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魔王の器 作者:月野文人

第二章 魔王編

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一途な思い

 王国の侵攻。それは事実を知る者以外にとっては驚愕の情報だった。王国の持つ皇国への野心は周知の事実ではあるが、この段階での本格的な侵攻はあり得ないと思われていたのだ。
 だが、それに対する皇国の反応は早かった。速やかに皇国軍の派兵計画を立てると、軍の編制、物資の調達をあっという間に終わらせて、東方に軍を向かわせた。
 それは当然である。宰相と騎士団長は情報が公になる前から、その準備を進めていたのだ。
 教会のノルトエンデ討伐と、王国の侵攻が、それを支援する為のダミーである事を知っているのは、ごく限られた者だけ。まして、皇国側が教会を騙すつもりである事は、それを打ち合わせた四人しか知らない。

 ソフィーリア皇女派の面々は、何も知らない側の者たちだ。
 王国の侵攻という情報を入手してから、ひたすらに情報を収集していたのだが、成果は上がっていない。この件に関しては、完全に情報を遮断されていた。
 カムイが絡む事である。下手に動かれて、教会に思惑を察知される危険を考えて、皇帝ら四人は何も説明する事をしていなかった。

「王国の侵攻の状況も分からないのかい?」

「お父様は、今回の件については、全く詳しい事は教えてくれないわ。まだ皇国の領土に入ってはいないはず。知っているのはそれ位よ」

「カムイからの連絡は?」

「出動の命令が届いたという最初の連絡以降は何もないわ」

「まあ、現地に到着するまでの時間、伝令が皇都に届くまでの時間。それを考えると仕方がないかな」

「もう戦いは始まっているのかしら?」

「それはまだだよ。辺境領では始まっている可能性はあるかもしれないけどね」

「そうね。大丈夫かしら」

「それは何とも言えないね。皇国軍が到着するまでは、恐らく城に籠っているとは思うけど、領民は……」

「うまく逃げられていれば良いわね」

「そうだね」

 集まってはみても、結局いつも、この程度の話しか出来ない。だが、そんな彼等に今日は大きな変化が現れる事になる。
 会議室の扉を叩く音に、近くにいたケイネルが席を立って、入り口に向かう。

