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魔王の器 作者:月野文人

第一章 皇国学院編

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限られた時間であるなら

 皇帝陛下崩御――その報は皇国に大きな衝撃を与えた。
 実務のほとんどは既に皇太子が担っていた事もあり、表向きの混乱はほとんどない。だが目に見えないところでは、不穏な動きが活発化していた。
 大方の予想通り、北方伯、南方伯が引退を表明した。皇帝陛下と共に皇国の要であった両方伯が表舞台から消えたことが、その動きに拍車を掛けている。
 もっとも、それが大きな問題となるのは、もう少し先の話。今はまだ、皇帝陛下の喪の中で、皇国は静かな時を過ごしている。

「ここがカムイが育った孤児院ね?」

「育ったは大袈裟。俺がここで孤児として生活していたのは、半年程度だ」

 ヒルデガンドを連れて、カムイは孤児院を案内していた。どちらから言い出したという事ではない。
 何となく、お互いにお互いの事をもっと知りたい、という思いが重なった結果だ。

「でもアルトとルッツにとっては育った場所だな。特にルッツは赤ん坊の時からだから」

「そんな時から?」

「そう。孤児院の前で捨てられていたそうだ」

 楽しそうにしていたヒルデガンドの顔が曇る。カムイはさらりと言ったが、捨てられるなど、ヒルデガンドには想像が出来ない事だ。

「……では、ご両親が誰かも?」

「分からない」

「そう。それはお気の毒ね」

「それはどうだろ? 分かっている方が辛い事もある」

「そうなの?」

「アルトは親の顔を知っている。でも、思い出したくもないそうだ」

「……どうして?」

 このアルトの心情も、ヒルデガンドには想像がつかない。

「父親から虐待を受けていた。それを庇って母親は、いつも怪我ばかりだったそうだ」

「…………」

 普段の二人からは想像出来ない、悲しい過去に、ヒルデガンドは言葉を失くしてしまう。

「それに耐え切れなくて母親がアルトをここに連れてきた。それ以降、両親とは会っていない」

「……お母様も?」

「庇ってはいても、アルトの事が負担だったらしい。泣きながら貴方がいなければと何度か言われた事があるそうだ」

 それを言われたアルトがどんな気持ちだったのか。それは自分が軽々しく推測して良い事ではない。そう感じたヒルデガンドは、これ以上の話を続ける事を躊躇った。

「……こんな話を私が聞いて良いのかしら?」

「別に平気。同情さえしなければ」

「同情は失礼?」

「そうだな。親がいなくても、ちゃんと自分たちは生きている。それが孤児の誇りだったりするから」

「そうね。ずっと親の庇護を受けて育ってきた私などより、ずっと立派ね」

「そういう事」

「でも、生活はあまり良いものではないのよね? 良い噂は聞かないわ」

 ヒルデガンドも孤児院の噂は聞いている。人の為と言いながら、教会が寄付集めに利用しているという事を。

「俺は他を知らないけど、ここは別だと思う。規律は厳しいけど、生活はちゃんとしている」

「そうなの?」

「もうすぐ司教様が来る。会えば分かる。多分」

「多分って」

「司教様も猫被りというか、狐被りな人だから」

「狐被りって聞いた事ないわ」

「良い例えが見つからなかった。要は悪人の皮を被った善人だな」

「……何でそんな事を?」

 何故、わざわざ悪人の振りをするのか。これもヒルデガンドには分からない。

「悪であることが普通で、善がおかしい。教会ってそんな所だ」

「……そういう事なのね」

「そう。あっ、来た」

 奥の方から慌てて司教がやってきた。相変わらず豪華な装いだ。それを見て、ヒルデガンドが少し顔をしかめる。聖職者にあるまじき贅沢、こんな風に感じたのだ。

「これは、これは。東方伯家のご令嬢がわざわざ、こんな所にお越しとは。孤児院を任された身としては、大いに光栄でございますな」

