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魔王の器 作者:月野文人

第一章 皇国学院編

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地獄の特訓

 闘技場にカシム百人将の怒声が響き渡る。

「走れ! 走れえ!」

 騎士団が派遣されてから二回目の合同授業。カムイたち、選抜グループは他の生徒たちとは別メニューだ。だが、その中でも、カムイたちのグループの鍛錬の様子は他とは全く異なる様相を見せている。
 最初の走りこみを開始してから、一刻近く。最初から、ほとんど全力疾走と思えるような勢いで走り続けていたカムイたちは、さすがにその勢いを大きく落し、今は走っているのか、歩いているのか、分からないほどだ。
 そのカムイたちに向かって、カシム百人将はただひたすら走れ走れと繰り返すばかり。

「それで走っているつもりか?! ほら、まだ終わりではないぞ!」

「はひ」

「貴様ら! 黙っていないで、彼らを走らせんか!」

「はっ! 走れっ! そら、前に進めっ!」

「走れぇっ! 足を上げろっ!」

 カシム百人将は今日は自らの部下たちを連れてきていた。闘技場の周囲に一定間隔で立っている彼ら騎士たちも、カムイたちが近くにくるたびに、掛け声を掛け続けている。
 ふらふらになりながら、前に進む続けるカムイたち。セレネにいたっては、立っているのがやっとという状態だ。

「よし! 時間だ! 集合! 集合だ! 集合!!」

 一刻が経ったことを確認して、カシム百人将が集合の声を掛ける。
その声を聞いて、闘技場をばらばらに走っていたカムイたちが、足を引きずるようにして集まってきた。

「よし、走りこみは終了だ。次の準備まで休憩!」

「「「はい!」」」

「次の調練の準備! ほら、貴様らは走ってないだろ! さっさと動かんか!」

「「はっ!」」

 カシム百人将の命を受けて、部下の騎士たちが準備の為にその場を離れていく。

「次は?」

「また走りこみだ。少し趣向を変えてな」

「……また、走るんだ」

「それが希望だろ? どうだ、少しは納得する調練になりそうか?」

「まあ。ちょっと昔みた地獄を思い出してきた」

「まだ、ちょっとか。分かった、手加減は不要だな」

「当然」

 徹底的な基礎鍛錬のやり直し。それがカムイたちがカシム百人将に告げた希望だ。
 学院に来てから、以前のような基礎鍛錬が出来ていない。もう一度、イチから体を作り直したいというのが、カムイたちの気持ちなのだ。

「準備できました!」

「よし。休憩は終わりだ。次に移るぞ」

「どんなものですか?」

「簡単だ。彼らが腰につけている縄。それを君らも腰に回して、全力で走れ」

 部下の騎士たちは、それぞれが縄を輪にして、それを腰にまわしている。

「なるほど。当然、素直に引っ張られてはくれないわけだ」

「当然だな。それでなくては鍛錬にならん。そら、始めるぞ」

「はい」

 騎士たちに渡された縄の一方を自分たちの腰に回して位置につくカムイたち。

「始め!」

 カシム百人将の掛け声と共にカムイたちが、縄で結ばれた騎士たちを引きずるようにして、前へ出る。

「私は走れといったのだ! 足を上げろ! 走れ!」

 言われた通りに懸命に足を上げて、走る体勢を取るカムイたち。そしてそれに逆らうように、後ろに体重を預ける騎士たち。

「うおおおおお!」

 大きな雄たけびを上げて、ルッツが前に出た。そしてカムイ、アルトもだ。
 さすがにセレネは他の三人のようにはいかず、懸命に足を動かしているが、中々前に進んでいかない。

