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魔王の器 作者:月野文人

第三章 皇国動乱編

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秘密同盟の暗躍

 皇国東方の前線に近い場所にある城砦。ここが現在の皇国側の本陣となっている。その本陣が殺気立っているのは、前線に近いからではなく、王国との講和の交渉団が持ちこんできた難題の為だ。

「全く理解出来んな」

 ケイネル宰相の説明をばっさりと切り捨てたのは、ニクラウス・イーゼンベルク東方伯だ。

「どの辺がでしょうか?」

「そもそも、何故、王国と講和する必要があるのだ。戦いはこちらが優勢なのだ。開戦の許可を貰えば、すぐにでも王国軍を押し返してくれるわ」

 東方伯が納得しないのも当然だ。東方伯軍の戦線は皇国側が優勢に戦いを進めていたのだ。

「それが出来ないから講和を成そうとしているのです」

「だから、何故だと聞いておる」

「東方北部はともかくとして、中央部は逆に押し込まれてもおかしくありません」

 中央は皇国騎士団が担っている。それ以前から中央の戦線は王国側がずっと押していた。王国が撤退したのは、ヒルデガンドの奮闘があったからだ。

「それは皇国騎士団の問題だな。騎士団が責任を持って、対応すれば良い」

「それで負けたらどうするのですか?」

「負けない様に戦えば良い。何故、最初から負ける前提で話しておるのだ? 皇国騎士団本軍だって、被害は大きかったとはいえ、軽く二万を超える軍勢を保っておる。それに西方伯家が加われば、五万超だ。王国本軍と数では互角ではないか」

「戦いは数だけ決まる訳ではありません」

 ケイネルが東方伯に向かって言える言葉ではない。ケイネルと東方伯では、経験が違い過ぎる。ケイネルは戦場に立ったことさえないのだ。

「そのような事は、言われなくとも分かっておる。だが、その数が戦況を左右する事は多々ある」

「互角なのでは?」

「東部辺境領を数に入れておらん。それを入れれば、六万だ。王国を凌ぐ事になる」

「しかし……」

「何だ、はっきりと言ってみろ」

「それでも絶対とは言えません」

 オスカー騎士団長では勝てる自信を持てない。この言葉をケイネルは飲み込んだ。オスカーの立場もあるが、これを言っても、変えれば良いと言わるだけだと分かっている。

「当たり前だ。絶対勝つなどと言える戦いがどこにある?」

「その絶対がなければ、戦端を開く訳にはいかないのです」

「では、絶対だ。絶対に勝つから、戦いを始めさせろ」

「今、戦いに絶対はないと言ったではありませんか?」

「お主が絶対という言葉を欲するからくれてやったのだ。文句を言うな」

 東方伯は絶対に講和など認めるつもりはない。

「とにかく、講和は皇国中央が決めた事です。それに従ってください」

 一方で、ケイネルは何としても、講和を受け入れてもらう必要がある。

「いやいや。誤った所があれば、それを正すのが臣下の役目。講和は間違いだ。もう一度、検討してくれ」

「もう、決まった事です。皇帝陛下がお決めになったのです。それに逆らうのですか?」

 最後の切り札とばかりに皇帝の決定だと告げるケイネル。

「では、そちらで勝手にしろ! 何故、その犠牲に儂の娘がならなければならんのだ!」

 だが。それは東方伯を怒らすだけだった。皇帝の意思など切り札にはならない。そもそも東方伯は、クラウディアを皇帝として認めてもいないのだ。

「それは……」

「皇族には未婚の皇女殿下がいる。その方で良いではないか?」

「王国の指名です」

「それを交渉するのが、使者の役目だ」

「王国はこれが絶対条件と言っているのです」

 ケイネルに交渉をするつもりはない。ヒルデガンドを皇国から追い出す絶好の機会を、クラウディアが逃すはずはないと分かっているし、ケイネル自身もそれを望んでいた。

「では交渉は決裂だ。王国にそう告げて来い」

「ですから、それでは何の解決にもなりません」

「解決にはなる。戦いで雌雄を決するのだからな」

「講和を結ぶ。それは決定事項であり、変わる事はありません」

「だから、それが分からんと言っておるのだ。お主も冷静になって考えてみろ。何故、皇国側が講和を急ぐ必要があるのだ? 戦争が長引けば、侵攻してきている側が不利なのは、子供でも分かる事だと思うがな」

