第四十八話:怒り
ここに一人の少女がいる。
違和感があるとすれば、赤髪に深紅の瞳を持つ神秘な雰囲気を纏っていることだろうか。否、それよりも着目すべきは少女が現在置かれている状況。
敷き詰められた木の板で四方を囲まれて、唯一光差し込む格子も既に闇に覆われて昼間でも内部は薄暗い、いや、暗闇と言うべきか。
それでも少女はそこから出ようとはしない。なぜ……それは全ては肉親である一人の父の為である。
最後に着替えたのはいつだったか、少女の服装はボロ布という言葉が相応しいほど傷んでいる。
既に立つ姿は力なく、ろくな睡眠をとっていない少女の瞼は今にも閉じられそう。
若干十一歳の少女がここまで追い詰められた理由は、ただ一つ。
肉親である父の願い。ただそれだけのこと。
「…………」
薙刀の柄の部分を右手で掴み、どこからでも襲われてもいいように左手を沿えて構えている。
相手は闇神、ここまで疲れ切った少女など格好の的である。だが、食事も睡眠もろくにとっていない少女の五感は研ぎ澄まされ、一歩でも足を踏み入れたならば胴を貫くことだろう。
(どこから、来ますか?)
格子の近く、そこで闇神の気配が止まっていた。そこから動こうともせず、まるで様子を見ているかのように、ただひたすらに時間だけが経っていく。
○
少女が警戒を露わにしている頃、御堂雅人は小屋の前で立ち止まっていた。
「これは……」
小屋全体を見回すように忙しく瞳を動かして、辺りの様子。溢れ出る闇に染められた霊気。そして、最後に内部から射貫くような殺気が放たれているのを、雅人は感じとっていた。
(下手に触ったら…・…もう少し勉強しておけばよかったな……)
目の前に薄く張られた膜のような物を見て一歩後へ下がる。
恐らく正則が言っていた結界なのだろう、雅人が躊躇する理由、それは、触れてしまって何が起こるかわからない。
下手をすれば街全体が消滅する可能性もあり、解放された霊気に引き寄せられて雑紙達が現れるかもしれない。
本家で修行を積んでこなかった事を今さながら後悔して、雅人は考えるように腕を組む。
(街に被害がでなくても……中にいる人が被害を受けてしまうかもしれない)
嫌な想像を断ち切るように頭を振った。
「父さんに聞いたほうがいいかな……」
と、呟いて。
踵を返そうとした。
その時――。
「ええ、そのほうが無難でしょうね」
突如背後から聞こえた声に、雅人は地を蹴って距離をとると札を取り出した。
黒に染められた札。
全てを呑み込み、全てを染め上げる色。
「反射神経はよさそうだな」
雅人の視界に映るのは二人の男、一人は柔和な笑みを浮かべた青年であり、もう一人は髪を逆立たせた短髪で不良の言葉が似合う青年。
「初めまして、闇神の辰巳と申します」
手を腹にあててお辞儀をする姿は、洗練させた執事のようであり、張り付いた笑みはイタズラが成功して喜ぶ子供のようである。
「オレは、闇神の薫だ。つってもオレの事を名前で呼んだら殺すけどな」
そっぽ向きながら面倒臭そうに頭を掻く。
「闇神……?」
怪訝な表情を浮かべて間抜けな声で聞き返したのは雅人。
なぜ正体をばらしたのかがわからない。屋敷の異変の原因はこの二人であることは間違いないと、雅人は安易に察してしまう。
「くふははははは、面白い。実にいい顔ですね。素晴らしい。私を楽しませてくれそうです。驚かせてしまったお詫びに、いいことを教えましょう」
淡々と辰巳は喋り続ける。
「あなたが驚くのも無理はありません。なにせ、闇神使いの屋敷に闇神がいるのですから、それに、簡単に正体をばらしてしまったのですからね」
とても愉快そうに手を口にあてて笑いを堪える。
雅人は身構えるだけで、口を挟もうとは思わなかった。できないと言ったほうが正しいだろう。そう、雅人は――二人から滲み出ている霊力に圧倒されていた。
気を抜けば殺られる……。雅人の心臓は今にも破裂しそうなほど大きく高鳴り始める。
そんな雅人の内心を察したのか、
「大丈夫ですよ。いきなり攻撃を仕掛けたりしませんから、私の役割は太平楽でしてね。私が面白いと思わないことはしないんですよ。まあ、隣にいる彼だけは例外ですけどね」
「オレだって油断した所を襲ってまで、勝っても嬉しくねえよ」
