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第一話:帰還
 季節は七月下旬、蒸し暑く感じる季節である。
 それでも、誰もが浮かれ、誰もが熱くなる夏。
 少年を照らす夏の日差しは、望んでもいない汗を掻かせる。
 誰もが嫌になる暑さの中、少年は山を登っていた。
 別に山登りが趣味な訳でもなく、ただ山の頂上にある祖母の家を目指していた。
「なんだって、こんな場所にあるんだろう……まあ、足腰は鍛えられるだろうけど」
 額の汗を拭いながら愚痴をこぼすのは、黒髪にタレ気味の眠たそうな目、どこにでもいる中肉中背の少年、御堂雅人みどうまさと・十五歳。
 今日から夏休みに突入した雅人は、急に父方の祖母に呼び出された。
 久しぶりの帰郷である。約三年振りの故郷。
 夏休みを避暑地である山で過ごすのも悪くないな、と思った雅人はすぐさま飛んで来た。
「タクシーで来ればよかった」
 周りは大木が少しの隙間を残して生え並んでいる。
 雅人が歩く場所は乗用車二台分は走れるだろう道幅があった。
 タクシーで来ていたなら、涼しいクーラーが効いた車内で、くつろげたかもしれない。
 懐かしさから歩くという手段を選んでしまい、こうやって暑さに苦しむ事になったのだ。
 穿いている黒いジーパンで手汗を拭う。
 ズボンのポケットから綺麗に折りたたまれた紙を取り出し無造作に広げた。
 汗でベタつく手のせいで、少し破けてしまい「あー……はあ」と、雅人は破れた箇所を見てため息をこぼす。
 気にしていても仕方がないので、広げられた紙を見て家までの道順を確認する。
 地図を見ながら、周りに標識がないか辺りに視線を巡らせた。
「ん〜、あれか……」
 地図に書かれた標識と、道に設置された標識を交互に見比べる。
 更に標識が置かれた場所と、祖母の家までの距離を調べ始めた。
「えーと……あと三キロ!?」
 少し目尻に涙を浮かべた雅人は、近くにあった座り心地のよさそうな、大きな岩の上に座り込む。
 そこは木陰になっていて、岩がひんやりとして気持ちがよかった。
 火照った身体の体温が、少しだけ下がった気がする。
「ふー……少しだけ休憩……」
 と、ひんやりした岩の上で寝転んだ時――。
「相変わらず、へたれじゃの」
 背後から呆れた声が届けられて鼓膜を揺さぶった。
「ひえっ!?」
 反射的に起き上がり身構えるが、声の正体に気づくと、げんなりとした表情を浮かべる。
「ばあちゃんか……」
「素っ気ないの〜、せっかく迎えにきてやったと言うのに」
「……迎えに来てくれたの? 車なら、ちょっと嬉しいかな……」
「ひょひょっ、ばあちゃんに任せるがええ、車より便利な物じゃ!」
 得意気に胸を張る祖母を見て、一瞬顔を輝かせたが、便利な物の正体に気づくと無性に腹が立つのだった。
 それは――ママチャリ。電動でもなんでもない、カゴがへこんでいるママチャリだった。
「ぐぅ、ぜぁぁぁーーーーーーーー!」
 奇声をあげながら、雅人は自転車を漕ぐ、後ろに涼しげな顔をした祖母を乗せて。
 整備されてない山道、砂利道を自転車で登るのは少々無理があった。
「ば、ばあちゃんっ、な、なんでっママチャリ!? なんでママチャリなんだよっ!」
「雅人がヒッキーになってると聞いての〜、ママチャリを用意したんじゃ〜」
「い、意味がわからないっ!」
「ほれ、もっと根性をみせい、これぐらいで息が切れてどうする」
「ふんぐっ、ハーブーッハッー」
 祖母に反論したいが雅人は過呼吸を起こしていた。
 このままだと確実に死ねる自信があった。
 苦しむ雅人を見て、祖母は、ただ情けないと思うばかりで、自転車から降りることはなさそう。
 それから――四十分後。
 必死にこぎ続けて、ようやく到着した雅人だったが、
「ふむ、ついたぞ雅人! よく帰ってきたの!」
 巨大な門の前で立つ祖母は、雅人を迎え入れるため、満面の笑みで腕を横に広げた。
 当の本人は……地面に突っ伏した姿で、生死の境を彷徨っていた。

    ○

 懐かしい夢。
 それは遠い過去の話、忘れることのできない過去だ。
 とても幼かった自分、何もできなかった泣き虫な自分【おねえさん】と出会った……懐かしい過去、楽しかった記憶が蘇る。
 そして――。
「起きろー!」
「ひぃっ!?」
 耳元で叫ばれた声に、間抜けな顔で気を失っていた雅人が飛び起きる。
 そこは広い和室、畳が醸し出す草の快い匂い、自然の匂いが鼻腔をくすぐった。
 かなり昔から建っているのに、綺麗に隅々まで手入れされた部屋は、新築を思わせる。
