第二十八話:日常7(愛)
部屋に運ばれた雅人は目覚めても何処か心ここにあらずで、ずっと暗い部屋の中で膝を抱えうずくまっていた。
そんな雅人の姿を悲しげな瞳で見つめる愛がいた。
入るにも入れず片手に黒刀を握りしめたまま襖の影に隠れ、少し開いた隙間から部屋を覗いている。
数時間前まで新品だった洋服、所々破け白い肌がのぞき見えている黒いワンピースを着ている。
今の雅人に黒刀を渡すのが危ういと感じた愛は、陰鬱な気持ちで帰路についたのだった。
次の日も雅人の家を訪れた愛だったが、雅人は一言も口を開かず。愛は黒刀を渡そうとしたものの、遠くから眺めるだけで一日が過ぎてしまう。
そして日付が再び変わり、愛は次こそ黒刀を渡そうと意気込み雅人の屋敷に向かおうとしたが、その足が止まる。
雅人が屋敷の玄関からでてくる姿を視界に捉えたからだ。その足取りは頼りない、顔を俯けたまま倒れてしまうのではないかと思わせる姿だった。
そんな姿の雅人を愛は悲痛な表情で眺める、何もしてあげることができない自分に歯痒い想いが沸き上がってくる。
心配になった愛は気配を消して雅人の後をつけていく。
森の中に足を踏み入れた時、ふと微かな違和感に首を巡らせ見渡した愛は、眉を曇らせた。
雅人が口を閉ざした原因、雅人をここまで落ち込ませた人がいなくなってから二日目の樹海は全てが豹変していた。
闇が慌ただしく見境なく光を喰らい、秩序を失い同じ闇を喰らっていた。
額に脂汗が吹き出してくる、もうここは安全じゃないと脳が危険信号を出していた。
こうなってしまっては、無理矢理にでも雅人を止めなければならない。
闇神使いとしての力がない雅人に、対抗する手段はないのだから……。
だが、それに気づき顔をあげて雅人がいた場所へと視線を向ける。
が、目は驚愕に見開かれる――雅人がいなかった。
唐突に消えた雅人、急いで辺りを見渡せども闇に阻まれ見つけることができない。
焦りが生まれる、焦りが不安をかき立てる、不安が恐怖を生み、恐怖が絶望へと変わる。
冷静を欠いた愛は走り出すが、ふと自身の手を――握りしめた黒刀を見た。
黒い光を帯びていた、まるで道を指し示すかのように、淡い頼りない光を発していた。
一瞬呆気にとられた愛だったが、なぜか心が落ち着いた。頭を冷やすように、何度も深呼吸をすると顔を引き締める。
瞼を閉じて辺りの気配を探る、雑神を見つけるのは簡単だ。人を襲う雑神は辺りに殺気を撒き散らせ餌を求める。
撒き散らされた殺気を辿っていけばいいだけ、愛はゆっくり歩き始める。
「――いたっ!」
閉じていた瞼をカッと開けると、数百メートル程離れた先で雅人が今まさに雑神に喰われそうな瞬間だった。
愛は一枚の札をスカートのポケットから取り出す。
それは灰色。それは悲しい色。それは儚い夢の光。
霊力を込め小さく呟いた。
「風一式、風奔!」
それは闇神使いとして最初に覚える補助式、身体に風がまとわりつき足が少し浮き上がる。
身体が軽くなったのを感じた愛。まるで風と一体化したかのように軽く感じる。
雅人へ視線を移し地を軽く蹴る。それは地に触れたのかわからないほど軽い蹴りだった。
たったそれだけのことで、驚くべき結果を生み出す。常人ならば見えない、常人ならば消えたと錯覚するほどの速度。
(間に合わないっ!)
