懐古の扉(超短編集)(1/12)PDFで表示縦書き表示RDF


懐古の扉(超短編集)
作:弥生 祐



運の女神(3分、コメディー)



『ハア、ハア……』

 男は荒い息をついて、額から流れる汗を拭った。目の前にある黒い形をした箱。破壊のプログラムの前でどれぐらいの時間が経っただろうか。数分か? 数時間か? 時の単位が狂ってるように男は感じていた。

『くそ、手が震えやがる』

 爆弾テロの予告があり、爆弾処理のエキスパートである男が一人、解体にあたっていたのだ。

『一体どちらのコードなんだ?』

 赤と黒。どちらかのコードを切れば処理が終わる所まできて、男は悩んでいた。

 デパートの地下に設置された時限爆弾。武骨に備え付けられた時計の表示は、爆発まで残り数分という現状を冷静に示している。

 早く処理を済まさなければならない。だが仮に間違えたとしたら…… どれだけの被害がでるか考えた時、男の背筋は凍りついた。男の決断に数百人もの生命が握られているのだ。

 男は再び汗を拭おうとした。その時ふと自分の左手の薬指に残る指輪の跡に気がついた。選択を誤れば自分の命も一瞬に消え去る。だが男には愛する家族、帰りを待つ女はいなかった。

 まぶたを閉じれば鮮烈に甦ってくる別れた妻の姿。

『あなた聞いてよ〜 駅前のパーラーの店員ったら、呼んでも来ないわ、愛想が悪いわ、イケメンはいないわ、ひどいのよ〜』

『……』

 自分が責任ある職務を果たしているというのに、パチンコ浸りになって家業をおろそかにした女。

『あなた大変よ〜 今月の生活費、あの店が持ってっちゃったの〜 ぷん、ぷん』

『……』

 男は離婚した。別れて正解だったと思っている。

 しかし今まで過酷な職務を遂行して生きて帰って来れたのは、底抜けに明るかったあの女が待っていたおかげではないか。そう男は思い始めていた。そう思い込みたかった。

『あいつが幸運の女神だったかもしれねえ』

 チッチッチッ……

 無情に過ぎる時間の中で、男は愛した女を捨てたことを後悔し始めていた。生き延びる理由が欲しい。帰りを待つ女がいる、それだけで強くなれると。

『いや、まだ間に合う』

 この危険な職務を成功させたなら、もう一度やり直そうと男は誓った。女の好きだった赤色のコードを切断することに決める。震える手つきで特殊ニッパーを構え、そして――

『俺は信じる!』

 《パツッ!》

 切断した感触が指先から肘に、そして肩口へと向かう。そのあいだ、男は閉じたまぶたの裏で美しかった妻の幻を見ていた。お気に入りだった赤のワンピースに身を包んで、家で男を待つ姿を……

 それは確かに昔にあった光景。決まって女は罰が悪そうに舌を出したものだ。

『ごめんね〜 今日も運は味方してくれなかったの〜』

 爆発する刹那、男はパチンコで勝てたためしがない妻を思い出していた。


記念すべき〜なろうでの公開作、第一弾♪
いわゆるブラックジョークな作品でございます。











ケータイ表示 | 小説情報 | 小説評価/感想 | 縦書き表示 | TXTファイル | トラックバック(0) | 作者紹介ページ


小説の責任/著作権は特に記載のない場合は作者にあります。
作者の許可なく小説を無断転載することは法律で堅く禁じられています。




TOP


小説家になろう