 司教は、これでもかと言うくらいに、よそ行きの態度を見せている。東方伯家の者であるヒルデガンドを警戒しているのだ。

「いえ、突然押しかけて申し訳ございません。ご迷惑をお掛けします」

「ご迷惑など、とんでもない。東方伯家の方々には大変お世話になっております」

 四方伯家の一つとして、それに相応しい寄付を東方伯家は行なっている。司教の言うお世話とはこの事だ。

「それは実家が行っている事であって、私ではありません。それにお世話と言っても本当にお役に立てているものか」

「勿論役に立っております。それで、今日はどんな御用件で?」

「カムイがお世話になった場所を拝見したかっただけです」

「そうですか。……失礼はありませんでしたか?」

 前回の事がある。司教としては心配で仕方がない。

「カムイがですか? 失礼はいつもの事ですね」

「……申し訳ございません! こら、カムイ!」

「何だ?」

「貴様! 東方伯家のご令嬢に失礼など!」

「もう、良い」

 怒りの表情を浮かべている司教に、カムイは苦笑いを浮かべながら言った。

「何がだ?」

「別にヒルダ相手に愛想振りまかなくて良いから。ヒルダはそんな気を使う必要のない相手だ」

「……そうなのか?」

 カムイの言葉を聞いた途端に、司教の顔からは怒りの色が消えている。怒ったのが演技であった事はこの時点でバレバレだ。

「俺が連れてきたんだぞ?」

「しかし、前回は」

「あれは無理やり付いて来たんだ。俺が呼んだわけじゃない」

「そうか。ほう、お前が東方伯家の方をそう評価するとはな」

 貴族嫌いのカムイが、その貴族の代表である方伯家の一員に信頼を向けている。それを知った司教の顔には自然と笑みが浮かんだ。

「何だよ?」

「大人になったものだ」

「別に東方伯家のヒルダと仲良くなった訳じゃない」

 それに対して、カムイは拗ねたような様子で言葉を返す。ヒルデガンドには見た記憶のない、どこか甘えた雰囲気が、カムイの態度からは伺える。

「まあ、そんなものだろうな。えっと、お名前はヒルダ殿で?」

「ヒルデガンドと申します」

「……愛称で呼ぶとは。喜んで良いのやら、複雑じゃわい」

「司教様も構わずヒルダとお呼び下さい」

「そういう訳にはいかん。貴女がどうこうではなく、人に対しての特別扱いは好かんのです」

「そう仰られますか。司教様は、カムイの言った通りの御方ですね?」

 この言葉がなくてもカムイの態度で、ヒルデガンドは司教を信頼出来る人物と、既に判断していた。

「此奴が何やら言いましたか?」

「狐の皮を被っていると。悪人の皮を被った善人の方が分かり易かったです」

 笑みを浮かべて、司教にカムイの言葉を伝えるヒルデガンド。信頼を言葉に出したのは、これを教えたかったからだ。

「……全く。別に善人などではない。世に悪人が多いだけです」

「そうですか。私は世間知らずで」

「そういう育ちだから仕方がない事じゃが、そういう立場だからこそ、知らねばならん事が世の中には沢山あると思うが」

「はい」

「いきなり説教かよ?」

 口では文句を言ったカムイだが、その顔は笑っている。司教が説教するのは、相手への思いやりからだとカムイは知っているのだ。

「説教ではない。常識を説いておるのじゃ」

「世間の常識はそれを説教と言うんだよ」

「相変わらず口ばっかり達者じゃな。まあ、こんな奴ですが、よろしく頼みます」

「はい」

 相手への思いによって態度を大きく変える。結局、カムイと司教は似たもの同士なのだと、ヒルデガンドはこの短い間に分かってしまった。

「さて、ではわしは戻るかな。お前が案内するのじゃろ?」

「ああ、ガキどもは?」

「集会場じゃ、ご機嫌を損ねてはと表に出ないように言っておいた」

「そうか。じゃあ、紹介してくる」

「……お主、分かっているのだろうな?」

 カムイに向けた司教の視線に厳しさが宿った。