それでも間に合わない、術を使ったとしても間に合わない距離。
数秒後には辿りついてるはずの距離が、数時間にも及ぶ長い道のりに感じた。
雑神が雅人に飛びかかろうとしていた、雅人は瞼を閉じ腕で顔を隠していた。
思わず手を伸ばす愛だったが、土埃をあげ思わず立ち止まってしまった。
いつ離したのか……いつ放たれたのか……そう思考したとき――――黒刀が雑神を貫いた。
余りの驚きに呆けてしまう愛。雑神が空気にさらわれるように消滅していく。残ったのは地面に突き刺さる黒刀。
なにかをしたわけでもない、知らない間に黒刀が愛を超える速度で雑神へと一直線に向かうのを視界に捉えた。
黒刀を見て、雅人が驚いた表情で近寄っていく。
そんな姿を呆然と見つめていた愛は、
(なにもできなかった……雅人くんを助けることも……慰めてあげることも)
悲しげに目を伏せると、愛は背を向け出口へ歩き始める。
自身の無力に打ち拉がれながら……。
この時背を向けず雅人に駆け寄っていたなら、あんな痛々しい雅人の姿を見なくて済んだのかもしれない。雅人を止めていれば、本家を出て行かなくてもよかったのかもしれない。
雅人が黒刀を喰らう姿を見ないまま、愛は樹海を去ったのだった……。
それからの愛はひたすら強くなる為に訓練に明け暮れていた。
雅人はどこか切羽詰まった危ういとさえ感じさせる表情で、毎日どこかへと出かけては生傷をこしらえてきていた。
人が変わったように豹変した雅人の傷だらけの身体を見ながら、手当をしてあげることしかできない自分に悔しさが募っていく。
助けたくても今の自分では手を差し伸べることができない――無力な自分に腹が立った。
しばらくして、雅人は親方様の命令で地方へと飛ばされた。遠くから見送ることしかできなかった。今の自分には会う資格がなかった。
雅人がこの地を去っても、愛は毎日手紙を送り返事を待ち続けた。
寂しくなかったと言えば嘘になる、できれば直接会って話をしたかった。
変わったとはいえ人が良いのは変わらないのだろう、雅人からちゃんと返事が返ってくる。
蓮も手紙を送り続けているのだろう、返事が来た日は上機嫌だから丸わかりだった。
雅人がいなくなってから三ヶ月の月日が流れ、一族会議が開かれた。親方様が開いた会議。それはつまり一族全体の事である。
上座に親方様が座り、その両端に縦に並ぶようにして座るのが各分家当主達。
全ての分家の当主とまではいかないが、代理などを立てて、四大家以下序列五位〜二十位の分家当主が部屋にいた。
そして愛も緊張した面持ちで不堂家当主である父の代理で座っていた。いつも欠席してるはずの林堂家の当主"林堂千代"もいた。
「集まってもらったのは、前回から言われておった後継者問題じゃの」
親方様が放った言葉に場がざわめき始める。
御堂家には後継者がいない。親方様の実子である"御堂正則"は、才能に恵まれていたのだが、結婚して雅人が生まれたのを機に普通のサラリーマンとなった。
その妻である"御堂美代"も候補にあげられたが、美代の「無理」の一言で候補からはずされた。
そして孫である"御堂雅人"は闇神使いとしての力を受け継いでこなかった。
よって、御堂家には後継者が不在となってしまった。
「分家の娘さんと結婚したらいいんじゃないですか?」
中年男性が小さく手を挙げると、優しい声音で呟いた。その言葉に誰もが息を呑む。
内容に驚いたわけじゃない、才能がなくても雅人に流れる血は重宝される。雅人の子供は強力な霊力を備え生まれる可能性がある。
そうなれば各々の娘が、その子を産めば更に一族は繁栄することだろう。
それに、分家から妻を娶ることなど昔から行われてきたことだったからだ。
