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魔王の器 作者:月野文人

第三章 皇国動乱編

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テレーザ頑張る

 全体会議が終わった後は、それぞれが自分の仕事場に向かった。
 テレーザも近衛としてヒルデガンドに付いて行こうとしたのだが、それを制する声がかかる。

「貴女はこっちですよ」

「へっ? でも、私はヒルデガンド様に」

「今の貴女ではヒルデガンド様を守る事は出来ません。それは不要です。それに貴女にはやる事があるのでは?」

「……鍛錬!」

「そうです。さあ、付いて来なさい。私がしばらく教えます」

「あっ、お願いします!」

 久しぶりの鍛錬と聞いて、喜んでいるテレーザは気が付かなかった。アウラの後を付いて行く自分の背中に、あちこちから同情の目が向けられていた事に。

◇◇◇

「はっ、はへっ」

 鍛錬場の片隅でテレーザは息をするのも苦しそうにして、うずくまっていた。

「もう動けないのですか?」

「くっ、くる、しい」

「そんな事では近衛は無理ですね」

「……がっ、がんばり、ま、す」

 なんとか立ち上がろうとしたテレーザだったが、体が言う事を聞かない。よろよろとよろけて、また地面に倒れ込んだ。

「閨では側室が王を守るものなのですけど、その有様では側室も……」

「がっ、がんばり、ます!」

 もう一度、必死の思いで立ち上がるテレーザ。なんとか立ち上がる事は出来ても、そこから足が動かない。

「うっ、動け、動け」

「立っているだけでは鍛錬になりませんよ。さあ、走るのです」

「うっ、動け、動けぇえええっ!」

 どうにか足を一歩前に出した所までで精一杯。又、テレーザは地面に崩れ落ちる。

「限界ですか。今日の所は良いでしょう。初日ですしね」

「おっ、終わった……」

 テレーザは、地面に大の字のなったまま、ホッとした表情で呟いた。ついさっきまでは、泣きたくなるくらいに辛い時間だったのだが、終わりの声を聞いた途端に、達成感が胸に広がっていた。