「貴様ら! 間単に引きづられるな! 堪えろ!」

「はっ!」

 カムイたちが前に進みだすと、今度はカシム百人将の怒声は騎士たちに向けられる。
 それに応えて、力を込めて、その場にとどまろうとする騎士たち。

「ほら! 止まったぞ! 走れ! 走れ!」

 前進が止まると、今度はまたカムイたちに怒声が飛ぶ。

「うおりゃあああ!」

 ひときわ大きな雄たけびを上げて、一気にカムイが前にでる。

「うおっ!」

 それに堪えきれずに、騎士が完全に引きずられる形になった。

「馬鹿野郎! それじゃあ、鍛錬にならんだろ!」

「はっ! 申し訳ありません!」

「ふむ……。セレネくん、アルトくん。少し休憩だ」

 少し考える素振りをみせた後、カシム百人将は二人に休憩の指示を出した。

「は、はい」

「何だ?」

 すでにヘロヘロのセレネは嬉しいだろうが、アルトの方は納得いかない。

「後ろを二人にする。残念だが、半分づつにしよう」

「残念って……」

「これが君らの希望だろ?」

「その通りです。じゃあ、行きます」

 今度は二人を引っ張る形でカムイとルッツだけが、同じ事を始める。

「ほら! 走れえ!」

「ぐっ! 重い!」

「いいから走れっ!!」

「はい!」

 カシム百人将の容赦のない怒声とその鍛錬の様子に他のグループは自分たちの鍛錬の手を止めて、呆然とそれを眺めていた。

「あの、あれは?」

 ヒルデガンドが自分たちを指導していたリンメル千人将に問いかける。カムイたちが始めた事だ。ヒルデガンドは気になって仕方がない。

「いや、あれは、その」

「私たちの鍛錬とは随分と内容が違うようですね」

「ち、ちょっと待ってもらえますかな。カシム百人将!」

 慌ててリンメル千人将はカシム百人将を呼びつけた。

「調練中です!」

「いいから来い! 命令だ!」

「はっ!」

 命令と聞いて、急いでその場に駆けつけるカシム百人将。目の前に来たカシム百人将にリンメル千人将は苦い顔を向けている。

「あれは何だ?」

「あれとは?」

「彼らに課している調練だ!」

「ああ、彼らの希望に沿った形に調練の内容を変えました」

「そんな指示は出しておらん!」

「私の任は彼らを鍛えることです。その為に最適な方法を選択したつもりですが」

「あんな基礎鍛錬をやってどうするのだ?」

「お言葉ですが、千人将。あれは彼らが望んだことです。それに決して間違った方法とは思いません」

「どういう事だ?」

「剣の技を鍛えても、半年程度ではたかがしれております。ですが、体作りは違います。半年で見違えるような成果が現れると自分は思慮いたします」

「それは確かにそうだが……」

 カシム百人将の説明は言い訳には聞こえない納得いく内容だ。リンメル千人将の怒りは一気にしぼんだ。

「私が預かった生徒たちに必要なのはあの鍛錬です。それを改めろと言うご命令であれば、それに従いますが、その場合は……」

 カシム百人将はそこで言葉切った。やや言葉にするのを躊躇うことだったからだ。

「その場合は何だ? 先を続けろ」

「はっ! 彼らは騎士団の鍛錬に失望して、真面目に指導を受けないのではないかと思います」

「何だと?!」

「少なくとも先日の鍛錬は彼らを失望させるものであったようです。とても鍛えている気がしない。そうはっきりと言われました」

「なんと? それであれを?」

「はっ」

「あれが何かは分かってやっているのだな?」

「もちろんです。千人将のご懸念は分からなくもないですが、ご覧ください。実際に彼らはそれをこなそうとしています。この後の鍛錬も見事にやり遂げると自分は確信しております」