「それは……」

「それは?」

「……魔族が」

 そして又、ケイネルは事実を隠した。講和を利用して、クラウディア皇女を皇帝に押し上げたとは、東方伯には言えない。

「それは言い訳であろう。今現在、魔族のどこに脅威があるのだ?」

 だが東方伯はそれをお見通しだ。

「実際にノルトエンデを不法占拠しております」

「それで皇国は困るのか? 元々、税収もない領地ではないか」

「しかし、それはカルク元宰相のご判断でもあります」

「老いぼれの判断などどうでも良い。そう思ったからこそ、お主が宰相になったのではないのか?」

「…………」

 カルクの名も東方伯に通じない。元々、中央の文官と方伯の仲は悪い。政敵関係にあるのだから当然だ。

「ほら見ろ。分かったら、講和の件は考え直すのだな。百歩譲って講和をするにしても相手が違う」

「それは出来ません」

「何故だ!?」

「講和条件については皇帝陛下のご裁可が既に下っております」

「馬鹿な!? 本人の同意も得ずに決めただと?」

「皇帝陛下にはその権限があります」

 絶対的な権限を皇帝は保有している。確かに、その通りなのだが。

「それは建前に過ぎん。皇帝陛下であれば、何でも臣下に命令できるとなれば、臣下はただの奴隷ではないか。奴隷になった覚えなどない」

 遠慮なく思う所を言える力が東方伯家にはある。皇帝の言葉が絶対など、臣下である貴族が力を持った時点で、形だけのものになっているのだ。

「……今回だけです」

「独断か?」

「いえ違います。きちんと会議にて諮っております」

「その会議には誰が出ていたのだ? 宰相も皇国騎士団長もいないであろう?」

「皇国魔道士団長と、代行者が」

「何の役にも立たん者どもだな。……講和などどうでも良い。すぐに皇都に戻れ」

「そんな事が出来る訳ないではありませんか」

「では、皇帝陛下の参謀役は誰だ? そやつをここへ呼べ」

「おりません」

「そんなはずがあるか?」

 東方伯の、クラウディアに対する印象は、無知で無邪気なお人好しだ。このような馬鹿げた講和条件を受け入れたのは、誰かが裏で糸を引いての事と考えていた。

「ついこの間までは確かにそのような者はおりました。ですが、その者も既に皇都を離れております」

「確かか?」

「動向は把握しております。間違いありません」

「では、陛下の暴走か?」

「その可能性もありますが、皇帝陛下の側には愚か者が一人おります。その者の入れ知恵の可能性の方が高いかと」

 悪事は全てテレーザの仕業。誰もが納得する理由をケイネルは使った。

「あれか」

「はい」

「……殺せ」

「はっ?」

「殺せと言っておるのだ」

「そ、そんな事を……」

 東方伯の指示に驚くケイネルは宰相として甘い。皇帝の側に悪臣が存在しているのであれば、非情の手段を使っても排除しようと思うのは、おかしな事ではない。ただ、テレーザに関して話は違う。

「良いか? クラウディア様はもう皇女ではない皇国の皇帝になったのだ。この期に及んで、何を国内で策を弄する必要がある? そんな事も分からずに愚かな献策を行う者をお側に置いておけるか?」