「貴女にあらかじめ言っておくことがあります」

「は、はい」

「今からでは、どんなに頑張っても他の人のように強くはなれません」

「あっ……」

 アウラの厳しい言葉に、テレーザの胸に広がっていた達成感が、一気に萎んでいく。

「これは貴女が悪いのではなく、本格的な鍛錬を始めるのが遅すぎた為です。いえ、これまで本気で鍛錬をしてこなかった貴女の責任ではありますね」

「はい……」

「だから、これからの鍛錬は貴女に死ぬ覚悟を持ってもらう鍛錬になります」

「へっ? いや、死にたくはないな」

「王の為、ヒルデガンド様の為でも?」

「死にます!」

 カムイの為。これが今のテレーザの全てだ。何かに縋っていなければ、生きる目的を見つけられないテレーザの弱さではあるが、その為であれば、全てを捨てられる覚悟もある。

「それでよろしい。そう、二人を守る為に死ぬ覚悟です。どんな状況でも二人の盾になる。剣が向かってきても身を投げ出せる覚悟を作ってもらいます」

「はい」

「基礎が終わったら、それに移ります。鍛錬であっても、その覚悟で臨むように」

「はい! 頑張ります!」

「よろしい。……そう、なるほどね」

 納得した様子で、呟いているアウラ。テレーザを見る瞳から厳しさが消えた。

「何ですか?」

「王が何故、貴女を近づけたのか少し分かったような気がします」

「えっ? それは何?」

 誰よりも、それを不思議に思っていたのはテレーザ本人だ。理由が分かると思って、ワクワクした様子で、アウラを見ている。

「……やっぱり」

「何が?」

「貴女は子犬みたいですね?」

「えっ……」

 アウラの説明は、テレーザの期待とは、ちょっと違っていた。もう少し、素敵な言葉を期待していたのだ。

「吠えられると煩わしいですけど、無邪気にしているのを見ていると、ほっとします」

「それ、酷い」

「可愛らしいと褒めているのです」

「えっ、ほんと!?」

 一応は褒められているのだと分かって、テレーザの顔に喜色が浮かぶのだが。

「まあ、愛玩動物の可愛らしさですけど」

「……やっぱり酷い」

 すぐに又、落ち込む事になった。

「良いじゃないですか。側にいられるなら、何だって。側にいて触れられるのですから……」

 どこか寂しげな笑みを浮かべるアウラ。初めて見る表情に、テレーザも少し戸惑っている。

「……あの?」

「さあ、明日も鍛錬です。覚悟をしておいてください」

「あっ、はい」

◇◇◇

 鍛錬で痛めつけられた体を、ゆっくりと浴場でほぐしたテレーザだったのだが、そんな事では痛みは治まらない。ベッドに体を横たえて動けないでいた。

「カムイたちは、あれ以上の鍛錬をしていたんだろうな……」

 これまで本気で鍛錬をしてこなかった事への後悔がテレーザを落ち込ませてしまう。

「落ち込んでもな。やれる事をやるしかない」

 天井を眺めながら、落ち込んだ気持ちを奮い立たせるテレーザ。
 その目の前に、突然、カムイの顔が現れた、

「うわっ!」

「あっ、悪い。驚かせたか?」

「驚いたに決まってるだろ!」

「寝ているのかと思ったのに声が聞こえるから」

「声掛けろよな」

「寝言だと悪いと思って。アウラにしごかれて疲れているだろ?」

「う、うん」

 カムイに優しい言葉を掛けられると、途端に蕩けてしまうテレーザだった。

「それで会議の時の話だけど。どこが分からなかった?」

「あれか……、良い」

「えっ?」

 本当に来てくれたカムイの優しさを喜びながらも、テレーザは説明を受けるのを拒否した。忙しいカムイに、迷惑を掛けるようで、嫌なのだ。

「あまり、難しい事は何度聞いても分からないから」

「聞いてみないと分からないだろ?」

「少しは分かってる。あれだろ? 私にもカムイと同じように魔族の血が流れているって事だ」

「簡単に言うとな」

「カムイと私は同じ。それが嬉しかった。私にはそれで十分だ」

「そ、そうか」

 無邪気そうな微笑みを浮かべるテレーザに、戸惑ってしまうカムイ。

「私もまだ何が出来るか分からないけど、頑張るから」

「そうか……。じゃあ、もう一つの話だ」

 テレーザの様子を見て、確かに難しい説明は無用だと考えたカムイは、別の用件に話を移すことにした。

「何?」

「テレーザの家族の事」

「あっ……」

 思いがけない事態が続いていて、家族の事をすっかり忘れていたテレーザだった。一気にテレーザの表情が暗くなる。

「多分だけど、テレーザは皇国の貴族じゃなくなる」

「そっか……」

 カムイの言葉の意味を、正確にテレーザは理解した。切り捨てられたという事は最初から分かっていたのだ。

「もしかしたら、ハノーバー家も取り潰しになるかもしれない」

「……なるよ。そういう人だ」

 テレーザの母は、クラウディアの乳母だ。そういう関係だからこそ、必ず遠ざけようとすると、テレーザには分かる。

「その件で聞いておきたい事があった。テレーザなら、クラウディアの反応が分かるかと思って」

「どんな事?」

「テレーザが俺の側室になったと知ったらどう反応すると思う?」

「それは!?」

 一瞬でテレーザの顔は真っ青になった。このテレーザの反応が答えだ。
 さすがにここまでの反応は、カムイの予想外だ。

「そこまで不味い方に転ぶか?」

「……あの人は私と同じなんだ。自分に自信がない」

「まあ、それは分かるような気がする」

「そんな、あの人にとって私は自分より劣っている存在なんだ。私がいる事で、自分を慰めていたんだと思う。それがどんどん酷くなって。私をわざと貶めて喜ぶようになった」

「それは酷いな」

「逆らえなくって。それで、どんどん悪化した。そして皇帝になって、しばらくしたら、今度は、そんな私が側にいるのが嫌になったみたいだ。私がいる事で、自分も下に見られるとでも思ったのかな」