「そうか……。分かった。貴様がそこまで言うのなら好きにしろ。ただし、問題が起こった場合は、すぐに改めてもらう」

「はっ! 彼らの元に戻ってもよろしいでしょうか?」

「かまわん。調練を続けろ、カシム百人将!」

「はっ!」

 千人将に対して、略礼をした後、カシム百人将はカムイたちの元に駆け戻っていった。やがて、またカシム百人将の怒声が闘技場に響き渡る。

「結局何だったのですか?」

「彼らは彼らで好きにやらせる事にします」

「それはかまいませんが、カムイたちが行っているのは、何なのですか?」

「あれは、新騎士調練ではなく、百人将が行う鍛錬です。それも、日々行うものではなく。特別な調練合宿などでのみ行うものですな」

「特別なとはどういうものなのでしょうか?」

「なんと言いますか、体を鍛えるというよりは、心を鍛える合宿です。ただただ、極限状態に体を追い込み、それに耐え抜く強い心を鍛えるための」

 簡単に説明すると、理屈も何もない、ただのシゴキだ。

「それは……」

「それがいざと言うときに命を救うことになるのです。ひどい戦となれば、半日以上も戦い続けることになります。そこまで来るともう、体力云々ではなく、気力の勝負ですな。そういう時に支えとなるのが、あのような限界を超える鍛錬に耐え抜いたという自信です」

 一応はこういう理由がついている。それでもやはり、ただのシゴキだ。それをこなせる者が居ないという前提において。
 カムイたちには精神を鍛えるものではなく、実際に体を鍛えるものになっている。

「そうですか。お話は分かりました」

「では、こちらはこちらで」

「私たちにも同じ鍛錬をお願いします」

 当然、ヒルデガンドはこう言う。カムイたちにこれ以上、差を付けられる訳にはいかないのだ。

「はっ? それは」

「あのカシム百人将殿のお話は私にも納得できるものでした。決して、剣技をおろそかにするというわけではありませんが、半年では身に着けられる技量にも限りがあるでしょう。であれば、より確実に強くなれる方法を私も取りたいと思います」

「しかし、あれの過酷さは」

「カムイたちに耐えられて、私たちには耐えられないと千人将殿は考えておられるのですか?」

「決して、そういうわけでは」

 思っていても、こういう言い方をされては言えなくなる。それが分かっていてヒルデガンドはこういう言い回しを使ったのだ。

「では、お願いいたします。駄目とおっしゃられるなら、私はカシム百人将に教えを受ける事といたします」

「……そこまで言われるのでしたら。他の生徒もよろしいのですな」

「皆さん、よろしいですね?」

「もちろんです」

 真っ先にマティアスが肯定の言葉を発する。心中ではひるんでいる者もいない訳ではないが、拒否することは出来ない。するつもりもない。全員が、次々と同意の言葉を口にした。