そんなことよりも、柔和な笑みを浮かべる中年男性が発言したことに驚いていた。
直系分家の一つであり、分家序列第一位"天堂家"現当主"天堂巧一"にである。
天堂家の当主の発言は、親方様に次ぐ発言権を持っている。
誰も反対するものなどいない、もし反対などすれば、あの柔和な笑みに隠れた鬼を目覚めさせる。
「とは言っても、私の子供は男の子なんですけどね! あっ、でも可愛い子なんですよ? 優しい子なんですよ!」
嬉しそうに頭をかきながら照れる巧一。
この表情からわかるのが、とてつもなく親馬鹿ということだ。
いつも持ち歩いてるのか財布から、何十枚という大量の写真を取り出して皆に配り始める。
その写真には黒いブレザーの制服を着た男の子が笑みを浮かべ立っていた。
可愛いとは言いにくいが美形と呼ばれる男の子なのは確かだった。
――神童……。
誰かが写真を見ながら震えた声――畏怖を込めた声音で呟いた。
その言葉に場が静まり返る。凍りついた空気に耐えられなくなった分家の者が、唾を飲み込み喉を鳴らした。
「巧一、息子の自慢はよいのじゃが……今とは関係ないじゃろう?」
親方様が呆れるように言うと、頭を下げながら自身の座布団へと座り直す巧一。
それを確認した親方様は、
「では、分家から一人妻を娶ることでよいかの?」
各分家当主の顔を眺めていく、誰も異を唱えることなどしなかった。
だが参加するのは自由、野心溢れる分家の者の顔は嬉々とした笑みを浮かべていた。
「では、参加者を募ろうかの?」
と親方様が手を叩くと、不気味な黒い仮面をつけた者が各当主に紙を配り始める。
それには参加表明と娘の名前を書き、親方様に提出しなければならない。
愛の手元にも紙が手渡される。
(雅人くんの……)
考える時間など必要なかった、すぐさま父の名前と自身の名前を書き終えると、立ち上がる。
愛が近づいてくるのを見て、親方様は微笑んだ。
「参加するのじゃな?」
どこか、からかうような声音で囁いた親方様。無言で愛は大きく頷いた。
愛は親方様の前で腰を下ろすと、手に掴まれた紙を提出する。
それが親方様の手に渡ると、ゆっくりとした動作で立ち上がる。
そして踵を返し再び自身に用意されていた座布団へと戻っていった。
そう迷う必要などなかった。まだ結婚できる歳ではないが、その覚悟は小さい頃からできていた。
必ず後継者になってみせると、手に力を込めて握りしめる。
愛を皮切りに続々と分家の者が提出していく。
もちろん千代も提出した。参加表明したのは十二の分家。
会議が終わったあと帰宅する途中で、愛は空を見上げた。そこは闇に包まれ星が輝いていた。
視線をはずし家に真っ直ぐ帰宅した愛は、自身の部屋へと向かう。
扉を開け部屋に置かれた黒い机に向かって歩き出す。机に辿り着くと引き出しを開けて一枚の写真を取り出した。
月明かりが部屋に差し込み、写真を照らす。それは初めてこの地に訪れ不安で泣いた日の、翌日に撮った写真だった。
黒髪の幼い雅人の袖を掴みながら、恥ずかしそうに顔を伏せている茶髪の幼い愛。
「雅人くん……」
写真に写る幼き雅人を見つめ愛おしそうに呟いた愛。
写真と共に取り出した一枚の灰色の札に霊力を込め始めたのだった……。
爽やかな朝日が差し込む部屋の中で、愛は準備を始めていた。
今日は予選が開かれる、各分家の娘が勝負して勝った者だけが雅人の許嫁になれる。
四大家の一つ海堂家が不参加を表明してくれたお陰で、一番厄介なのは蓮だけだった。
それでも、気を抜かない。昔のような甘えは捨てた。
「お嬢様、親方様がお呼びです」
扉の向こうから、メイドの呼ぶ声が響いてくる。
準備を終えた愛は、
「わっ、わかった、すぐいくよ……」
少しぎこちないが、男のような口調で言った。