「それで、無理やり結婚を決められて遠ざけられ、終いには、この国に送り込まれた」

「そう。そんな私がカムイの側室になったなんて知ったら」

「どうなる?」

「私を許さないだろうな。あの人は独占欲が強いから」

「俺、クラウディアの物じゃないけど?」

 テレーザの説明は、今一つカムイには理解出来ない。情報が足りないのだ。その足りない情報を、テレーザの次の言葉が教えてくれる。

「そうしたいと少しでも思った相手を他人に奪われるのが許せないんだ。カムイとの結婚を考えていた事もあるからな」

「ええっ!?」

 さすがのカムイもこの情報は初耳だった。仮に何らかの形で耳にしていても、決して信じなかっただろう。それほど、カムイにとってあり得ない事だ。

「皇国の武の象徴って言われていた時のカムイ。そのカムイの奥さんになれば、自分の評価も上がるだろ?」

「単純。あれ? でも誘ってきたのはテレーザだったけど」

「失敗するのは分かっていたんだと思うな。それか、カムイの反応を確かめたかったか。私の誘惑に乗るようなら、自分が結婚を申し入れても受け入れるかもしれないって」

「いやあ、分かっていたつもりだけど、顔に似合わず、姑息というか、悪知恵が働くというか」

「それが武器なんだ。でも本当に自覚がなかったりするんだ。自分で自分の気持ちを押し込めている事が多い。でも、それ私には分かっちゃって。ああ、こうしたいんだなって」

「なるほどな。テレーザには悪いけど、うまく出来てたな。それで悪名は全てテレーザに行く」

「そうだな……」

 クラウディア全てであった当時は、それほど気にしていなかったが、今となっては、辛い思い出だ。

「話を戻すか。テレーザが側室になったと聞いたら、ハノーバー家はただ取り潰しになるだけじゃなく、もっと酷い事になるかもしれないんだな?」

「……そう」

「じゃあ、止めておこう。俺の側室になったと聞いたら、ハノーバー家を優遇するかも知れないと思って聞いたけど、正反対の可能性が高いんじゃな」

「でも取り潰しになるのは同じだ……」

 自分の我儘の為に、家族にひどい迷惑を掛ける事になる。この思いがテレーザを落ち込ませてしまう。

「それは悪かったな。でも、出来るだけの事はするから」

「えっ?」

「当面の生活に困らないだけの、金は用意した。いつでも渡せる状態で皇都に置いてある。それとテレーザの家族が、アーテンクロイツに来たいと言ったら、ちゃんと連れてくる」