「では、お願いします」

「今、彼らが行っている鍛錬は、用意がないので出来ません。あれは省いて、別のものを行います。もう一度確認します。覚悟はよろしいですな?」

「はい」

「では、こちらも容赦はしません。調練中は一切の敬語も省かせてもらう」

「元々、不要のものです。私たちは、教えを受ける者です」

「分かった。では、始める! もう一度走りこみから。一切の加減を禁ずる! 全力で走れ!」

「はい!」

 ヒルデガンドを先頭に一斉に全力でかけ始める生徒たち。その生徒たちに容赦のない千人将の怒声が飛ぶ。

 さて、ヒルデガンドたちがこうなってしまうと。

「予想通りだね。ヒルデガンドがあれをほうっておくはずがない」

「はい」

「さて、皆。覚悟を決めてくれ。正直、僕もこなせる自信はないが、やらないわけにはいかない」

「「「はい!」」」

「という事で、百人将、僕たちにも同じ鍛錬をお願いします」

「本当によろしいので?」

「ヒルデガンドがやって、僕がやらないわけにいかないのですよ。お願いします」

「分かりました。では、同じように走りこみから」

「はい」

「全力で。もう走れないと思っても、諦めずに足を前に出し続けて」

「はい」

「では、始め! 走れえ!」

「「「はい!!」」」

 そしてディーフリートたちのグループがそれに続く。そして当然。

「皆、先に行ってしまった。早く掛け声を頼む」

「しかし、オスカー様」

「その様もいらない。今の自分は騎士団長の息子ではない。ただの一生徒だ。余計な遠慮は却って父上の不興を買うと思うが」

「分かりました。では、同じように全力で。いずれは経験しなければならない鍛錬。将来の騎士団長に相応しい力を見せてもらいましょう」

「それで良い。では行く! 続けぇ!!」

「「「はっ!」」」

 選抜全てのチームが自ら地獄の特訓に飛び込む事になった。

 そして、しばらくして、闘技場には凄惨な光景が広がることになる。

「水だ! 水を持ってこい!」

「はっ!」

「おい! こっちもだ!」

「人手が足らん! 他の生徒たちにも手伝ってもらえ!」

「はっ! すまない! 桶に水を!」

「は、はい!」

「こっちもだ!」

「はい!」

 選抜組以外の生徒たちが、次々と水場に向かっていく。
 やがて運ばれた桶の水は、闘技場に倒れている選抜組の生徒たちに容赦なく浴びせられる。

「ほら! 起きろ!」

「……えっ?」

 気絶していた生徒が頭から水をかけられて、何が起こったかわからない様子で起き上がった。

「目が覚めたか?」

「は、はい」

「だったら、続けろ! ほら、走れ!」

「は、はい!」

 それと同じ事があちこちで行われていく。気絶しては水をかけられ、起き上がって鍛錬を始めては、倒れる。脱落が許されるのは、どんなに頑張っても動けなくなった時。
 そういった生徒たちもあちこちで見られるようになってきた。
 それを青ざめた顔で、選抜組以外の生徒たちが見ている。
 何よりも彼らを怯えさせているのは、いつも颯爽としているヒルデガンドやディーフリート、オスカーたちまでが、全身を水で濡らし、泥だらけになって、這いつくばっている姿だった。
 普段は決して見られない彼らの姿が、この鍛錬の過酷さを表していた。

「ひどいな」

「ああ。滅茶苦茶だ。なんだこの調練」

「ここまでやらなきゃいけないのか?」

「わかんねえけど、そうなんじゃないか?」

「しかし、やっぱり、あいつ化け物だな」

「あいつじゃなくて、あいつらな」

 周りがぼろぼろになって這い蹲っている中、まだ鍛錬を続けている者たちがいた。カムイたち三人だ。

「飛べぇ! と、飛べぇ!」

 怒声を上げ続けていたカシム百人将の声もすっかりかれてきている。

「うぎっ!」

「でえい!」

「うおりゃ!」

 今、カムイたちがやっているのは、パッと見は子供の遊びに見える。二人の騎士の間を渡した紐を右に左にと飛んでいるだけなのだが、これが、倒れるほど走って、疲れきった体でやるとなると、一度飛ぶだけでも、相当な力が必要になる。
 実際に意地を見せて、立ち向かったセレネは一度も紐を超えることが出来ずに終わってしまった。
 鉛のように重くなった体を何とか勢いを付けて宙に浮かすカムイたち。
 さすがの三人も紐を超えられなくなって、転ぶことが多くなった。転がっては、立ち上がり、また飛んでは地を転がる。ただ、それの繰り返しだ。
 だが、そんなカムイたちを見て、カシム百人将と騎士たちは、より一層驚きを深めている。

「なんて事だ。何故、心が折れない?」

 この鍛錬は元々、体を鍛えるとかいう事を超えた内容だ。極限状態に追い込んで、その先の一歩に進む精神を鍛える為のもの。
 一向にやめようという気配を見せないカムイ達三人の心は、その極限に至っていないという事だ。