「分かってる。お互いにな」

「ならば良い。好きにしろ」

 カムイの答えに安心した表情を見せて、司教は奥に戻っていった。

「最後のは?」

「ヒルダの将来の事を知ってるんだろ?」

「そう」

「さて、うるさい奴らに紹介って、もう出て来てるじゃないか」

 集会場はカムイたちが居る場所の直ぐ目の前だ。その扉を開けて、顔を覗かせている何人もの子供たち。カムイが手招きすると、一斉に集会場から飛び出して来た。

「カムイ兄。この人、誰?」

 一番小さな女の子がカムイに尋ねてきた。

「俺の友達のヒルダ」

「綺麗な人」「別嬪さんだな」「セレネも良い女だけど、こっちも中々」

 ヒルデガンドをじろじろと遠慮なく眺めながら、好き勝手な事を子供たちは言い始めた。

「あの、初めまして。ヒルデガンドと申します」

 その勢いに少し怯んだ様子のヒルデガンド。それでも何とか挨拶の言葉を口にしたのだが。

「セレネより上品だな」「うん、綺麗」「胸は大きいな」

「おい! 今の誰だ!?」

「おお、カムイが怒った!」「もしかして彼女か?」「ええ? カムイ兄、彼女いるの?」

 一つ何かを言えば、子供たちからはその何倍も返ってくる。さすがのカムイも集まった子供たちには敵わない。

「駄目だ。こいつらを大人しくさせようというのが間違いだった」

「ふふ、カムイにも苦手があったのですね?」

「まあ、ガキどもには勝てないかな」

「なあ、何して遊ぶ?」

 男の子が一人、ヒルデガンドの前に出てきて話しかけてきた。

「遊びですか? 普段は何をしているのかしら?」

「普段か、そうだな、いつもはお医者さんごっこだな」

「えっ?」

「嘘をつけ。そんな事してないだろ?」

「ちっ」

「舌打ちするなっ!」

 可愛い顔をしているが、とんだ悪ガキだった。そんな男の子の態度にヒルデガンドは目を丸くしている。

「あの、もしかしてカムイのご兄弟ですか?」

「はあ?」

「何だか似てますね」

「嘘だろ?」

「いえ、そっくりです」

「失礼だな、この姉ちゃん」

「お前が言う台詞じゃない!」

 こんな感じで散々に子供たちに振り回された後、次の用があるからと、振り切りようにして孤児院を出た二人。

 表通りを離れて裏道をのんびりと歩いている。

「楽しかったわ」

 普段見られないカムイの姿を見られて、ヒルデガンドは満足そうだ。

「そうか? 俺はどっと疲れた」

「いつもあんな感じではないのかしら?」

「今日はいつもよりもはしゃいでたな。ヒルダが来て嬉しかったんだろ?」

「そうなの?」

「ああ。しょっちゅう人が訪れる場所じゃない。たまに来る人は養子探しが目的だから、あんな態度は取れないだろ?」

「どうして?」

 当たり前の事のようにカムイは言ってきたが、ヒルデガンドには理由が分からなかった。

「相手に気に入られる為。あれで中々強かなんだ。養子になれるのとなれないのとでは、その後の人生変わるからな」

 養子になれなかった孤児の人生がどういうものかは、すでにヒルデガンドは聞いている。カムイの話を聞いて、出会った子供たちの将来が途端に心配になってしまう。

「孤児院には、いつまで居られるのかしら?」

「成人まで。成人過ぎたら出て行かなければならないんだ。仕事があろうとなかろうと」

「そんな!?」

「養える数には限りがあるからな。司教様もそうしたくてしてる訳じゃない」

 年長者をいつまでも置いておけば、その分、一人では生きていけない幼子を見捨てる事になる。司教が悪いのではない。絶え間なく孤児を生み出す、今の世の中が悪いのだ。

「司教様とは、少ししかお話し出来なかったですけど、あまり聖職者という感じではなかったわ」

「あれが、本当の聖職者だよ。他が異常なんだ」

「教会も色々と問題ありそうですね?」

「まあ、あの司教様に出会えた事がある意味、奇跡だな」

「そうかもしれませんね?」

「さて、そろそろだな。耳塞いで」

「……はい?」