「そんなの……。そんなの良いよ」

「何で?」

「この国に残るのは私がそうしたいからだ。それで、カムイたちに迷惑かけるなんて」

 カムイに迷惑を掛けたくない。今度は、この思いがテレーザの心を占めている。

「あのな、迷惑な訳ないだろ? テレーザは俺達の仲間だ。そして俺の側室。家族の面倒を見るのは当たり前の事だ」

「カムイ……」

 カムイの言葉は、本来のカムイの考え方ではない。それでも、これを言ったのは、テレーザを慰める為だ。
 テレーザには、そんなカムイの感情が、伝わってくる。

「何か伝えたい事があったら教えてくれ。ああ、手紙の方が良いな。それが、あれば信用してもらえるから」

「うん、ありがと」

「さてと、話はこれくらい。結果が分かったら、又、伝えるから」

「あっ」

 部屋から出て行こうとするカムイを見て、テレーザは思わず声をあげてしまう。

「何?」

「あのさ……」

「何?」

「抱いて欲しいな、なんて……。やっぱ駄目かな?」

 勇気を振り絞って、自分の気持ちを素直に口にしたテレーザ。

「……今日は駄目」

 それへの答えは、拒否、だったのだが。

「そっか……、あれっ、今日は?」

「体痛いだろ? それに疲れているだろうし」

「でも……、抱いて欲しいな」

 思いやりからの拒否だと知って、テレーザの思いは益々募ってしまう。

「……じゃあ、横で寝るだけで。テレーザが寝るまで側にいるってのは?」

「それでも良い。……ありがと」

「礼を言う事じゃない。ほら、じゃあ、布団入って横空けろよ」

「うん!」

 嬉々として布団にもぐりこむテレーザ。その隣にカムイも横になった。
 カムイが隣にくると、テレーザは、もごもごと動いて、カムイにぴたりと張り付いてくる。

「へへっ」

「何だよ?」

「こういうのも良いよな?」

「そうか? 時間がある時ならいつでも……、あっ、えっと」

 ちょっと無責任な発言だと、途中で気付いて、カムイは口ごもってしまう。

「ヒルデガンド様も大切に」

「ああ」

「なんて私エラそうだな。私は本当に空いた時間だけで良いからな。それで十分だ」

 身も心も捨てて、主に尽くしてきたテレーザが、恋愛に同じ思いを向けるとこうなる。

「……もう寝ろよ。疲れているだろ?」

 言われたカムイの方が、照れてしまっていた。

「うん」

 実際に相当疲れていたテレーザは会話を止めると、すぐに寝息を立てだした。それを確認して、起こさないように、そっとカムイはベッドから降りる。

「もう一人、テレーザがいた。まあ、このテレーザは可愛いから良いな」

 その、もう一人のテレーザに少しずつ気持ちを奪われている事に、まだカムイは気が付いていない。

◇◇◇

 皇都の城門を出て、街道を少し進んだ所に、馬車が止まっていた。その脇でじっと小さくなった皇都を見つめている女性が一人。
 テレーザの母親だ。
 マリーの言葉にまんまと乗った皇国は、予想通り、テレーザを罪に落とし、その実家であるハノーバー家を爵位剥奪の上で、皇都追放とした。
 クラウディア皇帝の乳母であったテレーザの母親にとっては、信じられない沙汰だったのだが、それは容赦なく行われ、今日の日を迎えている。

「どうしてこんな事に……」

 住み慣れた皇都を遠くに望みながら、テレーザの母は小さく呟いた。

「奥様。もう、そろそろ」

 そんな彼女に、ハノーバー家に仕えていた家宰が声を掛けてきた。多くの使用人が、離れていった中で、彼女に付き添う事を決めた数少ない使用人の中の一人だ。

「そうね……」

 了承の言葉を口にしながら、テレーザの母は、中々、その場を動こうとしない。皇都を離れがたい思いが、足を動かす事を拒んでいた。
 仕方なく、家宰も他の使用人たちも、彼女の決心が付くのを待つことにしたのだが、その気持ちを邪魔するように、一台の馬車が近づいてきた。

「ああ、誰か馬車を移動させてくれ。邪魔になる」

「はい」

 家宰が馬車を動かすように指示をしたが、それが成される前に、現れた馬車は、すぐ近くまで来てしまい、手前で止まった。
 その馬車から降りてきた男が、テレーザの母と家宰に近づいてくる。