「……止め、止めだ!」

 カシム百人将はここで鍛錬の中止を決めた。これ以上、意味はないと分かったからだ。
 思ったよりも早い中止の言葉に怪訝そうな顔をしてカムイたちが集まってくる。

「えっと、次は?」

「……まだ、その言葉が出るか」

「まさか、終わり?」

「そう言うと思った。普通は体の前に心が折れるのだがな」

「死ぬ思いを何度もしてますからね。死なない事が分かっている鍛錬では」

「まったく、君たちは何者だ? まあ、それは良い。自分の役目を君たちを鍛えるだけだからな。一旦、休憩を入れる。次の鍛錬はそれからだ。動かない体では意味がない」

「分かりました」

「はあ、疲れたぁ!」

「さすがに限界」

 心はともなく、体は限界に達していたようで、休憩と決まると、カムイたちは、そのまま、その場に崩れるようにして倒れていった。
 その様子を見て、少し安心したような顔で、カシム百人将は、部下の所へ向かっていった。

「……体の感覚思い出してきたな」

「ああ、でも、それだけ鈍っていたって事だろ?」

 この言葉をカシム百人将が聞けばなんと思うか。

「ちゃんと鍛錬してたつもりなのによ。これじゃあ、戻ってから間違いなく怒られるじゃねえか」

「やっぱり、自分たちだけじゃあ、どこか甘くなるのかな?」

「あと、時間。短えんだよ、鍛錬の時間が。領地にいた時は朝から晩まで鍛錬だったからな」

「色々と忙しいからな。しばらくは鍛錬に重きを置くか。アウルに相手してもらう時間を増やせば、甘える事もない。どうだ? 切羽詰まった事はないだろ?」

「……ねえな」

 少し考えてアルトは答えた。やる事はまだある。だが、それはもう少し先の話になるはずだ。

「おっ、良いな。やっぱり俺は体を動かしているのが一番だ」

 鍛錬に集中出来ると、喜ぶ言葉を発したルッツだったが。

「お前はな。……ちょっと待て、ルッツはずっと鍛錬していて良いはずじゃねえか?」

「……少しくらい頭使わせろ。それに、俺はそのほうが疲れるぞ」

「全く……」

 ルッツのこの脳天気さには、アルトも細かい事を言えなくなる。いつもの二人のやり取りだ。

「でも、ルッツの言うとおり、がむしゃらに体を動かしているって良いな。何も考えないで済む」

「カムイはそれじゃあ駄目だ」

「どうして?」

「俺達とは背負っているもんが違う。その重みに苦しんで、それを乗り越えていかなきゃならねえ」

「そうだな」

 言われなくてもカムイは充分に分かっている。そしてアルトはそれを良く知っている。それでもあえてこれを口にしたのだ。

「直ぐにとは言わねえけど。ちゃんと割り切れよ」

「割り切る? 何を?」

 アルトの言葉の意味はカムイには通じなかったようで、キョトンとした顔を向けている。

「嘘だろ?」

「何が嘘だよ?」

「まさか、お前気が付いて無えのか?」

「何をだよ?」

「……鈍感」

「何だと?」

「子供」

「はあ?」

 ここまで言ってもカムイに理解した様子はない。アルトはわざとらしく大きくため息をついてみせた。

「これじゃあ、相手が報われねえな」

「だから何がだよ?」

「もう良い。でも、そうなると何を悩んでいたんだ?」

「オットーの事。ダークもだな。色々考えているけど、うまくいく保証はない。失敗したら、二人がどうなるかと思うと不安ばっかり湧いてきて」

「ああ、それな。でも、それはやれる事をやってみるしかねえだろ?」

 そして、実際にカムイたちはやれる事をしている。

「それは分かっていてもな」

 だからといって、成果が必ず出るとは限らない。それが自分自身の事であればカムイも覚悟を決められるのだが、そうではないのだ。

「それが背負うって事だな。でもよ、それはお前一人が悩む事じゃねえ。俺たちも同じだ」

「そうだな。……そうなるとアルトは何を言いたかったんだ?」

「ここで、話をぶり返すか?」

「いや、気になって」