「おっ、お前は?」

「至急話したい事があります。中に入れてもらえますか?」

「政敵の部下を入れられる訳がないだろう!」

「そんな事を言っている場合ではない! 大事な話なのです!」

 その声を聞いたディーフリートはソフィーリア皇女に目配せをする。訪れたのがマティアスだと分かったのだ。

「ケイネル、構わないわ。入って頂きなさい」

「は、はい」

 ソフィーリア皇女の許可が出たからには、ケイネルもこれ以上、止めるわけにはいかない。扉を大きく開いてマティアスを中に入れた。

「ヒルデガンド妃殿下の所のマティアスね。どうしたのかしら?」

「お聞きしたい事があって参りました」

「何かしら?」

「カムイ、いえ、クロイツ子爵から何か報告が入っておりませんか?」

「それは……」

「マティアス。それを聞く前にそちらの事情を説明するのが先じゃないか? どうして、そんな事を知りたがるのかな?」

「はい、そうでした。東方伯領より、ヒルデガンド妃殿下に報告がありました。神教騎士団が領内を進軍しているとの事です」

「神教騎士団だって?」

「そうです」

「目的地は分かっているのかな?」

 神教騎士団が動く理由など、聞くまでもなく分かっている。それでも念のために、いや、自分の考えが間違いである事を祈って、ディーフリートは、マティアスに問い掛けた。

「報告の内容から、ノルトエンデだと我々は判断しました」

「……つまり?」

 ディーフリートの願いは叶えられなかった。

「神教騎士団が動く目的は一つしか考えられません。魔族討伐を目的として進軍だと思います」

「王国とともに攻め入ってきた可能性はないのだね?」

「東方伯家には神教騎士団の進軍を邪魔しないようにという指示が出ているようです。邪魔をしないどころか、物資を供給している様子も報告されています」

「その言い方からして、東方伯からの報告ではないのだね?」

「はい。東方伯様からヒルデガンド妃殿下には何もご連絡を頂けておりません」

「凄いね。実家も信用していないのか」

「こちらの事情はお話ししました。クロイツ子爵から、それについての連絡は?」

「ないね……」

「王国との戦いに出ていると言う事ですか?」

「そう」

「分かりました。情報ありがとうございました」

「ちょっと待って!」

 それで用は済んだと、部屋を出ていこうとするマティアスをディーフリートは慌てて呼び止める。

「何でしょうか?」

「もう少し細かい所を確認させてくれないか?」

「今は時間がありません。詳しい事を知りたければ、後ほど、テーレイズ皇子殿下の所に伺ってください」

「じゃあ、一緒に行くよ」

「今、テーレイズ皇子殿下は、皇帝陛下とお話されているはずです」

「じゃあ、ヒルデガンドに聞かせてもらうよ」

「ヒルデガンド妃殿下は、外出中でいらっしゃいません」

「外出? こんな時にかい?」

「こんな時だからです。申し訳ございませんが、私も急いでいるのです」

「そんなに急いでも状況は変わらないよね? ノルトエンデは、はるか遠くだよ?」

「それはそちらの考えです。我々は今出来る事をしようと、動き出しております。では、失礼します」

 これ以上は付き合いきれないとばかりに、マティアスは背を向けて部屋を出て行った。
 その様子に何となくディーフリートは、自分たちとの違いを感じて、少し落ち込んでしまう。自分たちがただ為すすべもなく、意味もない会議をしている間に、相手は行動していたのだ。

「私もお父様の所に行くわ」

「あっ、私も」

 皇帝の下へ向かおうとソフィーリア皇女とクラウディア皇女が、慌てて、席を立った。

「皇帝陛下の所に向かうのは良いですが、状況は分かっていますか?」

「ノルトエンデに神教騎士団が攻め込もうとしているのよね?」

「後は?」

「……それを東方伯家は黙認している」

「黙認ではなく、支援ですね。その理由は?」

「理由? それは……」

「考えられる可能性は二つです。一つは、東方伯がカムイを邪魔に思って、独断で教会を引き込んだ。もう一つは、東方伯の独断ではなく、皇帝陛下の命によって、それをしている」

「そんな!?」

「東方伯の独断の可能性は限りなく低いです。ばれた時はただでは済みませんから」

「つまり、お父様がノルトエンデを討とうとしているって事?」

「いえ、教会のごり押しに逆らえなかったが正しいと思います」

「それでも」

「僕のほうで理解出来た状況はこんな所です。後は皇帝陛下に聞いてください」

「そうね。行ってくるわ」

◇◇◇

 城を出てヒルデガンドの後を追ったマティアス。
 追いついたのは、裏通りの路地だった。慣れない裏通りを歩いていて、出会えたのであるから、幸運と言っても良いかもしれない。もっとも、ヒルデガンドと大柄なランクの組み合わせは、遠くからでも目立つこと、この上ない。

「それで、カムイからの情報はどうだったのです?」

「神教騎士団については何も報告はないようです。クロイツ子爵は、王国との戦場に向かっているようで、恐らくは状況を把握していないのではないかと」

「そう、分かったわ。とにかく急ぎましょう」

「はい」

 先頭を駆けるヒルデガンドの後を慌てて追いかける二人。行先が分かっていない以上、二人は後に付くしかない。
 辿り着いたのは、なんとも怪しげな建物であるのだが、ヒルデガンドは何の躊躇もなく、扉を開けて中に入った。
 ヒルデガンドにとっては、既に訪れた事のある場所なのだ。
 驚いたのは、中にいた人たちだ。

「ヒルデガンド嬢! じゃ、ねえ。ヒルデガンド妃殿下様!」

 もともと東方伯家の娘であるヒルデガンドではあるが、今は更に、皇子殿下の妻。皇族の身分なのだ。さすがの大将も普通ではいられない。床にへばりつくようにして頭を下げている。周りの者たちも、ヒルデガンドの名は知っている。同じように席から降りて、床に跪いている。

