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第三話:軟弱
「雅人――起きなさい」
 小さな、それでいて、心地よいとさえ感じる声が、鼓膜を揺さぶる。
 ゆっくり瞼を開くと、優しく微笑んだ顔が飛び込んできた。
「あっ、お姉さん……僕、いつから寝てたのかな?」
 寝顔を見られて少し恥ずかしいのか、顔を逸らすと起き上がる。
「そうね、二時間ぐらいは寝てたかしら?」
「ん〜、微妙な時間だね」
 二時間が昼寝に多いのか少ないのか、服についた埃を払いながら雅人は苦笑した。
「またイジメられて抜け出してきたの?」
「いっ、いじめられてないよっ!」
 ――そう。と、微笑む女性。
 美しい顔立ちで微笑んだ姿は、誰もが息を呑む。
 雅人も例外ではなく、見とれてしまう。
 女性と視線が合うと、恥ずかしいのか慌てて空を見上げた。
 枝や葉に阻まれて、光がここまで届くことはない。勿論、空も見えることはない。
 ここの風は冷たい。
 この女性ひとは、そんな事を気にしたりしないのだろう。
 だからだろうか……気になってしまう。
 自然と口にしていた。
「おねえさんは、寂しくないの?」
「どうして……?」
 雅人の質問の意図がわかっていないのか、キョトンとした顔をする。
「ここにずっといるのは寂しくないのかなって」
「雅人が来てくれるから、寂しくないわ」
 と、微笑む。
「そ、そう……」
 雅人は頬を赤く染め顔を俯けてしまう。
 気づいていた。出たくてもても出られないのだろう。
 この場所はそういう所だ。
 死ぬまで……死んでも尚、この場所に……女性を縛り続けるだろう。
 忌々しい場所。
 ――だからこそ……。
 あの日……あの時誓った。
 三年前、五月の事だった。

    ○

「雅人!」
 悲痛な叫びにも似た声で名を呼ばれる。
 傍若無人な幼馴染みの声だ。
 似合わないな、と思う。
「うっん……」
 瞼を開けると、ぼんやりとだが、悲痛な表情を浮かべる少女が、雅人を覗き込んでいた。
 意識が覚醒してくる。上半身を起き上がらせると、安心させる為に幼馴染みに微笑んだ。
 蓮の服が、ところどころ破けていて血が滲み出ている。
 守っていてくれたのだろう。
「ごめん」
「バカ……なに謝ってんのよ。こんなの舐めとけば治るわよ」
 申し訳なさそうに謝る雅人に激怒する。
「うん、そうだね。ごめん」
 そういえば昔から心配されたりするのが苦手な子だったな、と思いながら、笑みを浮かべて、先程とは違った謝罪をした。
「それはそれで、腹立つ!」
「がふっ!」
 理不尽な理由で殴られて、再び気を失いそうになる。
 殴られた頬を撫でながら、今いる場所を確認する為に、視線を辺りに巡らせた。
 洋館の廊下にいたはずなのだが、今いる場所は部屋のようだ。
 暗くてよくわからないが、腐った机や壊れたソファーが捨て置かれている、応接間か何かだったのを窺わせる。
 再び蓮に視線を移すと言った。
「それにしても、蓮をここまで追い詰めるなんて、下級じゃないの?」
「さすがの私も油断したのよ。あんなのがいるなんてね。あっ、でも倒せない訳じゃないのよ? 本当よ? なに、その目、殴られたい?」
 早口でまくし立てると、最後は「あんたのせいでしょうが」と胸ぐらを掴むと拳を作る。
「あのイノシシ熊ね。そこらへんにいた下級雑神を喰らって更に強くなったのよ。強さは中の上ぐらい?」
 雅人の胸ぐらを離すと蓮は、入り口を見やった。
 ――雑神より今の蓮のほうが怖いよ。
 と、内心呟くと、雅人は額に浮いた冷や汗を拭う。
「見てなさいよっ! 私をここまで傷つけたのを後悔させてあげるんだから――ふっふふふふ」
 どこから声をだしているのか、不気味な低い声で言って、ニヤァーと笑みを浮かべた。
 震えが止まらない。今の蓮に狙われてる雑神に少し同情する。
『グルアァァァァアアア』
 雑神の咆哮が木板で作られた壁の、隙間をすり抜けて耳元に届けられた。
 雅人と蓮は息を押し殺す。
 洋館を揺さぶる足音。そして、雅人達がいる部屋の前で足が止まり、静寂が訪れた。
「来るわよ?」
 小声で雅人に伝える。
「うん」
 雅人が返事を返す、と同時に部屋の扉が砕け散った。
 破片が雅人達に向かって飛んでくるが、壊れたソファーを盾にして防ぐ。
 蓮は立ち上がり攻撃態勢に入った。
 だが――部屋には埃が巻き起こり視界を遮る。
 雅人、蓮、そして……雑神を覆い隠してしまった。
 それでも見えているかのように、蓮は床を蹴り、雑神がいる場所へと迷わず一直線に向かう。
