第Y話 “狂犬微笑<パピー・スマイル>”
なんでお前だけが、と以前、言われたことがある。
なんでお前だけが、「特別扱い」されるのだと。
オレだって、こんな能力はいらなかった。
「死んだやつと対話し、存在をこの世につなぎ止める」?
……何のために?
解放してやることもできず、ただ捕らえて操るだけの能力に、何の意味がある?
こんな歪な能力、オレだっていらなかった。
こんな、施設のやつらに利用されるだけのむなしい能力、いくら積まれても、欲しくなかった。
――だけど、オレ達はもう、引き返せない。この呪われた能力と共に、生きてゆくしかないのだ。
……だったら、オレは、戦う。
そして、オレ達を飼い殺し、利用する、クソみたいに汚ねえ大人達に、反逆してやる。
それが、ただの代償行為だと、わかっていても、もう止めようがなかった。
……なぜならオレは、千夜に――。
「……お前」
オレは、目を見張った。雷門が刺されている。
「――なんで……」
「……ハッ、ようやく、戻ってきやがったか……」
雷門は、自らの胸に刺さったナイフを押さえながら、膝をついている。
どす黒い、赤。雷門の足下の土は、血に染まっていた。
「一体、何が……」
「……てめーには、関係ねえ」
「チッ……言いたくないってことかよ」
言いながら考えを巡らせる。
――「ナイフ」。
施設に管理されている子どものうち、ナイフ使いがいる。
生物以外のすべてのものをナイフへと変える、殺戮者<マッド・リッパー>。
やつは、施設から逃げたオレを狙っていた。
実際、公園でも一度、襲われている。
千夜を逃がし、なんとか、腕一本負傷する程度で済んだのが奇跡だった。
幸い、撒いているうちに、連れ戻されたのだろう。
千夜まで狙われなくて、本当によかった。
この急所を微妙に外し、わざと苦しめるような刺し方。
雷門をやったとしたら、やつだ。でも、なんでオレではなく、雷門が?
がさり、となにかが鳴った気がして、あたりを見渡す。
「…………っ」
公園のあちこちで、木々がなぎ倒され、地面がえぐれたような、ひどいあとがあった。
吐き気がして、こらえた。
この公園は、呪われている。能力者を集める、負のフィールドだ。
特殊な結界が張られているおかげで、施設や、他の市民に気づかれず戦えると、リッパーは踏んだのかもしれない。
でも、「違う」。この場所が、能力者達を戦わせる、「負の感情の吹きだまり」だ。
オレの能力は、ヤツや双子坂、雷門と違い、戦闘系ではない。
ヤツに追いつかれたら、条件がよほどよくない限り、確実にやられる。
だから、雷門は囮となって、先回りし、戦闘で激しくやりあった結果、オレの代わりに刺された。そういうことなのか。
雷門は、胸を押さえて、ごぼり、と血を吐いた。
出血がひどい。
深々と刺さったナイフが、ぎらり、と冷たい街灯の光を反射していた。
「――俺を殺してくれ」
雷門は言った。
「……いやだ、と言ったら?」
「ハッ……、そう言うと思ったぜ。だけどな……このナイフを抜けば……俺は死ぬ。でも、挿したまま、放置したとして……、いずれ俺は死ぬ。
そして、死体は施設に運ばれ……俺は解剖される。全身弄られ、切り刻まれ……サンプルとして…、研究者クズどもにいいように……扱われる……」
「……だろうな」
歯を食いしばる。認めたくないが、それはまぎれもない事実だ。
「俺は……俺は嫌だ。そんな風にされるぐらいなら……ここでお前に殺されたほうが……。あのイケすかねえ<二重人格者>なら……施設の動向を、ある程度把握してやがる……」
「…………」
雷門の言いたいことに気付き、オレはうつむいたまま、拳を握った。
「隠れて死体の処理をするぐらい……たやすいはずだ。……お前に、殺されたなら……俺はここで……救われる……」
「そんなことになんの意味があんだよ。派手に犬死するのが、お前の選んだ末路か? それでてめーは満足なのか?」
「ああ……」
雷門は、それ以上、何も言わなかった。
その顔に悲壮感はなく、満足げに目を閉じ、静かに、「その時」を待っていた。
オレは、その胸のナイフに、手を添えた。
時間がないのは、明らかだった。
ここで、聞き分けのない物語の主人公のように、「生きていればいいことがある」とか、「死んでもなんの意味もない」とか、手垢てあかのこびりついた、なんの根拠もない理想論を、わめきたてる気分にはなれなかった。
この怪我じゃ、とうてい助からないのは、雷門だってわかっている。
普通の人間なら、救急車を呼んだだろう。
たとえ間に合わないかもしれなくても、呼ぼうとするだろう。
だが、そうすれば、確実に施設のやつらにみつかる。
やつらは、病院をはじめとした、至るところに網を張っているのだから。
「助かる」だとか、「きっと間に合う」だとか。
もしオレが、マンガや映画の安いヒーローなら、そう言ったろう。