「大将。今はそのような事は無用ですよ。顔を上げてください」

「いや、しかし」

「それでは話が出来ません。私は大将に教えて欲しい事があって来たのです」

「……儂にですか?」

 恐る恐る顔を上げた大将。

「はい」

「聞きたい事と言うのは何ですかな?」

「カムイと連絡を取れませんか? 一日でも早く伝えたい事があるのです」

「それは一体?」

「今はカムイの身に危険が迫っているとしか言えません」

「何と?」

「どうにかして、この事を伝えたいのです。大将はカムイと知り合いで、その、私などが知らない伝手も知っているのではないかと」

「残念ながら儂は隠居の身で。そうでなくても、皇都以外の伝手はないですな」

「誰か知りませんか? カムイの事です。そういう何かを用意しているのはないかと私は思っています。孤児院にも言ってみたのですが、さすがに子供たちでは何も知らなくて」

「それはそうだろうな」

「お願いします! 誰か、何か方法を知りませんか!? どんな方法でも良いのです! 戦場に向かっているカムイに伝令を伝えられれば!」

 ヒルデガンドの必死の様子に、大将の心が揺れる。信義を大事にする大将ではあるが、この願いに応えないのは男気がすたる。

「……貧民街」

 大将の小さなつぶやきがヒルデガンドの耳に届いた。

「えっ?」

「儂が言えるのはそれだけだ。これでもかなり掟破りなのだ。これ以上は勘弁してくれ」

 ヒルデガンドが視線を向けても、大将はそっぽを向いたまま。そのままで、小声で話をしている。

「あっ、ありがとうございます」

「礼はいらん。行ったとて、何かを得られる保証はないからな」

「それでも。可能性があるのであれば」

「そうじゃな」

「失礼いたします」

 身をひるがえして、食堂を出て行くヒルデガンド。あまりの驚きに、食堂の客たちも、しばらくは、誰も立ち上がる事は出来なかった。

 驚いているのは、マティアスやランクも同じだ。今一つ、事態が呑み込めていないのだが、ヒルデガンドが事もあろうに貧民街に向かおうとしている事だけは、はっきりと分かる。

「本当に行かれるのですか?」

「もちろんです。大将が言うからには、必ず何かあるはずです」

「しかし、保証はないと」

「……そうですね。でも、何もしない訳にはいきません」

「ヒルデガンド様は、貧民街に行った事がおありになるのですか?」

「ありません。カムイも、さすがに貧民街は見せられないと言っていました」

「つまり、この辺りよりもという事ですか……」

 マティアスもランクも、貴族家の者。裏通りを見るのは初めてだ。二人にすれば、今のこの場所でさえ、相当にいかがわしさを感じているのに、それ以上となると、全く想像がつかない。

「そんな事を気にしている場合ではありません。さあ、貧民街はすぐそこのはずです。急ぎましょう」

「はっ」

 裏通りの歓楽街を進むと、すぐに街中を流れる川に囲まれた区画がある。そこが貧民街だ。貧民街と外を繋ぐのは、川にかけられている橋ひとつ。
 ヒルデガンド達はやや緊張しながらも、その橋を渡って、貧民街に入って行った。
 意外であったのは、少なくとも橋から真っ直ぐに伸びる通りは、綺麗に整備されている事。両側に並ぶ建物も、外と変わりない所か、いくつかは、裏通りの建物よりも新しいくらいだった。

「思っていたよりも、整っていますね」

「はい」

「でも、人がいないですね」

「そうですね。見える範囲には」

「ええ」

 貧民街に入ってすぐに感じたタダならぬ気配。通りに人影は全く見えないが、自分たちが、物陰から監視されている事に三人は気が付いている。

「危険ではないでしょうか?」

「私たちは、貧民街に何か危害を加える為に来たわけではないわ。聞きたい事があるだけ。問題はないと思います」

「そうですね」

 あえて、周りに聞こえるくらいの声で会話をするヒルデガンドとマティアス。警戒を解いてもらえればと思ったのだが、物陰からの気配に変化はなかった。
 それでも、試みが全く失敗したという訳ではなかったようで、建物の扉が開いて、中から一人の女性が出てきた。

「お客さん、ここらの店が開くのは夜からだよ。出直しておいで」

 住人と話すきっかけをつかんだはずのヒルデガンドたちだったが、すぐにその声に応える事が出来なかった。現れたのはカムイと同じ銀色の髪の美しい女性なのだが、その瞳は真紅に染まっていた。ヒルデンドたちにとっては、初めて見る魔族だった。