闇神の天敵である闇神使いが目の前にいるというのに、まるで眼中にないかのように喋り続ける二人をみて、雅人は歯痒い思いをする。
(これでも……少しは強くなったと思ってたんだけどな)
奥歯を噛み締めて、それでも集中が途切れないように雅人は二人を睨みつける。
「見てください薫さん。勇ましいとは思いませんか? 私達の霊力を感じながらも怖じ気付かない少年の心の強さ。素晴らしいですよね」
「はっ、ただ死にたくないだけだろ。誰だって必死になるだろうが。それと名前で呼ぶんじゃねえよ」
鼻で笑った薫は雅人を一瞥するが、すぐさま興味がなさそうに辰巳に視線を向けた。
「でっ、どうすんだ? お前が関わってるって、このガキわかっちまったぞ?」
「別にかまいませんよ。どうせバレてますしね。それに潮時みたいですし、なにより補佐の命令もありますから」
「そうかい。なら、オレにまかせてもらうぜ?」
「どうぞ、でも少しぐらい手加減してあげてくださいね」
勝手に話を進め始めた二人は、同時に雅人に目を向けた。雅人は唾を飲み込み、喉を鳴らすと絞り出すように声を発する。
「き、聞きたいことが――」
「命乞いか? やっぱ、人間はくだらねえ。なんでも許しを乞えば助けてもらえると思ってやがる」
「命乞いじゃない……それに僕は、あなたにじゃなく、そっちの人に聞いてるんだ」
辰巳に手を向けた。
「くっくくく……薫さんご指名のようです。少し待ってて下さい」
「ちっ。さっさと殺してしまえばいいもんをよ……好きにしろ」
つまらなそうに言うと地面に座り込み、あぐらをかいた。
「さて、なんでしょう?」
薫に少し頭を下げてから雅人に目線を合わせる。
「この今の状況は、あなたがしたことですか?」
「ん〜、どうなんでしょうね。私は確かに助言はしましたが……手は貸してはいない。しかし。手は加えましたけどね。私なりに面白くする為にね」
「…………」
無言の雅人に笑みを向けていた辰巳だったが、こちらをジっと見つめている雅人ではない視線に気づいて口の端を吊り上げると、益々笑みを深めていく。
「少年。あなたには全て話しておきましょうか。桐島家の方々がやろうとしているのは神降ろしでしてね。その小屋を包み込んでいるのは闇神使いに伝わる雑神や闇神を捕らえる結界でして」
知っている。そうして、霊力を貯めて神を降ろそうとしていること等、とっくに父から聞いていた。
「ですが、神降ろしを行うには――結界を張った人物でなければならない。もう少し詳しく言わせて頂ければ、結界を施した術者以外の者が霊力を溜めたとしても無意味」
どこかで木の軋んだ音が風にのって運ばれてくる。
楽しそうに続ける辰巳は、雅人に説明するというより、殺意を秘めた瞳に向かっていた。
「それに、結界からはでることが可能なんですよ。付け足せてもらえれば結界を張った者だけ。先程も言ったようにこれは捕らえる結界。対雑神などに作られたものですが、人に使うことも可能なんです。しかし、無理に解こうとすれば周囲を巻き込み爆発する。勿論閉じ込められた者も息絶える。面白い仕掛けでしょう」
腕を広げて空を仰ぐ、重苦しく感じる空気を感じさせないほど、空は青く、どこまでも澄んでいる。
隣にあぐらをかいていた薫は、興味がないのか地面に横たわり寝息をたてていた。
熱弁を振るう辰巳は気にした様子もなく、一瞥してから。
「本当に楽しませてもらいました。闇神使いという人間を知ることができました。私が生きてきた中で最も楽しかった。あとは溜まった霊力を喰らい、私は更なる力を身につける。人によって集められた霊力は……さぞ――美味しいことでしょう」
酔い痴れるように恍惚とした表情を浮かべる辰巳を見て、雅人は、もはや我慢の限界だった。ただ楽しみたい、それだけのことで人を苦しめる辰巳を許せない。
雅人の心は煮えたぎる。怒りが恐怖を塗り替えた。
「ふざけるな!」
右手に持った漆黒の札に、ありったけの霊力を注ぎ込む。
黒。漆黒。深淵。それは――闇。
闇は闇を呑み込み、光を喰らい尽くしていく、その様はまるで濁流の如く。
刹那――世界の全ては黒に染まり。世界の全ては深淵に還る。

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