「……もうすぐ引き離します」

 テレーザには悪い噂が山程ある。だが、ケイネルは全ての悪事がテレーザの頭から出たと思っていない。クラウディアの素顔が、ケイネルには少し見えている。

「それはいつだ?」

「講和が済めばすぐにでも」

「どうするつもりだ?」

「何の影響力もない小貴族へ嫁がせます」

「ほう。それを陛下は?」

「了承されています。元々は陛下が言い出した事ですから」

「そうか……。しかし、それは事が終わった後の話だ。現状の解決にはならんな」

 そうでなくても解決にはならない。テレーザは講和条件になど何ら関わっていないのだから。

「ヒルデガンド妃殿下と話をさせてください」

「ヒルダはもう妃ではないのではなかったか?」

「そんな言葉の綾をとらえて、ごねている場合ではありません」

「お主は何も分かっておらん」

 東方伯の顔に呆れの表情が浮かぶ。ケイネルは宰相だ。今の皇国の政治は、この程度の者に任されているのか、という思いからだ。

「何がでございますか?」

「妃でなくなったからと言ってもヒルダはもう儂の娘では収まらん。多くの者の忠誠を集めておるのだ。ヒルダを王国に送るだと? そんな事をあれの周りに告げてみろ。反乱が起こるぞ」

「大げさな」

 東方伯の言う通り、ケイネルは分かっていない。ヒルデガンドは城に居た時のヒルデガンドとは違うのだ。
 戦場で、その器量を十分に発揮したヒルデガンドとは、多くの人々の信望を集めている。英雄といっても良いだろう。
 この点では、ヒルデガンドを皇国から追い出す事は、クラウディアにとって正解ではある。

「大げさではない。ヒルダは皇国の武の象徴として崇められている。それを王国に差し出すなど、認める訳がないだろうが。何が王太子の妃だ。王国に行った途端にヒルダは殺されるわ」