「……お客じゃないのかい?」

「あっ、はい」

「ふうん。まさか仕事探しじゃないよね? あんたなら相当に稼げるとは思うけどね」

「あの?」

「娼婦をやりにきたわけじゃないよね、って言っているのさ」

「ち、違います」

「じゃあ、帰んな。ここはあんたのような女が来る場所じゃないよ」

「あの?」

「何だい?」

「聞きたい事があるのです」

「あたしにかい?」

「貴女というか、知っている人であれば誰でも良いのです」

「何だい?」

「カムイ・クロイツという人をご存じですか?」

「聞いたことないね」

「じゃあ、誰か知っていそうな人をご存じないですか? 孤児院出身の方であれば、知っている人がいるのではないかと思っているのです」

「孤児院出身者なんて、この辺りは腐る程いるからね。あたしに聞かないで他を当たっとくれよ」

 面倒くさそうにこう言うと、魔族の女性は、奥に引っ込もうとした。

「待ってください! では、誰でも良いので、お話を伺える方を紹介してください。この建物には他にどなたかいらっしゃいませんか? 通りには誰もいなくて」

 慌ててヒルデガンドは女性を引き止める。ここで女性が引っ込んだら、もう誰も出てこない可能性の方が大きい事は分かっている。

「そりゃそうだ。今の時間は皆、寝ているよ。あたしらの仕事は夜からだからね」

 この言葉が嘘である事はヒルデガンドは分かっている。姿は見えないが、周囲に気配は一人、二人のものではない。

「そこをなんとかお願いします」

「あたしも寝たいんだけど」

「お願いします。カムイにどうしても伝えなくてはいけない事があるのです」

「そんな事知らないよ、あたしは」

「ま、待ってください」

 建物に戻ろうとする魔族の女性に縋りつくようにして、ヒルデガンドは懸命に引きとめている。

「ちょっと! いい加減にしておくれよ!」

「お願いします。他にどなたか、紹介してください」

「お断りだね」

「女! ヒルデガンド様が、これだけ礼を尽くして頼んでいるのだ。そんな態度はないだろう!」

 女性の態度を腹に据えかねて、ランクが文句を言ってきた。

「はあ? 礼を尽くして? これのどこが礼を尽くしているのさ? 嫌がるあたいを無理やりに引きとめているだけだよ」

 だが、それは女性の怒りを増幅させるだけだった。

「お願いしますと、頼んでいるではないか!?」

「はっ。お育ちの良い方たちは違うね。言葉だけでお願いしますと言えば、それで何でもしてもらえる訳だ。羨ましいね。あたしもそんな身分になりたいものだよ」

「では、どうすれば良いのですか?」

 これ以上、話をさせては事態が悪化するだけと、ランクが口を開く間を与えずにヒルデンガドはすぐに問いを返した。

「そうだね。地にへばりついてお願いしたら、考えてやっても良いよ」

「えっ……」

「ふざけるな! ヒルデガンド様にそんな事をさせられるか!?」

 ヒルデガンドが一瞬固まってしまった間に、又、ランクが割り込んで来る。

「……ヒルデガンド。どっかで聞いた事のある名だね。あたいが名をなんとなくでも覚えているくらいだ。有名人なのだろうね?」

「知らんのか!? この方は」

「ランク!」

「はっ!」

「それ以上の言葉は不要です」

「しかし」

「私は今、ただのヒルデガンドとしてこの場にいるのです。そうでなければ、この様な真似は、許される事ではありません」

「そうでした」

「ち、地にへばりついてですね」

「ヒルデガンド様……」

 魔族の女性の前で両膝を折って地に付けたヒルデガンドは、そのまま、上体を倒して、両手を前に付くと自分の額を地面に押し付けた。

「お願いします。カムイを知っている人を紹介してください。どうしても、カムイに伝えなければならない事があるのです」

「……ふうん。一つ教えてくれるかい?」

「何でしょうか?」

「その男はあんたの何なのさ?」

「カムイは……、私の大切な人です」

「それは東方伯のご令嬢、それとも皇子様の妻としてかい?」

「えっ?」

「聞いているんだよ。そういう事なのかい?」

「違います。カムイは、何の肩書きもない、ただの私にとって大切な人です」

「そうかい……。頭を上げな」

「紹介は?」

「あたしはしない」

「そんな?」

「する必要がないからね。あの方に伝えたい事があるって言ったね」

 カムイをあの方と、魔族の女性は呼んだ。もう誤魔化す必要はないと判断したという事だ。ヒルデガンドが貧民街の魔族に認められた瞬間だ。

「は、はい」

「どんなに早くても一月はかかると思うよ」

「えっ? たった一月ですか?」

「それでもかまわないかい?」

「もちろんです」

「じゃあ、後ろの男に付いて行きな。ただし、あんただけだよ」

「えっ?」

 いつの間にか、三人の後ろに一人の男が立っていた。張り付いたような笑顔を顔に浮かべる、その男は、ゆっくりとヒルデガンドに近付くと、その場に土下座して口を開いてきた。

