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魔王の器 作者:月野文人

第四章 大陸大乱編

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踏み出された一歩

 シュッツアルテン王国の王都アンファング。表面上は沈黙を守っているシュッツアルテン王国だが、その内情はかなり騒がしくなっている。
 その原因は旧シュッツアルテン皇国の臣、ディア王国を見限ってシュッツアルテン王国に仕えることになった臣下たちだ。

「陛下。今こそ立ち上がるべき時です」

「今こそな」

 もう何度聞かされたか分からない台詞に、テーレイズ王はウンザリといった顔を見せている。そんなに何度も、今こそという時があるのかと突っ込みたいところだが、根が面倒くさがりのテーレイズ王は、それをすることもなく、ただ聞き流しているだけだ。

「今度こそ本当に立ち上がる機会です。いえ、今立ち上がらねば永遠にその機会は来ないと言えるでしょう」

 熱心にテーレイズ王を説得しようとしているのは、元皇国騎士団将軍ファルコ・クノールだ。

「その必要はない。何度言えば分かるのだ?」

「何故ですか? ディア王国を討ち倒し、皇都ミッテルブルクを奪回することが我が国の悲願です」

 こんな悲願はテーレイズ王にはない。もともとシュッツアルテン王国はカムイたちに押し付けられたもの。なりたくてなった王ではない。

「ミッテルブルクなど不要」

「ミッテルブルクは皇国の都です」

「それを言うなら、ここアンファングは皇国創生の地だ。その地が都になっているのだ。充分ではないか」

 アンファングはシュッツアルテン皇国の始まりの地。始祖と四英雄が立ち上がった地だ。後から出来たミッテルブルク、今のウエストミッドよりも格が上といえる。あくまでも旧皇国の基準で言えばだ。

「それはそうですが」

 ファルコ・クノールはその旧皇国の価値観に縛られている人物。テーレイズ王の言葉に反論が出来ない。

「良いか。今は国を安定させる時期だ。あらゆる面で国を整備し、国民が豊かに、そして安心して暮らせる国にしなければならない。この大事な時期にどうして戦争を行える?」

 シュッツアルテン王国は出来たばかりの国。国として安定させる為には、やるべきことが山ほどある。戦争などしている場合ではない、というのがテーレイズ王の考えだ。

「しかし、ここで立ち上がらねば、帝国は覇権を強め皇国の復興は出来なくなります」

 ファルコが望むのは皇国の復興。この考えがそもそもテーレイズ王と異なっている。

「皇国の復興など求めていない。これは何度か話したはずだ」

「帝国に大陸を統べる力がないのであれば、誰かが代わるしかありません。その誰かに最も相応しいのは、皇国の皇族である陛下ではありませんか?」

「帝国に大陸を統べる力がないと、誰が決めた?」

「反乱が起きております」

「いずれ治まる」

 シドヴェスト王国とオッペンハイム王国による反乱。それが成功することはないとテーレイズ王は考えている。

「いえ、治まりません。反乱はその勢いを益々増していきます」

 ファルコの熱もまた益々上がるばかり。

「……何故そう思う?」

 その熱意がテーレイズ王には気になった。テーレイズ王が知る反乱の状況は、こんな熱を帯びるようなものではない。

「イーゼンベルク家が立ち上がろうとしています」

「まさか」

 元東方伯家、イーゼンベルク家が立ち上がるはずはないとテーレイズ王は思っている。

「事実です。イーゼンベルク家から書状が届いており、皇国の再興の為に立ち上がると書いてありました。東西方伯が立ち上がるのです。盟主となる我が国が立ち上がらないという選択肢はありません」