「そんな事はさせません」

 こんな無責任な事を言えば、益々、東方伯からの信用を落とすだけだ。ケイネルは何を言っても聞かない東方伯の説得にうんざりしている。それを表に出してしまう所が若さだ。

「どうやって? 王国内で何をされようと皇国は何も出来ん。そんな事は分かりきっておる」

「とにかく会わせてください。会って本人の意思を確認させてください」

 東方伯の説得をケイネルは諦めた。こうなると直接、本人を説得するしかない。初めから、こう考えてはいたのだ。

「無理だ」

「話してみないと分からないではないですか?」

「会わせたくても、会わせる事は出来んと言っておるのだ」

「……ヒルデガンド殿はどちらに?」

 ケイネルの胸に不安が広がる。

「ここから更に北方にある城砦だ。そこで、仲間と共に籠っておる。開戦の許可をもらえたら、すぐに王国に奇襲を掛ける。その準備の為だ」

「そうですか。勝てると思われているのですか?」

 反乱の準備ではなかった。ホッとしたケイネルだが、戦いを始められても困る。それをすれば講和交渉は終わりだ。

「さっきから言っておるだろうが。勝つと」

「止めてください」

「開戦の許可が出なければ動かん。それに指揮権は儂ではなく、ヒルダにある」

「では、とにかく、こちらに呼び寄せてください」

「……何を隠しておる?」

 ケイネルの言葉に不審なものを感じた東方伯は鋭い視線を向けて、ケイネルに問いただす。

「いえ、何も……」

「とぼけるな! 話せ!」

「……言う事を聞かないと、テーレイズ皇子、いえ、テーレイズの罪に連座させられる事になります。そうなってもよろしいのですか?」

 これが本当の切り札。出来れば使いたくなかった切り札だ。脅しまで使っては、東方伯の信頼は完全に失う事になる。

「まさか……、ヒルダに皇国の軍を向けるつもりか?」

「このままでは、そうなります」

「……馬鹿な。あまりにも馬鹿げている。それでは王国の思う壺ではないか。何故、交渉を引き伸ばさんのだ!?」

「引き延ばしました。ですが、交渉の場にルースア国王が出てきたのです」

「何だと!?」

「国王自らが出てきて、条件はこれ以外にないと。条約文書まで用意してあって、それには署名まで……」

 これが王国の思う壺という事だ。ルースア国王が出れば、皇国は押しきれる。こんな風に見切られていたのだ。

「皇帝陛下の署名が必要なはずだ」

「もちろんです。それは皇都に送りました。その上で、ご裁可が降りたとなれば、速やかに送り返されてくるでしょう」

「何故、それを止めんのだ!」

 正式に講和条約が結ばれたとなれば、それを破ることは皇国の信義の喪失になる。ルースア王国だけでなく、他の国も皇国を信用しなくなるだろう。
 東方伯もただ拒否しているだけはいられなくなる。

「王国からも皇都に使者が出ました。私が止めても、その使者が陛下に伝えたでしょう」

「王国の思惑通りか……。それでは皇国はどうなるのだ?」

「だからヒルデガンド殿の説得を。皇国内での争いとなれば、それこそ王国の思う壺です」

「その為に……、儂の娘に死ねと?」

「そうと決まった訳では」

 口ではこう言っているが、間違いなくそうなるとケイネルは思っている。この考えが甘いのだ。ケイネルだけではなく、クラウディアたち皇国の今の上層部は全員がだ。

「では王国の軍を率いてやってくる娘と戦えと?」

「まさか」

「まさかではない。幼い頃から教えてきたのだ。私を捨てて公に従えとな。王国の王太子妃となる事を一度受け入れてしまえば、ヒルダは平気で皇国と戦うであろう」

「…………」

 ケイネルはようやく自分たちの失敗に気が付いた。王国の野心が今回の講和で治まることはない。すでに王国は次の戦いの準備に入っているのだ。
 ただ少し考えすぎだ。王国がヒルデガンドの性格を知っているはずがない。皇国から引き離せば良いくらいに思っているだけだ。

「さて、その時に東部辺境領主はどう出るかな? ヒルダに従う事になれば、王国の侵攻は今回の比ではないものになる。皇国騎士団はそれを防げるのか?」

「それは……」

「愚かだ。あまりに愚か過ぎる。何故、周りを無視して事を進めるのだ。皇国は一つに纏まらねばならん。そう思っているからこそ、濡れ衣だと分かっていて、テーレイズ皇子殿下を罪に落とすことを黙認しておったのに」

「それはヒルデガンド殿も?」

「あれは知らん。戦場である事を利用して、情報を遮断した」

「……そうですか」

「頼むから、もう皇国中央は何もしないでくれ。ただ開戦の許可を出すだけで良い。それで解決するのだ」

「それは……、出来ません」

 勝ったとしても、それによりヒルデガンドの名声は益々高まる。それがクラウディアの地位を揺るがす事になり兼ね合いのだ。

「そうか。では、もう話すことはない。この城砦から出て行ってくれ」

「万一、ヒルデガンド殿が反乱などとなっても、同調されるような真似はなされないでしょうね? そんな事をすれば、東方伯家全体に罪が及びます」

「そんなものは脅しにもならんな。儂がどう動こうと、儂の勝手だ」

「まさか?」

 脅すつもりが、逆に脅される事になる。結局、東方伯から見ても、今の皇国はこの程度なのだ。四方伯を押さえ込めるだけの威権が、今の皇国にはない。

「これは脅しだ。主に過ちがあれば、命を賭しても、それを諌めなければならない。儂は幼き頃より、そう教わってきた。それが四方伯家の務めだとな」

「東方伯家は滅びる事になります」

「それがどうした? 千年前の家祖はどこの馬の骨とも分からぬ身だ。その家名が途絶えたとて、何の問題がある?」

「その千年の歴史を……」

「お主には四方伯家の重みは分からん。それは家名にあるのではない。行動にあるのだ」

 皇帝を支える。それは、ただ盲従する事ではない。皇帝に過ちがあれば、それを正す。これが建国時の方伯家に与えられた使命だった。
 実際に行動に移すかどうかは別にして、方伯家の者であれば誰もが知っている。