「さっきのガキども以上にやかましいのが出てくるから」

「子供たち以上のですか? でも、こんな所に子供なんて」

 辺りの様子はすっかりいかがわしさを増していて、とても子供がいるような場所ではない。

「いや、子供じゃなくて」

「あら、カムイ! どうした、新しい女連れて!」

 聞こえてきたのは、子供の声ではなく、女性のそれだ。

「出た……」

「これは又、別嬪さん……、だね」

「あれ?」

 いつものように軽口を叩くと思っていた娼婦が、途中で口ごもってしまったのを見て、カムイの方が戸惑ってしまっている。

「カムイ、あんた何て女連れて来てんだよ?」

 娼婦は、明らかに不機嫌になっている。

「えっと、学院の友達」

「セレネちゃんも美人だけど、これは又……。まったくカムイの馬鹿は」

 今度は別の娼婦が、マジマジとヒルデガンドを見て、呆れた顔をしている。

「あの?」

「もしかして、あんた、カムイの彼女なのかい?」

「いえ、彼女というわけでは」

「だよね。良いかい? あんたみたいな娘が、こんな所に来るんじゃないよ」

「すみません」

「いや、謝らなくて良いから。大方、カムイが無理やり連れて来たんだろ?」

「いえ、私が来たいと言いました」

「何で又?」

「カムイが普段、どういう所で過ごしているのか、知りたかったのです」

「……あんた、まさかカムイに惚れてるのかい?」

「あの、それは……、はい」

 カムイへの想いを否定したくないとヒルデガンドは思っている。そして、今話している相手は、正直になってもカムイに迷惑を掛ける事はない。

「ええっ!? なんで又、あんたみたいな娘がカムイなんかに?!」

「カムイなんかには酷いだろ?」

「あんたって男は……。もう良いわ。約束は無しだよ」

「えっ!?」

 迷惑は掛ける事はないと、ヒルデガンドは思ったのだが。

「こんな素敵な女の子に惚れられている男の相手なんてゴメンだね」

「そんな!?」

「何を驚いているんだい? あたいら何かに相手してもらう暇があったら、彼女にお願いしな」

「……それは無理」

「とにかく、そんな女の子と比較されたら、あたいらが惨めになっちまうよ。仕方ないね。今度からは、ルッツかアルトを口説く事にするわ」

「ちょっと待った!」

「待たない。そういう事だからね。お嬢さんも安心してね」

「あっ、はい」

 何を安心すれば良いのか分からないままに、ヒルデガンドは返事をしている。

「じゃあね、二度とこんな所に来るんじゃないよ」

「……はい」

 娼婦にきっぱりとそう言われて落ち込むヒルデガンドだったが、その横では更に落ち込むカムイが居た。

「終わった……」

「あの人たちは?」

「この辺の娼館で働いている娼婦」

「娼婦なのですか?」

「ああ」

「綺麗な女性たちでしたね?」

「この辺は高級娼館が多いから」

「そうですか……。もう来るなと言われてしまいました」

 カムイの馴染みの場所で拒否された事に、ヒルデガンドは相当のショックを受けている。

「そういう仕事をしている人たちだからな。何と言うか、女性に対しては、それなりに思う所があるんじゃないか?」

「でも、セレネさんの事も知っているのよね?」

 娼婦の言葉からは、セレネに対する親しみが感じられた。これが更に、ヒルデガンドを落ち込ませているのだ。

「ああ、セレにはあんな事言わないんだけどな。ヒルダだからかな?」

「私は嫌われたのですね?」

「いや、そういう事じゃなくて。彼女たち美人だろ?」

「はい。すごく綺麗な人たちです」

「それが彼女たちの支えというか、誇りというか。その辺の女には負けないよって、思いが強いんだな。それがヒルダには負けたと思ったからじゃないかな?」

 ヒルデガンドを慰める為のカムイの作り話だが、娼婦たちの思いにかなり近い線をいっている。外見の美醜ではなく、方伯家という上級貴族の家に生まれたヒルデガンドが持つ気品。それは娼婦たちには決して手に入れられないものだ。