「その書状はどうやって手元に?」

 それほど大事な書状が何故、自分ではなくファルコのところに届けられたのか。テーレイズ王は疑問に思っている。

「密使によって届けられました」

「その密使はどうやってお前のもとを訪れたのだ?」

「どうやって……屋敷に現れたのですが……」

 何故、テーレイズ王がこんなことを聞いてくるのか、ファルコは不安に思ってきた。

「そこまで来ていて何故、城に来ない?」

 アンファングの城は三重の壁に囲まれている。大雑把に分けると、一番外側が庶民が住むエリア、その内側に貴族や騎士が住むエリアがある。更に内側は城そのものだ。
 貴族や騎士が住まうエリアに入るには、それを囲む壁に何か所か設けられている壁門で手続きを行う必要がある。密使はそれを行い、それでいて城に行くのは諦めていることになる。

「それは……」

 テーレイズ王の指摘を受けて、ファルコも今更ながら不自然さを感じた。

「まさかとは思うが、その密使に返事などしていないだろうな?」

「も、もちろん。陛下に伝え、その上で返事をすると答えました」

「答えた。それは口頭で?」

「いえ、密使が確かに届けた証に書状でというので……何か問題が?」

 さすがに、ここまで来れば、ファルコも自分が失敗したと分かった。だが、何を失敗したのかが、まだ分かっていない。

「仮にお前の書状を帝国が手に入れたらどう思う?」

「まさか、そんなことは」

「そうなったらの話だ」

「……何も約束はしておりません」

 正確には、受け取った書状の内容を確かにテーレイズ王に伝えるとは約束している。

「我が国は良い。疑われるだろうが反乱の決定的な証拠にはならない。だが、イーゼンベルク家はどうだ?」

「……我が国を反乱に誘った証拠になる?」

「その通り。実際に反乱に誘う書状など書いていなくても、書いたかのように思われる」

「……書いていない?」

「その書状とやらはどこにある? 他の書状と照らし合わせれば、本物かどうか分かるはずだ」

「それが……書状そのものは見ただけで」

 届けられた書状はファルコの手元に残っていない。これでテーレイズ王のなかで、疑いは確信に変わった。

「なるほどな。それでは本物だと証明出来ない。そして、偽物だとも証明出来ない」

 書状が偽物だと証明する手段は失われた。ファルコが書いた書状が帝国の手に渡れば、イーゼンベルク家は苦しい立場に追いやられるだろう。
 問答無用に帝国に攻められる可能性もある。その時にイーゼンベルク家はどう出るか。そしてカムイが、ノルトエンデがどう出るか。
 それによっては、シュッツアルテン王国も無関係ではいられなくなる可能性がある。

「……思っていたよりも大胆だ。この場合は愚か者というべきかな。いや、どっちであるかは今はまだ判断出来ないか」

「陛下?」

 独り言を呟き始めたテーレイズ王に戸惑うファルコ。

「……ファルコ・クノール。場合によってはお前には死んでもらうことになる」

「なっ!?」

 そのファルコを驚愕させる言葉が、テーレイズ王の口から飛び出してきた。

「今はまだ、我が国は戦うわけにはいかない。我が国が剣と楯を取る時は、我が国の使命を果たす時だけだ」

 シュッツアルテンの果たすべき使命は、ノルトエンデの、魔族の楯となること。この使命を疎かにさせないことが自分の役割だとテーレイズ王は思っている。
 本来の王に受け継ぐ前に、シュッツアルテン王国の存在意義を失わせるわけにはいかないのだ。

「それは……」

「不満か? 不満であれば、この国を去れ。シュッツアルテン王国は皇国ではない。滅びる前の皇国はシュッツアルテンではないのだ。同じ過ちを繰り返すつもりは俺にはない」

「……この命、いつでも王国の為に」

 どこまでの覚悟が出来たのか分からないが、ファルコはこれを口にした。

「そうか。他の者たちにも言っておく。俺が思うシュッツアルテン王国の存在意義に納得出来ない者はすぐにこの国を離れろ。これから先は信念のない者には耐えられない」

「…………」

 誰も声を上げる者はいない。全員が納得しているわけではない。テーレイズ王の言葉の意味を分かっていない者がほとんどだろう。

「まあいい。気が変わったらいつでも言ってこい。さて……怠けてばかりでは、良いようにやられるばかりか。少し考えないとだな」

 実はファルコの言う通り、反乱の勢いは増しているのかもしれない。それは静かに、忍び寄るようにして人々を巻き込もうとしている。そんな冷たい広がりを見せているのかもしれない。