「しかし」

「儂は出て行けと言ったのだ。自ら出て行けないのであれば、力づくで追い出すが」

「……出て行きます。後悔なされないように」

「それはこちらの台詞だ。裸の宰相殿」

「……どういう意味です」

「出て行け」

 これで最後と東方伯はケイネル宰相に背中を向けた。その背中に尚も、何かを話そうとしたケイネル宰相ではあったが、語る言葉を思いつかなかったのか、何も言わないまま部屋を出て行った。

「ご領主様……」

 ケイネルの姿が消えた所で臣下の一人が口を開いた。東方伯家の軍を率いる将の一人、バートンだ。

「ようやく北方伯の動きの理由が分かったな。既に攻める気満々ではないか。まあ、知らされていないのであれば仕方がないがな」

「戦われますのか?」

「それは分からん。北方伯と西方伯の出方次第だ。当家、諸共などと企んでいるのであれば、戦わざるを得ない」

 そうでなければ戦わないという事だ。バートンの顔に憂いが浮かぶ。

「ヒルデガンド様は……」

「あれはもう儂の娘ではない。自らの信じる道を進めば良いのだ」

「まさか、お見捨てになるのですか?」

「……それが、……皇国の為に、なるのであれば」

 東方伯は苦渋に満ちた表情で、絞りだすように言葉にした。

「しかし!」

「儂はあれに私を捨てて公に従えと教えたのだ! その儂が私に引きずられてどうする!?」

「…………」

 決断は、方伯としての立場だけではなく、父親としての意地でもある。そうであっても、もっと素直に考えるべきとは、バートンは口に出来ない。
 東方伯の背負っているものの大きさをバートンは知っており、自分自身もその一人なのだ。

「しばらく一人にしてくれ。しばらくは……、ただの父親でいさせてくれ」

「……はっ」

 バートンは東方伯に背中を向けて、そのまま扉を開けて部屋を出て行った。振り返る事は無用だと分かっているからだ。

「……ヒルダ、すまん。愚かな父を許してくれ。愚かな皇国を……、すまん」

 誰もいなくなった部屋に、東方伯の嘆きの声がいつまでも響いていた。

◇◇◇

 その後の皇国と王国の講和は、何ら揉める事もなく纏まった。両国主の思惑は完全に合致している。揉める点など何もないのだ。
 講和文書の取り交わしを終えると、王国は従った辺境領主軍と二万程の王国軍を残して、速やかに王国に帰還していった。
 だが、皇国東方には依然として、戦乱の風が吹き続けていた。