「……それは褒められているのかしら?」

「一応」

「そう。嬉しいわ。……そういえば約束って?」

「はい?」

 触れられたくない台詞。それが、いきなりヒルデガンドの口から飛び出してきて、やや動揺を見せているカムイ。

「約束は無しって言われて、落ち込んでいたわ」

「そうか? そんな事ないけど」

「どんな約束をしたのかしら?」

 惚けてみせてもヒルデガンドは許してくれなかった。

「それは……」

「相手って言ってましたね? 比較されたらとも」

「そうだったかな?」

「彼女たちは娼婦なのよね?」

「はい」

「その彼女たちが相手するって、どういう事かしら?」

 ヒルデガンドの追求は容赦がない。そして、ヒルデガンドに対しては、不思議と他の人のようにうまく誤魔化せないカムイだった。

「……分かって聞いてるだろ?」

「あら、私は何を分かって、聞いているのかしら? 教えてもらえる?」

「えっと……、初めてのお相手を」

「何の?」

「……夜の」

「カムイ!」

「怒るなよ! 彼女たちは俺をからかって言ってるんだ」

「でも、落ち込んでいましたね?」

「だって、タダで良いって言ってたし」

「タダって……。そんなに女性の裸に興味があるのですか?」

「興味はあるな」

「そうですね。お風呂を覗こうとしたくらいですから」

「その話をここで蒸し返すか?」

「何度でも蒸し返します。もう、私以外の女性には……」

 ヒルデガンドは最後まで言葉を続けられなかった。言ってはいけない言葉だと気付いたのだ。

「私には、こんな事言う資格はないですね?」

「そうでもないけど、そうでもある、かな?」

「……この話はここまでにしましょうか?」

 一線を引かなくてはいけないと思っていながらも、うまくそれが出来ない。ぎこちない二人のやり取りの最後はいつもこれだ。

「その方が良いな。店、もうすぐだから急ごうか?」

「はい」

 そして、たどり着いたのは、例の如く大将の営む食堂。

「ちょっと見た目はあれだけど、ちゃんとした食堂だから」

「……はい」

 ヒルデガンドも又、その外見に戸惑っていた。

「ちょっと待って。さすがにヒルダはあれだから、中、確認してからな」

「あれって?」

「ちゃんと大将には言ってあるから、大丈夫」

 ヒルデガンドの質問に答えることなく、カムイは扉を開いて、中を覗き込んだ。東方伯家の人間の前で、秘密の話をする度胸のある人間などいない。こんな所でする内緒話など、ろくな話ではないのだ。

