第四話 記憶はただ苦く
地上に出るとあたりはすっかり闇に覆われていた。地下に潜っていた時間はそれ程でもないと思っていたのだが、空の変わりようを見ると案外長い時間話し込んでいたようだった。
(……アルゴには悪いことしたな……)
自分の家へと歩を進めていると帰り際の何か言いたげな彼女の顔が思い出され、なんとも苦い気持ちになる。
おそらく何か自分を励まそうとしたのだろうが、他者を避ける生活を送っている彼女にとってコミュニケーションは苦手な事の一つのはずだ。アルゴはその言動と格好から誤解されがちだが、実際は気のまわる優しい人柄であるとシュウは考えている。その彼女に気を遣わせてしまった事に罪悪感で胸がいっぱいになる。
(……何やってんだかな、俺は……)
見上げると闇夜の中で多くの星が輝いている。この世界と自分が居た世界とで唯一同じだと思えるものがこの星空である。
(早えな。……もう七年近く経つのか……)
それは、彼が召喚魔法をこの世界から無くそうと考えてから、もう五年以上の月日が経ったことを意味していた。
7年。
人によってその感じ方は様々だ。長かったと思う者もいれば短いと感じる者もいるだろう。
だが彼に言わせればそんな感想は温いとしか言いようがない。長いも短いもそこには何らかの感情が入る余地があるのだから。
苦かった。
彼の七年はこの一言に尽きた。
世界一平和な国に生まれ、贅沢と言わないまでも十分豊かな生活を送り、適当なところで結婚して子供を授かり、幸せに死んでいくはずだった。
それを信じて疑わなかった。
だが彼の生活は七年前のある事件を機に一変する。
―――――勇者召喚―――――
御伽話でしかないような事件に巻き込まれ、彼はこの世界にやって来た。
人々が平然と殺し合い、人外の獣が縦横無尽に闊歩する。
そんな世界に連れてこられ、彼がまず抱いたのは望郷の念だった。厳格だが優しい祖父といつでも自分の味方でいてくれた祖母。両親は彼が小さなときに他界し、顔すら覚えていないが祖父母がいてくれたおかげで寂しい思いなどした覚えはなかった。
彼は召喚された後自分の周囲を取り囲む者たちに言った。
――――――返してくれ。やりたかった事もやりきれなかった事もたくさんある。俺の親代わりの人に何も返せていないだから返してくれ――――――
だが周囲を取り囲む者たちの中で一番身なりの良い者はこう言った。
――――――我らは”召還”事は出来ても”召還”事は出来ない――――――
あの時の絶望は今でも覚えている。
帰れないと分かった時何もかもが分からなくなった。だがそれほど長く落ち込んでいたわけではない。彼の祖父は彼が小さな時から『自分を受け入れ、周りを受け入れ、死ぬ時まで考えることを止めるな』と口が酸っぱくなるまで言って聞かせていた。
彼はすぐに動き出した。自分の身を鍛え、知識を貪った。
祖父に幼い頃から仕込まれていた刀剣術も役に立った。だが彼はこの世界を知れば知るほど今の社会がおかしなものに思えてしょうがなかった。
平然と行われる人種差別。
当然であるかのような奴隷売買。
社会秩序になってしまっている身分差別。
聖書には人間以外は全て悪だと説かれ、人間が唯一にして絶対の存在であると書かれていた。
すべてが気持ち悪かった。他者を傷つけることに抵抗がない者たちもそれを受け入れてしまっている者も。
だから彼は言った差別などおかしいと奴隷売買などありえないと。
今にして思えば青臭いガキの戯言だった。元の世界と同じ感覚でいるからそう思うのであって、この世界の者からしてみればそれが普通であり、常識だった。
そして何よりこの世界に彼を召還して者たちは政治家としての異世界人など求めてはいなかった。彼らが求めたのは純粋な強さを持ち、魔王や魔族を討伐することの出来る英雄にして勇者と成り得る異世界人だった。
更に間の悪いことに彼を含め、召喚された異世界人は全部で三人いた。
当然自分たちに都合の悪いことを言ってくる彼は弾かれることになった。
これで実力があれば他の者たちも彼を無視できなかっただろうが剣の腕はともかく彼には魔法の才能がほとんど無かった。
この世界において魔法は生活から戦いにおけるまで重要なファクターだ。強力な魔法を継承してきた者たちが権力者として権威を振るい、魔法の素質が低い者が被支配者の地位に就いているのである。召喚される勇者とてそれは変わらない。
召喚される異世界人には勇者補正とも言うべき肉体強化と特殊な能力が付加される。能力の内容は人によって千差万別だが仮に能力が発現しなくとも、勇者は決まって強力な魔法を扱うことが出来る。正確に言うのであれば、そのような才能を持つものが勇者として召喚対象に選ばれるのである。だが彼はそのどちらも持ち合わせていなかった。
勇者の意義は魔王打倒にあり、魔法を満足に扱えない彼は無能勇者の烙印を押され、差別的な視線を向けられることも少なくなかった。
それでよかったと思っていた。
望んでこの世界に来たわけでもなければ戦いたいわけでもない。幸い彼以外の勇者は十分な能力を持ち合わせており、彼一人が戦えなくとも問題はなかった。
だが彼を召喚した者たちはそう考えてはいなかった。
胸が痛い。何年経とうと当時の記憶は彼を蝕み続けている。
あの時一つでも選択肢が違えば、無能だったとしても自分から戦う事を選んでいれば、あの国から姿を消していれば。
無駄と分かっていながら、ありえないほどのIFを幾千と積み重ねた。