全ては雅人の隣に立つために、全ては雅人と共に歩む為に、少女は甘えと共に髪を切った。
幼き頃、悲しみから助けてくれた、優しい少年の心を守れるように……。
幼き頃、闇から救い出してくれた、優しい少年の身を護れるように……。
いつか――きっと。
「頑張るからね――雅人くん……」
愛は写真を見つめながら呟くと、写真に写る幼い雅人に口づけをした。
少し頬を紅く染めたが、黒のスーツの内側ポケットに写真を大事そうにしまう。
瞼を閉じて写真が入っている場所に手を当てる。心を落ち着かせるように、何かを祈るように。
瞼が開かれた時、凛々しい表情を浮かべ扉に向かって歩き始めた。それは力強く、迷いのない足取りだった。
扉が閉まる音を最後に部屋には静寂が訪れ、窓から差し込む光に部屋は満たされ、まるで祝福するかのように輝いていた。
不堂愛がこの地にやってきて、様々な出来事が過ぎ去っていった。
初めての父母との別れ、闇神使いの長との出会い、友達との出会い。
様々な出会いがあった。その中でも雅人と遊んだのが一番の思い出だった。
決勝にて蓮に勝利した愛は、後継者として名乗りを上げ、許嫁になることで、また一歩雅人に近づいた。
それからの月日は瞬く間に流れていった。
不堂愛は十五歳となり……そして――現在。
「――あとは……」
灰色の短刀を握りしめながら、愛は空を見上げる。
燦然と輝く満月が、闇夜を照らし、世界を明るく優しい光で染め上げている。
幻想的な光景、圧倒的な迫力、どこか優しさを秘めた満月。
「結婚するだけだね」
満月を見つめながら柔和な笑みを浮かべる。
どこか照れくささが混じった声音だった。
「さてと……」
愛は視線を落とすと、目の前で倒れ伏す雑神を見た。
既に分解が始まっている、じきに消滅するだろう。
黒い霧が空気に混じっていく。月の明かりに照らされ輝いてさえ見える。
「楓……悪いんだけど一つ頼まれてくれるかな?」
「……なんでしょう?」
愛の言葉に闇の中から少し不機嫌そうな声音が響いてきた。
感情を表に出すことがない部下にしては、珍しいことだった。
「大丈夫、そんなに時間はとらせないよ。家にいるメイドに今日の夕食は、和食にしてほしいって伝えてくれるかな?」
「かしこまりました。伝えさせて頂きます」
「あっ、焼き魚は必ず用意してって伝えてね」
と、付け足す愛に闇の中から殺気を少し放ってくる楓。
愛は仕方なさそうに肩をすくめると、更に口を開く、
「あと……雅人さんを呼んでおいてもらえるかな?」
「……かしこまりました。それでは……」
「あっ、今日はそのまま帰ってくれていいからね。最近忙しかったから……久しぶりに会うんでしょ?」
愛の放った言葉に、楓が闇の中で派手に転ぶ音が聞こえた。
口に手をあて笑いを堪える愛。
「……知りません」
羞恥と戸惑いが入り交じった声音だった。
その一言を最後に楓の気配が消える。
愛は満月を一瞥すると、
「今日は庭で食べたほうがいいかな……」
と楽しげに弾ませた声音で呟くと、闇の中へと消えていく。
雅人が帰ってきてから初めて一緒に食事をする。その光景を想像すると自然と心が躍りだす。
成長した愛でも唯一欠点だと言える事があった。それは焼き魚の骨を取り除く事。
たった――それだけのこと。
されど――大切な事だった。
やみがみっ! をご覧頂き、ありがとうございます。
これで愛編を終了とさせて頂きます。
次回からは神狼の過去編をお送りします。
それでは、次回あとがきにて、お会いしましょう。
引き続き、やみがみっ! を宜しくお願いします。

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