「大将! 連れてきたけど平気か?」

「おお、大丈夫だ! ちゃんと、話はしてある!」

 中から大将の声が聞こえてくる。

「大丈夫みたい。入ろう」

「はい」

 カムイに続いて建物の中に入ったヒルデガンド。中がちゃんと食堂だったので、少し安心した様子だ。

「あれ? 来てたのか?」

「マリーさん!?」

 カムイが声を掛けた相手がマリーだと分かって、ヒルデガンドは驚きで思わず大声をあげた。ヒルデガンドにとっては意外過ぎる先客だ。

「来てたのかじゃないよ。あんた、誰を連れてきてんだい?」

「ヒルダ」

「そんな事は見れば分かるよ! ここに連れて来て良い相手じゃないって、あたしは言ってんだよ!」

「一度、見てみたいって言うから」

 マリーがすごい剣幕で怒鳴っても、カムイはどこ吹く風だ。

「マリーさんも、ここに良く来るのですか?」

 そして、それはヒルデガンドも同じ。

「あたし? あたしは、ちょっと用があってね。定期的に通ってんだよ」

「そうですか……」

 事情を知らないヒルデガンドは、マリーの言葉に少し落ち込んだ様子を見せる。とにかくカムイに関わる事には素直に感情を表してしまうヒルデガンドだった。

「別に心配しなくても、あたしはカムイに何か興味はないよ。あたしが興味があるのは、ここで使ってもらっている魔道具の試作品さ」

「魔道具ですか?」

「そう。ちょっと面白いのが出来てね。まあ、それにそこのカムイが絡んでるのは気に入らないけどね」

「酷いな。試作品が、ここまで出来たのは俺のお陰だろ?」

「それが一番気に入らないんだよ。それにあんたは最初だけで、後はアルトに任せっきりじゃないか?」

「アルトの方が得意だからな。それで、調子はどうだ?」

「かなり良い感じに仕上がってるよ。そうだよね? 大将」

 実際に何度も通っているのだ。大将に対するマリーの態度は砕けたものに変わっている。ヒルデガンドには分かる事ではないが。

「ああ、使い勝手はもう問題ねえな」

「後は何?」

「魔力の補給。定期的に補給が必要だろ? それをもっと簡単に出来ないかと思ってね」

「方法は?」

「交換式にしようと思ってる。魔力を込める部分を取り外せるようにしてね」

「難しくないか? 接触部分をうまく作らないと伝導効率が……」

 直ぐにこれを思い付くカムイは、魔導に関してはそれなりの知識を有している。だから、マリーも文句を言いながらも、一緒にやっているのだ。

「そう。それが課題だね。でも、それが出来ればこれはもう完成さ。予備を置いておけば、急な魔力切れで困る事もない。交換にいちいち人を派遣する必要もない」

「おお、いよいよか」

「その最後が難関だけどね。まあ、何とかしてみせるさ」

「期待してる」

「……あんたに期待されてもね」

「別に良いだろ?」

「勝手に期待する分にはね。それで、ヒルデガンドなんて連れて、どうしたんだい?」

「いつも来ている食堂を見てみたいって言うから」

「そうなのかい?」

「ええ、私がお願いしたのです」

「……噂には聞いていたけど、あんたら、本当にそういう関係なのかい?」

 実際には噂にはなっていても、本当に二人が出来ているとは誰も思っていない。東方伯家のヒルデガンドに限ってあり得ないという思いと、その思いを広げるアルトの工作の結果だ。

「そういうって、仲の良いお友達です」

「それ以上だったら、困っちまうよ。別に、あたしが困る事じゃあないけどね」

「まあ」

「さて、そうなると、あたしは邪魔だね」

「あっ、ちょっと待ってろ」

 帰ろうと席を立ったマリーをカムイが引き止めた。

「何でさ?」

「ちょっとの間、俺が店番する事になってるから」

「はあ?」

「いや、客、何人か追い出しているだろ? その分の埋め合わせで、大将が出かけている間の店番をする約束なんだ」

「それでどうしてあたしを止める?」

「その間、ヒルダの相手しててくれ」

「ちょっと?」

 相手をしろと言われても、マリーはヒルデガンドと仲が良い訳ではない。それどころか、ほとんど話をした事がない

「別に良いだろ? 飲み物くらいは奢るぞ」

「…………」

「何だよ?」

「あんたが人に奢るだなんて。この世の終わりは近いね」

「うるさい。そんな話はいいから、適当に座ってろ。ヒルダも。少しの間だから」

「はい。私はかまいません」

「さて、じゃあ、わしは早速行かせてもらうかな? 後は頼むぞ」

 マリーとの話がついたのを見計らって、大将が声を掛けてきた。

「ああ、任せてくれ」

 大将と入れ替わりにカウンターの中に入るカムイ。早速、何かの準備をしているのは、ヒルデガンドもマリーの為に用意する飲み物だろう。
 それを見て、マリーは手近なテーブルにヒルデガンドを誘った。