彼を召喚した国の思惑は単純だった。
彼らが求めたのは費用対効果。
召喚するのにかかった苦労の分の利益を得ようとしただけだ。
勇者の召喚には莫大な資金を必要とした。高価な召喚触媒を使い、希少な魔法陣に莫大な量の魔力を注いで召喚魔法は発動される。
そのため召喚した勇者が無能だったとしても国のために役立てなければならない。危険な思想を持ち、武術は使えても魔法は使えない。そんな彼に国が見出した価値は勇者召喚によって強化されたその肉体だった。
召喚の際に強化された通常の人間よりも強靭な肉体。
彼の召喚国は彼を使ってある魔法儀式を行った。
たとえ死んだとしても困る人間ではないために、研究途中の禁呪指定の魔法を彼に使用した。国が彼に求めたのは実験で詳細な情報を得ること。つまり体のいいモルモットである。
だが結果は散々だった。
実験は失敗。
表向きは実験途中に魔法が暴走。研究者・関係者合わせて百人以上が亡くなり、研究施設三つが全壊。未曾有の魔法事故として語られている。
だが真実は異なる。
詳細は省くがシュウはそこである人物に命を救われ、能力を得て無能勇者ではなくなった。
しかしシュウは事故の騒動に紛れ国を出た。幸い実験に携わった者は全員事故で死亡したと伝えられていたために、シュウの行方を探すようなものはいなかった。
その後彼は冒険者として活動しながら自分の武術や戦闘術に磨きをかけた。
大陸中を巡り、文献・魔法陣・遺跡、果ては研究者に至るまで壊し、殺した。
彼は渇いていた。
殺人に対して嫌悪を抱かず、息をするように壊し、殺した。
復讐だったのかそれとも新たに得た力に酔っていたのかは分からない。少なからず自分のような召喚魔法の犠牲者を二度と出さないためという正義感もあった。
そして二つの国の中央に位置する召喚魔法陣を除いた他すべてを破壊したのが三年前。残った魔法陣にも手が出せないなりに発動を阻害する細工をしたのだが、今回何らかの方法でそれを無効化し、勇者を召喚したらしい。
賑やかなな繁華街を抜け、閑静な住宅街に入るとすぐに大きな教会が目に入った。
中からは子供の笑い声とそれをたしなめる大人の声。中からこぼれる明るい光に照らされ、ステンドグラスが様々な色を作り出していた。
漏れ聞こえる会話から察するにちょうど夕食の途中のようだった。
「ただいま~」
大きな扉を開けて中にはいると、彼に気が付いた子供たちが我先にと飛びついてきた。
「シュウにぃ、おかえり~!」
「お帰りなさい!」
「シュウにぃ、今日どうだったの?」
「シュウにぃだ!」
シュウは飛びついてきた子供たちの頭を一人ずつ撫でてやった。
驚いたことに子供たちのほとんどが獣の耳や尻尾、翼と言った人間には無い器官を持っていた。人間の子供もいるものの圧倒的に少数派であった。
「院長先生を困らせたりしなかったか?
「うん! いっぱいお手伝いしたよ!」
「オレなんか買い物に行ったんだぜ!」
「あ、ずるいよ~。ぼくもいっしょにいったじゃん!」
「わたしはねぇ~、晩ごはん作るの手伝ったよ!」
シュウに嬉しそうに答えていく子供たち。身振り手振りといった全身を使って彼に話していく姿は大好きな主人が帰ってきた飼い犬を連想させた。
その様子を見るだけで普段から彼が子供たちに慕われているのがよく分かる光景だった。
「お帰りなさい、シュウさん」
名前を呼ばれ顔を上げると目の前には黒を基調にした修道服に身を包んだ初老の女性が立っていた。
シュウは控えめに頭を下げると夕食の時間に遅れたことを謝った。
「ただいま戻りました、院長。すいません。夕食に遅れてしまったようで」
「お仕事なら仕方ありませんよ。さ、食事を運んできますからせきについてまっていてください」
教会の奥へと消えていく院長を見送ると他の席で子供たちの面倒を見ている修道女たちに頭を下げ、席に着いた。
外套を脱ぎ、彼が席に着くと近くに座っていた子供たちが待ちきれないとばかりに次々口を開いた。
「シュウにぃ、今日はどんな依頼だったの?」
「魔物と戦った?」
「お土産ある?」
彼は一つ一つの質問に丁寧に答えていく。
すると彼の斜め前に座っていた三十代と思われる修道女がニコニコと笑っていた。
「フフ、シュウさんは相変わらず大人気ね」
「からかわないで下さいよ、シスター」
苦笑混じりでかえす。
「ホントのことですよ。子供たちはみんなあなたの話を聞くのを楽しみにしてますからね」
事実子供たちは彼の話を聞くのをとても楽しみにしていた。
この教会で保護されている子供のほとんどは亜人種族だ。
獣人、エルフ、ドワーフ、翼人と様々な種族はいるもののそのほとんどが十歳前後の孤児たちだ。
年長組はともかく幼い年少組は人攫いや亜人差別といった危険から身を守るため、自由に外を出歩くことが出来ない。
シュウが聞かせてくれる冒険者としての体験談は彼らにとって最高の娯楽であると同時に外の世界を知るための貴重な情報源でもあった。
「ねぇねぇ、シュウにぃ」
「ああ、わかったよ」
袖を引っ張られ、話すのをせがまれるシュウ。
彼は苦笑混じりに今日あったこと、今までで倒した魔物のことなどを語って聞かせた。
傍目には嫌がっているようにも見えなくもないが彼にとっても殺伐とした生活の中での子供との触れ合いはある種の癒やしを与えていた。
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