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ハイルランド第6代王チャールズ2世が崩御したあと、王位継承権を巡り、二人の王子が国を分けて対立した。
一人目は、第5代王にしてチャールズ2世の兄であるジョン王が遺児、ユリウス王子。そして、二人目はチャールズ2世の嫡子、ウィリアム王太子であった。
武力、知力、器量、血筋、何をとっても互いに見劣りしない王子二人の争いは、王国中の貴族を二分させた。約15年にわたった従兄弟二人による戦争が、後に“双頭戦争”と名付けられたのも、どちらが王にたってもおかしくないという当時の混乱を指してのことである。
最終的に、ハイルランド王の地位を継いだのは、軍事活動の中心地であるエグディエル城塞を押さえたウィリアム王太子の方であった。しかし、ユリウス王子の方も、ただ敗走をしたわけではない。
かつて建国王エステルが手放した地に降り立ったユリウス王子は、恐るべき才覚と武勲をもってして、乱立する諸侯らの頂点に立った。そうして、征服王ユリウスの名のもとに、エアルダール帝国を築いたのである。
こうして双頭戦争は一定の収束をみせたものの、その後も、どちらがハイルランドの正統筋であるかを巡り、両国の間には戦争が何度となく繰り返された。
「だが、時が流れるにつれて、二つの王家は少しずつ歩み寄るようになった。そして、ようやくヘンリ7世の時に、縁談という形で両国は友好を結んだ。――うん、とてもよく理解できているね、シア」
アリシアが頭を整理するためにまとめた手書きレポートから顔を上げて、ジェームズ王がアーモンド色の瞳をぱちくりと瞬かせた。今は晩餐の真っ最中だが、どこからかアリシアが勉強を励んでいると聞きつけた王が、成果をみたいと持ち掛けてきたのである。
「とても出来のよい家庭教師が、特別レッスンを開いてくれたもの」
「ああ。クロヴィスが、手助けをしてくれているんだったね。私のほうからも、よくお礼を言っておかなくてはならないね」
人の良い顔をほころばせて、ジェームズ王がころころと笑う。それに微笑みを返しながら、アリシアはスープを口に運んだ。
アリシアがエアルダール帝国について情報を集めだしたのは、もちろん前世に関連してのことだ。革命の夜に関して、エアルダールに関する重要な点は2点。
“エアルダール帝国とハイルランドの間で再度戦争が起きる。戦乱の最中、ジェームズ王は命を落とし、ハイルランドは敗戦国となる”
“戦争講和の中で、フリッツ王子とアリシアの間に婚姻が結ばれる。これにより、ジェームズ王の後には、フリッツがハイルランド王として即位する。”
これらの情報を、両国の諍いの歴史に沿って考えれば、近い将来、それもジェームズ王の治世のうちに、再び「どちらが、建国王の正統後継であるか」を巡る戦争が起きるのだと想像がつく。
「ねぇ、お父様。エアルダールとの間に、再び戦争が起きてしまうなんてことは、ありえるのかしら」
できるだけ軽い調子でアリシアが口にすると、スープを口に運ぼうとしていたジェームズ王の手が止まった。銀器を置き、ナプキンで口元をぬぐってから、ジェームズ王はアーモンド色の瞳をアリシアに向けた。
「絶対にありえないよ。――と、言い切ることは、できないね」
「おばあ様が、ハイルランドにはいらっしゃるのに?」
つい勢い込んで尋ねたアリシアに、王は神妙に頷いた。
「シアが言うように、エアルダールは母の祖国であり、あちらと友好を結ぶのは父の悲願だ。私としても、元を同じくする隣国と、これ以上無駄な血は流すつもりはない。けれどもね、シア。友好というものは、両者にその意思があるときに、初めて結ばれるんだよ」
「エアルダールの方が、約束を違える可能性があるの?」
冷めてしまうよ、とジェームズ王は、アリシアに食事をすすめた。気もそぞろにアリシアがスープを飲み終えると、さっそく給仕が食器を下げる。新たな料理がくるのを待つ間に、ジェームズ王は再び口を開いた。
「エアルダールの女帝、エリザベスを知っているかい? といっても、シアはまだ会ったことはないね」
「お名前だけは、よく聞くわ。とても頭の切れるお方なのでしょう?」
「そう。知力に優れ、威厳もある。そして――、大国を統べるにふさわしく、烈しい女性だ」
女帝エリザベス。
今の時代に生きて、その名を知らぬ者はない。
ジェームズ王とは従姉妹にあたる血筋だが、実のところ、生まれだけを見れば彼女が王位を継ぐことはなかった。なぜなら、エリザベスを生んだのは、正妃ではなかったからだ。
愛人の子であるエリザベスがなぜ女王の位についたのかといえば、そこには黒い噂が数多と存在する。一説によれば、正妃の子供を毒殺したとも、罪を被せて幽閉したとも言われるが、彼女の圧倒的な権力の下、今更にそれらの真実を暴こうとする者はいなかった。
「ベスは今、国内の体制を整えるのに熱を上げているから、好んで戦争を始めたりしないね。けれど、ひとたび彼女がこちらに興味を向けたら、一切の容赦なくハイルランドを取りに来るだろう。その時は、私は王としてこの国を守らなくてはならない」
「……もしも、私がエアルダールの王子と婚姻を結べば、戦争の抑止力となりえますか」
アリシアは気がつかなかったが、戸口近くに控えるアニが軽く目をみはった。唇を引き結び、顔を強張らせて答えを待つ主人の横顔を、侍女は心配そうに伺いみた。
と、ジェームズ王が丸い手を伸ばし、アリシアの頭をぽんぽんと叩いた。
「お父様?」
「シアはいつの間にか、王女としての役目を意識するようになっていたのだね」
二人の前に、給仕が新たな料理を置いた。白身魚のポワレを口に運び、ジェームズ王は顔を綻ばせた。それを見ていたら、心配事もよそにお腹が空腹を覚え、アリシアも柔らかな身をぱくりと口に入れた。
「実を言うとね、お隣のフリッツ王子とシアを引き合わせたいと、ベスの方から何度か打診がきているんだ」
「それって!」
「うん。十中八九、二人の婚約を狙ってのことだろうね。もちろん、その度に丁寧にお断りを入れているよ。ベスが大好きな、ぐっと渋味のある赤ワインをお土産にね」
あんぐりと口を開けたアリシアに対し、ジェームズ王は丸くて愛嬌のある指を2本たてた。
「大きな理由は二つ。フリッツ王子をシアのお婿さんに迎えれば、ハイルランドの次期王は彼になる。だけど、彼はエアルダールでも王位継承権の筆頭だからね。いくら2国の関係がよくなりつつあるとはいえ、貴族や庶民が反発してしまうよ」
といっても、ベスはあと数十年、誰かに王位を譲るつもりなんてないだろうけどと、ジェームズ王は肩を竦めた。
「もう1つの理由は……、そうだね、シアがこのまま頑張り続けることができたら、いつか教えてあげようかな」
「頑張るって、なにを? 勉強のこと?」
「もちろん勉強もだけど、それだけじゃないよ。いっぱい考えて、君が正しいと思うことを貫いて、たくさんチャレンジしてごらん。そして、君にその器があると示した時は、答えを教えてあげるよ」
謎かけのような言葉を残すと、王は目の前の料理に興味を移した。嬉しそうに、今日の魚は格別に美味しいと笑みくずれるジェームズ王は、これ以上この話を続けるつもりはないらしい。
仕方なく、アリシアは頬をふくらませながら、ポワレを口に運んだのであった。