「すみません。すぐにこちらの馬車は動かします」

「あっ、違います。文句を言いに来た訳ではなく、お聞きしたい事があって」

「聞きたい事でございますか?」

「はい。失礼ですが、ハノーバー家の方ですか?」

「そうですが」

 訝しげな表情で家宰は答える。家宰である自分が、見覚えのない相手だ。ハノーバー家と付き合いのあった者とは思えなかった。

「やはりそうですか。馬車の紋章を見て、そうではないかと思いまして」

「貴方は?」

「私はデト商会のオットーと申します。実は貴家のテレーザさんとは、皇国学院時代に同級生でした」

「えっ? テレーザの?」

 オットーの説明に、テレーザの母親が反応した。行方知れずの娘の知り合いが現れた事で、わずかな期待が生まれていた。

「失礼ですが、テレーザさんのお母上でいらっしゃいますか?」

「ええ。そうです」

「そうですか。どうも初めまして。学院時代はテレーザさんには親しくして頂きまして、ありがとうございます」

「そうなのですか?」

「はい。ああ、でも、それは僕の勝手な思いでして。テレーザさんは、クラウディア陛下といつもご一緒でしたので、平民の僕はそれほど近くにいた訳ではありません。でも、何度か、テレーザさんとは話す機会がありまして」

「そう」

「テレーザさんはお元気ですか? 噂でご実家に戻られたと聞いております」

「それは……」

 残念ながら、母親の期待は一瞬で消え去る事になった。

「おや、何かあったのですか? ああ、そもそもお母上は何故、この様な所に?」

「皇都を離れる事になりまして」

「……どうやら、何かご事情がおありのようですね。どうでしょうか? もし、よろしければ、途中まで、旅路を共に致しませんか? そうは言っても、次の街までですが」

「いえ、それは」

 初対面の者に、いきなり同行させてくれと言われても、困ってしまう。相手が素性を誤魔化している可能性はなくはないのだ。

「お話を聞かせていただきたいのです。今も付き合いがある学院時代の友人もいまして。その友人もテレーザさんの同級生ですから、気にすると思って」

「でも……」

「ああ、いきなりでは信用させませんよね。どうしましょうか? 僕がそちらの馬車に乗るという事では? 護衛の方もいれば、ご安心でしょう?」

「そうですけど……」

「商人をしておりますので、それなりに顔も広く、色々と伝手も持っています。お困りの事があれば、力になれるかと」

「……分かりました。では、次の街まで」

 結局、テレーザの母親は、オットーの押しに負けて、同行を許す事になった。

 オットーを乗せて、馬車は街道を進み始めた。馬車にはテレーザの母と家宰が乗っている。
 警戒の色を見せた割には不用心と言って良いのだが、オットーにとっては、人が少ない方が都合が良い。

「なるほど。そんな事があったのですか。それは、何と申し上げて良いか」

 事情を聞いたオットーは、良い慰めの言葉が見つからない、という振りをしているだけだ。事情などとっくに知っているのだから。

「正直どうしてこんな事になってしまったのか、今も混乱していますの」

「それはそうでしょう。それで新しい落ち着き先は決まっているのですか?」

「実家に行こうと思っております」

「……この様な事を聞くのはどうかと思いますが、そのご実家は受けれてくれるのですか? ご実家も貴族家ですと」

「それは……」

 国から処分を受けた家の者を安易に受け入れては、自家にまで災いが及ぶ可能性がある。貴族家であれば、御家大事に拒否する事は充分にあり、テレーザの母親の実家も、そうであった。