「まあ、この際だから聞いておくか。ヒルデガンド」

「……それ?」

 ヒルデガンドの名だけでアルトの言いたい事がカムイには分かった。

「何だ、やっぱり考えてんじゃねえか?」

「いや、女性に好意を向けられるなんて、初めてだから。しかも第一印象とは違って、ヒルダ、良い人だからな」

「やっぱり、鈍感だ」

「だから、何故そうなる?」

 アルトが言っているのはカムイ自身の気持ちの事などだが、これはどうにも伝わらないようだ。
 この話はいくらしても無駄と、話題を変えることにした。

「ソフィーリア様の事はどう思ってる?」

「別に母上に似ているからって、好きになるほど、俺は単純じゃない」

「馬鹿。恋愛の話じゃねえ。真面目なほうだ」

「ああ……。それもちょっと悩みだな」

「やっぱり」

 カムイの様子がおかしい事にはアルトも気付いている。この際だから聞いておこうと思って話を出したのだ。

「言っておくけど、ヒルダと仲良くなったから、どうだって訳じゃないからな」

「じゃあ、何だ?」

「あの人も少し第一印象と違ったな」

「……それって?」

「やっぱり、お姫様だな。どこか甘い気がする」

 前から分かっていた事だが、それが気になるようになっている。テーレイズ皇子を知った事による心境の変化という所だ。

「それって結構問題じゃねえか。担ぐ価値がねえって事か?」

「ディーがいるから、そこまでの心配はしていない。ただ……」

 つまり、ソフィーリア皇女ではなく、ディーフリートに実権をと言っているのだから、担ぐのを止めたも同然である事にカムイは気づいていない。

「ただ?」

 そしてアルトは気付いていても何も言わない。アルトが担ぐ相手は変わらないのだから。

「いつディーが主導権を握れるかだ。それだけじゃない。ディーの息がかかった人間も、出来るだけ多く、ソフィーリア様の周りに置いておくべきだな」

「それ心配なのはソフィーリア様じゃねえだろ?」

「正解」

「あれか……」

「あの二人だ」

 二人が視線だけを向けた先にいるのは、クラウディア皇女とテレーザだ。何だかんだで、常にカムイを悩ませる二人は、ある意味、大したものなのかもしれない。

「暴走娘の二人だな」

「一応、皇女だぞ?」

「そうだけどよ。何か策は?」

「策は打ちようがない」

「何故だ?」

「問題があってな。ディーは正式に婚約者に決まった訳じゃない。その段階で、近づけることは出来ないと、はっきりとソフィーリア様に言われた。周りの目を気にしているようだ」

「馬鹿な。そんなの隠れてこっそり会えば良いだろ?」

「そこがお姫様だって言っているんだ」

「……もしかして、俺達のせいか?」

「それもあるかもしれない。ちょっと、頼られすぎてるな。高く評価されるのは良いけど、それで、他は必要じゃないなんて勘違いを与えているとしたら、問題だ」

「少し距離を取るか?」

「あまりに離れすぎると、暴走娘たちが動き出す」

「お前だって言ってんじゃねえか」

「いや、良い表現だと思って」

「だが、そうだな。……うまく行かねえな」

「俺の悩み分かった?」

「ああ、想像以上に深刻だ。なんといっても、打つ手が思い付かない」

「代わりの誰かがいればいいけど、見つからない。暴走……、もう一人の影響を受けない人間なんて、そういないからな」

「皇女様に真っ向から逆らう発言するなんて、俺達しかいねえよ」

「そういう事」

 とりあえず行き詰まっている事の確認。それだけで今日の所は終わりだ。最後は他に意見がないかの確認だが。

「ルッツ、頭使ってみたか?」

「無理。聞いているだけで疲れた」

 予想通りの回答が返ってきただけだった。

「おい! 次始めるぞ!」

 カシム百人将の呼ぶ声に、それ以上の話を止めて、カムイたちは鍛錬に戻った。
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