「とりあえず、待つとしようか?」

「ええ」

「……しかし、あんたとこうやって向かい合うなんて初めてじゃないかい?」

「小さな時にあったような気がしますけど、物心ついてからは初めてですね」

「それもあの馬鹿のせいか」

「お陰ですね」

 マリーの言い様に、ヒルデガンドは苦笑いを浮かべながら答えた。

「お陰って言うのかね?」

「お陰ですよ。カムイのお陰でマリーさんとも、ディーフリートとも普通に話せるのですから」

 入学したばかりの頃は、それぞれ派閥の領主として対立するか、そうでなくても、親しくなる余地などなかった三人だ。

「ディーフリートとも最近仲が良いんだったね? でも、良いのかい? あたしはともかく、ディーフリートはさ」

 ディーフリートに関しては、真正面から利害が対立している。だが、それも今の所は、西方伯家のディーフリートとだ。

「まあ、実家同士は複雑ですけど、それに私たちが巻き込まれる必要はありません。それも学院にいる間だけでしょうけどね」

「分かってはいるんだね? それもそうか。ずっと、そうやって生きてきたんだ」

「ええ。そう教え込まれてきましたから」

「前も思ったけど、あんた、雰囲気が変わったね」

「最近良く言われます。でも、自分では良い事だと思っていますよ」

「まあ、そうだね。あたしもそう思うよ。今のあんたの方が付き合いやすそうだ」

「マリーさんもではないですか? そんな風に素直に人を褒めるタイプだと思っていませんでした」

「そうかい? そうだとしたら、それも」

「カムイのせいですか?」

 ヒルデガンドは笑みを浮かべて、わざと”せい”という言葉を使った。

「ああ、あんたもだろ」

 それを聞いたマリーの顔にも笑みが浮かぶ。

「そうですね」

「変わった野郎だよね? 殺してやりたいって思う反面、妙に憎めない所がある」

「殺してやりたいとは私は思いませんけど」

「まあ、色々とあるから。……なあ、あんた、どこまであいつの事を分かってるんだい?」

 マリーの顔に浮かんでいた笑みは消え去り、真剣な表情に変わった。

「さあ、分かりません。カムイの事は知れば知るほど、分からなくなります」

「だろうね? でも、普段のあいつが、あいつの全てではないよ。あんな惚けた野郎だけど、あれで結構、残酷なところがある」

 これを言うマリーの視線に厳しさが込められる。マリーはヒルデガンドが見た事がない、カムイの残酷な面を知っているのだ。

「どうしてそんな事を?」

「あいつの良いところだけ見ていたら、後でショックを受けるかと思ってね」

「マリーさんは、優しいですね?」

「や、優しい?」

 ここで、この言葉が出てくるとは、マリーは考えていなかった。

「ええ、私の事を気遣ってくれています。でも、大丈夫です。カムイの事はある程度知っています」

「えっ?」

「東方伯家の諜報網を甘く見ないで下さい。私とカムイが近づき過ぎていると思ったのか、色々と調べて教えてくれました。あまり聞きたくない話ばかりを」

「それは?」

 カムイが行なった悪事には、マリーが絡んでいるものもある。人に知られては困る情報だ。

「あら、あまり深く聞くとマリーさんも困った事になりますよ?」

「そ、そういう事かい」

 思った通り、マリーが仕出かした事も調べられているという事だ。それを知ったマリーは動揺を隠せないでいる。

「証拠が完全にあがっている訳ではないようですので、心配無用です」

「……そうかい。でも、それを聞いても?」

「さすがに少しショックを受けました。でも、カムイにはカムイの守るべきものがある。そういう事なのだと思います。それに、少なくとも彼が自ら仕掛けたという事はありませんから。カムイが行ったと聞いた事は、全て相手がしてきた事への反撃ですよね?」

「……まあ、あたしが知る限りではそうだね」

 マリーは、その仕掛けた張本人の一人だが、気まずさから他人事のように話している。

「そういう事なのです。彼は敵に対しては、容赦しない。でも、本当にそうかといえば、それも微妙ですね」

「どうしてそう思うのさ?」

「マリーさんは生きている。生きて、仲良くカムイと話をしています」

「でも、それは……」

 マリーを利用しようとしているから。これはマリーには口に出来ない事だ。カムイの為ではなく、自分の名誉の為に。

「何らかの理由があるのですね? でも、そうだとしてもです。カムイは、本当に非情にはなりきれない。私はそう思っています」

「……そうだね。あたしもそう思うよ」

「やっぱり、マリーさんは優しいですね?」

「そう思うとしたら、それは」

「カムイのせいですね」

 暗くなっていたヒルデガンドの顔に、又、笑みが戻った。

「そうだよ。……本当に好きなんだね? あの男の事が」

「ええ、私はカムイが好きです」

「……そんなに真っ直ぐに言われると、こっちの方が照れちまうよ」

「ふふ、こうして釘を刺しておかないと。マリーさんがカムイを好きになったら困りますから」

「はあ? 案外、独占欲が強いんだね?」

「私には時間は限られていますから」

「……そうだね」

「限られた時間であれば、せめてその間は私だけに優しくして欲しいのです」

「ああ、大切にしな」

「はい」

 カムイと共に過ごすだけで自分の空間は広がっていく。今日もそう。マリーとこんな風に話す自分を、ヒルデガンドは想像した事もなかった。
 自分は特別な存在だと思っていた。だが、本当に特別な存在とはカムイの様な存在を言うのだと、ヒルデガンドは思った。
 カムイには人を変える力がある。
 そのカムイであれば、きっと世界も変えられるのではないか。カウンターの中で、飲み物を作っているカムイを見ながら、ヒルデガンドは、そんな事を考えていた。
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