「やはり約束はもらえていないのですね?」

「使いは出したのですけど、返事が来なくて。でも、皇都にもいつまでも居られませんので、仕方なく」

 母親だけで実家に向かうのも、これが理由だ。娘だけであれば、受け入れてくれる可能性があると考えたのだ。

「不躾な事をお聞きしますが、万一、受け入れてもらえなかった時の生活の方は?」

「それは……、蓄えがありますので、何とか」

「そうですか。……さて、そろそろ良いかな、付けている者もいないようだ」

「えっ?」

 途端に態度を豹変させたオットーにテレーザの母親は戸惑いを見せる。

「き、貴様!」

 その一方で、掴みかかろうと立ち上がった家宰の方はさすがだ。

「ああ、落ち着いてください。別に無体を働くつもりはありません。こちらから、お話ししたい事がありますので、聞いていただきたいだけです」

「それは何だ!?」

「テレーザさんは今、さる御方の下にいます」

 家宰を落ち着かせる為に、顔に満面の笑みを浮かべながらオットーは、いきなり核心を口に出した。

「えっ? テレーザの居場所を知っているの?」

 オットーの言葉にテレーザの母がすぐに反応する。

「はい。それがどこかは、まだ言えません。ああ、まずはこれを見ていただきましょう」

 そう言って、オットーは懐から手紙を取り出して、テレーザの母に渡した。

「これは……」

「テレーザさんからの手紙です」

「そうね、確かにテレーザの字だわ。もう、もっと練習すれば良いのに、汚い字」

「そこに何が書いてあるかは僕は知りません。でも、テレーザさんは決して望まない形で、その場所に居る訳ではないと、お伝えします」

「ええ。そうね。そう書いてあるわ」

 テレーザの母の視線は手紙に向けられたまま。何度も何度も、テレーザが書いた文字を追っている。

「奥様、手紙には何と?」

「私は幸せになれた、産んでくれてありがとう、ですって。これだけじゃあ、何も分からないじゃない。あの娘はもう」

 苦笑いを浮かべながら、文句を言う母親の目からは、涙が流れていた。

「そうですか。テレーザ様はお幸せに」

「さて事情はお分かりになって頂けましたね? もう少し具体的な話をさせて頂きます」

「え、ええ」

「その御方には貴女がたを迎え入れる用意があります。但し、その場所は皇国ではありません」

「……テレーザは何処に?」

 テレーザの母親は、皇国を出た事がない。皇国以外と言われても、よく分からない。

「すみません。それはまだ言えません。秘密にしておかないと、皆様方に危険が及ぶ可能性があるからです」

「そんな?」

「その危険は皇国から来ます。それで察してください」

「……よく分からないわ」

 テレーザの母親は、クラウディアの本性を理解していない事が、これで分かる。

「そうですか。まあ、今はその方が良いです。さて迎え入れるにあたってはいくつか条件があります。それを今から説明します」

「はい」

「まず一つ目。その場所に行っても、貴女がたは決して、裕福な暮らしは出来ません。もちろん、生活に困るような事にはなりません」

「あの?」

「これでは分かりませんか。困ったな。えっとですね、テレーザさんは特別な地位にいます。その地位にある者であれば、それなりに贅沢な暮らしが出来てもおかしくないような」

「それって……」

 ようやく何かを察したようで、テレーザの母は大きく見開いた目をオットーに向けている。

「少し分かって頂けましたか? ですが、その御方は、テレーザさんを大切にしても、それと家族は明確に区別します。テレーザさんの地位を利用して、特権を求めるようであれば、その場所に行くことはお勧めしません。却って酷い目に合いますから」

「特権だなんて。私は普通に暮らせればそれで」

「そう思って頂けるなら結構です。二つ目の条件に移ります。その場所にご案内するにあたって、貴女がたをそれに相応しいか、確かめさせて頂きます。これは、貴女ではなく、周りの方々です」