 ここに住んでいたんだな。という懐かしい気持ちが込み上げてくる。
 が、雅人の視界は、先程の声の主を捉えた。
「やっと起きたの? 本当にいつまで経っても軟弱ね?」
 不機嫌を隠そうともしない、わかりやすい少女だ。
 懐かしい顔でもあったが、できることなら、もう少し後で会いたかった。
 雅人は視線を逸らし、
「えーと? 人違いですか?」
 と、か細い声で呟いた。
「面白い冗談ねっ!」
「げぶぅっ」
 畳の上を転がり苦しむ。
 涙目になった雅人は傷む腹を押さえながら、仁王立ちの少女を見た。
「ひどいじゃないか! ひぃっ!?」
 非難を込めた瞳で睨みつけたが、胸ぐらを掴まれガンを飛ばしてきた少女の気迫に、口を閉じた。
 再び気を失いたくなったが、そんな些細な事で、人とは気絶しないもので願いは叶いそうにない。
「幼なじみの名前忘れちゃったのかなあ」
 こめかみに青筋を浮かべて、少女は口の端を引きつらせる。
 もしこれがカツアゲだったなら、簡単に財布をだしてしまうことだろう。
 小さな頃から受けてきた数々の理不尽だった日々を思い出す。
「はは、忘れる訳ないじゃないか、ちゃんと覚えてるよ」
「ふーん……なら言ってみなさいよ」
「りっ、林堂りんどうれん
「よく言えました」
 雅人の胸ぐらを離して、にこにこと笑みを作った。
 少しつり上がった目尻、スっと通った鼻筋、控えめで艶やかな桜色の唇、身体の線も細く黙って歩けば皆が振り向くような容姿をしている。
 可愛い系より綺麗系、胸がなく、暴力的なのが欠点。
 後ろを結い上げた髪型、ポニーテールがよく似合う少女、林堂蓮りんどうれん一五歳だ。
「久しぶりだね」
 三年ぶりだと言うのに昨日の事のように、この幼馴染との地獄の日々が容易く思い出せる。
 思い出したくもない過去だ。本当……懐かしすぎて涙がでてきそうだった。
 そんな懐かしさと同時に思う、胸と精神面は何も成長していないと。 
「久しぶりね、相変わらずナヨナヨしてるみたいだから、明日から稽古をつけてあげる。覚悟しなさい」
 嬉々とした口調で、有無を言わせない早口で、清々しい笑みを浮かべている。
 断ったらなにをされるかも知っている。そもそも稽古なんてつけられたら、どうなるのかも知っている。それでも断れるはずもなく。
 雅人は泣きそうな顔で頷いた。
 明日は命日と自らの死を悟ったが、突然、部屋の襖が開け放たれた。
 部屋の入り口に視線を送ると祖母が部屋に入ってきた。
「起きたようじゃの?」
「御館様、お邪魔しています」
 雅人は驚いた表情で、蓮を見る。
 さっきまでと態度が百八十度違い、信じられないといった感じで口をパクパクさせた。
 三年前までなら、敬語なんてものは使えなかったはずなのに。
 ――精神面も成長してるなんて……。
 少女の成長が、雅人にとって今年一番の驚きとなった。
「御館様、私は席をはずしたほうがいいですか?」
「いや、よいよい、そこにおるがいいの」
「はい」
 頭を下げて返事をしたのは、蓮である。
「雅人や、少し話があるんじゃがの」
 祖母が雅人の目の前で腰を下ろすと、真剣な眼差しを向けてきた。
 これも知っている顔だ、ただ思い出したくもない顔でもある。
 いつも、ふざけている祖母とは違う一面、それは来る前から知っていたはずだった。
 実際目の当たりにしてみると妙に緊張する。
 いつ以来だろう、こんな祖母を見るのは……いつ以来だろうか、こんなに緊張するのは。
 これが祖母の裏の顔、闇神使やみがみつかいを束ねる長の顔だった。
「今日、来たのは――」
 雅人が全てを言い終わる前に、祖母が口を開いた。
「雅人や……近いうちに、試験を始める。それに参加してもらう、よいな?」
「そっ、それは!」
 突然の命令、拒否は許さないという確固たる意思。
 雅人は狼狽する。
 祖母の身体から放たれる霊圧、まるで押し潰すかのように頭上からのしかかってくる。
 悔しそうに歯ぎしりをする雅人に、
「拒否は認めん、必ず参加してもらうからの」
 呼び出された時から薄々感じていた。
 祖母がなにをさせたいのか、一族がなにをさせたいのか、父と母がなにをさせたいのか。
 知っているつもりだった。
 だが、納得できないことでもあった。否、納得などできるはずもなかった。
 苦虫を噛み潰したような顔をする雅人を一瞥して、祖母は立ち上がり、ゆったりとした足取りで部屋から出て行く。
 部屋に残されたのは、重苦しい空気と「残ってるんじゃなかった……」と呟いた蓮だけだった。
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