◇◇◇

 夜空には白銀に輝く満月が浮かんでいる。かつてシュッツレーレン皇国学院の裏庭で見た月を思い出させる綺麗な月だ。それはカムイにとっての新しい人生の始まりの時。アウラと運命の出会いを果たした瞬間だった。
 だが今、カムイの頭に浮かんでいるのはアウラではなく、そのアウラに良く似た、それでいて正反対の雰囲気を持つ女性。その人を女性と呼ぶのは正しくはない、人と呼ぶのも正しいのか分からない。
 カムイをして、思わず跪いてしまいそうになる圧倒的な存在感。その神々しさは、地に住まう者たちが纏うものではない。
 その存在と会うのはカムイにとって二度目だった。だが、その存在が放つ周囲を圧する気は、初回のそれを遥かに超えるものだった。
 何故、自分の前に姿を現したのか。このカムイの疑問の答えは、その存在によって語られた。

「久しぶりですね。と挨拶するべきでしょうか」

 耳で聞いているのか、頭に直接響いているのか区別がつかない。とにかくその存在の語る言葉にまで、カムイを圧するものがある。

「久しぶりだと思いますが?」

 普通に返事を返せるのはカムイだからこそ。精神の弱いものであれば、この心に直接叩きつけられているような感覚に、この時点で気を失っているかもしれない。

「そうですか。貴方の時間の感覚は、人のそれと変わらないようですね」

 これを言うのは、この存在にとっての時間の流れが、人のそれと違うことを意味する。

「ミハエル。こうお呼びしても良いのでしょうか?」

 心の中でもの凄い抵抗を感じながらカムイはミハエルの名を口にした。

「ええ。呼べるのでしたら、それを嫌とは言えません」

 呼べるのでしたら。呼べない者もいるとうことだ。その理由はカムイにも分かる。名を呼ぶだけで心にかかる負荷は、ミハエルの言葉を受ける以上に重いものだった。

「勇者選定の儀式を行ったつもりはありませんが?」

「ええ、分かっています。今回は自分の意思で地に降りてきました。実際は前回もですけど、意味合いが全く違いますので」

「魔剣なら今は手元にありません。用があるのでしたら、アウラのところへ」

「ほう。魔剣なしにですか」

 前回会った時に、カムイがミハエルの前で立っていられたのは魔剣カムイが支えていたからだ。だが今、カムイはその支えなしに立ち、そして話しをしている。この事実を知ってミハエルは感嘆の声を漏らした。

「今回はアウラと話していけばいい。それこそ、貴女の感覚でも久しぶりではないですか?」

 二人が会うのは千年以上ぶりなはず。これで久しぶりではないと言われたら、カムイには想像も出来ない時間の流れで生きていることになる。今の時点でも充分に想像は困難ではあるが。

「そうですね。本当に久しぶりです」

 さすがに千年の時はミハエルにとっても長い時間であるようだ。

「ですが、会うことは出来ません」

「何故ですか?」

「私が用があるのは貴方で、私が貴方と会ったと知れば、彼女は怒るでしょう」

「そうですか……」

 自分に用があることは分かっていた。しかも予想通り、アウラが怒るようなロクな用件ではない。これも分かっていたから、話さないで済ませないかと悪あがきをしてみたのだが、悪あがきは所詮は悪あがきだ。通用するはずがなかった。