「確かめる?」

「変な考えを持つような人がいるなら、それもまた、その場所に行くことはお勧めしません」

「その変なというのは?」

「偏見、差別、特権意識、まあ、上げるとキリがないですね。逆に言えば、真面目で、どんな場所であろうと堅実に生きる事が出来る人は合格です」

「それはまあ、普通ですね」

「それを普通と言えるのでしたら、貴女はおそらく問題ありません。家宰殿は今言った意味はお分かりになりますか?」

「残念ながら分かります」

「それを残念と言えるなら、大丈夫でしょう。もし、家宰殿から見て、問題がありそうな人がいるなら、申し訳ありませんが、その方は早めに切り捨ててください」

「……残っているものにはいないと思います」

 この先、どうなるか分からない旅路に付いて行こうという者たちだ。悪人ではない。だが、人族には善人であっても、他種族にはそうでない者など、いくらでも居る。

「そうであれば良いのですが。どちらにしろ、その場所に行くという前提です。今の話で、決められますか?」

「……テレーザの側には居られるのかしら?」

「毎日は無理です。誰もが入れる場所にはいませんので。でも、面会は自由です。テレーザさんが許す限りは」

「テレーザはお城に、それも奥に居るのですね?」

「ああ、そうでした、貴女も城に住まわれていたのでしたね?」

「ええ」

「身分は申し上げて良いでしょう。テレーザさんは王の側室になりました。同時に王妃の近衛騎士でもあります」

「側室で近衛?」

「その方が安心でしょう? 王妃とテレーザさんの関係は良好です」

「そう。そうね」

 側室で近衛など聞いたことがないが、オットーの説明は、母親を安心させるものだった。

「さすがにここまで話せば家宰殿はお分かりですね? でも決して口外はしないでください。それを妬む者は皇国の頂点にいますので」

「わ、分かりました」

「クラウディア陛下が……」

「乳母であった貴女にとっては、お辛い事でしょうが、これは事実です。さて話はこんな所です。さて、どうしますか?」

「はい。あの、カムイさんは」

「その名を口にしては」

「あっ、そうでした」

 カムイの名は、アーテンクロイツ共和国よりも、皇国の人々に知られている。しかも、良くも悪くもだ。

「でも、さすがに分かったのですね?」

「国王で、テレーザが好きになる人なんて、一人しか思いつきません」

 テレーザの母の口から出た意外な言葉。今度はオットーが驚く番だ。

「二人を知っている僕からすれば、かなりの驚きだったのですけど?」

「だって、テレーザの口から聞いた男性の名は、その方しか知りませんもの」

「それ悪口ですよね?」

「そうだとしても、あれだけ文句を言えるのです。深く興味を持っていたという事です。嫌う事が出来るなら好きになる事も出来ます。女心は複雑なのですよ?」

 こんな軽口が出るくらいに、母親の気持ちは軽くなっている。

「……勉強になります。それでどうされますか?」

「テレーザの側に」

 テレーザの母親は、迷うことなく、アーテンクロイツ共和国に赴く事を選んだ。テレーザが幸せだといえる場所に行くのに、悩む必要はなかった。

「そうですか。では、このまま、東方伯家の商都に向ってください。護衛役の者を付けますので、その者が現れたら、指示に従ってください。道案内もその者がします」

「あの、同行しては頂けないのですか?」

「見えない形で、皆さんに付いていきます。その方が守りやすいのです」

 同行しては、驚く事になるという理由もあるが、これは口にしなかった。護衛役は、魔族だったり、元盗賊だったりだ。ちょっと刺激が強すぎる。

「そうですか」

「さて、商都に滞在する家を用意しておきますので、そこでしばらく暮らして下さい。問題ないと判断されれば、又、別の者が会いに行きますので、その者の指示に従ってください」

「はい」

「では、私はこの辺で」

「このまま次の街まで行くのではないのですか?」

「信用して頂く為に、出て来ましたが、実は私も、少し顔を知られていますので。あまり一緒の所を見られない方が良いかと」

「そう」

「大げさにしているように思えるかもしれませんが、そう考えずに慎重に行動して下さい。それが皆さんを無事に目的地に導く事になります」

「はい。分かりました」

「では馬車を止めて頂けますか」

「ええ」

 馬車が止まるとすぐにオットーは自分の馬車に乗り移って、先に進んでいった。

「なんとも慌ただしいですね」

「それだけ隙がないとも言えます。先ほどの話を聞く限り、かなり準備を整えて会いに来たのでしょう。それでいて、それに油断する事無く行動する。彼がそうであれば、その御方も。テレーザ様は良い方の元へ嫁がれました」

「ええ。そうね」

 カムイたちの仰々しい備えを、テレーザの母親と家宰は、誠意と捉えた。こう思えるのであれば、共和国で暮らしていけるに違いない。
 テレーザは良い家族を持っていた。
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