「ヒルデガンド妃殿下様とはつゆ知らず、ご無礼を致しました。出来ますれば、ご慈悲の心で、我等の罪をお許しいただければ幸いでございます」

「……罪になど、問うつもりは全くありません。今の私は一個人としてここにいるのです」

「お言葉に二言はございませんか?」

「ある訳がありません」

「そうですか? では、この先も少々のご無礼はお許しください。ああ、先に口上を述べれば良かったな。服が汚れなくて済んだ」

 男は立ち上がると、がらっと口調を改めて呟きながら、服についた泥を払い落している。

「あの、急いでいるのです」

「ああ、そうでした。では、こちらにお越しください。御一人で」

「分かりました」

「ヒルデガンド様!」

「良いから、ここで待っていて下さい。心配は……」

「いらないよ」「必要ないな」

 魔族の女性と男が同時に口を開いた。男はともかく、魔族の言葉は信じられる。ヒルデガンドは、魔族は約束を決して破らないとカムイに教わっている。

「だそうです。では行ってきます」

「そんなに気合を入れなくても、目的地は目の前です」

 男が案内したのは、本当に目の前にある建物。その入り口の前に立つと扉を開けて、ヒルデガンドに向いた。

「どうぞ、入られたら、正面の階段を昇ってください」

「はい」

 男に促されるままに建物の中に入るヒルデガンド。目の前にある階段を昇って二階に上がった。

「正面の扉を開けてください」

「はい」

 後ろから指示する男の言うとおりに正面の扉を開けると、そこには数人の者たちが待ち構えていた。やや、怯んだ様子のヒルデガンドに真ん中に立つ男が話し掛けてきた。

「礼と敬語は省かせてもらう。元々、そんなものは持ち合わせていないので」

「かまいません。貴方は?」

「この辺りの取りまとめをしているドライだ」

「そうですか」

「それで? どのような用件だ?」

「カムイ・クロイツを知っていますか?」

「名は知っている。顔も見た事はあるな」

「そう……。そのカムイに急ぎ伝えたい事があります。貴方にお願いすれば、それは可能ですか?」

「内容によるな。まずはそれを教えてもらいたい」

「貴方は信用出来ますか?」

「さあな。信用出来ないのであれば、頼むことを止めれば良い。こちらは別にかまわん」

「事がカムイの命に係わる事だとしても?」

「それは……」

 ドライと名乗った男の視線が、後ろに並ぶ男達に向けられた。

「……どうやら、話すべきは貴方ではなくて、後ろの方のようですね?」

「なんだと?」

「出来れば、その方と、その隣にいる魔族の方かしら。お二人と話をしたいのですけど?」

「その必要はないね」

 ヒルデガンドの視線を受けた男は、軽く肩を竦めながら申し出を拒否してきた。

「どうして?」

「外の人間とこそこそと密談をしたら、僕の立場が悪くなるよ。話をするなら親分であるドライ様の前でしてもらえるかな?」

「……分かりました。では、早速。ノルトエンデに神教騎士団の軍勢が向かっています。分散して移動していますので、総数は不明ですが、五千は下らないかと思います。恐らくは万に届くまでになるのではないかと予想しています」

「目的は魔族討伐だね?」

「それ以外に考えられません。それと神教騎士団の派兵について皇国は協力しています。これは言い訳に聞こえるかもしれませんが、恐らくは教会に逆らえなかったのではないかと思っています」

「そう。後は」

「情報は以上です。これを急いでカムイに伝えたいのです」

「そう。一つ質問がある。何故、貴方がこれを? 皇国が魔族討伐を認めているのであれば、これは皇国への裏切り行為だよね」

「そうだとしても、間違った行為をただ許す訳にはいきません。皇国がどこまで討伐に関わるのかは分かっていませんが、もし皇国も兵を出すような事になれば逃げて欲しいと思います」