「薄々、何の話かは分かっていますね?」

「いえ。戦乱のことだとは思っていますが、それで何故、貴女がわざわざ現れたのかは全く分かりません」

 これには少し嫌味が入っている。地のことは地に住まう者で。これが約束のはずなのだ。地で起きている戦争に、天に住む者が介入してくるのはおかしい。

「例外があるのです」

 ミハエルはカムイの気持ちを読んで、話しをしてきた。

「その例外とは何ですか?」

 文句を言うことはしない。言っても意味がないからだ。

「この世界が崩壊してしまうような混乱は許すわけにはいきません」

「世界が崩壊? そんな事態にはなっていないと思いますが?」

 いきなり世界崩壊の話をされても、カムイには全く心当たりがない。

「なってからでは遅いのです。そうなる前に私は止めなくてはなりません」

「……戦争をですか」

「いえ、貴方を」

「えっ?」

 止めるのは戦争ではなく自分。ミハエルの言っている意味がカムイには分からない。

「戦争は人の業です。それを世界から消し去ることは出来ません。ですが、その戦争にも許せる戦争と許せない戦争があります」

「……それが神の考えですか?」

 カムイは戦争を引き起こしている。だからといって戦争が正しいとは思っていない。戦争は悪で、その戦争を起こしている自分も悪。自分の罪は許されるものではないと覚悟しているのだ。

「神のご意思は、貴方が邪推して良いものではありません!」

 強烈な怒りの感情。それがカムイの心に叩きつけられる。

「……邪推などしていません。私は聞いているのです」

 その衝撃にカムイは耐え、反論してみせた。

「……私にも神のご意思を推し量る資格はありません」

 わずかに漏れた動揺の感情は一瞬のこと。ミハエルはカムイの問いの答えにならない答えを返した。

「では許せる戦争か許せない戦争かの判断は誰がするのですか?」

 神の意思は分からないとミハエルは言った。それでどうして許せる許せないを口に出来るのかをカムイは尋ねた。

「……本当に魔剣カムイはいないのですか?」

「貴女であれば、分かるのでは?」

「……そうですね。私には存在しないことが分かっています」

「ですよね」

 またミハエルから動揺した様子が漏れている。意外と脆い、という思いが頭の中で具体化するのをカムイは懸命に堪えている。

「……用件を伝えます。すぐに戦いを止めなさい。いえ、どうしてもと言うなら続ければ良い。ですが、それに魔族を関わらせることは許しません」

 カムイの思いが伝わったせいか、ミハエルはいきなり用件に入ってきた。これ以上の無駄話はしたくないというところだとカムイは理解した。

「理由を聞いても?」

「魔族を守る為です」

「戦いにはほとんど参加させていません。それに私の戦いも魔族を守る為です」

「貴方の戦いは魔族を、世界を壊すものです」

「何故、私の戦いがそうなるのですか? 私には分かりません」

「貴方の納得を求めてはいません。これは警告です。もし、このまま貴方が思う戦いを続ければこの世界は壊れます。それを許すわけにはいかない我らとしては、それを防ぐ行動に出ざるを得ません」

「警告……脅しでは?」

 ミハエルの言う行動が何かは分かっていないが、ロクでもないことであるのは、はっきりしている。

「どう受け取ろうと貴方の勝手です。ただ神の御怒りは、時に地に住む者全てに悲劇を生むことになるとだけ、教えておきましょう」

「なるほど」

 完全な脅しだ。それもカムイが思っていた以上の中身。自分の身だけでなく、ミハエルはこの世界に生きる全ての人に危害を加えると言っている。

「警告はしました。貴方が正しい判断をしてくれることを私は祈っています」

 最後だけは、優しさを感じさせる言葉を放って、ミハエルはカムイの目の前から消えていった――。

 これはルースア帝国が成立する少し前の出来事。カムイは今それを思い出している。
 事態はカムイが望まない方向に進んでいる。これがミハエルが言っていた許されない戦争に繋がるのか。これを考えても結論が出ない。今初めて考えたわけではない。ずっと考えていて結論が出ないのだ。許される基準が分からないのだ。それも当然のこと。
 では、どうするのか。これもまたカムイは決められなかった。

