もうかりまっか(3分、詞小説)
蒸し暑く寝苦しい夜には、決まって生暖かい風が入ってくる。
今夜の風も同じだ。ベッドに仰向けになって見る天井の染みは、薄いようでいて、深く、黒ずんでいて、僕を奈落の世界へ導く夢魔の使いに見える。
《ブウゥ……ン》
冷蔵庫のモーター音がやけに大きく聞こえた。
大丈夫、眠くない。今日は平気だ。今日こそ瞼は閉じない。閉じなければ見ることは無い。
不意に誰もいない筈の部屋に、自分以外の気配を感じた。
僕は布団を引き寄せくるまった。
徐々に温もりが躰を支配していく。
(行かなければ良かったんだ)
心地良い熱に促され、全身から力が抜けてくる。
(駄目だ、寝ちゃ、いけ、な……)
けれど先月の旅行から持ち帰った疲労は、僕の明確な意思に逆らった。
(駄‥目……だ……)
結局、僕は母親に抱きつく赤ん坊のように身を固くさせ、連夜続いている恐怖の夢世界に転がっていった。
彼等は僕が張った見えないバリアを、いとも簡単に突破、あるいは無視してくる。
常に、常に、常に……!
『もうかりまっか?』
無遠慮に中年の男が声をかけてきた。
(……やっぱり)
分かってはいたが、これで何度目だろう。
『もうかりまっか〜?』
こいつは別の奴だ。
『もうかりまっか?』
(…………)
僕は俯き黙り、足早にこの場を離れようとした。
やはり一夜目に調子に乗って、ぼちぼちでんな〜、とか、あきまへんわ、とか、答えたのがいけなかったのだ。
『だははははははっ!』
い、いきなり大きな笑い声がした。
見ると怪しい豹の柄で全身をコーディネイトした、中年のおばはんが僕の肩を叩こうとしている。
それを避けようとした僕は、いつの間にか大勢の人に囲まれていることに気がついた。
(な、何なんだよ)
戸惑う僕に構わず、一斉に笑い声を浴びせてくる。
『わははははーー!』
『クスクスクス……』
『ぎゃはは、ぎゃは!』
『ププッ……』
(な、だから何なんだよ)
しかし僕の訴えはまるで効かず、連呼する響きは、まとわりついてきた。
(やめろよ、やめろ! 何がそんなにおかしいんだよ!)
僕は呪縛をはねのけようと大声で叫んだ。
『まあまあ、こんなときゃ好きなよ〜に、やらしてくれる可愛い女に会いたいね〜』
はあっ? 意味が分からない。いや、きっと意味など無いに違いない。この街には不条理な法則、僕を相容れさせない力が働いているのだ。とにかく逃げなくては。とにかくここから逃げなくては。
だが、景色を群集に染めた人たちから、どうやって逃げればいい。
『もうかりまっか〜?』
(だから唐突に入ってくるな!)
『祐ちゃん、どう思う〜?』
(僕は祐ちゃんじゃない!)
『笑いが止まりまへんわ〜』
(止めようとしてないじゃないか!)
心臓が痛い、張り裂けそうだ。 なのになのに彼等は密着してくる!
『しゃあないやんけ、とりあえず裏のお好みで、本日も朝まで行きましょか〜』
(嫌だ! 絶‥対に、嫌だ!)
前後左右を塞がれ、もう口でしか拒絶することが出来ない。
『もうかりまっか?』
(やめろ!)
担がれて、空を飛ぶ。
『もうかりまっか?』
(やめてくれ!)
僕の目に有名な、あの川が映った。
『もうかりまっか?』
(う、うわあぁーー!!)
そして僕は、かのケン○ッキーのおじさんのように、泥臭さが待つ川へと投げ出された。
《ガバッ‥!》
身を起こした僕は部屋を見渡した。
『はあ、はあ……』
慣れたカーテンを見つけて、息を落ち着かせようとする。先月の旅行から帰って、間もなく始まったこの悪夢。今夜も何とか現実世界に戻ってこれたらしい。
安堵の息を吐いた僕は気がつかなかった。
カーテンの陰に隠れた、食い倒れ人形が薄笑いを浮かべていることを……
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