ガキがだだをこねるような、なまぬるい、ご都合主義のなぐさめを。
だが、今回の件で、オレは痛感していた。
オレは、主人公なんかじゃない。
なぜなら、「夏に誓った暗黒仮面」なんて、“最初から偽物”だったのだから。
雷門はまだ静かに目を閉じている。
……まだ、待っている。
「悪と戦う正義の味方」でもなければ、「偽善を裁く、闇の始末人」でもないオレを。――オレだけのことを。
オレは、歯を食いしばって、そのナイフを深く埋めた。
雷門の口から、ごぼりと血が溢れた。
「……ありがと、な……」
雷門は言う。礼を言うぜ、ではなく、ありがとう、と。
「……礼言われてもな」
素直さにあっけにとられたが、意外ではなかった。
「犬神雷門」は、こういうやつなのだ。
今ならわかる。ヤクザもどきを従え、どんなに粋がったところで、こいつはただの、強がりな子犬<ワイルドパピー>なのだと。
雷門をみつめた。静かに、その最期を見守る。
「……なあ……」
雷門が言う。
こいつはまだ死なない。簡単に死ぬタマじゃない。
まだ、こいつは事切れない。
――でも、いずれ死ぬ。もうすぐ、死の女神の腕に抱かれ、このタールのような夜空に運ばれてゆく。
「……好きだったぜ……、お前のことが……」
「――あっそう。でもオレが好きなのは千夜だから」
空を仰いで、体の力を抜いた。
雷門が、愉快そうに、喉を鳴らした。
その喉も、いずれなんの音も発しない、ただのモノになる。
「……ハッ……これだから、テメエは……な……」
雷門は、顔を歪めて、笑った。
だがそれは、なにもかも吹っ切ったような、「晴天の笑顔」だった。
オレは、雷門を見下ろし、その瞳を射るようにみつめた。
「――何か最期に、叶えたいことはあるか」
雷門は黙って、震える手を差し伸べた。
「…………」
オレは、無言でその手を払った。
そして、今にも死のうとしている、その体をぎゅっと抱きしめた。
「……大サービスだ、死にたがり」
「……ああ……、」
ああ、なんだったのか。
雷門はそれ以上言葉を発しなかった。その身体はだらりと力を失っていた。
……完全に事切れていた。
オレは、自分より大きな、その身体を、もう一度、強く抱きしめる。
「……バカなやつ」
ダチになりたいと言ったなら、叶えてやった。
「……素直じゃねえ」
だけど、こいつのしたことは、悪者ぶりながら注意をひき、しまいにはオレに殺されることだった。
死にたがりの狂犬。
きっと、こいつは人を愛したり、幸せになる方法なんて知りようがないような、最低な人生しか送ってこなかったんだろう。
いや、オレだって、似たようなものだった。
救えただろうか、と自問する。
もし、雷門が致命的な傷を負わなければ、オレがやつを、光のほうへと……。
「まだ見ぬ明日」へと、「もっとマシな未来」へと、導いてやることができただろうか。
雷門には、「違う未来」があっただろうか。
――答えは、ノーだ。もし<IF>なんて、意味はない。このくそったれな結果が、すべてだ。
持つものと持たざるもの。その残酷な格差に、オレ達は無力でしかない。
都合のいい魔法も、現状をひっくり返す奇跡も、起こりはしない。
そんな、甘ったれた希望にすがるほど、バカじゃない。
だけど、と両腕に力を込める。
……やってやろうじゃねえか。
こいつが死を望むなら、オレはその分、生きてやる。こいつの分まで、勝利を勝ち取る。
カミサマを、運命を嘲笑う、「反逆者」にだってなってやる――!
ケータイを手に取る。ヤツは、まるで見計らったように、1コールで出た。
「……双子坂、雷門が死んだ。始末を頼む」
「……了解。ちゃんと抱きしめてやったかい?」
見透かしきったその口調に、少しいらだちながら、無意識に詰めていた息を吐いた。
「――当たり前だろ。お前に言われなくても」
オレは「ヒーロー」だから。
たとえ、偽物でも、まがいものでも。本当はただの異常者で、クズだたとしても。
オレは「ヒーロー」なのだと、「救世主」なのだと、信じて、待ってくれているやつがいる。
オレは、拳を握った。
この世界が、救いようもない暗黒だとしたら。
――オレが、その闇を引き裂く、流星になってやる。
この世が、無情で不全な神の作った、救いようもない地獄なら。
神サマだろうが、サタンだろうがかまわねえ。
あんたをぶん殴って、この地獄を支配してやる。
たとえ、この先に、どんな結末が待っていたとしても――。
……だから、雷門、みてろよ。
オレは、お前の死を、どこまでも有効に使ってやる。絶対に、無駄死にはさせない。
右目がぴりぴりと疼うずいて、そっと押さえた。
<ゴーストアイ>。死者をうつす瞳。
公園の入り口に立った雷門が、こちらを振り向き、へっと笑う。
その顔はどこまでも嬉しそうな、狂犬微笑<パピー・スマイル>だった――。