「心配か?」

 背中から心配そうな声がかかる。テレーザの声だ。

「心配って?」

 心配しているのはテレーザのほうだ。

「シドヴェスト王国が攻め込まれると思うと心配だろ?」

「……心配というのかな?」

 テレーザとカムイの会話がかみ合わない。昔はこれが当たり前だったが、今はこんなことは珍しい。テレーザは常にカムイの心情を察して話をしてくるからだ。

「セレネのこと心配だろ?」

「……えっ?」

 セレネのことを考えていた覚えは全くない。頭の中に浮かんでいたのはミハエルとのやり取りだ。

「助けたくないのか?」

「……いや、そう聞かれると、もちろん助けたいけど」

 カムイが助けたいのは、この世界に住む全ての人々、のはずだった。

「仲間を見捨てないのがカムイだからな。その分、他人には冷たいけど」

「あ、ああ。そうだな」

「セレネはまだカムイにとって仲間か?」

「そうだな。ディーフリートには思うところはあるけど、セレネは別だ」

 ディーフリートが何をしているか。その情報は少しずつカムイの耳にも届いている。それは決して知り合いだからと許せることではない。
 だが、それとセレネとの関係は別。テレーザに聞かれて、カムイは改めて認識した。

「そっか。じゃあ、上手くやらないとだな。私も今のディーフリートは嫌いだ。前から嫌いだったけど、今はもっと嫌い。殺そうとしたことを反省しないくらいに嫌いだ」

「随分嫌いになったな」

「だってカムイがこんなに辛そうにしながら、それでも我慢しているのに、ディーフリートはそれを台無しにしようとしている」

「……そうだな」

 自分が辛そうにしている。分かっていたことだが、これもテレーザに改めて教えられた。

「それでどうする?」

「……テレーザは自分が信じ、尊敬していた人を敵に回すかもしれなくなったらどうする?」

 テレーザの問いにカムイは問いで返した。まだ決断出来ないのだ。

「私だと……カムイか。それはカムイが悪いことをしたからか?」

「悪いことというか、お互いに信じて進んでいる道が違っていると分かった」

「……戦う」

 少し考えて、テレーザはこう口にした。

「そうなのか?」

「カムイ相手でも戦う。ヒルデガンド様のようにカムイを止めることは出来ないのは分かっている。それでも私は戦おうと思う」

「どうして?」

 テレーザがカムイに勝てることはまずない。負けると分かっている戦いに臨もうというテレーザの気持ちをカムイは知りたかった。

「負けるからって戦わないのは、カムイを見捨てるのと同じだ。カムイが間違っているなら、その戦いが無駄に終わっても戦わないと駄目だと思う」

「……なるほどな」

 いつから自分は命を惜しむようになったのだろう。いつから無関係な人まで背負うなんて傲慢な考えになったのだろう。いつから自分は、何が大切か忘れてしまったのだろう。
 カムイの胸にこんな思いが流れていく。

「何だか、ここ最近はテレーザに教わることばかりだな」

「えっ、そうか? じゃあ、今夜も……」

 カムイとの熱い夜を期待したテレーザだったが。

「いや、もうノルトエンデに帰ろう。もう飽きた。この場所も、うじうじと悩んでいることにも」

「そうか……そうだな。私も飽きた。それに、そろそろヒルデガンド様が怖いし」

「それ、ヒルダの前で絶対に言うなよ?」

「分かってるって」

 ヒルデガンドはヤキモチ焼きだが、それを他人に指摘されるのは嫌いだ。もちろん、ヒルデガンドなので文句を口することはない。だがカムイやテレーザにとっては、口にされなくても伝わる何かが怖かったりする。これはこの二人だけが感じることだ。