「あんたが、この部屋に入った時点で終わり! 切り刻んであげる」
 闇――そして、埃が部屋を支配する中、ぽうっと青い光が現れる。
 蓮が腕輪に霊力を送り込んでいるのだろう。
 青い光が煌びやかに部屋を明るく照らし出す。
 雅人は感じていた、蓮の霊力の高さと豊富さを。
 見ない間に成長した様を、今、実感していた。
『グウオオオオオオオオオオオオ』
 雑神の雄叫びにも似た叫びが部屋に轟く。
 ボンッ――と、低重音の爆発が起こり、洋館が大きく揺らいだ。
 刹那――青い光が弾け、埃を突き抜け何かが雅人がいる方向へと飛んでくる。
「ぐっ!?」
 雅人は慌てて受け止めた。
 胸に飛び込んできたのは傷だらけの蓮の姿だった。
「蓮!」
 蓮はぐったりとしていて、息も荒くなっている。
 視線を落とした雅人は見た。
 闇神を滅する腕輪が、砕け散りなくなっている。
「だっ、だいじょうぶよ。これからが本番よ」
 息も切れ切れに言った
 それでも弱気な所を見せることはない。気の強い彼女らしい言葉だった。。
「ぐっ」
 立ち上がろうとするも、片膝をつき苦痛で顔を歪ませた。
 手を貸そうとする雅人を、制するように手を向けた。
「あれは――上級よ」
「そんなっ!?」
 雅人の顔から血の気が引いていく。
 雑神上級――それは、すなわち闇神の一歩手前と言うことだ。
 下級や中級までは、ただ何も考えず人を襲い魂を喰らい、同族さえも喰らう程の知能の低いレベル。
 だが――上級は少なからず、知能を身につける。
 それでも、種類によっては様々だ。人の形に近い雑神上級もいれば、今、目の前にいるのと同じような、ヒグマのような大きな体格のもいる。
 人の姿に近い雑神ほど、厄介だ。それは、人並に知恵をつけているということ、それは闇神になろうとしているということだ
 上級ともなれば、喰われた人の知識を使い始める。
 人が生きていた頃の記憶を頼りに、人が集まる場所へと向かう。
 ここで倒さなければ、確実に街に向かい、人を無差別に襲い始めるだろう。
 そうだとしても、この程度の上級ならば、蓮であれば簡単に片付けられたはず。
 なぜ倒せなかったか、なぜここまで弱りきったのか……。
 ――僕のせいだ……。
 気を失った雅人を守りながら、この部屋に避難するのに、蓮はかなりの霊力を消耗した。
 生死を分ける戦い……それこそ、人を守りながら戦い続けるのは、まだ十五歳の少女には辛かったはず。
 心配をかけまいと健気に強がっていた。気づいてやることができなかった。
 止めなければいけなかった。もっと敵を観察しなければいけなかった。
 なんの為についてきたのか……幼馴染がどうにかするだろうと甘い考え。
「雅人は逃げなさい」
「一緒に……」
「二人で逃げてどうするのよ。あんただけ行きなさい。それで、親方様に知らせるのよ。いい? それぐらいの時間だったら稼げるから、ね?」
 優しい笑みを浮かべる。
 相手が雑神とはいえ上級、二人で逃げたとしても、衰弱した蓮の足では逃げ切れるはずもない。
 そもそも逃げ切れたとしても、あんな奴を放っておいたら一般人に被害がでてしまうだろう。
 ――くそっ、情けないにも程がある!
 逃げようとした自分の甘えに顔を俯けてしまう。
 埃が晴れてくる。
 今生の別れを済ませるのを待っていたのか、雑神は入り口から一歩も動いていなかった。
「ふんっ、わざわざ待っててくれたの?」
 雑神を見据えながら青い札を取り出すと、
「壁に穴あけるから、そこから抜け出しなさい、いいわね?」
 今にも倒れそうな程の激痛にも関わらず蓮は、雅人に優しい笑みを向けた。
 ――僕は……。
 脳裏にあの頃の記憶が蘇る。忌々しい記憶、消し去りたい記憶、蓮と同じように優しく微笑んでくれた女性ひと
「雅人! 聞いてるの!?」
 最後に見せた悲しい笑顔、救えなかった軟弱な自分。
 ――もう……。
 あんな顔は見たくない、あんな顔はさせたくない。
「僕は――」
 立ち上がる。と、雅人は上着の内側ポケットに入った札を取り出した。
 漆黒に染まった札、る者を飲み込む程の深淵。
「雅人!」
 振り返った蓮の顔が、驚愕に染まる。
 雅人は止まらない。漆黒の札に膨大な霊力を送り込む。
 更に黒く、更に深く、更に遠く。
 それはとどまることなく世界を浸食していく。
 漆黒の札は弾け飛び、同時に雅人を中心に烈風が巻き起こった。
 刹那――――世界は変貌を遂げる。
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