「妃殿下から反逆者。見事な転身だねえ」

 籠っている城砦の城壁の上で、マリーは呑気な声を上げていた。

「マリーさん、そんな冗談を言っている場合ではありません。完全に囲まれていますよ」

 城塞の周囲には皇国の軍が展開している。王国との戦いの時、この軍勢を出しておけば良いのに、と思うような数だ。

「冗談でも言ってないとやってられないね。こちらは五千、敵は七万。冗談を止めたら、後は笑うしかないね」

「どうしてこんな事になったのでしょう?」

「分かり切った事を聞くもんじゃないよ。王国も皇国も、皇国の場合はクラウディアと言い換えても良いね。二つとも、ヒルダを殺したいのさ」

「……そうであっても、こちらにきちんと申し入れてきても良いのではないですか?」

 結局、ヒルデガンドへの説得は行われる事なく、講和は纏まった。説得出来ない事情が、皇国に出来たからだ。

「それでヒルダが王国に行くなんて言ったらどうする?」

「それが条件ですよね?」

「王国がヒルダを殺してくれれば良いさ。でも、そうじゃなくて本当に王太子妃として遇したら?」

「それは……、そうなって見なければ分かりませんけど、それが皇国の為なら」

「そして、今度は王国の為に、身を捧げるのかい?」

「王太子妃となれば、仕方がありませんわ」

 東方伯の考えた通り。父親の教えはヒルデガンドに、しっかりと染み付いている。

「その王太子様が皇国を攻めるから軍を率いてくれと言ったら?」

「…………」

 さすがにこれには答えないヒルデガンドだったが、答えないというだけで問題だ。

「ほら、すぐに出来ないと言わない。そういう事さ。皇国はそれを恐れているって事。だからきっと降伏勧告なんてないからね」

「そんな」

「いやあ、凄いものだね。皇国と王国を敵に回した。そう言えば、はるか昔にレイって魔王も世界を敵に回して戦ったらしいよ?」

「どうしてそんな事を知っているのですか?」

「昔話を色々と調べたからね」

「そうでしたね」

「それに次ぐ快挙だね」

「また冗談」

 ヒルデガンドは拗ねたような表情でマリーを見ている。こんな事態に追い込まれているのに、マリーはとにかくご機嫌だ。これがヒルデガンドには、不謹慎なように思えている。

「冗談でも言ってないとやってられない」

「でも、このままでは王国の思惑通りですよね?」

「そうだね」

「……私のせいで」

 今度は表情が一気に暗くなる。自分が争乱を引き起こしているようで、それがヒルデガンドに心苦しいのだ。

「おっと、馬鹿な事を考えるんじゃないよ。自分が居なければなんて考えるのは、許されないからね」

「……どうしてですか?」

「テーレイズ皇子の生死が定かじゃない。どこかで復権を目論んでいるかもしれないよ? そうなった場合に頼る相手はヒルダしかいない。良いのかい? テーレイズ皇子が汚名を着せられたままで」

「それは、納得出来ません」

「じゃあ、少し頑張って見ようか」

「でも、兵の人たちを無駄死にさせるのは」

 自分の為に人が死ぬ。これがヒルデガンドにとって一番苦しい事だ。王国と戦うのとは訳が違う。自軍も敵軍も同じ皇国なのだ。

「そんな風に思う兵はここには誰もいないさ。ちゃんと意志を確かめたのを忘れたのかい?」

「……覚えています」

 ヒルデガンドは籠城にあたって、兵の意思を確認している。戦いたくない者は、この場を去れ、という言葉に応じる者は誰もいなかった。

「皆、ヒルダの為に、戦うと決めて、ここにいるんだよ。簡単に諦めるのは却って裏切る事になると思うけどね」

「……そうですね」

「よし、じゃあ、頑張ろう」

「でも、現実問題として状況はかなり厳しいですよ。籠城しているだけでは、いずれ押し潰されるだけです」

「それについては手を打ってある。まあ、完璧とは言えないけどね。それなりに相手を混乱出来るはずだね」

「それはどのような手なのですか?」

「説明するよりも、見ていれば分かるよ。その為にここに来たのさ。ほら、始まった」

 城砦の東方に位置する皇国の陣から、火の手が上がるのが城壁の上からでもはっきりと見える。その火はあちこちで燃え上がり、やがて、兵が慌てふためいて、陣を飛び出し、右往左往している様子まで見えてくる。