 この夜。カムイとテレーザは城から忽然と姿を消した。翌日、これを知ったルースア帝国の者たちは大騒ぎになるのだが、その前に。

「……皇太子殿下」

 城の奥にあるステファン皇太子の寝室。その扉の外から、呼びかける声が聞こえてくる。

「ミヤか。どうした?」

 ステファン皇太子は声だけでそれが誰か分かった。カムイとの伝令係として側に置いている魔族のミヤだ。

「少しお話しがございます。このような時間に申し訳ございませんが、お時間を頂けますでしょうか?」

「……あ、ああ、構わない。中に入れ」

 やや上ずった声で、ステファン皇太子は入室を許可する。

「失礼します」

 扉を開けて部屋に入ってきたミヤ。いつものように侍女の恰好をしている。公式の仕事はステファン皇太子付きの侍女なのだ。

「用は何だ?」

「はい。カムイ様から伝言が」

「こんな時間にか?」

 明日になればまた会える。カムイとは毎日話しをしているのだ。そうであるのに、わざわざ伝言をミヤに託したのは余程のことだと、ステファン皇太子は少し緩んでいた気持ちを引き締めた。

「今夜のうちにお伝えしておきたいと」

「そうか……伝言の内容は?」

「今日でお暇いたしますと」

「……何?」

 ミヤの伝言の意味を、ステファン皇太子はすぐに理解出来なかった。

「カムイ様はこの城を去られます。皇太子殿下に直接ご挨拶することなく去る無礼をお許しくださいと」

「……どういうことだ? 何があった?」

 城から逃げ出す。これは予想がついていた。そうさせないように警戒をしてきたのだ。だが、それをわざわざ自分に知らせてくる意図がステファン皇太子には分からない。

「カムイ様が望む望まないに関係なく、事態が動き出しております。もう止まっていることは限界だと」

「その具体的な中身が聞きたいのだ」

「それは、いずれ皇太子殿下にもお分かりになります」

「……共和国は敵に回るか。戦乱は拡大するな」

 アーテンクロイツ連邦共和国が反乱側に回れば、事はこれまでとは違った展開を見せる。これはステファン皇太子にはよく分かっている。

「敵が何であるか。それは分からないと。皇太子殿下にもきちんと見極めて欲しいとも言われました」

「敵を見極める?」

「詳しいことは私にも」

「そうか……お前も今日限りか」

 カムイが城を去ったのであれば、ミヤも当然、城からいなくなる。ステファン皇太子はこう考えた。

「……カムイ様には好きにしろと」

「えっ?」

 ステファン皇太子の予想は外れた。本人にとって良い方向に。

「これからの戦いは魔族対人族というものではないと。魔族がどの陣営にいても、問題ないはずだと」

「……残るのか?」

「それは……皇太子殿下のご判断によります。残りたいと思っても、殿下のお許しがなければ無理ですので」

「……では残れ。俺が誰にも文句は言わせない」

 ミヤの言い方は残る意思があるというもの。こう判断してステファン皇太子は残るように命じた。

「承知しました。殿下の御申しつけに従います」

 残ることを受け入れたミヤ。だが、少しステファン皇太子には物足りない台詞だった。

「そうではない。お前の意思で……いや、良い。これからもよろしく頼む」

 それを口にしようとしたステファン皇太子だが、途中で言葉にするのを止めた。文句を言える関係ではないと思ったからだ。

「……はい。喜んで」

 ステファン皇太子が覗かせた本音に、ミヤも応えてみせる。
 これでこの日の二人の会話は終わり。この先も恐らくは、すぐに何かの進展があるわけではない。何もないままに終わるかもしれない。
 それでもルースア帝国の皇太子であるステファンが魔族であるミヤを側に置くことを望み、それにミヤが応えたことに意味はある。
 カムイが望んだ異種族共存。挫折するかと思われたこの時に、小さくはあっても新たな一歩が踏み出されていた。
+注意+
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