「カムイに?」

「魔族の方たちも含めてです」

 この言葉を聞いた男の顔に笑みが広がる。

「ああ、そうだ、もう一つ聞きたいのだけど?」

「カムイへの伝令を急いで」

「それなら、もう向かった」

「えっ?」

「運がいいね。それとも運命の絆ってやつかな?」

「あの?」

 どうにも嬉しくて堪らない。そんな男の様子にヒルデガンドは戸惑っている。

「たまたま伝令役が今日、この場にいた。そこに君が飛びこんできた。カムイと君の運命を感じる僕の勘は間違っているかな?」

「そ、それは……」

「あれ? これは中々からかい甲斐のある女性だ。カムイが惚れるだけの事はある」

「……貴方も、さすがはカムイの仲間って所ですね」

「そう?」

「そして、仲間と言われて否定しない」

 ようやくヒルデガンドの顔にも笑みが浮かんだ。貧民街に来た事は間違いではなかったと確信出来たのだ。

「聞きたいのは、そこ。どうして話す相手が僕だと思ったのかな?」

「カムイの命に関わると聞いて、大きく動揺したのが、貴方と隣の……、いない?」

「彼女が伝令役だから。でも、なるほどね。今度から気を付けよう」

「カムイの仲間と認められた貴方は何をしようとしているのですか?」

「……話は終わったから、そろそろ帰ってもらえると嬉しいな。皇族が貧民街にいられたら、迷惑なんだよね」

 答えはない。答えられるはずがないのだ。ダークは裏社会を統べようとしている。皇国における最凶最悪の犯罪者になる予定の者だ。

「……分かりました。では、ありがとうございました」

「御礼を言われる事じゃない。どちらかと言うと御礼を言うのはこっちだな。そうだ。ただのヒルデガンドさん」

「はい?」

「肩書きのない君であれば、一度だけ、僕は君の頼みを聞くことにしよう」

「でも、頼みを聞いてもらったのは私の方です」

「カムイの為に、土下座までしてくれた事へのお礼。ああ、魔族相手にというのも付け加えよう。この二つで、君には充分に権利がある」

「……分かりました。もし、そのような事があればお願いします」

「それとこれも言っておこうかな」

「何ですか?」

「もし、今回の事をカムイが全く知らされていなかったとしたら、皇国はカムイを失う事になると思うよ。どんな理由があろうと、ノルトエンデを捨石にされてカムイが大人しくしているはずがないからね」

「……そうですね」

 ヒルデガンドにも分かっている。カムイへ何とか情報を伝えたいという気持ちにはこれもあるのだ。カムイとの距離がこれ以上、遠くなるのは嫌だという想い。

「良かったね?」

「えっ?」

 意外な問い掛けがダークの口から飛び出した。

「皇国から離れてしまえば、カムイは君が皇子の妻であろうと気にする必要はなくなる」

「…………」

「ごめん。やっぱり、言わない方が良かったね。忘れてもらえると嬉しいな」

「え、ええ」

「じゃあ、今度こそ。さようなら」

「はい」

 ヒルデガンドが部屋を出るのを見届けると、すぐにダークは、部下たちに指示を出し始めた。

「オットーにも伝令を。今回の件を伝えて、ノルトエンデから資産を移す事を考えるよう。場合によっては、一旦こちらで預かっても良いともね」

「はい」

「あと、街道の盗賊どもにもね。事がはっきりしたら、しばらく大人しくしているように。場合によっては、拠点を移すことになるから、その準備も」

「はっ」

「各地の拠点にも。全国的な魔族狩りが始めらないとも限らないから、警戒を強めろと。憲兵隊からの情報にも気を配る様に」

「はい。後は?」

「後は変わらず。拠点の拡充に努める。あっ、待てよ。王国にも一カ所欲しいな」

「王国ですか? しかし、時期尚早では?」

「そうだけどね。本当にカムイが皇国を離れる事になった場合を考えると。他国にも手を広げておきたいよね。ちょっと検討してみよう。場合によっては、皇国の拠点を減らしても良いかもしれないからね」

「はい」

「しかし、そうなったら面白いね。皇国という鎖を失くしたカムイが何をするのか。正直、僕はそうなって欲しいよ」

「躓きだとは思わないのですね?」

「躓きどころか、飛躍だね。自由を得たカムイの怖さをきっと誰も分かっていないのさ」

 この気持はダークだけのものではない。カムイの仲間と呼ばれる者たちにとって、共通の思いだ。
 皇国という鎖を失うことで彼らも又、行動の枠を取り払われる事になるのだ。
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