「魔法融合……」

「その通り。東部辺境領主のかなりの部分がこちらに付いた。皇国に従っているとなると、ほぼ全部かね?」

「いつの間に? それにどうして、こんな状況で?」

「いつの間にはかなり前から。そして、どうしては、あれは自分たちの為の行動だね」

「えっ?」

「東部辺境領は皇国から独立する。その決起を今に合わせてもらっただけさ。そういう意味では付いた、は正しくないね。歩調を合わせた程度かね」

「独立ですか……」

 ヒルデガンドも辺境領の事は以前よりも、よく知っている。一緒に戦った仲なのだ。その彼らが遂に独立に動き出した。何とも言えない思いが胸に浮かぶ。

「今更、驚かないよね? 奴らがそれを画策していた事は知っていたはずだ」

「ええ。それは分かっていました。でも、今がその時ですか?」

「王国は必ず、再侵攻してくる。その前に自国を確立しておかないとね。時間はあるに越したことはない」

「でも、これだけ東方に皇国軍が集まっている時では、時期としては悪すぎます」

 目の前だけで七万の軍が居る。その半分でも東部辺境領の軍の数を軽く超えるはずだ。

「事が東方だけで起こるならね」

「まさか!?」

「そのまさか。南部でも、西部でも規模の違いはあっても独立戦争は起きるよ」

「……北方が入っていませんね」

「ああ、北方でも。もちろんだよ」

「皇国は……、大混乱ですね」

 反乱を起こした形になってはいても、皇国に対する思いは変わらない。ヒルデガンドの気持ちは複雑だ。

「まあね。それにヒルダが責任を感じる事はないよ。自業自得さ」

「責任は感じていません。でも、皇国はどうなるかと思いました」

「滅びる、まではいかないと思うよ。まあ、かなり小さくなるかもしれないね。そこまでは、あたしには分からないね」

「……裏で糸を引いているのはカムイですね?」

「ま、まあ。辺境領が動くのだからね。少しは絡んでいるだろうね」

 ヒルデガンドがここでカムイの話をしてくるとはマリーは思っていなかった。不意を突かれて、動揺を表に表してしまっている。

「そうですか……」

 マリーの答えを聞いて、ヒルデガンドの目つきが厳しくなる。それを見たマリーは益々、焦ってしまう。

「ち、ちょっと何を怒っているのさ? カムイにはカムイの理由があって」

「それは分かっています。でも、私はまだテーレイズ様の妃であって、皇族のつもりです。皇族として、皇国を乱す行為を許す訳にいきません」

「は、はあ!?」

 カムイの話以上に、この言葉はマリーの不意をついた。こんな話の展開は、全くの予想外だった。

「そうではありませんか?」

「……どうして、そう頭が固いかね?」

「でも、先程、マリーさんはテーレイズ様の復権の為に頑張ろうと言いましたわ」

「……しまった」

「それはつまり、そういう事です。テーレイズ様が復権しても、肝心の皇国が乱れていては申し訳ないわ」

「……ま、まあね」

「それに戦争は民を苦しめる事になります。皇国のあちこちで戦争なんてなったら」

「あっ、それはそれで」

「……マリーさんは何か知っているのですか?」

 探るような目つき。ここまでくると、マリーも気持ちが座って、平気な顔で嘘をつけるようになる。

「いや、何も知らないね」

「そうですか。とにかく、今回のカムイはやり過ぎです。私は許す事は出来ませんわ」

「……そうだね」

「マリーさんもそう思いませんか?」

「思うよ。もちろんさ。あれは加減ってものを知らないからね」

「そうですよね。でも、カムイの事は、この状況を何とかした後ですね。その為にも、頑張らないと」

 吹っ切れた様子で、ヒルデガンドは先に見える戦いの様子を、真剣に見詰めだした。その瞳は、先程までと違い、戦場に居る時の瞳に変わっている。
 結果としては、マリーの思惑通りなのだが。

「……アルト悪い、ちょっと失敗した」

 予想外の展開に思わずマリーは心の思いを呟いてしまう。

「何か言いましたか?」

「何も」

 秘密同盟の同士は至る所にいる。その同士たちが、今、一斉に動き出していた。それにより、更なる動乱が巻き起こる事になる。

 後に、この事実が世間に知れ渡る事になり、秘密同盟の主導者であったアルトは一気に天下に悪名を響かす事になる。
 私を捨てて公に生きる二人を結びつけるという私情の為に、公の立場を利用して、大陸に動乱を巻き起こした男として。
 これも、カムイ・クロイツの伝記を彩る逸話の一つだ。
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