゆっくりと近づいてくる。
「そして、悲しむお前もまた、私の糧となり力となる」
「――けるな」
「恐怖で声がでないか……それも仕方のないこと、私を前にして平常心を保っていられる人間などいないのだからな」
抑揚のない声で死神が告げるが、顔をあげた少女の瞳は輝きを失っていなかった。
「ふざけるなって言ったのよ!」
目の前まで迫った死神に向かって、腰に差していた短刀を抜き放ち斬りかかる。
「よくぞ立ち上がったと褒めてやりたいが……。ふむ、浄化の力が宿った刀か、それでは私に傷をつけることはできない」
死神はあっさり短刀の刃を掴むと、そのままへし折った。
「くっ」
少女は後ろに跳び、死神と距離をとる。
「無駄だということがわかったはずだ。しかし、落胆することでもない。人では私に傷をつけることすら不可能なのだからな」
死神は肩をすくめる。
少女は憎悪の視線を向けながら、
「なんで、死神がこんなところにいるのよ」
「暇つぶしだよ。東北に強い霊力を持つ者達がいると聞いて、私はここにやってきたのだが……とんだ期待はずれだ」
つまらない……死神の声音はそう言いたげだった。
少女は肩を震わせる。怒りと悲しみで心が壊れそうだった。
「返しなさい……」
少女は札を手に持ち、涙を浮かべた瞳で睨みつけた。
無理に連れてこられた場所だったが、悪いところではなかった。
みんな優しくしてくれた。ただ大好きだった少年と、離れることになったのは悲しかったけれど。
それでも新しい居場所を見つけようと必死だった。
離れていてもまた会える。そう思って頑張ってきた。
「みんなを返してよっ!」
少女は白い札に霊力を込める。札一枚一枚に五芒星が浮かび上がり、少女の身体から聖なる光が溢れ出す。
「私は頑張らないといけないのっ。あの人にまた会わなきゃいけないのっ!」
頑張って姫巫女の役割を果たせば、御堂家と交流がもてるようになるかもしれなかった。
そうしたら、また会える、そんな淡い期待があった。
「オン バザラダド バン――五行の理を以て、姫巫女が祈りを捧げる! 地上を遍く照らす光となりて、敵を焼き払わん!」
光が弾ける。死神は微動だにしない。避ける必要もないと思ってるのかもしれない。
それでも、少女はありったけの霊力を込めた。
――こんなところで死にたくない。
大好きだった少年の笑顔が脳裏にちらつく、壊れそうな心をつなぎ止めてくれる。
――死にたくないよ……正則。
天堂美代の頬を一筋の涙が伝った。

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